65 ブレムを思慕する2人の娘
「わあ…今日はまだお日様が眩しいねぇ…」
「そうだね…雲が全く無いから夕陽が眩しく感じるね。とても綺麗だ…」
母を失う悲劇があって、高熱が出て入院した病院でも何かトラブルがあって…
やっと退院して引っ越したマンションで、パパと2人きりの生活が始まった当時…
パパが仕事でいない間の私は、預けられていた場所ではいつも泣いていて…
犬のたくさんいたケントおじさんの家でパパのお迎えを待つようになってからは…毎日が色々と楽しくなっていた。
大好きな犬のお世話が出来て、可愛い子分が2人も出来て…優しいおばさんとおじさんも…暇を見つけては私と遊んでくれた。
気が付けば、パパの帰りを待つ事は辛くなくなっていた…
それでも…
パパがお迎えに来た瞬間は、何にも変えられない歓喜の瞬間だった。
帰り道ではその日にあった事を一生懸命に話して…
パパはいつも…そんな私の拙い話を笑顔で聞いてくれていて…
マンションに越したばかりの頃は、まだ駐車場が結構離れていたから、
パパは私を肩車して、土手沿いの道を遠回りして歩いてくれて…
道端で見つけた花を摘んでくれたり…
こうして、夕焼け空を一番高い場所から見せてくれた…
思えばあの頃は…パパと一緒にいる理由を探す必要がなかったな…
「ヨルア…いいかい?」
肩車しているブレムの声が…少しだけ低くなって…なんだか怒っているような…でも、どこか寂しそうな感じに変わって…
不意にヨルアを肩車から下ろした。
「?…どうしたの?…パパ…」
ヨルアの目線に合わせてしゃがんだブレムの顔は…やはり少し悲しそうに見えた。
「いいかい?これから君は、この道をしっかり踏み締めて歩いて行くんだよ。」
「…パパも一緒だよね…?1人じゃヤダ…ヤダよぉ…」
いきなりなんで…こんな事を言うの?とばかりに、ヨルアは悲しくなってイヤイヤをする。
ブレムは…辛そうな顔になって、少し黙ってしまうが…
ヨルアを優しく抱きしめてくれた…
「大丈夫…君が周囲をちゃんと見つめれば、自分が1人ではない事はすぐに分かるよ。」
「やぁだ〜パパと一緒に行くのぉ〜」
ブレムにしがみついて、泣きながらイヤイヤを続けるヨルア…
そんなヨルアの背中を優しくポンポンと…いつも眠る前にしてくれるように…彼はヨルアを宥めた…
「大丈夫だ。私はいつも君の側で見守っているから…しっかり生き抜くんだよ。君に会えて幸せな人生だったよ。愛するヨルア…ありがとう…」
その言葉と共に、ブレムの感触も体温も…気配すら消えた。
「…?…パパ…?…どこ…?…」
周囲を見渡すと、あの土手の夕陽…
だけど、ブレムは…
どこにもいない…
「嫌ぁだ!!パパ、パパぁ〜!」
……
……
「えっ…?」
ヨルアは夢から覚める…
大きな木の下で横たわっている自分の身体を起こし…
周囲を見渡しながら、ヨルアはゆっくりと立ち上がる。
「痛っ…」
立ち上がると、また足首から下に激痛が走るのだが…痛みはそこからだけではないようで…
左腿と両腕に傷があるらしく…その部分の衣服が出血で赤黒くなっているのが見えた…
「あ、そうだった…お前達よね…」
ヨルアの足元から10mくらい先まで…横たわり動かなくなっている狼達がのゴロゴロ転がっていて…
その光景は、気絶する直前の彼女の記憶を甦らせてくれた。
そう…ヨルアが森に入った時から常に付き纏っていた、たくさんの狼の群れからとうとう攻撃を受け…
売られた喧嘩に勝利して、直後にここで気を失ってしまったのだった。
「もう…だから眠るのは嫌なのに…」
意識を失うと、ブレムが必ず夢に出て来て…優しい言葉をかけてくれる…
だけど…
夢を見た時の至福よりも…
目覚めた時の絶望が辛く耐えがたい…
「ああ…随分眠ってしまったみたいね…結構日が傾いて来たと思ったら…これは朝日だわ。急がないと…」
ヨルアはそうしてまた…フラフラと歩き出す…
「このままだと…明日まで立っているのは難しそう…パパ…待っててね…」
パパの遺体だけは…私が…
それが私の最後の作業…
タニアちゃんも手伝ってくれるでしょう?
…だってあなたは…
私の親友だもの…
ねぇ…
「…うわっ…冷た…」
そして彼女はとうとう…ポウフ村の近くを流れる川沿いまで来ていた。
ここは狼の多い森を抜けてすぐの急流沿いで…
唯一、村の警備が手薄になりやすいエリア…
ああそうだ…以前、この辺りには来た…
助手席にはあの子と…トインもいたっけ…
なんであんなに大人びた姿なのか、サッパリ分からないけど…
あの子は多分…
まあ…もう…どうでもいい…
あれこれ詮索する資格もない事は分かっている…
私に出来る事なんて…
彼女は冷たい水をもろともせずに、所々散在する岩につかまりながら、ジャブジャブと素足で川をを渡り始めた…
遡る事、5時間前のエルオの丘…
「ああ…カシルも来てくれたのか…悪いね。今はこんな状況なんだ。」
エンデに言われた事を可能な限り手配し終えて、カシル達がエルオの丘に到着したのは深夜だった。
ハンサの案内で初めて入らせてもらった場所は…ミアハの民にとっては神域中の神域…
通常は、長老や長しか立ち入れない、マナイの結晶の塔の上だった。
そこでカシル達を待っていたのは錚々たる顔触れで…
「いや…僕はヌビラナではタニアの補佐役でしか役に立てておりませんから……って、あれ?キムレさんまでいらしてたんだですね。お久しぶりです。」
カシルの挨拶にキムレは軽く会釈する。
「…こいつはミアハの為に命を張って任務を全うしてくれた。可愛い愛弟子の危機ですからな…出来る事はなんだってする。」
3人の長達の隣にいたのはジウナの師匠のキムレ…彼はティリを代表する治療師の1人で…
長老が、今まで大国やその周辺で見つけて連れ帰って来る浮浪児…その中のティリの子の殆どは、既に片親を似た理由で失って、残された片親が我が子を帯同しての任務を余儀なくされ、その片親も…任務先で能力者の限界を越えた治療を強要されて命を落とした親の子や、研究目的で大国に攫われたけど用無しになって捨てられた子達で…長老は出来るだけその子達を育成面で優秀な能力者の元に託して来たのだが…
長老が特に信頼した上でそういう子を預けている、ティリの名実共に備わった治療師のグループの1つの代表キムレは、青白い光に包まれているジウナを終始心配そうに見つめている。
そんな彼の背後には、間もなく彼の後を継ぐと目されているアシハが、気配を消すように控えていた。
「あれ?エンデは…」
おそらく彼もいるのだろうと、漠然と思っていたカシルだが…
「エンデが言うには、高い確率であの娘は明日…村を訪れるようだからね。村人を避難させる為の準備を手伝いたいと言われたから、ついさっき帰したよ。」
「そう…ですか…でも例の…」
「ああ儀式の件は、別にエンデがいなくても特に問題はない。その彼が居てくれれば…私達だけで用は足りるんだ。夜も大分更けてしまったから…とにかく急ごう。君は確か…ラフェン君だったね?」
長老の言葉で、その場にいた者達の視線が、カシルの後ろで様子を伺っていた金髪混じりの薄茶の髪に青い目の…肌質がどこかセレスの気配を感じさせる少年に、一気に移って行く…
「あ、はい。ラフェンと申します。よろしくお願いします…」
初めて会う人ばかりに囲まれているにも関わらず…彼は若干緊張はしているようだが、そつなく皆に向かって挨拶をした。
「……」
…ここに来るまでにザッとは説明したが…
デート帰りに唐突にこんな特殊な場所に連れて来られても、混乱する事なく冷静に対応出来ているのは…
ケントさんが目を付けるだけの肝の座ったところはある人材と感じたカシルだった。
…まあ…能力自体がもう…只者ではないのだが…
「…やはり君の事は予言書にはあったよ。でもまあ…それより先にタニアが君の事に気付いたんだから…あの子の力も大したもんだ。」
「タ…ニアさんという方が…ですか…?」
ラフェンは不思議そうに…少し前のカシルの口からも出て来たタニアの名前に興味を持ったようだった。
「でも僕は…何が能力なんだかの自覚は…あまり…というか、殆ど無いんです…」
「…そうだろうね。その力は君が強い危機感を持たないと出てこないし…ほんの少しの間、夢の中にいたような感覚しか残らないだろうからね。…ああ安心しなさい。ここではその力を儀式によって引き出すから…君が何か怖い思いをする事はない。」
長老の説明に顔が青ざめて行くラフェンに苦笑しながら、彼はその少年をジウナとブレムを包んでいる不思議な光の近くに導く…
「君にはどうやら…ご先祖にセレスで長を務めた者が数名いるようだね。ミアハの特殊能力者はね…血筋の影響が多分にあって、君のご先祖にも君と似たような能力者が出ているはずなんだよ。この青い光はね、我々のかなり前の祖先の形態に近い存在が…中にいる2人を守る為に施してくれた、一種のエネルギーの保護膜なんだ。その存在は、近いエネルギーを持つこの神域をめがけて2人を運んだようなんだか…厄介な事に、この中の男性の方の心臓は止まっていて…この光の膜を壊す事は簡単なのだが…そうすると、この男性はその瞬間に死亡が確定してしまうんだよ。」
「え…?だって、心臓はもう止まっているのでしょう?」
ラフェンは長老の説明に混乱しているようで…質問には敬語が消失してしまっていた。
「正確に言うと、死亡する直前の状態で…この中は時間の流れが止まっている状態なんだ。…そしてこの処置を施した存在は、おそらくワザとそうしているんだ。その私達と元は同じだった存在はね、2人が命を落としそうになっていた状況を星の外側から干渉したように感じる。つまり、このエネルギーの介入をヌビラナの星の女神は許可しているという事にもなり…この男性の命を助けたい女神の意思が複雑に働いた結果がこの状態で…だけど、命の尽きかけているこの状態のまま元の時間の流れに乗せても、この男性の命はどの道助からない。だから、君の力が必要になって来るんだ。」
「はあ…ですが僕はまだよく…」
長老の、割と長い説明を聞いてもまだ…ラフェンはちんぷんかんぷんだった。
「僕なりにミアハの方は色々な癒しの能力があると把握はしていて、治癒の力はある程度頭では理解しています。ならば、光からこの人達を外した直後にこちらの能力者の方々が治療を施してはダメなのですか?」
ラフェンは分からないなりに、長老に率直な質問をぶつける。
「ブレム君はそもそもミアハの人間ではないから、このまま光からこの聖域に出てしまうと、彼の身体はかなり負担を負ってしまう。元々かなり進行してしまった病によって、1年前後しか持たない身体だったんだけど…ヌビラナの天変地異により溺死しかけているこの状況は、本来彼に残された命の時間をかなり早めてしまったうえに…既に彼の魂は身体から離れようとしている段階に入ったところを助けられたようなんだ。…そんな状態の身体にティリの治療を施しても…せいぜい30分にも満たない時間を延命させられるくらいの結果しかない。だから、そこで君の力が必要になって来るんだ…」
そこまで言うと、長老はキムレの方を向き…
「先程も説明はしたが…1ヶ月…いや、せめて3週間分でいい…ジウナの寿命の時間を…とりあえず、この男に移したい。…苦肉の策なんだ。君の了解を得る形でしか今は…」
長老はキムレに向かって辛そうに頭を下げる…
「分かっております。この子は何故だか…この男性に亡くなった自分の父親を重ねて見ておりますからな。親のつもりの私としては少し嫉妬致しますが…この人の為に訓練まで受けてヌビラナ行きを志願した子ですから…意識があったら、きっと2つ返事で承諾する事は、私でも予想は出来ます。…仕方ないでしょう…どうか頭をお上げ下さい。」
キムレは苦笑しながら承諾をした。
「…性格までは分かりませんが…この方は、以前ジウナが見せてくれた彼女の父親の写真に、顔がよく似ております。」
キムレの背後から、弟子のアシハが小声で補足情報を伝えた。
「…キムレ、ありがとう。この子は…色々と真っ直ぐな性格のようだよね。亡くなった父親に対して出来なかった事を、ブレム君にしたい気持ちが強いんだろうね…」
「…まあ…そのようです。」
複雑な表情でジウナを見つめながら答えるキムレに、
「ジウナは以前より、自分の第2の父は師匠だと…私やケイレには言っておりますよ。」
すかさずアシハは、キムレを慰めるように囁く…
「そうか…。まあ…そんな話は今はいい。」
少し嬉しそうだが照れ隠しのように…キムレはアシハに、後ろに下がれと手振りで合図した。
「……」
そんな2人のやり取りを微笑ましく見ながら長老は、今度は再びラフェンの方を向く…
「…じゃあラフェン…君の力を貸してもらっていいかな?」
…近くの建物に待機しているケビンが、有無を言わさずここに自分を連れて来たと言う事は…どうせケントさんもそのつもりでここに送り込んだのだろうから…拒否権は無いに等しいと最初から察しているラフェンは、
「はい、僕で役に立てるのでしたら喜んで…」
と、長老に笑顔で答えた。
「ありがとう…では、君の特殊能力と、その力の使い方について、祭壇の前で簡単に説明するよ。付いて来て…」
「はい…」
自分の力の事を、本人より詳しく知っているこの人って…?
自分の前を歩くハゲ頭の老人の後ろ姿を、不思議な感覚で追って行くラフェンだった…
そして…
それから約2時間後には、ジウナとブレムはカシルの家族が勤務するティリの大病院の特別室へと、極秘で移されたのだった。
儀式が無事に終わり、長老はまずその光を瞑想の広場まで誘導した。
そこでまずジウナだけを光から引き出し、アシハが彼女を背負う形で車まで運び…
ブレムの方はエルオの丘の入り口付近に待機していた車にそのまま移動させて、そこで初めて光の膜を剥がした。
彼等を乗せた車と共に、そこに集まっていた人々は大移動し…
その場に残ったのは、長老とハンサ、そして、イレンとサラグの4人だった。
長老はまずサラグに話しかける。
「明日はまたトウに頑張ってもらうような展開になると思う。すまないが…あの子の安全は確保して動くように備えてはいると思うで…よろしく頼むよ…」
「…正直…今回はヨハさんが側にいない事は少し不安です。でも、タニアさんの力も例の女性に対抗出来るレベルという事だし、エンデ君も色々と想定しながら準備しているらしいから…私は彼等を信じています。勿論、リンナも…きっとみんな上手く行きますよ。」
セダルよりは若いが、やはり彼も頭髪はなく…小太りでいいお爺ちゃんという風貌のサラグは、ヌビラナの件や今回のカリナの暴走と…立て続けにミアハを悩ませる問題が起き、対応に奔走している長老の心労を心配しながら…なるべく彼が安心するように、慎重に言葉を選びながら答えた。
「ありがとう…もうかなり遅いから、ハンサに送らせよう。」
そう言うと長老はハンサに軽く目配せをして、サラグはハンサに誘導され…彼も深夜のセレスを去って行った。
「…さて、イレン…君には少し話があるので残ってもらった…君もお疲れのところ、本当にすまないが…私も色々と事情があってね。この中の資料室へいいかな?」
と、長老はエルオの丘の入り口を指差す…
「あなた様の方が今は何倍もお疲れでしょう。私もゼリスの件は、きちんと話し合わなければと感じておりましたから…丁度良い機会を頂けたと感謝しております。」
おそらく…あの兆候はそろそろ出始めている話はチラッと…長同士の雑談の中で聞いているイレンとしては、その状況でいつも以上に奔走している長老に気遣いなんてされたら…居た堪れない気持ちになる…
「ありがとう。大変だが…いい意味で新しい風が吹き込む前触れと捉えるようにしているから…意外と充実している感じだよ。何かが変わって行く事は間違いないだろしね。じゃあ…行こうか…」
「はい。」
イレン自身も、ゼリスの事は直接この人に話さなければと前から思っていたので…なるべく時間をかけず、長老を疲労させないよう手短かに行わなければと…
セダルの後にやや緊張しながら歩き出した彼は、頭の中であれこれ話の順序を懸命にまとめ始めるのだった。




