69 違う悲しみ…
「……」
何が起こった…?
一瞬…凄い形相の自分を見下ろしていた…
ような気がした。
だが、視界がすぐに切り替わり、
見慣れない…若い男女に手を繋がれて、自分はその人達を嬉しそうに見上げていた…
賑やかな音楽と人の騒めき…
近くには鉄の柵みたいな物があって、その柵に添った行列に自分達は並んでいるようだった。
やがて階段を少し上がってすぐの小さめのゲートを潜ると…
カップのような形の乗り物がたくさんあって…自分はそれに嬉々として乗り込む…
少しして、それは動き出し…一緒に乗っている先程の男女と自分は、その乗り物を楽しんでいるようだった。
ああ…
この人達は自分の両親で…
ここは遊園地…
その後も似たような場面の中に自分はいて…
どれもとても楽しく…至福を感じている輝かしい場面…
自分にとってはとても大切な記憶…
兄弟はいないが友達が複数いて、優しい両親に見守られて自分は成長して行く…
ずっと…そのささやかな幸せは続くはずだった。
だが…
父は好調だった会社経営に安易な夢を膨らませ…
都市部に事業を広げた事で、全ての歯車が狂って行く…
都市部に建てたばかりの家が人手に渡り…小さな借家に越して来た辺りで、両親が口論している場面を何度も見るようになる。
学費も支払えない状況に陥った段階で、父は家に帰って来なくなり…
入れ替わるかのように怪しげな人が家に来るようになって、母はそれに怯えながら居留守を使うようになる。
そんな母を見かねた親戚の協力で、こっそり安アパートに引っ越せだのだが…
親戚に借りていたお金も返せない状況で、とうとう親戚とも疎遠になり…
母は心労で倒れ…間もなく亡くなってしまう。
母の遺体に泣き縋り、絶望に打ちひしがれていたタイミングで父が戻って来た…
なんとか母を埋葬し、母と暮らしていたボロアパートで、今度は父との生活が始まるのだが…
1週間もしないうちに、ある程度のまとまったお金を置いて、再び父はいなくなる…
が、数日後に父が救急搬送されたとの連絡が入るのだが…
父はどうやら保険金目当ての自殺を図ろうとしたらしく…
それは未遂に終わり、彼は生死の境を数日間彷徨った末に危機は脱するのだが…
脳に障害が残り、ほぼ寝たきり状態になってしまう…
元々の心臓の機能も悪化しているとの事で、医師は施設か医療機関での療養を勧めるのだが、当然その為のお金もなく…
父をなんとかアパートに連れ帰り、父の面倒を見ながら自分も働き始めたが…
慣れない肉体労働に父の看病の両立はかなり難しく…
然も、再び借金取りがアパートに押しかけ始めて…
だが不思議な事に、ある時を境に、それは姿を見せなくなっていた。
けれども、未成年で保護者もあるようでない状態の自分の稼ぎでは、金銭面で行き詰まるのは時間の問題だった。
程なくして家賃の滞納が始まり…絶望の中、自分はアパートの中で意識を失った。
疲労と果てのない無力感の中で、多分…自分はこのまま父と共に母の所へ行くのだと思ったのだが…
思わぬところから救いの手はもたらされたのだった。
その救い主は、会話を交わした記憶もあるかないかといった関わりしかない…転校して間もなく退学した都市部の学校の同級生の女子だった。
その子も途中編入だったらしく、当時は大人しい政治家の娘という印象しかなかったのだが…
何故だかその子はとても親切で、献身的に接してくれた。
最初こそ戸惑っていたが…いつの間にかその子と話をする事が、自分の日々の拠り所となって…
いつか…どんな形でもいいからその子に恩返しをすることが、人生の目標になってもいた。
現実的には、そんな目標が果たせるあてもない状況ではあったが…
例えどんな形でも、救いの女神には恩返しをしたいと…その頃から強く願うようになっていた。
そして更に彼女の父親が…
父の借金の肩代わりをしてくれて…それは自立出来た時点で自分が返して行かねばならないお金ではあるが…
その後間もなくに亡くなった父の医療費や葬儀代まで立て替えてくれただけでなく、こんな自分を復学までせてくれたのだ。
「それは全て出世払いでいい」
と…彼は言ってくれた。
この時点で自分の目指す人間は勿論、彼となった。
そして彼は何故だか…
進学のタイミングで自分をある人物に預けたのだ。
その人物もまた…仕事柄もあるのだろうが、少し謎めいていて頭の切れる…懐の深さを持つ人物だった。
彼は息子の政治活動の手助けを僕に依頼し、自分を実家に間借りまでさせてくれている…
絶望に沈みかけていた自分をこんな境遇に導いてくれたのは…
やはりあの同級生の少女。
君にはどんな事をしても、一生をかけて恩返しをして行きたい…
出来る事なら…
なるべく、なるべく側にいて彼女を守りたいとも…
…だけど…
恩以外の何かが…そう思わせていると知ったのは、彼女の側から離れなければならない直前だった。
けれども、出発前夜に勇気を出した告白はあえなく失敗し、彼女の想い人まで知る結果となる。
でも自分のあまりに強い望みは、ここでの撤退が受け入れられなかった。
…彼女の想いが成就した訳ではない状況が、そんな諦めの悪さを生んだのかも知れないけど…
僕は…叶うならば、救いの女神を側で守って行きたかった。
それほどに粘って大好きな遊園地での初デートが実現したが、結果は…
僕の最大の望みはとうとう崩れ去った。
正直、かなりキツい。
今はとにかく1人になって思い切り泣きたいけど…
どうやら…
お世話になっている人達には一大事のようで…
辛いけど、なんだかんだでケビンさん達といると優しい時間を過ごせる自分がいて…
もう今の僕は、大きな希望の光は消えた状態だけど…
小さな希望の光は失ってはいないのだから…
小さな光を集めて…
出来ればそれらを頑張って膨らませて…生きて行きたい。
父や母には恩返しらしい事は何も出来なかったから、尚更にそう思う。
僕よりも辛い幼少期を過ごしたレベン…
身体を張って僕を助けてくれた彼の為にも…
運命に抗う力も弱くて、人生を半強制的に終わらせられる所を救ってもらった僕だから…
小さな光源でも…大切にして生きて行きたいんだ。
………
……
…レベンて…?
……
…
「…?!…」
ちょっと前まで見えていた天井と同じ景色が再び戻る…
…何?…今の……
夢…?
……
………
違う…これはまるで…
知らない誰かの人生を生きたようなリアルさ…
「…ん……」
「…?」
…今、人の声が下の方から…?
「痛……」
起き上がろうと身体を動かすと足に激痛が…
と、
急にドタバタと廊下が騒がしくなり、たくさんの足音と声…
それはすぐにドアの近くまで到達し…
「あ……」
その集団は部屋の中に押し寄せて来た。
その顔触れの殆どはとても懐かしく…温かな思い出ばかりが次々と蘇って来る人達だった。
たが、その中の数人はまず視線が下に…
「あ、ラフェン…」
とその中の誰かが叫んだ。
するとまた下から、
「う、う〜ん…あれ?」
と、さっきよりハッキリとした男性の声が聞こえて来て、その声の主は立ち上がった。
「大丈夫か?」
というケビンの声と、手を差し伸べるケント…
その2人が、立ち上がった少年の様子を確認していた。
ヨルアはここでやっと少し前のラフェンとのやり取りの記憶を取り戻す。
「…はい…大丈夫です…」
と答えたラフェンの方は、まだ置かれている状況が把握仕切れていない様子だった。
「…ヨルアちゃん、久しぶりだね。ところで2人とも…?なんで泣いている…?」
ケントはキョトンとした表情で2人の顔を交互に見ていて…
「え…?」
言われたヨルアとラフェンも驚いて自分の目の辺りに手をやる…
「……」
改めて見ると、周囲の人達も…
ケントと似たような、少し不思議そうな表情で2人を交互に見ていた。
「……」
だがその中で唯1人…
2人に何が起きたのかを理解している雰囲気の人間が…
その人…タニアは、集団の後ろの方で少し涙ぐみながら、彼女も無言で2人を交互に見ていた。
そして…
「ヨルアさん…具合はいかがですか?」
と、微かに笑みを浮かべ、何事も無かったかのようにヨルアに尋ねた。
「……」
…今までは脳内に映し出される映像を見る事で、人の人生や感情を色々垣間見て来たヨルアだが…
ついさっきまでの重々しい感覚は、まるで違う人生を生きて来たようなリアルさがあった。
おそらく、今しがたまで見て聞いた事は、ラフェンの人生の特別な記憶。
自分とは違う悲しみだけど、とても辛く切ない感情…
それを、ヨルアはまるで自分の経験のように重々しく感じたのだ。
今のラフェンは…まだ1人で泣く事も出来ないけど、必死にケントやケビンの為に頑張ってここにいるようだった。
…それがリアルに分かってしまったなら…自分の悲しみを冷静に見ざるを得ないじゃない。
「大丈夫…です……その…色々と…迷惑をかけてしまって…ごめんなさい…」
ヨルアのシュンとした様子に…
部屋にいる皆が驚きつつ、同時に深く安堵する空気が…
今のヨルアには、やけに重く伝わって来る。
「ああヨルアちゃん…」
不意にヘレナがヨルアを抱きしめる。
「良かった…私の知ってるヨルアちゃんだわ。色々辛かったわね…今まで何も力になれなくて…ごめんね。」
強く抱きしめながら、涙声で話すヘレナの優しい口調に…ヨルアも自然と涙が湧き出て来る…
「…いいえ…私こそ…赤の他人の私を温かく受け入れて下さり…父がいない間はおば様達に育てて頂いたようなモノです。なのに…バタバタと慌ただしく出て行って…未だお礼も出来ないまま…」
止めどなく溢れる涙を拭おうともせず…ヨルアもヘレナの背中に手を回し、ヒシと抱きつく…
「今更…何を水くさい事を言っているの。あの頃は私も辛い時期があったから、あなたが居てくれて本当に助かったのよ…」
そう言いながらヨルアの背中をポンポンし…ヘレナはふとドアの側に立つアイラを見る。
遅れて来たアイラは、先程までは深刻な表情を浮かべながらヨルアの状況を聞き回っていたが…
今は特に表情を変える事もなく、
「タニア…ブレム君はね…今まで何があっても君を手放さず…彼なりに君を大事に大事に育てて来たんだ。君の存在は彼の生きた証でもあるんだよ。君が自分を傷付けるような事をすれば、それはブレム君のこれまでの努力を軽んじる事にも通じると思わないか?君は彼の為にも、これからを大事に生きなければいけないんだ。実は今ね…」
と、
アイラの言葉の途中でドアをノックする音が…
「失礼します。準備が整いましたのでお持ちしました。入っても大丈夫ですか?」
という若い男性の声と共に聞こえ、
「ああ、丁度良いタイミングだよ。入ってくれ…」
アイラの了承の言葉の直後にドアが開くと、キャスター付きワゴンの上に何やら機器を載せて運ぶ若い男性と…
彼に肩を借りる形で、ふらつく足取りのジウナが入って来た。
「……」
ヨルアの視線が入って来た2人に向き始めたので、ヘレナは彼女からそっと離れたが…
状況の変化に動揺しないよう「大丈夫よ」と伝えるようにヨルアの左手をギュッと握った。
項垂れて元気のないジウナの様子を見て、確かに少し動揺するヨルアだったが…
ヘレナの手の温もりになんとなく安堵をする彼女だった。
「彼はバフェム君と言って、テイホの軍人なのだが…ブレム君が裂け目に落ちるまでの彼の動向の映像のコピーを、危険な思いをしてまでここに持って来てくれたんだ。その上彼は、ブレム君から君宛ての手紙も預かっているそうだよ。」
アイラは彼をここに呼んだ理由を色々説明しだし…小さな封筒をヨルアに渡した。
「これはブレムさんから預かったメモ紙を、僕が後から封筒に入れた物です。切実な状況中で、必死の形相であの人が僕に託した物なので…とにかく途中で上官や役人にバレないよう頑張りました。まあ…あの時は基地の本部側も、皆んな無事帰還する為に必死でしたからね。検閲も我々の不意の帰還にバタバタしてたから、細かいチェックもあんまりなくて助かりましたよ。」
「…ありがとうございます…」
割とあっけらかんと話す彼の脳内には、当時の様子が早送りビデオのように映し出されては消え…彼が色々と工夫しながら、見つかった時のリスクも覚悟して運んでくれた様子がヨルアにはしっかり見えていた。
だが、
「ヨルア、まずはバフェム君の当時の説明を聞いてくれ。」
震える手で封筒から中の手紙を取り出そうとするヨルアを止めながらアイラは言った。
「あ、じゃあ…えっと…」
ヨルアは手を止め、そこからはバフェムが当時の様子を丁寧に説明してくれた。
「……で、タニアさんが危ないから早く戻れと言うので急いで本部へ戻ったのですが、直後に物凄く揺れて…基地内の灯りも一時は全部消えてしまったので、大混乱でした。その後は更に通信機能もしばらく麻痺して…皆んな一瞬一瞬の変化に対応して行くのがやっとでしたので、その時点ではブレムさんやミアハの人達の事を考える余裕は…申し訳ない事ですが、全くありませんでした。で、気が付くとブレムさん達が寝泊まりしていた住居とか掘削場…ミアハの人達のいた辺りまで、全てが水没していたのです。」
「……」
部屋の中は静まる返り、バフェムの話してる間は誰1人言葉を発する者はいなかった。
勿論ヨルアも…
アイラには何か伝えたい事があるとヨルアは分かっていたので、彼女としては手紙を一刻も早く見たかったが、バフェムの話はとにかく最後まで聞くしかないと思った。
「…で…水没した場所の様子を納めた本部側の建物から撮影した監視カメラの映像を全て取り出して持ち帰り、画像を可視化出来るあらゆる作業をして解析したんです。私も…当時常駐していた全ての者がその映像を一緒に見ました…」
そこでアイラはやっと、バフェムの話を手で制するジェスチャーをして止めた。
「…ヨルア、まず君はその映像を見るべきだ。」
と言いながら彼は再びバフェムに合図を送る。
と同時に、タニアは急いで窓際のカーテンを全て閉めて…
「…私も当時のブレムさん達の様子は確認していません。なぜなら、私達がいた場所から急激に地割れが始まり、私達は当時滞在していた施設諸共に最初に裂け目に落ちたからです。なので私もカシルさんも初めて見る映像です。」
と皆に伝え…
直後に部屋の灯りは全て消され、バフェムの運んで来た機器が、病室の白い壁の一部を四角く照らし出したのだった。




