70 ブレムの故郷
「…でさ…もう事務所は大騒ぎで…ラフェンがテレーサを上手く宥めてくれたから、騒ぎはほんの数分で収まったんだけど…ヤキモチ焼きのテレーサを刺激しない環境作りから考えた方がいいってラフェンのアドバイスで…結局、その秘書の女性には辞めてもらう事になったんだ。でも先日、用事があって親父と一緒に叔父さんの事務所に行ったら、彼女がそこの秘書として働いていたんだ。もうビックリでさ…叔父さんに聞いたら、仕事は出来る娘だし、こちらの都合で一方的に解雇はさせられないからって、親父が叔父さんとこに紹介したそうなんだ。それならそうと言ってくれればいいのにさ…」
「あはは…おじさんから見てその秘書はケビンのタイプに見えたんじゃない?角度を変えて見ればテレーサさんはケントおじさんに気に入られているのかも…ケビンとの間につまらないトラブルが起きて欲しくないから敢えて言わなかったように思うわ。でも…そうね、テレーサさんにはしばらくその事は言わない方が良いわね…プロポーズした後にさりげなく今みたいな感じで説明すれば、もう変に勘繰られる事はないわよ。…もうすぐする予定なんでしょう?」
「…もう…ヨルアは皆んなお見通しだなぁ。今度からラフェンじゃなくて、何かあったらヨルアに相談しようかな…」
「…それは…いくらなんでもダメよね…ラフェン君は優しいけど現実的な思考が出来る子だから、実際ケビンの恋愛相談には頼りになると思うわよ。」
…まったく…
元カノに恋愛相談なんてしたらそれこそ…
そういう抜けてる所が彼らしい部分ではあるのだが…
あれから何故だかヨルアは車椅子に乗せられて、ケビンが…その車椅子を押してくれている。
ここ…
ブレムの故郷であるテイホのコンタグルの町はまあまあな田舎で…過疎化の傾向が少し進んでいるらしく、これから向かう神殿周辺の道も整備の手が入るのが大分間隔が空くようで…悪路が多く、皆んなの車を途中の広場に止めて、神殿まで歩いて向かっている最中なのだ。
戦時中…武器の部品の一部を作っていた工場があった為に、かつてこの地は空襲受け、ブレムの親族はバラバラに避難し、今は誰もここには住んでいないらしいが…10代後半までをこの地で過ごしたブレムにとっては、大切な故郷には間違いない。
車を降りて、まだ腫れの引き切らない足で行くのはキツいだろうと、カシルが車に乗せて来た車椅子でヨルアは神殿まで移動することになった。
自力での手押しで移動し始めたヨルアの背後に、ケビンがいつの間やら回り込んで車椅子を押し出したので、そのままなし崩し的に車椅子を彼に押してもらっているヨルアは、当たり障りのない昔話から始まって、今はケビンの彼女テレーサとのエピソードで話が結構盛り上がって来ていたのだった。
ああ…ケビンの本質は全然変わってない…
彼の優しさは話しているだけで心が安らぐ…
だから…
そういう…ときめきとかはなくても…ケビンとはずっと一緒に居られる気がした…
でもケビンは…私に対して逃れられない不安がいつもあったから…どこかいつも…何か焦っているような様子だった。
そして私は…ケビンのその不安を埋めてあげられる術がない事を知っていた。
私は心の奥底では…パパを慕い過ぎるこの厄介な気持ちは変わらない事は分かっていたから…
だから…私はケビンの求めに応じてしまったのだ。
テレーサはケビンの同級生で…ずっと彼を追いかけていた過去の映像が少し垣間見えた。
最初こそ彼女が鬱陶しかったケビンだが…復学した際には以前みたいに積極的に近付く事はせずに、遠くで自分を見守り、どこか心配するような表情を見せながらも、すれ違い様に優しい笑みを浮かべるだけに留めている彼女のいじらしさに…どこか…かつてヨルアを追いかけていた頃の自分を重ねる瞬間があり…
少しずつ…時間をかけて築いて来た絆が…もうすぐ実を結ぼうとしているのだ。
「あ〜あ…なんだかんだで惚気話ね。幸せそうなあんたの笑顔を見せつけたい為に私の車椅子を押してくれたの?」
「ち、違うよ。あ…でも…ヨルアには報告したかったのは本当かも…。俺の惚気に、なんでケビンごときが…ってムカついて、奮起してくれたらいいかなって…」
「…そう……」
こんな状況の自分には、ケビンが誰かのパートナーになる事は正直、若干寂しさも感じるが…それ以上に彼の幸せそうな様子は…
「…ありがとう。ケビンが幸せなら私は嬉しいわ。ムカついてなんていないけど、私も頑張るから…」
自分に元気をくれているのは確かだ。
「そ、そうか…良かった…」
振り返りながら見上げた彼は…照れながらも、本当に嬉しそうに笑ってくれた。
…ケビン…本当にありがとう。
絶望から…
今、皆んなが手繰り寄せようとしてくれている希望の光…
上手く行くか…可能性は高い方ではないけど、やってみる価値はあると…天敵と決めつけていたあいつは言った。
「君がここまで健康状態が悪くなっていた事はちょっと予想外だったんだよな。まさか現地の人もあんまり近寄らない…あんな危険な森の中を通って…狼をごっそり倒して来るとはね。」
「ごめんなさい…狼に襲われたのは自業自得…だけど考えて対処する余裕はなかったから…多分、あそこの狼の半分くらい死んじゃってると思う…」
このヨルアの自業自得という言葉には、実はこっそり自分から少し離れて横を歩くカイルが一番反応していたが、ヨルアは見て見ぬふりをした。
「まあ…とにかく、君が狼達に喰われなくて良かったし…見ず知らずの人間と戦闘になるよりずっとマシだよ。」
ヨルアの告白と謝罪に、アイラは苦虫を噛み潰したような表情になりながらも…警察や公安が駆り出される状況になるような、最悪の展開を引き寄せなかった事に安堵した事を告げたが…
「…ポウフ村では被害者は4人も出てますけどね…」
と、またもやいつの間にか姿を現し、アイラの隣を歩いていたエンデが苦言を呈した。
「…申し訳ないです…」
ヨルアより、そしてアイラより先にボソボソっと小さな声で謝ったのは…ヨルア達の少し後ろを歩くジウナだった。
「…もう止めて、ジウナさん…あなたは命懸けでパパを守ってくれたのだから…あなたが気に病むのは違うの、違うのよ……だってパパは…」
ヨルアは先程バフェムが見せてくれた映像と、ブレムが託した手紙の内容を思い出し、ポロポロと涙を零す…
…そう、パパは…
映像では、セレスのあの2人が裂け目に落ちた事を確認したブレムが、…無意識かも知れないが、彼等の方に向かって車椅子を動かしていて…
…それはヨルアにはまるで…自ら裂け目に向かって行ったようにも見えた。
だって…
映像を見た直接に開いた紙の中には…
[愛しい我が娘、ヨルアよ…
君は私が生きた証…
どうか、どうか強く生きてくれ。
生き抜くんだよ。
幸せを祈る。
ブレム ]
…あの映像を見た直後にこれを見てしまったら…
これはまるで遺書…
もう私に会えない前提で書いているとしか…
「ヨルアさん…」
「……」
自分の名を呼ぶタニアの声が聞こえた気がした…
だがそれは肉声ではない事は分かっていたし、彼女が何を告げようとしているのかも…ヨルアは漠然とだが分かっていた。
…分かってるわ…泣いてる暇はないんでしょう?
そう、そんな暇はないのだ…
ポウフ村を出る少し前…
その説明を、バフェムが映写機器を撤収している間にアイラはし始めたのだ。
「カシル君とエンデ君によって集められた皆さんは、君をなんとか普段の心の平穏を取り戻す事が出来る為の手助けと…もう1つのある重要な目的の為にここにいる。だが君の今の体調だと…その目的を果たすには、今日はちと負担が大きそうだ。2.3日の延期が妥当かな…?」
そうアイラが残念そうに言うと、
不意に羽音がヨルアのすぐ横で聞こえて来て…
ギョッとして見るとやはりリンナが…
「反省してるなら許してあげる。仲直りの印よ。」
と、彼女はヨルアの頭の中に語りかけて来て、ニッコリ笑いながら紫色の粒を1つ…差し出していた。
「あ、ありがとう…」
リンナに対してトラウマの残るヨルアは、彼女を怒らせたくなくて、とりあえずその粒を受け取った。
「ブルーベリー…?」
その実をどうすればいいか…ヨルアが若干戸惑っていると、
「…その実を今すぐ食べて欲しいみたいだよ。」
背後からトウのアドバイスが聞こえ、ヨルアは慌ててそのブルーベリーを口の中に入れた。
「あ……まい…のね……」
ヨルアはその実の強い甘さに戸惑いながらも…その甘さがなんとも心地よくなって来て…最後は甘さの余韻を楽しみながら嚥下した。
すると…
じわじわ身体が熱くなって、その後少しして身体の熱さがピークアウトして行くと…
身体…特に足の苦痛が激減していた。
ちょっと動かしたぐらいでは足は全然痛くない。
「…大分楽になったでしょう?」
トウが確認するように尋ね、
「…はい…」
と、緊張しながらなんとか返事をした。
「僕に敬語なんて使わないでね。リンナも…酷い事しなければ優しいんだよ。反省はして欲しいけど、萎縮はしないでって…」
「だとよ。良かったな、ヨルア。」
しおらしい様子のヨルアを茶化すようにカシルが声をかけて来る。
「…カシルは出しゃばるな。」
「なんだ…やっと地が出て来たみたいじゃねぇか、良かった良かった…」
「だから、うるさい…」
「…そうそう…昔も2人のこんなやり取りよくあったわよね…なんか…嬉しい…」
そう言いながらミリがちょっと涙ぐむ…
「ああそうだな…俺とヨルアが言い合いになるといつもミリは涙ぐんで止めようとして…そしてケビンもオロオロしながら加わって…ソフィアは割と冷静に見守ってたよな…いや、面白がってたのか…?」
「あら、今頃分かったの?だっていつも放って置いても皆んながヨルアちゃんの味方して勝負が着いてたじゃない…カシルの我が儘にヨルアちゃんが正論言ってぶつかるパターンが殆どだったから。」
「うるせ…」
悔しそうにカシルがソフィアを睨むと…
「まあ…今はすっかり逆転してるけどね…悔しいけど、今日はカシルには正論を言われっぱなしだわ…」
自嘲気味にヨルアが呟くと、4人はちょっと言葉に詰まる…
「……」
「そうそう。ソフィアさんはズルいから、状況をギリギリまで見守って動き始めるんだよ。」
そこでカイルがさりげなく話題に割り込んで来る…
「うるっさい。あんたはもう…最近はいつもこうやって私の揚げ取るんだから…」
カイルの頭をポコっと軽く叩いてソフィアは愚痴る…
「…ソフィア…それはカイルがあんたに心を開き始めた証拠よ。私に付いて回っていた時も…最初は素直だったのに、徐々に色々と…質問責めしたりイタズラを仕掛けたりし始めたわ。頭は良いみたいだけどガキだから…それは彼なりの愛情表現と思えば腹も立たないわ。」
ヨルアが苦笑しながらソフィアに助言すると、
「クソ、勝手に分析するな。」
と、カイルはタタタッとヨルアの前まで走って来て…
「凄く心配したんだからな!」
急に涙ぐんで叫び…
直後に顔を隠すようにして、部屋の後ろの方へと行ってしまった。
「…ごめん、カイル…心配してくれてたんだね。ありがとう…」
珍しく感情的になってしまったカイルは、泣き顔を見られないようカーテンの陰に隠れた。
そんなカイルに、ヨルアはお礼を言った。
……
………
彼等の一連のやり取りを、ケントとヘレナはなんとも嬉しそうに…終始黙って聞いていた。
思い出話にも花が咲き、少しの間は和やかに会話が盛り上がっていたが…
今のカイルの感情的な言葉に皆はし〜んとなってしまうのだが…
その沈黙の中で、またリンナが皆んなの上を飛び始める…
そしてリンナは、ジウナ、タニア、カシルの3人の側まで行って、それぞれにブルーベリーの実を1つずつ渡した。
「今回の星から星への移動は、女神の作り出すそれぞれの大きなエネルギーの場の間を移動した訳だから、ヌビラナから戻った皆さんの身体には結構な負担がかかったんだって。だから、この後の為にも体力を回復して欲しいって…」
「そうか…リンナありがとう。じゃあ…」
と言ってカシルが実を口に入れると、他の2人もそれに続く…
そうこうしてるうちに、診療所のスタッフがハンサの到着を告げに来て…
その部屋にいた人達はそのまま外に出て、コンタグルに向かう事になったのだった。
「彼は…思っていたより時間がないそうだ。長老が施してくれた儀式のお陰で一命は取り留めた状態だが…目を覚ましてしまったら、3日と持たないらしいから…」
アイラはヨルア達の隣にスッと近付いて、ボソッと話しかけて来る…
「ヨルア、君の呼びかけで彼は目覚めるそうだから…もしもの時の為に彼に告げたい言葉は…一応準備しておきなさい。それと、タヨハさんから言われた手順ももう一度…」
「分かってます。分かっていますから…」
「叔父さん、ヨルアはまずこれから始まる儀式に全身全霊で臨むのみですよ。」
「…ああ…そうだな…ブレム君の事に関しては…君には私の説明なんて必要ないな…」
神殿が見えて来て、ヨルアの表情が少し強張り始めている事にアイラはすぐ気付いたのだろう…
だがそれはブレムのこれからの為に、彼女が集中し始めている証でもあるのだと…アイラもケビンも分かってはいるのだ。
「すみません…アイラさん。今の私は余裕がなくて…皆さんの厚意の上で実現出来る儀式なのに…」
「…いいんだ。皆んな…ブレム君の今までの命がけの地道な努力に報いたい気持ちがあるんだよ。それに…いや、とりあえず今は儀式の事に意識を集中すべきだな…」
アイラはヨルアの肩をポンポンと軽く叩き…2人から離れて行った。
直後…ケビンは1度大きく息を吸って、何かを決意したように話し始める…
「…ヨルア、俺は昨夜カシルに呼び出された時から…ヨルアには直接伝えようと思ってた事があるんだ。俺達はもう子供じゃない…いざとなった時は多少なりとも、お互いを支え合える見識や経済力は持てるようになって来ているんだ。…1人で抱え込んで潰れるなよ。絶望も、分かち合えば絶望じゃなくなるかも知れないからさ…」
「………偉そうに…ケビンのくせに…」
ヨルアはそこまで言って…蹲り…黙ってしまった。
ヨルアの様子にケビンは焦り始める…
「ヨルア…?…ごめん…気分を悪くしたかな…?」
「…ううん……ありがとう…ありがとう…私こそ…色々とごめんね…」
蹲りながら…ヨルアは声を振るわせてケビンに言った…
「…な、なんでヨルアが謝るんだ…そもそも俺が…」
そう言いかけたケビンの背中に、2人の様子を生温かく見守っていた3人のうちのソフィアがそっと手を置く…
ハッとしてケビンが周囲を見ると…カシルもミリも、
「もう余計な言葉はいらないんだ。ヨルアは分かっているから…」
と言っているかのような表情でケビンを見ていた。
…そうだな…
…そうかもな…
とケビンが苦笑すると…
「皆さ〜ん、お待ちしておりました〜こちらですよ。」
と、声が聞こえて来て…
皆の視線が声の方に向くと、ヒョロリと背の高い初老の男性が神殿らしき建物の前で手を振っていた。
「え…あの人は…?」
思わず声を発したのはミリだった。
「ああそうだな…あの独特な体型と髪の色は…おそらくあの人はセレスだ。」
「アウノさんは確かにセレスの能力者です。3年前にこちらの神殿を任されて…今は私と同じく、地の守り人である地域専属の神官です。」
皆のどよめきにタヨハが簡単に説明をし…
「ラフェン君の能力を見て、長老が見出した極秘の儀式に我々セレスの神官達が立ち会う…これも何かの巡り合わせかも知れません…」
感慨深く呟きながら、タヨハは神殿を改めて見上げた…
一行はとうとう神殿に辿り着き、代表してアイラが挨拶をしたが…
神官アウノは挨拶もそこそこに皆を神殿に招き入れる。
「で…トウというレノの少年は…あ、いたいた。」
アウノはキョロキョロと集団を見回し…トウを見つけた。
「はい、例のモノはここに…」
トウもケビンのように車椅子を押して来ていて、そのもう1つの車椅子には、紐でしっかり固定されたブルーベリーの鉢が乗っていた。
「おお…そうですか…これが…」
アウノは車椅子の上のブルーベリーの鉢の紐を丁寧に外し、その鉢を祭壇の中央へ置く…
その様子を見届けると、タヨハとトウも祭壇の近くへ移動して来る。
そして、アウノの何やら呪文らしき言葉に合わせるように、タヨハとトウはそれぞれの自身の髪を1本抜いて鉢の土に埋め、最後にアウノも同様に髪を土に埋めた。
そこから3人は祭壇の前でアウノと共に呪文のようなモノを一緒に唱え始める。
……
……
時間にしたら5分前後の間か…
しばらく3人の呪文の声が神殿に響き渡っていたが…
やがて、ブルーベリーの木の幹が輝き始め…
その光は次第に大きくなって行った。
そして…
いつもより大きな光の塊は、ゆっくりと空中移動を始め…やがてそれは神殿の中央部へ着地した。
光が消えたそこには…
ベッドに横たわるブレムがいた。
「パパッ!!」
ヨルアは無我夢中で駆け出し…
目を閉じたままのブレムに思わず抱きついた。




