66 赤い訪問者
「あ、あった!」
やっぱりあった…赤くて美味しいモノ…
あの時、あと10日くらいしたら赤く美味しい実になってるよって…セジカお兄ちゃんが言ってた通りだ…
マリュさんにあの時のお菓子…また作ってもらおう。
そしたらサハお兄ちゃんはきっと…
「…ユ…どこ……りなさ……」
遠くでお兄ちゃん達が呼んでる…
あの実を採ったら早く戻らないと。
ユユは嬉々として熟れ始めた小振りのりんごの実に手を伸ばす…
と、
「…?」
違う赤っぽい何かがユユの袖に触れた…
ような気がして、反射的に腕を引っ込めようとしたが、
「あら、可愛い子見っけ…」
誰かに腕を掴まれて…
「もう…小賢しい…こんな小ちゃな子にまで防護服なんて着せて…でもまあ…あの狡猾な男の考えそうな事…ね?ユユちゃん…?」
「……」
…誰…?
…優しく魅惑的な声…
だけど、なんとなく禍々しくて…
なんだかよく分からない恐怖でユユは固まってしまう。
自分の腕を掴んでいる傷だらけの手と…赤毛だけが風になびいてチラチラ見えるけど、枝葉が邪魔してて姿が分からない…
と、
パキっという枯れ枝を踏み締めたような音と同時に、その手の主はこちら側に移動して来る。
徐々に赤い毛の先の顔が見えて来るが、ユユは目を逸らす事が出来ない…
「ユユ、ダメだ!!目を閉じるんだ。」
「…お兄……」
サハの声に身体が反応し、ユユは振り返…ろうとしたところで意識が飛んで、グズグズと倒れてしまう…
「ユユっ!!」
サハは咄嗟に倒れたユユに覆い被さり、妹を赤毛の女から守ろうする…
「あらあら…健気なお兄ちゃんね…」
赤毛の女はそう言うと、ふふッと楽しそうに笑う…
「…妹に触るな!あっちに行け。」
サハは咄嗟に掴んだ小石をその女に投げ付ける。
サハの投げた石は女の腫れた足先に当たり、その赤毛の女は一瞬だけ苦痛に顔を歪めた…
「…元気ね…でも邪魔はダメよ…」
伸ばした女の手が、サハの頬をスッと素早く掠める…
「痛い!」
女の指が一瞬だけ接触した頬の一部が、みるみる内にみみず腫れのような状態になる…
腫れた部分に手を当てながら、痛そうな表情をしてもサハは怯まずに女に向かって叫ぶ。
「…ここはセジカ兄ちゃんと2人で一生懸命守って来たんだ。酷い事する奴は通さない。帰れよ!」
サハは立ち上がり、横たわるユユの前に立って通せんぼの格好をする。
だが、女の微笑は崩れる事なく…サハに更に近付いて行く。
「…まあ勇敢ね。でも邪魔しないで…ユユちゃんみたいに君も少し眠ろうか…ああそうだ。サハ君には素敵な夢を見せてあげる。あなたの大切な人が次々死んでしまう夢の無限ループなんてどうかな?」
女が再びサハの頬に手を伸ばそうとした時、
「触らないで下さい。その子達の非礼はお詫びしますから…どうかお帰り頂けませんか?」
「…ったく…あんた達の親分は小賢しい…そのメガネ…久しぶりに見たわ…」
女の背後には、サハと同じく防護服を来て深緑色のメガネをかけ…彼女に向かって銃を構えるセジカが立っていた。
「あ…でも少し違う…かなり分厚くなって色も濃くなってる。…小さい頃…私が怒ったり興奮すると、パパやママはそんなメガネをかけていたわ。ふふ……そう…私は生まれた時から化け物だったから…親にも怖がられていたのね…」
薄いインクのような赤だった女の髪は徐々に濃くなり…真紅の薔薇のような色に変わった。
「…どうか、このままお帰り下さい。あなたを傷付けたくはありません。どうか…」
「ふふ…本当に健気ね…あなたに私が傷付けられるの…?…ふふ……あはははは……」
女は本当に可笑しそうに、狂気を感じるほどの大笑いをする…
「セジカ、ダメだ。そいつから離れろ〜」
「セジカ〜すぐに逃げて。逃げなさ〜い!」
不意に聞こえた声の方を見ると、遠くからカシルとサラが…叫びながら血相を変えて走って来るのがセジカは見えた…
「そう…すぐに逃げれば良かったのに…どうやらあんたは…アイツらにはちょっと特別みたいだから…」
いつの間にか距離を詰めていた女は、自分に向けられている銃口をジッと見つめながら、ぶつぶつと呟いている…
「熱っ…」
急激に熱を帯び始めた銃にセジカが視線を移すと…
「…!?…」
銃口は、炎を当てられたロウのように溶けて潰れていて…穴が塞がってしまっていた…
「…それは手放した方がいいかも…それ以上持っていると、暴発するかも…」
いや…それ以前に…
セジカはどんどん熱がこもって行く銃の熱さに耐えかねて、思い切り遠くへと投げ捨てた。
と…その銃が地面に落ちた瞬間、
バンッという大きな音をたててそれは爆発した…
「ねえ…?だから言ったでしょう?間に合って良かったわねぇ…」
ハッと気付くと女はセジカの肩を抱きしめていた。
「このまま…アイツらの所まで歩くのよ…」
セジカは少し躊躇して抵抗するも、
「セジカ!……あんたは何なの?息子を放しなさい!この子に何かあったら…許さないわよ!」
女に向かって叫ぶサラ…
「ふふ…ほら…無駄な抵抗はしない方がいいわ。継母を悲しませたくはないでしょう?」
「…僕には……産みの母の記憶はないので、産んでくれた母には申し訳ないですが、その人は僕の中では継母ではないです。たった1人の母です…言う通りにしますから…母には危害を加えないで下さい。」
「…セジカ…」
サラの瞳からは滝のように…涙が止めどなく溢れていた…
「……」
[あなたには、亡くなってしまったけどパパはいるの…ブレムさんは違うのよ…」
[違う、パパだもん…私のパパだもん。]
ママとそんなやり取りをすると、パパは困惑しながらも、いつも私を抱きしめてくれた…
[泣かなくていいよ…ヨルアがパパって思ってくれるなら、パパでいいから…]
「…あんたが…無駄な抵抗しなければいいだけよ…行くわよ…」
「ちょっと、息子を返せ!」
涙でくしゃくしゃになった顔で女に飛び掛かろうとするサラを、カシルはスンデのところで引き止める。
「サラさん…ダメです。落ち着いて…感情に任せて動いても、セジカが命の危険に晒されるだけですよ!」
「そう…変な動きをしたら、息子さんは死ぬだけですよ…」
感情の見えない表情でサラにそう言って、セジカを抱えたまま前をゆっくり通り過ぎて行く際にサラの顎のラインをなぞるようにスッと素早く触れて行く…
「……」
女とセジカが2人の前を通り過ぎた直後…サラはぐずぐずと倒れてしまった。
「母さん!…くそ、放せ…」
振り向いて叫ぶセジカは急に女の腕の中で暴れ出す…
「…静かにしてもらいたいから、少し眠ってもらっただけよ…これ以上暴れるなら、あの人には死んでもらうわよ…」
「……」
セジカは女を睨むも…涙を浮かべながら彼女に従った。
「お前…ブレムさんがこんな事して喜ふと思ってんのか?あいつを攫ってどうなるって言うんだよ…」
2人の後を距離を取って追いながら、カシルは後ろから女にまくし立てる…
「…誤解しないでよ…襲ったりしない…一緒に連れて行くだけ…」
「連れて…逝く…?おい!」
「…っるさいわね…怒鳴ってる暇があったら、あの子達の手当てをしたら?」
「え?…あ……おいサハ。」
カシルが振り返ると、いつの間にかサハまでも倒れていて…
女…ヨルアは振り返ることなく、倉庫の方へ向かっていた…
「もう、休んでてって言ってるだろう。」
村人全員の昼食の下拵えをしているアムナ達を手伝うタニアの腕を引っ張って、厨房の外に彼女を連れ出したエンデは、少し怒り気味で訴える…
「だって、何もしないでいる方が落ち着かないのよ…」
「……」
辛そうに自分を見るタニアに、エンデは吸い寄せられるように思わず抱きしめてしまう…
「…頼むよ…タニアちゃん。タヨハさんも君が避難所に戻らない限り、避難所で子供達とずっと遊び続ける事になる…。君達が安全な場所でちゃんと休んでいてくれないと、僕の思考は上手く回って行かないんだ。準備した通りに行けば、あの人の誤解はとりあえず解ける。だけど、今の彼女の力は振り切って焼き切れる寸前だから…何が起こるか油断は出来ない。今はどうか体力を無駄に消費しないでいてくれ。」
「でも…」
タニアは人目を気にしてエンデの腕から逃れようとするが、そんな彼女にエンデは耳元で囁く…
「…なんなら…これから僕が君の寝室で子守歌を唄ってあげようか?」
「……」
エンデの腕の中でもがいていたタニアの動きは止まり…顔がみるみる真っ赤になる。
「止めて…こんな時に何言って…」
エンデの腕を叩きながら、タニアが彼を見上げると…
「言葉通りだよ…変な意味じゃない。君やタヨハさんに何かあったら僕は…頼む…ただでさえ君はまだ本調子ではないだろう?」
真顔で涙ぐみながら訴えるエンデに…
「…ごめん…」
と言って、彼に従うしかないタニアだった。
だが…
「その時」は、かなり不味い状況でやって来た。
「あ、いた。エンデ君、ユユちゃんがいないってサハ君が倉庫の外に出て行っちゃったの。一緒に探して…」
マリュが駆け込んで来たと同時に、エンデの耳が震える…
「エンデ、あいつが来た…」
スピーカー機能にはなっていないのに、エンデのイヤーフォーンからカシルの大きな声がタニアのいる場所まで響いて来る。
「…だから…すぐ帰れって言ったのに…」
セジカ親子とイード親子とサハ兄弟が、タニアの帰還をトウから聞いて、お祝いに訪れてくれたのはいいだが…
それぞれの長達からヨルアの件の連絡をここに来る途中で聞いて…イード親子はここに到着してお祝いのプレゼントを置いてすぐに帰ってくれたのだが…
アヨカが帰りたくないとグズり出して、セジカも邪魔にならないようにお手伝いしますと残る意思表示をしてしまったら、もれなくサハも…という感じで…
セジカの親子が揉めてるうちにいつの間にかユユがいなくなってしまったようで…
今に至る…
幸い、アヨカは泣き疲れて寝てしまった事で、セジカ達はとりあえず避難所にいるはずなのだが…
「…皆んなはここにいて。エンデが大丈夫と判断するまで絶対に外に出てはダメです。」
タニアは食事の準備の為にこちらに来ていたアムナ達やマリュにそう言って、希望の棟から出て行くのだった。
「タニアちゃん!」
慌ててタニアを追うエンデ…
「…もう…2人がいなくなったら誰の判断で動けばいいのよ…」
2人の後ろ姿を見ながら、今、避難所に集まっている子供達の側には3人のアムナしか付いてない事を心配し始めて、ボヤくマリュ…
「大丈夫…子供達は全員お昼寝の時間にしたってリンナが…」
マリュが声に振り向くと、トウと…彼の頭にはリンナが指定席のように座っていた。
「あら、トウ君。リンナちゃんも…君達がいたらなんだか心強いわ。」
彼等を見たマリュは心から安心したように言うのだが…
「うん、今皆んなで来たの。でも…ごめんね…僕達も行かないと…」
トウはすまなそうにマリュに告げる…
「皆んな…?行くってどこへ…?」
「皆んなだよ…。でもね、ここにいればマリュさん達は安全だって。」
マリュの質問にはほぼ答えず、リンナの言葉だけを伝えるトウ…
「安全…なの?本当に…?」
マリュがトウの頭の上で胡座をかくリンナの方を見ると、彼女はうんうんとマリュに向かってうなづいた。
「それじゃあね…念の為、戸や窓はみんな閉めておいてね。」
と言って、トウも出て行ってしまう…
「ちょ……まあいいけど…食事はとにかく作って置かないとよね…私達は私達の出来る事をしておかないとね。」
マリュは腕まくりをすると、厨房へと入って行った…




