76 誕生日
「やっぱりここにいたのね…」
「あ…久しぶり…」
マナイの結晶の塔の頂上の中央部にあるドームの側で、飽きもせずずっとヒカの顔を覗き込んでいるヨハを呼び止めた人物…
それは、長老達との極秘の会議を終えて一旦はエンデやナクスと共にエルオの丘の外に出たが、長老に頼み許可を得てここに辿り着いたゼリスだった。
「…元気そうだね。ちょっと安心した。」
「……」
ゼリスを見て穏やかな雰囲気で笑んだヨハだが、すぐにまたヒカの方へ向いてしまい…
言いたい事は色々あるのに、なかなか言葉が出て来ないゼリス…
「あの…」
「長老に聞いたと思うけど、明日、ミアハの皆んなが広場に集まったら…その後は…僕は…とても大きな任務があるんだ。だから…」
「……」
そう、目の前の男……私の初恋の相手で初めての失恋の相手であるヨハは、かなり後で知る事となったが自分の従兄弟でもある。
「僕は…無事に任務を終えたらヒカと結婚して…お腹の赤ちゃんを守って行くつもりでいるんだけど…」
「……」
「その望みは…」
「……」
…おそらく…先程会ったタニアのパートナーであり深淵の瞳を持つ男の話では…
「…自分で決めているのでしょう?だったら、何がなんでも目覚めるの。」
彼はその能力を全力で使い続けると、目覚められなくなる可能性が高いと…
そして3年以上目覚めない場合、その後は心臓がゆっくりと止まって行ってしまうらしい
「…ヒカちゃんに…お腹の赤ちゃんにも会いたいんでしょう?決めたなら…死にものぐるいで頑張りなさいよ。」
…叱咤し、彼の肩を揺さぶるゼリスだが…声が…どうにも震えてしまいそうになる。
「…そうだね…僕は頑張るよ。全力で頑張る。だけどもしも目覚められなかったら…」
ヨハは急に振り返り、ゼリスの腕を掴む。
「ちょっ…」
ゼリスはヨハの不意な行動に、少し驚いて思わず後退りしてしまう…
「時々でいいんだ。この子の…ヒカの話し相手になって上げて欲しい。ヒカは君を女性の先輩能力者として尊敬しているようだったし、話し込めるほど心を許していたと思う…。僕なりにお腹の子の事も…もしもの備えは考えてあるけれど、この子は…ヒカはきっと、これから自分で色々抱えて込んでしまいそうだから…」
…こいつは…何を言っている?
…よりによって…
「…あなた…思考が少しショート気味に見えるわ。私はね…」
「おそらく最初は…気持ちが入り過ぎての事故みたいなモノだったと思うってタニアが言っていた。君も…ヒカには心を開いてくれていたから…そういう状況になってしまったんだろう?」
ああもう…この人の前でなんて、絶対に泣きたくないのに…
「あなたって、結構おめでたいのね。きっかけはそうでも…」
…そう…最初はワザとではなかった。
でも…次に会った時、ヒカちゃんは…暗示は綺麗に取れていた。
あれ?私の暗示は?
…もしかして…私が勘違いしていただけ…?
それとも…私の力って…そんなに弱いのかな…?
2度目は好奇心で…
だけど次に会った時、ヒカちゃんの暗示はやはり取れていて…
エルオの丘の中で瞑想をすると、その人にとってあまり良くないエネルギーは徐々に剥がれて行く…みたいな話を前にタニアさんはしていた。
あの時のヒカちゃんの変化は、きっとそうだったのだろう…
3度目はちょっとムキになっていて思わず…
そして、次に会った時のヒカちゃんは…暗示がかかったままだった。
なんだか嬉しかった…
自分の力を確認出来た事と、ヒカちゃんを通して常に見え隠れしてるヨハ君やタヨハさんがなんだか癪で…
彼等の困っている様子がちょっと見たかったのかも知れない…
けどその直後…私はエルオの丘に入れなくなり…
忘れ物をしたフリをしてその場はなんとか誤魔化せたが…内心はかなりパニックになっていた。
勿論、そんな事は恩師のイレン様には相談出来ず…
ヒカちゃんが師弟関係の解消を申し出たという話をしてくれた時…
もう(暗示を)やり続けるしかない。
それがこの子とヨハ君の為なんだと、思い込もうとした。
だが…ハンサさんや長老の自分を見る目が徐々に変化しだし…そこでやっと冷静になったが…
もう遅いと思った。
色々と理由をつけて休んでいた会議も、いつ自分の未報告の能力やエルオの丘に入れなくなってしまった事が、元老院の人達にバレやしないかととにかく恐怖で…
役職を降り能力者の仕事も休止して…ミアハを出ようとまで思っていた。
だけどあの男は…長老セダルは…全てを見透かしていた…
私の大きな誤解までも…
「長老様自らが私の元にあなたを来させたのなら、きっとあなたに事情を話してもいいって事なのでしょうね…」
庭掃除をしている所に不意に現れた私を、ヤヘナさんは全く動揺する事なく…にこやかに…
家の中に招き入れお茶を振る舞いながら、知りたかった事を丁寧に話してくれた。
ヨハ君とタニアさんの親のことは、能力者になりたての頃に知った。
そう…タニアさんがあの事件を起こした事がきっかけで、引退直前のベテランのアムナのコソコソ話しを偶然聞いてしまった時で…
あの2人の存在は昔から独特で…なぜタヨハさんがタニアさんと個人的な面会をこっそり希望し続けていたかの事情が分かった気がした。
そして更に…
タヨハさんと関係のあったティリの女性との人工受精で生まれたセレスの子は、実はかなりいるらしいと…そのアムナ達は話してしたのだ。
私は猛烈に気になって、暗示の力を使って研究所の人にその関連のデータをもらった。
すると…
私はヨハ君の異父兄弟のようだった。
そして父は…なんとイレン様だった。
…どうやら…タヨハさんの血を引く者は、あの浮いていた2人以外にはおらず…
タヨハさんと関係のあった相手…その人はもう亡くなっているらしいが…その人の卵子は、ヨハ君以外では他に人工交配で5人ほど使われていたようだった。
…アムナ達の話では、タヨハさんは私達の母と身体の関係があったらしく…そのせいでセレスの長の道は断たれたそうで…
セレスの為とはいえ、亡くなった愛する人の卵子を…あの人は他の男性との受精に使えるのか?
…だが…それを許可しているのは長老なのだ。
イレン様は血縁の事を知ってか知らずか…私をとても可愛がって下さっている。
…あんなに…セレスの能力者として頑張っておられる方なのに、長老はイレン様にはなんだかそっけなく…
確かにあの方は長でありながら人を纏めらる力はあまり…
だがお人好しで…任務に対する使命感は誰よりも素晴らしいと思っている。
だから…イレン様が何やら落ち込んでおられると、なぜだか長老やタヨハさんの顔が浮かんでしまい…ずっとモヤモヤしていた。
だから、長の引退を決めた理由もきっと…
だから私は…
いずれ折りを見てミアハを出て…許される限りイレン様の世話役となり…近い未来に長の引退を決めているあの方が大国のある地方の神殿の神官となった暁には、そのまま側で支えさせて頂こうと考えていたのだ。
ヤヘナさんと話し…後にタニアさんの不意の訪問を受けるまでは、それこそ真剣に…
「あの子…ニアは身体つきこそ華奢でしたが、とてもタフで容姿にも恵まれていてね…強い特殊能力も持っていたの。まるで双子の姉のサヤの分の生命力まで吸い取ってしまったようにね。…サヤは未熟児で生まれた上に発育不良でね…言葉はおろか声も殆ど発する事が出来ず、心臓もあまり動きが良くなくてほぼ植物状態で…ティリのある病院の一室で人生の殆どを過ごしたの。」
双子!?
「ニアは、サヤに会う為に良く病院に行きたがったの。サヤも…ニアの顔を見た時だけ笑う子だった。双子で通じ合う部分はあったのでしょうね…だからニアは、大きくなったら看護師になってサヤのいる病院にお勤めするって決めていた。でも…同じ学校に通う男の子と恋に落ち…ふとした瞬間に彼はニアの特殊能力を見てしまい…あの子は恐れられ捨てられてしまった事で、人生の歯車が大きく狂ってしまったの。当時、失恋の影がやっと薄れ始めていたタイミングで、タヨハ様がティリのある山の神殿の神官として赴任して来て、ニアはとても容姿が美しくお優しいタヨハ様に一目惚れしたようで…あの子の中で静かに膨らんで行った狂気的なタヨハさんへの思慕に私達がもっと危機感を持っていれば…タヨハさんも巻き込まれずに済んだかも知れない。あの子の…ニアの特殊能力でタヨハさんは…」
「……ニアさんは…」
少し辛そうな顔をして言葉を発しなくなってしまったヤヘナさんに、具体的にタヨハさんに何をしたのですか?と肝心な部分を聞き出そうとした時、
「おばちゃん、迎えに来たよ。」
と…私より一回りくらい歳上っぽい男性が入って来て…
「あら、もうそんな時間?えっと…あなたは…」
「ゼリスです。これから何かご用事があるのですね…?」
「そうなの。主人も娘達も亡くなってから…ここでずっと1人で暮らしていたのだけど…私も最近は色々と身体の不調が出て来てね…だから今は施設で暮らしていて、週に2回だけ…こうやって家の手入れに連れて来てもらっているのよ。この子は私の夫の兄の子で…こんな風に私なんかの世話を焼いてくれるの。あんたも色々忙しいでしょうに…いつもありがとね、ナクス…」
…この…気さくで優しそうではあるが、どこかワイルドな雰囲気を醸し出している人が、まさか直後に新たなティリの長になっていたなんて…聞いた時は本当にビックリしたのだ。
「そういう事だから、ごめんね。もう帰らなくちゃいけないの。中途半端な説明になってしまって、私の方がなんだか気持ち悪いわ。…どうかまた遊びに来てちょうだい。」
ナクスに支えられて立ち上がりながら、ヤヘナさんはそう言ってくれた。
結局ヤヘナは、ナクスの車に乗る際にメモ紙を渡してくれ、自分がここに来れるのはナクスの都合次第だから、少ししたら連絡を頂戴。また是非、ここでお話ししましょう…
と言って、あの日は別れたのだった。
その後…ヤヘナに連絡しようか迷っていた矢先、ちょうど夕食を食べ終えたタイミングでタニアさんが…
本当にビックリしたけれど、タニアさんは…
「私やヨハに関して知りたい事があるのでしょう?次にヤヘナさんに会う前に、私の話も聞いてみる?」
と、私の頭の中を全て見透かすかのように話しかけて来たのだ。
本当に驚いたけれど、彼女の力は時々かじり聞いていたので好奇心には勝てず…
気付いたら彼女を家に上げていた…
彼女は、自分の力で見えた情報と長老や深淵の瞳を持つ男から聞いた事を彼女なりに整理して、当時のタヨハさん達に起きた事と…ヤヘナさんご夫妻が長老と交わした密約についても少し教えてくれた。
タニアさんは自然妊娠だったけれどもヨハ君は…半分実験的な意図もあって生まれた子だった。
だがタヨハさんは、ヨハ君の誕生には喜んだが…ニアはもう亡くなっているし…自分達のモノでの人工交配はもう止めて欲しいと、長老に懇願したそうで…
けれども、一度だけの試みが成功したヨハ君の例は長老にとってはとても大きな成果だった為…
長老はサヤさんの卵子に目をつけたのだ。
思いがけず自分達の子孫が残せる道が見えて、ヤヘナさん達は長老の提案を二つ返事で了承し、代わりにニアさんの不祥事は可能な限り表に出さないで欲しいと頼んだのだ。
そこにはある切実な事情があって、当時はヤヘナさんのご主人の叔父がティリの長を務めていたのだ。
「ニアの不祥事で長には迷惑をかけられない」と…
彼女達にとっては長老との駆け引きは有り難いとすら思えるモノだったのだろう。
しかしそのサヤさんも、ニアさんが亡くなって2年後に後を追うように…
結局、サヤさんの血を引くセレスの子は5人にとどまった。
ただ、今までの人工受精の成功率から見ると、その成功率は飛び抜けていたそうで…
「それからは積極的にティリとレノの女性の卵子を人工受精に取り入れて行くようになって、セレスの出生率は微妙に上がって来ていて…その子達の突然死も今のところ出てないんですって。」
「……そう…でしたか…」
皮肉にも、タニアさんの誕生はセレスの人口減少を食い止めるきっかけに繋がりつつあり…
この流れでいうと、セレスの女性の立つ背がない訳だが…
目の前の彼女には何が見えているのか…終始淀みない笑顔で説明をしていた。
ただ…
「この件に関してパパは今も強い後悔の念を抱いていて…私とのやり取りで楽しく盛り上がっている時はいつも…もしニアが生きていたら…って考えているの。どうも成長と共に私は少しママの面影が出て来ているみたいで…私を見て思い出してしまう部分もあるのよね…そんな時は私も少し居た堪れない気持ちになる。パパは何も悪くないのに…」
と話していた時だけ…涙ぐんでいたのを今も思い出す。
それから程なくして彼女は帰って行った。
あの時の私は、まさかヌビラナへ向かう前の束の間の帰国と知らずに…
そして翌日…
私はヤヘナさんに連絡をして…
そこからヤヘナさんやナクスさんとの交流がゆっくりと始まって行ったのだった。
「……」
…私は…
思い違いや勘違いでこの子達を引き裂くところだった。
だから…
「ヒカちゃんは本当に…真っ直ぐで良い子だから…言われなくても仲良くしたいわ。だけど…」
ゼリスはヨハと目線をしっかり合わせるように、ヨハの前に行って座り込み…
深く頭を下げた。
「私は…あなた達にズルい事をしてしまったから…償わなくてはならないわ。ヨハ君も辛い思いをしたわよね?…本当にごめんなさい。」
「いや、僕の事は…」
ヨハは困ったように後退る…
「…私は…人の気持ちなんて都合良くどうこう出来るモノじゃないのに…あなたに対してどこか被害者みたいな気持ちになっていたと思うの…」
今なら分かる…
「…いや、いいよそんなの…僕にはそういうのはまだ分かってないガキだったし…返事をしてすぐに部屋へ戻ったのも、あの時は何も考えてなかった。無神経な僕に君も嫌な思いをしたろう?」
ヨハは困ったように、更にゼリスと距離を取ろうとする。
「だからって…最初は事故みたいモノだったとしても、その後は故意だったわ。妨害なんかして…みっともない。師であるイレン様の顔にも泥を塗るようなマネをした…恥ずかしい事よ。…だからね…」
こんな私でも幸せになっていいって…思わせてくれる人に出会えたから…
「あなたが目覚めるまでの間…私に出来る事ならなんでも言って欲しいの。なんでもよ…」
ゼリスはここで顔を上げ、ヨハを真っ直ぐに見つめる。
「……」
ゼリスの勢いに圧倒されて、何も頭に浮かんで来ないヨハ…
そんな様子のヨハを見て、ゼリスはフッと笑う。
「ごめんなさい…そんな引かないで…勢いあまって怖がらせてしまったかな?じゃあ…」
ゼリスはスッと立ち上がり、
「まだ少し時間はあるでしょう?思い付いたらいつでも連絡して…あ、直接の連絡が抵抗あるならハンサさんに伝言してでも構わないわ。とにかく、ちゃんと目覚めて赤ちゃんに会うのよ。じゃないと…あ、ヒカちゃんに素敵な人を紹介しちゃうわよ。」
「…それでもいい…ヒカが幸せなら…もしもの時はよろしく頼むね。」
…あなたにムキになって欲しくて言ったのに…
「…やめた。眠っているあなたを私が襲う事にするわ。」
「なっ…君って…そんな事を言う人だったの…」
さすがに唖然とするヨハ…
「あら、あなたは私の初恋の人なんだから……そう、そうするわ。ヒカちゃん、聞いてる?私は眠っているヨハ君を襲うわ。」
「や、止めてくれ。こんな神聖な場所で何言って…」
ヨハは慌てて立ち上がり、ゼリスの口を塞ごうとする…
「…だから、嫌だったら死にものぐるいで目覚めなさいよ。」
ゼリスはヨハを避けながら、少し強めの口調で言い切る。
「……」
ヨハの動きが止まり…
彼は力無く笑う…
「そうだね……ゼリス、1つお願いしたい事を思い付いたよ…」
そう言って、彼はヒカの眠るドームの上にちょこんと置かれていた古めかしい一冊の本を手に取って、ゼリスに渡す。
「目覚めたらすぐ見れるようにここに置いとこうと思ったんだけど…ヒカより先に何人かの人がこの本を開くのかなぁって思ったら…君に預けたくなった。これは元々はヒカの本なんだけど…中に誕生日の贈り物が入っているんだ。君に託していいかな…?」
「…ヒカちゃんより先に中を見ちゃうかも知れないわよ。」
「…別に見てもいいよ。見られて困る訳じゃないけど…なるべくなら、ヒカに1番に見て欲しいだけだから…」
「……」
結局それって…ヨハ君が何かを諦めているみたいな言葉に聞こえるんだけど…
「頼むよ…」
返事をしないゼリスに懇願して来るヨハの目はどこか悲しく…少し潤んでいた。
「…分かったわ。」
…そんな目をされたら…もう、受け取るしかないじゃない。
「…ありがとう…」
ホッとしたように笑ったヨハからは重く張り詰めた空気が…
やり過ごせない程に濃厚に漂っていた。
と、
「ゼリスさん、そろそろナクスさんは帰られるそうです。」
というハンサの声が上の方から聞こえて来て、それがヨハとゼリスの周辺に複雑に反響していた。
「あ、お見送りさせて頂きます。」
と、ゼリスは慌てて本を懐にしまい、それを抱える様にして慌てて階段の方へ向かう。
「じゃあね、ヨハ君。今日は話せて本当に良かったわ。私も約束を守るから、あなたも私の願いを実行するのよ。じゃないと…分かっているわよね。じゃあまたね。」
言いたい事を、言うだけ言って、ゼリスはせっせと階段を上がって行くのだった。
…ん?……誕生日って…
誰の?
と、確認し忘れた事が微かに頭を過ったが、ナクスの見送りになんとか間に合うよう、必死で階段を登る事を優先したゼリスだった…
そして…
いそいそと誕生日のプレゼントを買いに出かけた、かの娘には…
不穏な影がゆっくりと忍び寄っていた…




