62 カシルが見た夢と、迫る危機…
「……」
早朝のエルオの丘の内部…
本来なら長老以外は立ち入り禁止の階段を…
今朝も彼女は…まだ首が座ったばかりの赤子を抱っこ紐で固定して、せっせと下って行く。
「…ったく…」
毎回ではあるが、彼女の覚束ないその足取りは…
ついつい心配で見に来てしまう男を今朝もハラハラさせていて…
とうとう彼女を追って階段を下り始めてしまっていた。
「…?」
その女性は自分以外の人の気配に思わず止まり、視線を向ける…
「あ、カシルさん、おはようございます。」
驚きながらも、赤子を抱いて階段を下る女性が笑顔で挨拶すると、
「挨拶なんていいから、そのまま下り続けるんだ。もしも足を踏み外したら、2人とも真っ逆さまだぞ。」
彼女を追うように下ってくるカシルは、ニコリともせずに忠告する。
「あ、はい…」
再び上り始める女性だが、
「でも、踏み外した事はないので…多分、大丈夫です。あの方にこの子に会わせたい気持ちが力をくれるようです。」
「俺は過去に君が貧血でフラついている場面を何度か見ているし、出産の前後で貧血が悪化する女性もいる。それに…あいつはその子の父親で、君の伴侶だろう?あの方なんて言い方は止めてやれよ…」
「…この子を産んでからはしばらく貧血の症状は出ていません。それに…」
彼女の言葉の合間の息切れの様子を感じ取ったカシルは、
「いいから…今は下り切る事に集中してくれ。…話は後で幾らでも出来る…」
「…そうですね…」
そうこうしてる間に、女性は階段を下り切ろうとしていて、彼女に追い付いたカシルはマナイの結晶の塔の頂上に上がる体制の彼女を慎重に支える。
「あ、ありがとうございます。」
少し申し訳なさそうにお礼を言った女性だったが、頂上の広場的な平面の中心部のドームを見ると、パッと笑顔を浮かべ…早足で近付いて行くのだった。
「…動けるようになってからは毎日か…」
ドームの中に横たわる青年の顔の所に、眠る赤ん坊の顔を近付けて…
「ほらリクシュ…あなたのお父様ですよ。」
と、まず赤ん坊に話しかけ…
「おはようございます。今朝もリクシュと会いに来ましたよ…そして、今日はカシルさんも一緒です。」
彼女は嬉しそうに、ドーム内で眠り続ける青年に笑顔で話しかけて行く…
「…君はまだ…こいつが目覚める事を信じて疑わないんだな…」
「ええ、勿論です。」
迷いのない…なんとも美しい青緑色の瞳をカシルに向けて、目覚めてグズり出す赤子をあやしながら彼女は答えた。
「……」
…まるで…かつての自分を見ているようだ…
彼女には色々と忠告したい事があるのに…
最近の彼女を目の前にすると、いつも言いたい事の半分も言えない自分にイライラするのだが…
「……」
カシルは…
遠く離れた場所からこちらを伺う人の気配を感じ、心の中で舌打ちをする。
…またか……
大分離れてはいるが、自分たちの様子を見守る気配を感じて、彼は苦々しく笑う。
…目の前のヒカと遥か後ろの少女…
どちらにも…内容は違えど、伝えたい事はちゃんとあるのに…
…俺は結局…
今日も何も言えないんだな…
「…降りる時の方が危ない。先に降りて支えるから…」
そう言いながら、カシルはマナイ結晶の塔の頂きから先に降りて、後から続いて来るヒカを支えた…
「…???……何だ?…これ…」
カシルはハッと夢から覚めて思わず起き上がると…
「…兄さん…目覚めたのね…」
泣きそうな顔でカシルの顔を覗き込むミリが、優しく話しかけて来た。
「…ミリ…なんで…?」
置かれている状況がまだ把握出来ていないカシルは、不思議そうにミリを見た…
「なんでじゃない。まったく…身体の方は問題ないはずなのに、お前はなかなか目覚めないから…生きた心地がしなかったぞ。」
「…?!」
ミリの背後から怒ったような口調で話しかけて来る、偉そうな年配の男にもカシルは見覚えがあり…
だが…
リラの事で揉めて以来、自分からおよそ話しかけて来る事のなかったその男性の目は…
カシルの見間違えでなければ、少し潤んでいるように見えた。
「もう、素直じゃないんだから…兄さんはミアハの英雄よ。頑張って生きて帰って来てくれたんだから…少しは労ってあげたら?」
そう父を嗜めるミリの顔も…既に行く筋も涙の流れた跡が見えた…
「…まあ…お前にしてはよく頑張った。じゃあ…私は仕事にもどる。ゆっくり身体を休めろ。」
「あ、ああ…そうさせてもらうよ。」
気まずそうに息子を労って、そそくさと病室を出て行く父の後ろ姿には…
カシルはそう言葉を返すのが精一杯だった。
「……」
もっと色々話したいのに…俺も進歩ないなぁ…
「もう、そんなに慌てて戻らなくても…でも素っ気ないけれども…私が父さんを呼んだ訳じゃないのよ。兄さんの様子はちょこちょこ見に来ていたの。もっと言えば…兄さんがヌビラナへ行ってからは、なんとなく心ここに在らずという感じだったかな…なんだかんだあっても兄さんの事は心配なのよ。あ、母さんはね…朝まで兄さんに付いていたのよ。身体を壊すから、私がいるから大丈夫だからって言ったけど聞かなくてね…一旦、仮眠を取りに帰らせたんだけど、きっとお昼頃に来ると思うわ。」
そう言って改めて椅子に座り直しながら、ミリはカシルがここに運ばれて来てからの両親の様子をざっと説明してくれた。
「お前も疲れているだろうに…悪いな、ミリ…」
「あら、私は当直明けだけど…昨夜も休憩の時に様子を見に来ていただけだし、今も母さんが戻って来るまでの繋ぎでここいるみたいなものよ。この後私はすぐ帰って寝るわ。ま、ついでみたいなものだから無理してる訳じゃないし…親達もきっと今夜からはゆっくり眠れるでしょうね。あ〜これで私もやっと2人の心配をしなくて済むわ…」
ミリはお気楽な感じでいいながら、カシルに背を向けて立ち上がり、伸びをした。
「……」
「…なんで黙ってるの…?ひでぇなとか、冷たい妹だって…言い返しなさいよ。」
「ありがとうな…ミリ…」
「やめてよね…殊勝な言葉なんてお兄ちゃんには似合わないわよ。」
溢れて来る涙を隠すかのように、ミリはカシルに背を向けたまま…発する言葉は微かに震えていた。
「…ちょっと…帰る支度をして来るね…15分くらいでもどるから…」
「ああ、わかったよ。」
ミリはそのまま振り返る事なく、病室を出て行ってしまった…
「……」
ここでカシルも、堪えていた涙がドッと溢れて来た…
…こんなに……家族の温かさが身に沁みるとは…
カシル自身も意外だった。
今まで生きて来て、訳の分からない力をここまで脅威に感じた事はなかった…
タニアやヨハ達も大変だったと思うが…自分も結構、得体の知れない力には深い所で恐怖を持て余してたんだなぁと、家族の愛情に触れた事で思い知るカシルだった。
…だが…
1人になると、家族との感動の再会よりも…
先程の…変にリアルな感じだった夢が…カシルの中で再び脳裏に甦って来る…
ヌビラナでのあの強烈な光…
あの夜は、他の日と色々様子が違っていた。
発光現象の前…タニアは意識してヨハ達の機内に立ち入らないようにしていたし…俺にもそれを強要した。
何より、あの光の意味を彼女は戸惑う事もなく、把握しているようだった…
古の約束が果たされたと…
あの時、確かにタニアは言っていた。
ヨハ達の機内では何が起こっていた?
…もしかして…いや、まさか…
漠然とした答えがカシルの意識の中で浮上して来た時、
再び病室のドアが開く…
「今ね、更衣室を出たところで母さんから着信があってね…兄さんが意識を取り戻したって言ったら、2トーンぐらい上がった声で、そうなの?って……あの人は間もなく飛んて来るわよ。」
ミリもすっかり元の調子で、嬉しそうにカシルに報告して来た。
「母さんはなんだかんだでお兄ちゃん贔屓だから…しっかり甘えてあげてちょうだい。じゃあ、私はそろそろ退散…」
「あ、あのさ、タニアや他の皆んなは…?」
知りたいようで、知りたくないような…今のカシルにはちょっと怖い質問を、ミリに恐る恐るしてみる…
「あ…それは…ね…」
一転、ミリは困ったような顔をした。
「今のところ…私には何も情報はないわ。あ、忘れるところだったわ。」
と、カシルのベッドの脇の引き出しからイヤーフォーンを取り出して、説明を始める…
「…これはハンサさんが、兄さんがこっちに転院する際に父さんに直接渡しに来られて…お兄ちゃんのモノだと思うけど、一応確認してみて?」
と言って、ミリはカシルにそれを渡す…
「…ああ…ありがとう…」
ロックを外し、カシルは簡単な機能をザッと確認してみる…
「俺のだ。特に問題ない…ありがとう。」
「おそらくヌビラナでは色々な意味で使用は難しいし、空港で没収されるくらいなら、こちらで保管しておきましょう」と…
メクスムからヌビラナに立つ際に、4人からウェスラー氏の秘書が預かってくれていたモノという事をカシルは思い出した。
おそらく、自分達の帰還はメクスムのあの人達には伝わっているのだろう…
そこからミアハの本部に届けられた経緯はなんとなく想像出来る。
「父さんは分からないけど…私や母さんのところには情報は殆ど入って来ないわ。この部屋も…分かるでしょう?勝手知ったる…お兄ちゃんが勤務していた病院の特別個室よ。特別個室で、一般の職員は立ち入れない部屋だから…つまり、お兄ちゃん達の存在はおそらく世間には伏せられている…って事よ。」
「…なるほどね…」
手のひらでイヤーフォーンを転がしながら、カシルは呟く…
「…気になる事は、然るべき人に直接聞いた方が早いわ。だけど、通話する人は慎重に選んで…って事も意識した方がいいかもね。」
「…そう…だな…」
多分、今の彼には知りたい事が山ほどあるだろう事を、イヤーフォーンをジッと見つめているカシルの姿にミリは察し…
「…じゃあ…帰るね。」
立ち上がるミリの気配にカシルはハッと我に返り、
「あ、ああ…色々と世話をかけたな…」
「…なんか……やっぱり…」
と言って、ミリは苦笑する。
「ガチャガチャしていて鬱陶しいくらいが兄貴らしいわ…ゆっくり休んで、早くおイタ出来るくらい元気な兄貴に戻ってね。」
「うるせ…帰るなら早く行け。」
「…その調子よ。じゃあまたね。」
「お前な…」
徐々に通常モードに戻りつつあるカシルに喜びながら、ミリは去って行った。
「……」
そして暫しの沈黙の後…カシルはイヤーフォーンを耳に掛けた。
…とりあえず…
忙しい人だから繋がるか分からないけど、まずはハンサさんかな…?
「……」
が、予想に反してハンサとはすぐ繋がった。
「あ、カシル君か。意識が戻ったんだね?良かった…。今、君にかけようかどうか迷っていたんだよ。」
「あ、はい。つい先程目覚めて……何かあったんですか…?」
なんだか…
いつものハンサらしくなく…落ち着かないような様子にカシルも思わず緊張して来る。
「…先に良い知らせを言うね。タニアちゃんは昨日…意識を取り戻したよ。今はタヨハさんの希望で既にポウフ村に移されていてね…今朝は普通に食事も出来たそうだよ。」
「そうですか。良かった…」
まずは一安心。
あいつはタヨハさんとエンデが側にいるなら大丈夫だろう。
まあ、タニア自体が本調子ならほぼ無敵だろうし…
「…で、良くない情報もあるんですね…?」
なんとなく…胃が痛くなって来たような感覚をカシルは覚える。
「…未だ…他の4人の生存確認はされていないんだ。…それから…ね、例の…赤毛のカリナと呼ばれている女性がね…行方不明になっているらしいんだよ。あ、そうだ。これも君には言っておかないと…ヌビラナにいたテイホ側の人は…ブレム氏を除く全ての人の無事の帰還が確認されているんだ。」
帰還した中の、アイラ氏と水面下で繋がっている人達からの情報によると…
地殻変動により、数回の大きな地震と…主にミアハの民が滞在していた辺りを中心に地面が裂け…そこから大量の水が湧き出し、基地のほぼ半分のエリアの施設は水没したらしく…
本部と空港のある側は、なんとか小さな被害で済んだようなのだが…
問題は、地震や地割れがある程度落ち着いた10分後…
おそらく、地震の刺激で…
基地はまだ除去し切れていなかった、基地拠点からかなり遠方域に残っている、先住民の残したトラップ型兵器の総攻撃を受ける羽目になったそうで…
基地の本部側のシールドはなんとか維持出来ていた為、およそ1時間近くに及ぶ断続的な攻撃からはかろうじて耐え切れたのだが…
攻撃が終了するまでの時間は、シールドの外はまさに地獄の光景だったらしい。
彼等はその間は予備電源でなんとかしのぎ、攻撃が止むのを待って、脱出の為の作業を本格的に始めたそうだが…
その間に再び地震が起こらない事を祈りながらの、ヒヤヒヤな作業だったらしい。
そして地震から1日後、いざ出発という段階になって初めて、脱出の為の星間移動船に保管されていた発電機を稼働し、アリオルムとの通信が再開されたようで…
大国の人々は、ヌビラナから戻って来た滞在員達の無事の喜びに沸きながら…
ブレム氏とミアハの人々は全滅したと思い込んでいるらしい、との事で…
「…アイラ氏からの連絡によると、ヌビラナからの通信が全て途絶えたと連絡が入る直前に、体調が戻って再び父の警護の為にシンカラムに向かう途中だった彼女がいきなり、ブレム氏の心音が聞こえないと騒ぎ出して、直後に髪がみるみる赤くなって行ったそうなんだ。」
「…そう…ですか…」
ああ…心配していた事が現実に…
ヨルアの深い悲しみが容易に想像が出来て、カシルの胸は締め付けられる。
「かなり興奮状態だったそうで…過去に色々と特殊能力者を見ていたアイラ氏は、万が一の時の為に用意していた麻酔ガスを撒いた状態で、当時同乗していた車を降りて一時外に避難し…意識のない彼女を彼所有の研究所まで運んで隔離して、彼女の状態が落ち着くのを待ったらしいんだけど、時間が経っても彼女の髪は全然本来の色に戻らなくて…そろそろ彼女とちゃんと対峙して話そうと思っていた矢先…」
「……」
ここまで淀みなく話していたハンサの言葉が少し止まり、カシルも思わずゴクリと唾を飲み込む…
「研究所を脱走して…未だ行方不明だそうだ。で、その翌日アイラ氏は直接エンデ君に連絡して来て、彼女の行方を尋ねて来たそうなんだが…」
…あいつは多分…
「……」
カシルの中で、嫌な予感が全身を貫く…
「彼女は怒り狂って、数日中にポウフ村に…タニアちゃんを攫いに来るらしいんだよ…」
やはり…
って、
え…?
「…え?…なんで?…あいつがタニアに執着してたのは知ってますけど…怒り狂ってって…何に怒っているんです?」
「…それがどうやら…え?…ちょっと待って、今…ヨハ君とヒカちゃん…そして何故かジウナさんとブレムさんが……ごめん、またかけ直すね。」
と、ハンサは急に慌て出し、一方的に通話を切ってしまったのだった。
「え?…ちょっ…」
再び静寂が戻った病室の中…カシルは思考する…
「……」
ハンサとはなんとなく…しばらく連絡が取れないような気がした。
ならばあの男に聞くしかないと…カシルは再び耳元を弄る。
「あ、エンデ、今大丈夫か?」
「あ、カシルさん?意識が戻ったんですね。タニアちゃんが心配していたから…とりあえず良かったです。今、僕はちょっと長老に呼ばれていて…診療所の人の車でセレスに向かっている途中なんです。」
「そうか…もしかしてヨハ達の事で呼ばれたのか?」
「あ…まあ…そんなところです。」
急激に事態が動き出した感じで…
カシルもなんだかソワソワして来る…
「あの…このタイミングであなたと連絡が取れたのは、何かのお導きかも知れません。折り入ってあなたにお願いがあります。」
やや躊躇しながらも、エンデが直接自分に何やら頼んで来るなんて珍しいとカシルは、
「な、なんでも言ってくれよ。」
と、少し食い気味で答える。
ヌビラナでは…殆どタニアの助手状態だった自分を挽回したい気持ちがムクムク湧き上がって来ていたカシルは、エンデとの通話を終えるとすぐに着替え…
サングラスと帽子でなるべく自分の存在を隠す工夫をしながら、病室を出たところで鉢合わせした母親の制止を振り切って、カシルは勝手知ったる病院の非常口から階段をかけ降りて行くのだった…




