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6 1つを2つに


「うっ…コホッコホッ…」


室内に籠る煙を吸ってしまい、男児は咳き込む。


母親から自分の名を呼ばれたような気がして目覚め…何か異変が起きている事を感じながら母を呼ぶ。


「……ママ…?…どこ?」


「……」


異変は部屋に充満する煙だけではなく、外の人の怒号や物音がやけに大きく聞こえ…何より聞き慣れないパチパチという音が徐々に大きくなって来ていた。


不安がどんどん膨らんで行くが、母を呼び続ける男児の声に一向に反応はない。


が…


少し先に人の気配を感じた男児は、


「ママ!……ママでしょ?…僕もそこに行く。」


とベッドから起き上がり、手探りで微かな気配を辿りながら歩き出す。


「ダメよ、エンデ。立ち上がったら火事の煙を吸ってしまう。出来るだけ頭を低くしなさい。」


声は発するも、母親はエンデの側には来てくれない…


「…分かったよ…ママ、僕、ママの所に行きたい。」


エンデは這うようにして母の声のする方向に必死に進む。


「…頑張って…そのまま進めば出口よ。出口から右に曲がれば、少し細いけどまだ火の廻っていない通りに出られるわ。」


パチパチという音と共に熱気も強く感じるようになって来ている。


…何が起こっているのか分からないけれど…


火が迫っていて、怖い事が起きているらしい様子は、幼く…そして盲目のエンデにもなんとか理解出来た。


「…ママのとこへ行きたいよ…」


エンデが声の方へ近付くと、すぐに母の気配が少し遠ざかり…更に進むと、また母は遠ざかる…


「…ママ…?」


「…エンデ…出口のドアのところにパンとりんごの入った籠があるから…それを持って逃げなさい…エンデ…ごめんね…」


どんどん掠れて行く母の声…


と、急に駆け出すような足音が聞こえて…


母の気配はなくなった。


「ママ?…僕も行く…ママ、ママぁ〜!」


悲鳴のように叫ぶエンデの声は虚しく辺りに響く…


置いて行かれた…?


「ママ…うっ…ヒック……ママぁ〜」


悲しくて動けなくなっているエンデに容赦なく煙が纏わりつき…自分の嗚咽と相まってかなり息苦しくなっているところに強烈な熱気が…


火の手はとうとうエンデの家の中に侵入し始めていたが…


エンデは母に置いて行かれたショックで動けず…


だが煙と炎は容赦なく…間もなくエンデに襲い掛かろうとしていた。


…もうダメだ…もう…


僕なんてこのままいなくなった方がいいんだ…


絶望の中で、意識を手放そうとした瞬間…


『諦めてはダメ!エンデよ、目を開けなさい。』


聞いた事のない女性の声と共に、突然オレンジ色の光がエンデの目に射し込んで来た。


訳が分からないままエンデは、熱を帯びたオレンジ色の光に照らされた部屋の出口らしきドアの方へ必死で這い進み、ドアの近くにあった薄茶色の楕円の塊と赤い丸いモノの入った籠を抱え、生まれてからずっと母と一緒に暮らして来た小さな家を出た。


が、籠は5歳になったばかりの小柄なエンデには重すぎて、抱えて歩き続ける事は困難だった。


籠には背負える紐が付いてはいたが、初めてみるモノだらけの世界の中でパニックにも襲われ…紐の意味はエンデには理解が出来なかった。


エンデは少し悩んだが…炎は通路まで迫って来ていた為、咄嗟に右手にりんご・左手にパンを持ち、残りのりんごの入った籠は置いて、炎と反対側の細い通りに向かって走り出していた…


とにかく熱さから離れたくて、エンデは一生懸命に走って走って…走り続けた。


しばらく走り続けたエンデは、炎からやっと逃れられた事を知りホッとするも…


そうだ、ママを探さなきゃ…


と、走って来た方向を振り返る。


すると急に目の奥の方に淡い藍色の光が浮かび上がり…その中には…


「え?……誰?…」


今出て来た家の前で、炎で逃げ道を塞がれながらも中に向かって必死に何かを叫ぶ小柄な女性がいた。


あの人は…


「エンデ?…私の坊や…どこ?ママが悪かったわ。どうか許して…一緒に逃げるのよ…どこなの?エンデ…」


先程まで自分のいた家の前で…火の回った室内に入れず、母が必死で自分を探していた。


「ママっ!ママを助けなきゃ!」


元来た道へと走り出すエンデ…


と、突然、後ろから誰かに手を掴まれる。


「何やってんだ坊主、死にたいのか?」


怒鳴る男の声と共に、エンデは動きを封じられる。


「ママが…あっちにママがいるんだ。助けるんだ…ママが…」


無我夢中で、エンデは持っていたりんごやパンを手放し、掴まれた手を振り解こうと必死でもがく…


「坊主…あっちはもう火の海だ。どの道も既に炎が回って誰も近付けない…残念だが諦めな。」


分かっている…


ゴォ〜ッという音が、離れたこの場所からも聞こえるほどに、自分が戻ろうとしている辺りは炎の勢いが…ここまで届く熱気も凄まじかった。


でも行かなきゃ…


とにかく母のところへ行きたくて、エンデは掴まれている手から必死に逃れようと暴れる。


だがエンデの手を掴む男の力はとても強くて…幼児のエンデがどんなに足掻いても振り解けない…


「放してよ、ママが…あそこにいるんだよぉ。ママが…」


エンデが暴れていると、また目の奥が淡い藍の光で満たされ…炎の中で倒れている母の姿が映し出された。


「ママ?!ママぁ〜放せ〜っ!」


必死で踠き、老人を足で蹴ったり掴んでいる手を噛んだり…しばらく興奮状態のまま、男の腕の中でガムシャラに暴れている内に…


エンデは意識を手放した…





「気が付いたか…?」


ハッとして起き上がると…覚えのある声と共に、生まれて初めて見る世界がエンディの目の前に広がっていた。


見慣れない色彩を帯びた光に慣れずに戸惑い、目を閉じてみたが…世界は変わらなかった…


なんだ…これ…?


「あ…そうか……火事…」


昨夜の炎の強烈な色彩は、絶望的な記憶もエンディの脳裏に一緒に蘇えらせた。


「ママ……は?」


エンディは起き上がり、自分に声を掛けて来た男を見る。


「分からない。ただあの辺りは…全て焼け野原だ。朝飯を拵えたから食え。とりあえず何か腹に入れて、色々考えればいい…」


「……」


昨夜は混乱の中で気付かなかったが、目の前で話しかけて来る男は野太いしっかりした声の割に髪は真っ白で痩せていて…年老いていた。


その男はエンディと目が合うと…少し悲しそうに微笑んだ。


改めて周囲を見ると、ここは男の自宅らしく…エンディのいるベッドから少し離れた所には衝立の様な仕切りがあり、その向こう側からはなんとも美味しそうな匂いが漂って来ていた。


「…?」


衝立をジッと見ていると、なぜかその向こうの様子が透けて見えて来て…パンとスープらしき液体が木の容器によそられていた。


その匂いに誘われるようにベッドから立ち上がり、迷わず衝立を避けて食べ物のあるテーブルに向かって歩いて行くエンデ…


老人は少年の動作に少し驚いていたが、すぐに彼の後を追った。





「…どうした…腹が減ってるだろ?遠慮せずに食え。」


テーブルの向かいでスープを啜る老人が心配そうに声をかける。


「……」


美味しそうな匂いに引き寄せられ、最初こそ夢中でパンに齧り付きスープを啜ったエンデだが…途中でハッと顔色が変わり、俯いて食べるのを止めてしまった。


「ウッ…ヒック……」


とうとう泣き始めたエンデの様子を、しばらく黙って眺めていた老人だったが…


「坊主は…どこの子だ?」


「……」


老人は意を決したように、出会ってから初めてエンデの身の上を色々質問し始めた。


「りんごの木?…あぁやっぱりお前はりんごの木のあった家の子か。お前の母ちゃん…ファリサさんがお前をおぶって畑仕事を頑張ってる姿は何度か見かけた事がある。旦那さんを亡くして目の不自由な子供を抱えながらよく働くと噂も聞いていたが…どうやらお前は目は見えているみたいだな…」


「…煙で苦しくて…もうダメだと思ったら…凄く熱い光が見えたの…」


涙をポロポロと溢しながら時々しゃくり上げ…辿々しく話し出すエンデを、老人は切なそうに…少し不思議そうに見つめていた。


「母ちゃんとはぐれた事情は知らんがな…あの時お前が戻ろうとしていたりんごの木の周辺はもう火の海だった。お前を引き留めた事に俺は後悔はない。坊主の納得行くようにさせてあげる余裕がなかったのは済まないとは思うがな…」


「うわ〜ん…」


激動の一夜が明け、幼いエンデには受け止めきれないほどの悲しみだけが残され…それは彼の心を押し潰しそうなほどに膨れ上がってエンデを苦しめていた。


だが前に座る老人の目がとても優しく見えて…


途端に、必死に気付かないフリをしていた悲しみが一気に溢れ出た。


分かっていた…


もしあの時、老人の手を振り切れたとして、あの火の海の中には入っては行けなかったであろう事は…


必死で逃げている時の炎の熱さは凄まじく、エンデも底知れない恐怖を感じたのだから…


そして何より…


今しがたスープを啜りパンをかじった時、エンディの目の奥に再び藍色の光が現れて…焼け落ちた建物らしき柱の下で黒焦げの人が横たわっているのが見えたのだ。


そしてそれは…直観的に母だと感じた。


あの混乱の中で母が残してくれた籠…


母ファリサは…戻ったドアの側に籠が置いたままだったのを見て、まだ中に自分がいると思い込んで家の前から離れられなかったのではないかと…エンデは思った。


…せめてもう少し外に籠をずらしていたら…もしかしたら母は自分を追って避難出来たかも知れない僅かな可能性を思うと…胸が張り裂けそうになった…


「…ママ…」


母と自分…


全てがすれ違い、裏目に出た様な悪夢の夜…


悲し過ぎて涙が止まらないエンデの目の前に、唐突に赤い球のような物が差し出される。


驚いて顔を上げると…


「…これはお前が夕べ握ってたりんごだ。傷は付いてるけど美味そうだぞ。今、皮を剥いてやるから…これ食べたら、お前の住んでた辺りまで行ってみよう。」


いつの間にか側に立っていた老人の声はなんとも暖かくて…


エンデは涙を拭いながら、


「うん…」


と頷いた。






予想通り…


というか、食事の時に見えた画像の通りの光景が…


葉が全て焼け落ち真っ黒焦げになったりんごの木の近くに広がっていた。


そしてそこで、母らしき遺体は見つかった。


老人はファリサの亡骸と、それに泣き縋って離れようとしないエンデごとリヤカーに乗せて、自身の敷地まで運び彼女を埋葬し…簡易ながらも墓を作ってくれた。




「夕飯出来たぞ。お前…手が冷たいな…身体も冷え切ってるじゃないか。いい加減に中に入れ。お前がそこで番をしてなくても、母ちゃんの墓は消えて無くなったりしないぞ。」


「……」


やがて日がどっぷり暮れても、エンデは母の墓から離れようとはせず、供えられた草花の傍で膝を抱えて蹲っていた。


「…ここら辺は夜になるとな…ウチの鶏を狙って狼がうろつく事もあるんだ。こんなところにいたら、お前なんて喰われちまうぞ。」


「……」


脅しにも反応しないエンデの様子に、老人は溜め息を一つ吐き…ヤレヤレという感じで家の中に戻る。


また少しして、老人が様子を見に来ると…


エンデはまだ泣いているのか…時々しゃくり上げて鼻を啜る音も聞こえた。


老人はエンデの側まで来てしゃがみ込み、彼の前にパンの乗った皿を置く。


「…パンの間には目玉焼きが挟んである。ウチでは玉子を使う料理はご馳走だぞ。中の目玉焼きが冷たくならないうちに食え。…風邪引くから…気が済んだら中に入って、昨日のベッドで寝るんだぞ。」


「……」


相変わらず無反応のエンデに、老人はまた一つ溜め息を吐いて家の中へ…


しばらくして…


一向に中に入って来る様子のないエンデが心配で、老人が再び墓の辺りの様子を見に行くと…


泣き疲れたか、エンデは膝を抱えたまま眠っていた。


皿の上のパンは完食したのか…見当たらなかったので少し安心し、持って来た薄手の毛布でエンデを包み、老人はそのまま家の中に運んだ。


抱き上げた瞬間、エンデは少し目を開けたが…抵抗する様子もなくまたスッと眠りに落ちて行った。


老人はそんなエンデをなんともいえない表情で見て、フッと小さく笑い…ベッドへゆっくりと下す…


「まぁとにかく……今は眠れ…」




翌朝、老人はまるで何年もそうして来たかのように、


「おい、起きろ。朝飯が出来たぞ。」


と、爆睡していたエンデを起こし食事を促す。


やや戸惑いながらも言われるままテーブルに着き、パンを齧るエンデ…


「あ、あの…僕…」


パンを半分まで食べて、エンデはおずおずと口を開く…


「そのパンのジャムの味はどうだ?美味いだろう?」


エンディの言葉をやや遮るように老人が話しかける。


「あ…うん…美味しい…」


「それはな…昨日、坊主の家の近くでまる焦げになって転がっていたりんごをな…幾つか拾ってジャムにしてみたんだ。見た感じは真っ黒だったけど、中味は少しは食べられるんじゃないかと思ってな。まぁ生でも食べられそうではあったけど、少し焦げ臭かったからジャムにしたんだ。割と上手く行ったろ?」


「……」


老人の言葉に、エンディの表情は少し固まり、食べる動作も止まる。


「実はな…以前ファリサさんから時々りんごのお裾分けを貰った事があるんだ。いっぱい実った時だけだけどってな…。そん時に、あのりんごの木は土地が痩せて来たせいか実が成らなくなっていたけれど、お前が生まれた頃から再び実を付けるようになったと…あの人は話していた。りんごでお菓子を作って食べさせるとお前がとても喜ぶとも…嬉しそうに言ってたな…」


黙って話を聞くエンデの目にみるみる涙が溜まる…


「ママは…行っちゃった…りんごとパンが入った籠を持って行けって言って…行っちゃった…」


エンデの美しい藍色の目からはボタボタと滝のように涙が溢れ落ちて行く…


「……」


あの深夜の火事の中…

なぜこの幼児が一人で逃げて、母親の遺体が自宅のすぐ側で見つかったのか…?


今のエンデの言葉が、すれ違った親子の謎を解いたように感じ…老人は切なそうに顔を歪めた。


あの火は…


都市部から来ていた役人によると、隣接した大国テイホから流れて来た反乱集団が、情報を得て駆けつけたこちらの軍に追われ、逃れ逃れた末に一部がこの村へ逃げ延びるも、迫る連合軍の追手の多さに絶望したグループの若者が目眩しに放ったようだと聞いた。


「…そうか…火事の中…坊主一人で走って来たもんな…怖かったろう…」


ここ数年…


村の中央を流れる川の上流地帯が不作続きで…流れる川の水量はさほど変化はないが、下流地帯の土地も収穫される農作物の質も量も年々微妙に落ちている。


そういえばあの…


緑や青い髪の民が定期的に訪れていた頃は、酷い不作に陥る話は聞いた事が無かった。


彼らが最後にここを訪れたのはいつだったか…?


少なくとも、5.6年は経つか…


彼らは彼らで、内部で色々と問題が起きているとか…巡る国々の治安の悪化も嘆いていた記憶も…


この子の父親も、数年前に出稼ぎに出ていた先で同僚の揉め事に巻き込まれ亡くなったと、確かファリアは言っていた。


女手一つで耕せる土地の範囲にも限界がある中で、盲目の幼児を抱え…近年の収穫の減少はかなりこたえていただろう…


そんな中でのあの大規模な火事は一瞬でも…彼女の心を折れさせた原因としては十分だったと想像出来る。


だが…彼女は途中で我に返り、この子を連れに戻ったのだろう…


だが………


いや、だから…


自宅の前で身動きが取れなくなり…彼女は命を落とした。


といったところか…


あの大火事は、たった一晩でこの村の全ての人の運命を狂わせたと言っても過言ではない。


放火した一味は軍によって皆射殺されたそうだが、村長の一家は未だ行方不明で…


他にもかなりの逃げ遅れがあったらしいとも聞いた。


もう……火事はウンザリだ。


テウルの記憶の隅に押し込めていた悲惨な記憶が…止めどなく蘇って来る…


かつて近所の焚き火の不始末で起きた火事によって、元の家屋と逃げ遅れた孫と、その子を救おうとした息子まで失い…


テウルは命辛々自身の所有していた雑木林へ逃れ、中央部にあった作業用具を入れていた小屋を建て増してそこを新らしい家として、新たに鶏を飼い畑を開墾し、なんとか命を繋いで来た。


出産してから病気がちになっていた嫁は、燃え盛る炎に腰が抜けしまった為、テウルが横抱きにしてなんとか火事からは逃れたが…


嫁は火傷を負い、火事のショックもあってか火傷が中々癒えずにそのまま寝込んでしまい…1年も経たずして嫁も亡くなってからの10年近く…テウルはずっと独りでここに暮らしていた…


昨日の深夜は…集落の方で上がった炎のあまりの明るさと、時々届く人々の叫び声に起こされ…


不安に駆られて様子を見に行った際に、煤に塗れた幼児が深夜にたった1人で必死に炎から逃げて来る姿が目に入って来たのだった。


だがその子は、急に向きを変えて元来た道を戻ろうとするので、慌ててテウルはその子の腕を掴んで止めた。


振り向き、自分を見たその子の顔は涙と煤に塗れてかなり汚れていた。


放せと叫び、暴れる子の姿がなぜか孫とダブり…とにかく死なせたくなくて、テウルは必死で引き止めたのだ…


「…坊主よ…母ちゃんがなぜ先に出て行ったのかは俺には分からない。だが、お前が心配で探しに戻ったから…結果的に母ちゃんはあそこに眠っている。母ちゃんはお前を助けたかったんだ。このりんごの味と共にそれは覚えていてやれ。母ちゃんが一生懸命に守ろうとした命なんだから、大事に生きるんだぞ。」


涙に濡れた美しい藍色の瞳で、テウルの顔をじっと見つめ話を聞いていたエンデだったが…


テウルが話終えると、張り詰めていた糸が切れたようにテーブルに顔を伏せ…腕で顔を覆い隠すようにしてわんわんと泣き出した。


「……」


悲しみを存分に吐き出すように、声を上げ泣き続けるエンデをしばらく無言で見つめていたテウルだったが…


「…俺も…このじじもな…火事で家族を全て亡くしたんだ。お前の気持ちは分かる。気の済むまで…泣きたいだけ泣け。だがそのパンは、ちゃんと最後まで食べ切るんだぞ。」


と言って席を立ち…


「俺は外で色々作業してるから…食べ終わった皿は奥の台にまとめて置いておいてくれ。」


と、通り過ぎる際にエンデの頭を…一瞬優しく触れて、テウルは出て行ってしまった。


「……」


少しして…


テウルが家のすぐ脇で薪割りをしていると、エンディが所在なさげに外に出て来てキョロキョロ見回していた。


「坊主、皿はちゃんと片付けたか?」


とテウルが話し掛けると、エンデは探してるモノを見つけたという風に、彼に近寄って来た。


「うん、奥の台に置いたよ…あの…僕…」


「じゃあ、俺が割った薪がそこらに転がってるだろ?それを家の横の壁に運んで積んで行ってくれ…急がなくていいから、持てるだけ少しずつ運んでくれ。」


エンデは一瞬、何か言いたそうだったが、


「うん、分かった。」


と返事をしてニコッと笑った。


そして…


薪割りが終わったテウルが次に鶏小屋の掃除を始めると、薪を並べ終えたエンデがまたやって来て、テウルの側で色々手伝い始め…


鶏小屋の掃除を終え、その次はリヤカーに幾つかの容器を乗せて雑木林を出て少し先の小川に水を汲みに行くと、エンデも付いて来た。


そんな調子で半日が過ぎ…


「お腹減ったろ。中に入ってお昼ご飯にしよう。」


と、一緒にじゃがいもととうもろこしを茹でて食べた。


昼食を食べ終えるとエンデは…


幼い身体に慣れない作業はかなりこたえたようで…椅子から落ちそうになるくらい急に睡魔に襲われ、慌ててテウルが抱き止めてベッドに運んだ。


テウルは愛おしそうに大事にエンディを運んでベッドへ寝かせ…


「坊主、よく頑張ったな…」


と言って、眠るエンディのおでこを軽く撫でた。


そして、日が傾きかけた頃…


エンディはやっと起きて外に出て、またキョロキョロと見回し、そしてテウルを見つけてまた側に来て、作業を手伝い始める。


「あ、坊主、それは…」


と、テウルがごく当たり前の様に、作業の指示を出そうとすると、


「エンデ…僕はエンデだよ、おじいちゃん。」


エンデは、少し照れ臭そうに言った。


「……」


テウルは目を見開き…


「…そうか…坊主はエンデって言うのか…良い名だな。俺にもテウルっていう名前はあるがな…呼ぶのはじいちゃんで構わん。」


と言って、テウルは破顔した。





「じいちゃん、じゃあ行って来るよ。」


掃除用具をだいたい一式リヤカーに乗せて、エンデが出発しようとすると、


「おう、気をつけてな。あまりお前の目の力を過信し過ぎるなよ。」


というテウルの声が鶏小屋から聞こえて来た。


「分かってる。もうリスには噛まれたくないからね。」


「分かってるならいい。日が翳る前には戻れよ。戻らなかったら迎えに行くからな。」


「分かった。じいちゃんは心配症だなぁ…」


「お前が色々軽はずみで心配させるからだ。…とにかく、気をつけてな。」


リヤカーを引きながら、いよいよと小さくなって行くテウルの声に、エンデは最後に言葉ではなく手を上げる仕草で応えた。


エンデがテウルと雑木林の中の小さな家で暮らし始めて、5年が過ぎようとしていた。


不器用だが優しい老人テウルに守られて、エンデは彼の手伝いをしながら、あまり楽ではない生活ながらもすくすくと成長し、10歳になっていた。


まだまだテウルほど体力はないが、聡明で不思議な力を持つエンデは、彼独特の知恵と機転でテウルを助け、楽しく、慎ましいながらも楽しい日々を過ごしていた。


エンデなりに色々テウルの力になれるという経験や、なんでもテウルと分け合って一つのモノを二つに分かち合う事の素晴らしさは、ここでテウルと暮らすようになって初めて得た感覚で…自分が決して誰かの足手纏いではないと思える、かけがえのない体験でもあった。


…自分の目にこんな力があると、もう少し早く気付けていたなら母を助けられたかも知れない…という悔いは未だ古傷のようにエンデの心を苛む事はあるが…


今となっては母の分まで生きるしかないのだと言い聞かせて、落ち込む度に徐々に小さくなっている己れの心の傷に包帯を巻き直す。


「あ、見えて来た。」


5年前の大火事の後、テウルの雑木林に村長一家が避難していた事が分かり、テウルは彼が急拵えで手を加えた鶏小屋にエンデと寝泊まりし、1カ月ほど村長一家を自分達の住居に住まわせて世話をした。


その後、村長一家は新たな家が完成するまでは、テウル達が暮らす雑木林よりもとの家に近い隣町の娘夫婦の家にとりあえず間借りしながら、大規模火災の後始末や村の再興の指揮を執る事になったのだが…


テウルの家に世話になったお礼として、雑木林の先の荒れ地に鎮座する村の神殿とその周辺の土地の管理を任せる役を彼に与えた。


その土地と神殿は長い間、村全体の共同管理地とし当番制で掃除や草むしり等を行って来ていて、神殿は神官が代々住まいながら管理していたが、村の大火事の少し前に先代の神官が亡くなってからは、村民の減少や治安の悪化でなかなか長期で落ち着いてくれる神官がおらず、長期間空席になっている上に先の大火事で…


村人の疲弊も激しく、そもそも村の人口も激減してしまった為に管理に手が回らなくなってしまったので、神殿も周辺の土地と共にテウル達が管理して行って欲しいと村長より命を受けたのだ。


この件は一方で、火事後に色々と世話を受けた村長が謝礼として、管理を続けた3年後にはその土地をテウルの所有地とする約定が内密に交わしてあった。


長く腰を据えてくれる神官が決まれば、神殿の管理は神官に任せる内容も同時に含まれ…


テウルとしてはエンデの助言もあり、ミアハという所から来る青い髪の人に決まるまでは、のらりくらり空席を守り、立候補者が出て来ても長居しなさそうな人のみに任せる事を決めていた。


という事で、今も神官は不在のまま、エンデはその空き家の神殿へ掃除の為に向かうところなのである。


その建物はまだしっかりしていて老朽化対策は心配はないが、施錠は忘れずに行ってはいても隙間から虫や小動物が入り込んで住み着いてしまう事もまま有り…


以前、神殿の正面出入り口近くに積んで置いた樽の中になぜだかリスが巣を作り…


子供を産んで子育て真っ最中だった頃にエンデが不用意にドアを一気に開けた為、親リスに追われ噛みつかれた事があったりした。


建物に入る前にリスがいるのは見えていたが、近くの茂みに好物の木苺がたくさん成っていた事に気を取られ、ドアをいつも通りに勢いよく開けてしまったら…子供を守ろうと攻撃的な親リスにしつこく追い回されたのだ。


その時は動物の知識の浅さも痛感し、一旦引き上げてテウルに相談し、彼の助言により遠く離れたリスの餌となる木々の一つに巣箱を設置し、更に中に彼等の好物の木の実も贈呈し、彼等一家は一時的に薬草で眠らせて、その間に強制引っ越しして頂いたのだ。


エンデにはその後のリスの様子は時々目の奥に見えていたが…念の為確認に行くと、彼等はしっかり新居生活をエンジョイされている様子だったので、ひとまず安心したのだった。


リスの一件以降は、虫や動物の嫌う草を乾燥させ固めた物を建物の中で燻したり、外壁や周辺の地に彼等の嫌う蛇の匂いを付けたり、屋内への侵入路を出来るだけ塞ぎ、可能な限り虫や動物の侵入を断つ対策を施した。


「…今回も…大丈夫そうだな…」


リヤカーを引きながら、徐々に近付く神殿の内部に意識を飛ばしてざっと確認作業を済ませたエンディは、ホッとする。


「?!っ」


だが…彼が神殿のドアのノブに手をかけた瞬間、神殿の中から何かエネルギーの様な塊が目に飛び込んで来る感覚に陥り…立ちくらみのような症状が現れて、エンデは思わずその場にしゃがみ込んだ…


…何だ…?これ…


と、戸惑うエンデの脳裏に…今、彼の中に飛び込んで来たエネルギーの塊が白い光となって膨張し、その中に…見ろと言わんばかりに目の奥に広げて来るある映像…


それは…


壊れた建物の側に立ち尽くす自分と…周辺に広がる乾いた荒野…


その大地は所々でひび割れ…少し先の雑木林の木々には葉が無く…皆立ち枯れているようだった。


…?…


荒野の大分先の方で何か光り…少し遅れて凄まじい爆音と風が…


…なんとも嫌な空気…


風と共に運ばれて来た毒々しい粉塵…


「…そうか…これは…」


崩れていた建物はこの神殿で…おそらく…これはここで起こる…


そう遠くない未来の惨事…



『それほど時間はありません。急いで…』



その白い光からは、そんな女性らしき声も聞こえて来て…


「え?何を急ぐの?」


エンデは思わずその謎の声に反応してしまっていた。



『あなたなら…それを見つけられます。見届ける者よ…時間はそれ程ありません…』



エンデの問いに答えているかどうかも分からないような言葉が聞こえた直後…


頭の中の白い光はスッと消えてしまった。


「……」


再び聞き慣れた小鳥の囀りが聞こえ、エンデはハッとして周囲を見回すと…


そこにはいつもの見慣れた景色があり…その中で自分は、これから掃除する予定の神殿の扉の前に座り込んでいた。


「…まったく…」


エンデは立ち上がり…座り込んだ際に付いた土を軽く払うと目の前のドアを開け、まず建物正面奥に鎮座する豊饒の神アバウの像を丁寧に拭き始め…


「今の…あなたですよね。あんな怖い風景を見せる不意打ちは困ります。女神様…」


先程のほぼ一方的なメッセージの不満を少しだけ…エンデは女神像に向かって溢すのだった。


次に床を履いて、テーブルや椅子を拭き…神官やその信者や客人の居住用に誂えたとされる炊事場や風呂やトイレ、更に書斎や寝室の掃除も行い、寝具を日に当て、可能な物は洗濯をする。


ただ洗濯物は今日中に乾かしきれないので自宅に持ち帰り、近日中に洗濯して神殿に戻す…


寝具を日に当てている間はテウルが作ってくれた弁当をたべ、外壁の蜘蛛等の巣や汚れを払い、建物の周辺の草を毟って神殿の庭とされるエリアを掃く…


そして余った時間は、神殿から少し離れた茂みに自生している木苺を摘んで、それをおやつ代わりに食べながら、つかの間そよぐ風に吹かれて…周辺の景色を眺めながら休憩するのが、月に一度ここに来る時のエンディのお楽しみの時間だった。


ここら一帯は村人が聖地と見做している為、何か儀式が執り行われる日の前後以外は村人が来る事は滅多に無く、北側に流れる川の先のこの国一番の深い森には小動物や狼がたくさん生息しているが、ここら辺は比較的雨が少なく痩せた土地の為、草木が所々群生しているくらいであまり大きな動物も彷徨いたりしない…


たまに何も考えずボーっとするには丁度良いと、エンディにはお気に入りの場所だった。


それに…


「あっ…人だ…」


神殿の少し南側に、細いがここらでは唯一舗装された道が1本長く通っているのだが…


その道を西側の国境方面からこちらに向かって、誰かが歩いて来る姿がエンディの目に入った。


日の光を受けてキラキラ輝く白銀色のローブを纏い、歩きながら時々風になびいて露出するシルバーブルーの髪はなんとも人間離れしてるような…その人物の神秘的な雰囲気を一層際立たせていた。


道を歩くその人の身体の向きは明らかに神殿を目指している様に見え、エンディの存在にも気づいたようだったので、エンディは木苺を一粒を口に放り込んで、ゆっくりと神殿に戻る為に歩き出す。


…やっぱり今日だった…


やっと会えた。


エンディは逸る心を落ち着かせるように、意識してゆっくり歩く。


ローブの男はいよいよ神殿への侵入路を曲がって、掃除したばかりの敷地内へ入って来た。


「やあ、こんにちは。…君は…この村の子かな?」


…あぁ…やっぱりあの人だ。


歩を止めて、被っていたローブの頭の部分だけめくりながら挨拶をする青年は大変美しく、何度か藍色の光の中で見たまんまの人物だった。


「こんにちは。そうです。僕はこの辺りを管理しているテウルという人にお世話になっている者です。…もしかして…この神殿の神官を希望の方ですか?でしたら今、彼を呼んで…」


「いや…手入れの行き届いた素晴らしい神殿のようだが…今日はこの辺りの守護神と言われているアバウの神殿の前で癒しの瞑想をさせて頂けたらと思い、立ち寄らせてもらった者です。タヨハと言います。ご迷惑で無ければ、この辺りで1、2時間の瞑想を行ってもよろしいですか?終え次第、ここを去りますので…」


彼が[今回は]ここの神官を希望していない事は、エンデには分かっていた。


なにせ彼はミアハという、とても小さいけれど特殊な国の次期長老候補と目されている人だから…


ミアハの将来を背負うと目される重要な立場の者は、神殿の管理者として他国に根を下ろす事はまずあり得ないのだ。


だが…しかし彼はこれから…


「…そうでしたか…では、折角ですから瞑想は神殿の中のアバウの像の前でどうぞ。先程、掃除したばかりなので。」


エンデは小走りで神殿正面まで行き、扉を開けてタヨハを案内する。


「あ…急に伺ったのに…ありがとうございます。光栄です。」


タヨハは予想外の展開に戸惑いながらも、嬉しそうに笑った。


「いえ…こちらこそ嬉しいです。テウルさんや村の人達は緑や青い髪の人達の訪れをいつも心待ちにしていますから…今、そのテウルさんを呼んで来ます。」


エンデは湧き上がる高揚感を必死に抑え、断られると分かっていながらも、自分のような子供ではなくテウルや村人達に歓迎して貰いたい気持ちを伝える。


案の定、タヨハは慌てだし…


「いや、私はある用事のついでという感じで、思いつきでこちらに来てしまったのでね…。お騒がせしておいて済まないが、瞑想したら大事にならない内に早々に去りたいんだ。勝手ばかり言って本当に申し訳ないんだけど…出来れば私が寄った事は内緒にして欲しい…」


…エンデは本当にテウルには会わせてあげたかった。


ただそれを聞いたじいちゃんは、きっと律儀に村長を呼ぶと言い出すのは間違いないので…諦めた。


「分かりました。…ただ心配なのは…今から瞑想を始めると終わる頃にはすっかり日が落ちていると思います。夜はたまに他所から流れて来た怪しげな人がうろついたり、滅多にないけど狼もうろつく場所です。もし良かったら神殿の奥の寝室で夜をやり過ごされても構いません。明日は日が翳るまでに洗濯したシーツやカバーを届けにもう一度ここに入るので、出立する時の戸締りも心配はいりません。」


「……」


タヨハはエンデの話を唖然としながら聞いていた…


「君は…凄いね…まだ子供なのに大人みたいに気遣いが出来るんだね。私は結構抜けているから、落ち込むくらいの衝撃だよ。テウルという人も君みたいな賢い子が側にいたら誇らしいだろうね…」


ずっと前から貴方と出会う事を知っていたし、待ち望んでいたからです。


と、心の中では回答しつつ…


実際、その待ち望んだ人に褒めちぎられて…エンデは照れてなんとも居た堪れない心地になった。


「ありがとうございます。あなたのような方に褒められて、とても嬉しいです。…ですが…名残惜しいけど僕はそろそろ戻りますね。これ以上ここにいると、テウルさんが迎えに来そうだから…では失礼します。」


エンデは自分の舞い上がっている様子を気付かれたくなくて、一礼しながら顔を伏せて、ゆっくりとした動作でタヨハに背を向けてリヤカーの置いてある方へ歩き出す…


「あ、あぁそうか…うん、今日は君がいてくれて本当に助かった。ありがとう。君も気を付けてね。…縁があったらまた会いましょう。」


…会えますよ…まだ確定ではないぼんやりした未来だけど…きっと僕は貴方を探し出します。


だって…


神殿の裏側に回り、リヤカーを引くエンデの目は微かに潤んでいた。


じいちゃんと暮らせる時間はもうあまり…


なんとか未来を変えられないかと…身体に良いとされる薬草をコッソリ村長さんに少しだけ…籠いっぱいの木苺と交換してもらって、何回かに分けてお茶に混ぜてじいちゃんに飲ませてみたり、大好きなタバコを控えて貰ったけれど…じいちゃんの未来の映像は全く変わる事なく…これは寿命というモノなのかも知れないと、エンデなりに悟った。


変更が難しい未来ほど鮮明に見え、何度も変更の為のアプローチを試みても同じ未来が見えてしまう…


変えられない…宿命のような未来も存在する事をエンデは知った。


「……」


彼のいなくなった後は、エンデにとって少々暗い時代が訪れる事も見えている…


もがいて逃げられない未来ではないけど…それを避けたら村は混乱し、おそらくその後に訪れるタヨハさんの危機も救えない…


あの人もこれから大変で…まもなく、まるで通り魔にでも遭ったような災難により、次期長老への道は絶たれる…


でも見かけ通りの綺麗な心を持つあの人は…その運命も笑顔で受け入れてしまうようだ。


いつかまた貴方に会えるよう…その時は貴方の力になれる自分になっているよう…頑張ります。


今はとにかく…じいちゃんの側に居たい。


じいちゃんに寂しい思いはさせたくないから…


またいつか会いましょう…


エンデがリヤカーを引きながら一歩一歩踏み締めて、再び神殿の正面が見える位置に出た時、


「?!」


一瞬、エンデの動きが止まる。


タヨハは先程の会話の中でエンデが自分の戻る方向を何気なく指で示した瞬間を見逃さなかったようで、彼はエンデが再び見える場所に出て来るのを待っていたかのように、まだ中には入らず、神殿の前でエンデに手を振って来た。


エンデも迷わず手を振り返す。


そして…


「タヨハさ〜ん、怖い人が増えて来ているから、外国を歩く時は武器を持つか強い人を連れて下さ〜い。あと、赤い目の女の人には近づかないで下さいね〜!気をつけて〜」


「???よく分からないけど、気を付けるよ〜」


結局…


タヨハはエンデが見えなくなるまでずっと…手を振り続けていた。






「…じゃあ…行ってくるね。」


二つ重ねられた大きめの石の側に、早朝に雑木林の中で摘んで来た草花を置いて、エンデは話しかけた。


エンデから少し離れた背後には、村長のロバンが彼を待っていた。


石の下には5年前に亡くなったテウルが眠っている…


タヨハが神殿を訪れてからほぼ一年後…


あの日、掃除を終え鶏小屋からエンデが出て来ると、先程まで薪を割る台にしていた切り株に、テウルが背を向けて座っていた。


薪を割り終えると時々ああして休み、一服してる場面は見慣れているエンデだった。


身体が心配で、なるべくタバコは止めて欲しいと頼んでいたが…「年寄りの楽しみを奪ってくれるな」と、頻度は減らしてくれたものの喫煙は完全には絶てなかった。


「じいちゃん、また吸っている……の…」


苦笑しながら近付いて行く途中で…


切り株に座るテウルには全く生命活動の気配を感じない事にエンデは気付いてしまった…


「じい…ちゃん…?…」


強張る足を必死で前に進め、エンデは恐る恐るテウルの正面に回り込む…


「じいちゃん!」


何かの勘違いであって欲しいと、まるで眠っているように目を閉じているテウルの肩を揺さぶると…


テウルの姿勢はみるみる崩れて切り株からズレ落ちた。


エンデは咄嗟にテウルの身体を支えて、


「じいちゃん、じいちゃん、起きて!」


と呼びかけながら、震える手でテウルの頬を叩く…


テウルの頬がみるみる冷たくなって行く事に気付きながらも、エンデは何度も肩を揺さぶり頬を軽く叩き…声をかけ続けた。


「じいちゃん……起きて…」


いつかは来ると、覚悟はしていても…最愛の人の死は受け入れ難いモノ…


「起きてよ……ねえ…じいちゃん…」


エンデは…涙で顔がぐちゃぐちゃになっても、テウルの身体を抱きしめるように揺さぶり続けたが…


日が傾き、薄暗くなっても…その目は再び開く事はなかった。


テウルの遺体は、エンデの母の眠る場所から少し離れた場所…二つ重ねられた石がそれぞれ散在して置かれている近くに埋葬した。奥様と、火事で亡くした他の家族達の眠っている傍に…


それから季節が巡り…1年が過ぎようとしていても、エンデはテウルの居ないひとりぼっちの暮らしになかなか慣れず、寂しい時間を過ごした。


だが時々、村長夫妻が心配して様子を見に来てくれたり…


朝起きてまずテウルと母のお墓に挨拶に行く度に、じいちゃんは家族と…ママはパパやエンデの覚えていない家族と笑っている姿を見るにつれ、自分はこれから彼らになるべく心配をかけないよう頑張って生きて行かなければと思うようになった。


「お前なら大丈夫。」


と、夢の中に会いに来てくれ、言葉を掛けてくれたじいちゃん…


母に守られ、じいちゃんに救って貰った命を大事に生きなければと、エンデは思った。


そして、エンデが1人の生活にやっと慣れ始めた頃…しんみりした空気を吹き払うかのように、彼らはやって来た。


その日、エンデは強い予感に駆られ神殿の掃除に来ていた。


いつもの掃除のルーティンを大体終えて軽く昼食を摂っていた時…


かなり珍しい事に、自動車が神殿に続く小道の手前で止まり、緑色の髪をした若い女性が出て来てエンデを見つけ、軽く一礼をして近付いて来た。


「こんにちは。唐突にお伺いしてすみません。…もしかして、エンディさんですか?」


エンデは慌てて食べかけのパンを飲み込んで、


「こんにちは。ミアハの方ですよね?大歓迎です。…でも、どうして僕の名を?」


その女性は安心したようにニッコリ笑った。


「あぁ良かった。タヨハさんを通してこちらに向かって欲しいとの本部の要請を受け参りました。以前から本部にはこちらの村長さんから力を貸して頂きたい旨の話はあったようなのですが…こちらの事情や巡る地域の治安の悪化等の問題がありまして、中々ご希望に応える事が出来ずで…申し訳ないです。本日は5名で参りました。あの…車はこちらの神殿の前に止めて置いて問題ありませんか?」


「あ、はい、問題ないです。どうぞ。」


エンデの返事を聞くと、女性は


「ありがとうございます。」


と言ってすぐさま振り向いて、後ろで様子を伺っている車に向かって手招きをした。


まず、この女性だけ先に降りて来たのはエンデがすぐに事情が分かる人かどうかの確認だったのだろう…


エンデは、車から降りて来た白銀のローブを被った男性1名と緑色の髪の若い女性2名…そして自分と似たような金髪の男性2名の計5名を、掃除したばかりの神殿の中に案内して、こんな日が来る事を予め知っていた彼は、準備していたお茶と村長の奥さんに作り方を教わった木苺のクッキーをお茶菓子として出して、慌てて村長のロバンを呼びに走った。


今回訪れてくれたミアハの能力者の中にタヨハの姿なく、今日来た彼等にタヨハさんの現状を尋ねても…上手く濁して語る事はなかった。


彼は今、結構大変な状況に置かれていてミアハの外の心配をできる余裕などない事は、エンデなりに把握していた。


彼がこの辺の地域の深刻な状況を気にかけ動いてくれた結果、5名もの癒しの能力者がやって来てくれた事は本当に有り難い事で、ロバン曰く、複数の能力者が一度に来てくれたのは15年振りだそう…


2年前にタヨハさんが癒しの瞑想を行ってくれてから、村の土地のエネルギーの流れは少し上昇し、村全体の農作物の収穫量や作物の質は徐々に良くなっていたのだが、5名のミアハの民が訪れた後は村の人々の体調も全体的に少し改善して作業効率が上がった事も相まっての豊作となった為、ロバンは大喜びで…


彼らは基本的に癒しの力を生業の道具とし、彼らの癒しの行為は国際的な取り決めで賃金が発生する。


さほど高額ではないが、エンデの村のようなあまり豊かではない地域にとっては楽に払える額でもない。


だが彼らが訪れた後の変化を経験を通して知っている村の有力者達は、彼らの再来を渇望する。


以前、タヨハが来訪を内密にとエンデに頼んだのは、思い付きで訪れたという事もあり賃金の発生を懸念した理由からだった事もあるようだった。


タヨハの事を、1年近く経った頃にテウルを通して村長に知らせた際、予想より昨年の収穫物の質が良かった理由はこれだろうと彼は感激をし、かなり積極的にミアハ本部に能力者の再来の要請を行っていた事をエンデは把握していた。


更にその2年後の、要請に応じ来訪した4名のミアハの能力者達の内の、緑の髪の2名の男女は夫婦で活動する能力者だったが…彼らが授かった女児はミアハの…いや、この星の運命を大きく左右する宿命を背負って生まれ落ちた子の1人と、エンデは気付いた。


勿論、彼らはプライベートな事などエンデ達に話す事はなかったが…彼らは強力で不思議な質のエネルギーを持つ我が子の事で悲しみや葛藤を抱えている様子がエンデには見えていた。


「あ、あの…」


エンデは二人の帰り際に、思わず声をかけていた。


「え…?」


と、なんの気なしに振り向く女性の方にエンデは…


「今は白い顎髭の老人に娘さんを託して正解と思います。」


つい…かなり余計な事を言っていた。


エンデの言葉を受けて、女性の顔色がサッと変わり…まだこのやり取りに気付かない隣の夫の肩をバンバン叩きながら、


「…あなた…どうしてそれを…」


全く不意打ちのエンデからのアドバイスに、エイメは上手く言葉が出て来ず…


そんなエイメの反応を見て、自分の軽率な発言を少し後悔したエンデだったが…


「急にすみません…僕…少し勘が鋭くて、時々…未来とか見えてしまう事があるんです。」


自己紹介に少々嘘を交えながらエンデは続ける。


「今、娘さんの周りにいる人達は皆…娘さんの事を大事に思って接していますから…どうか心配し過ぎないで。娘さんの未来は不確定要素が多く、必ずとは言えませんが…何か…あなた方種族を守護する存在の特別な加護を受けてもいるようで…いつか親子として仲良く会話出来る未来は来ると…信じて待ってあげて下さい。」


「………」


夫婦は驚愕し、緑色の目を見開きながら…その目はみるみる潤んでいった。


「僕…かなり余計な事言いました。すみません。この話は僕の存在と共にすぐ忘れて下さい。」


エンデは言ってしまってから、今この夫婦の問題に立ち入る事が正解だったか分からず、後悔を残しつつ去ろうとすると…


「余計な事なんかじゃないわよ。」


と、エイメにガシッと手を掴まれる。


「ありがとう、ありがとう…私はあなたを信じるわ。…でも、あなたが言ったという事は忘れればいいのね?」


そう言いながら、エイメは掴んだエンデの手を引き寄せて抱擁する。


エンデは少し面食らいながらも…


「…そうです。」


とだけ答えた。


エイメは抱擁する力を少し強めて、


「…ありがとう…」


と言って抱擁を解き…


夫婦は溢れ出た涙を拭う事もせず、丁寧に何度も頭を下げて、エンデから離れて行った。


エンデはこの時、能力者として活動するミアハの人達の様子を見てある願望を持つようになる…


それから度々エンデは、テウルが残してくれた土地に群生する薬草や木苺等をロバンの家に持って行って、その度にある頼み事をするようになって行った。


あの忌まわしいかつての大火事は悲惨な出来事をもたらしただけでなく、雑木林に逃げて来た村長夫妻との絆も紡いでくれた。


特にロバンとテウルは馬が合ったらしく、テウルは時々雑木林に訪ねて来る村長との会話を楽しんでいたし、エンデを連れて新築したロバン宅にご飯を呼ばれた際、ロバンとテウルは酒盛りに発展し、結局その夜はお泊まりになってしまった事もあった。


「支度は出来たか?もう行くぞ。」


テウルの墓の前でしばらく動こうとしなかったエンディを急かすように、ロバンが後ろから声を掛ける。


「はい…お待たせしてすみません。よろしくお願いします。」


エンディは振り返り、ロバンに一礼して歩き出す…













































































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