54 ヒカのわがまま
「タニアさん…?」
「え?…何…?」
「あ…いえ…その………今、とても嬉しそうに笑われたので…」
メクスム滞在最終日の夜…ヨハの勧めでタニアは警備という名目でヒカと一緒の部屋で寝る事になったのだが…
せっかくヨハが作ってくれた交流の機会を無駄にしたくなくて、窓を開けて夜空のヌビラナを探しながらお喋りをしていたタニアの中に、不意にエンデの思念が入って来て…
それがまるで自分へのラブコールのようにも感じたタニアは、いつの間にやら表情が緩んでいたようで…
ヒカからしたら唐突にニヤけたタニアの様子が不思議に感じたのだろう。
「あ、実はね…パパと…エンデという私と仲良しの人が今、私達みたいにヌビラナの星を眺めていたみたいなの。エンデも私みたいに色々見える能力があってね…ヌビラナを通して波長が合ってしまったかもで…私達の無事を願っている声が聞こえてしまったのよ。パパもエンデもとりあえず元気そうで嬉しくて…話の途中で突然ニヤニヤして驚かせてごめんね…」
「…いえ、とても嬉しそうな様子だったので気になってしまいました。そうでしたか…離れていてもお互いを思い合うって、なんだか素敵ですね。」
タニアの話を聞いてヒカは羨ましそうに微笑んだが…そこにはヒカの強い後悔の念が滲み…誰の事を思い浮かべたのかはすぐに見えてしまったタニアは、今が良いタイミングかも知れないと…
「…ねえ…ヒカちゃん。私はあなたの大切な記憶を奪ったも同然なのに…1度も怖がる事も責める気持ちすら抱かずに…私と普通にお話ししてくれて、本当にありがとう。…あなたの記憶を元に戻してあげたいのに…未だにそれが出来ないでいる事も含めて…あなたには直接謝りたいってずっと…」
「それは…リシワさんや長老やハンサさん…私の周りの皆さんに色々お話は聞いています。タニアさんは大国の強い力を持った女性に操られていたと…その上タニアさんは、その人から作られた記憶を刷り込まれてしばらく苦しんでおられたとも…。私は思い出せたらいいなとは思いますが、怖い思いはしていませんから…私もタニアさんにはその事は忘れて頂きたいと…その事はいつか直接お話ししたいと…ずっと思っていたんです。」
「……」
ヒカが必死に説明してくれている間…ヨハからそれとなく幼い頃の自分との記憶の事を聞かれる度に彼をガッカリさせて来た記憶がヒカの中で甦り…それは自分ではどうにも出来ないばかりか、思い出そうとすると頭が痛くなったり、近い過去にはゼリスにも暗示を刷り込まれた事も相まって、最近は大きな青い目に飲み込まれそうになる幻影にも悩まされでいたりしていた事もタニアには見えて…
ヒカも辛い思いはしっかりして来ているのに…
なのにこの子はタニアが悪い訳ではないと…ヨハに心配をかけたくなくて、それらの辛い体験をずっと1人秘めて受け流して…そうやって、いつも自分で必死に処理して来たのだ。
「…あなたは本当に……あなたを見ていたら、ヨハがずっとあなたを大切に思って接して来た事も、そんなあなた達を守ろうとして常に寄り添っている人達の姿も…色々たくさん見えて来たわ。」
「……」
タニアの口からヨハの名が出て来ると、ヒカの中で常に堪えているモノがフッと溢れて来そうになり…それに抗おうと必死になっている彼女の顔から自然な笑顔は消えていた。
「…ねえヒカちゃん…私…あなたに少しだけ触れてもいいかな…?」
「あ…はい。…そんな許可なんて…⁈」
ヒカが言い終えるのを待たずにタニアは彼女を抱きしめていた…
「大切な記憶を戻してあげられなくて…本当にごめんなさい。あなたに気を遣わせたくはないけど…今だけは言わせてね。あなたがその事で本当は辛い思いをしていた事も含めて謝りたいの。本当に、本当にごめんなさい。ヨハはね…今までもこれからもあなたの側であなたを見守りたい気持ちは全く変わらないの。師弟関係は能力者の自立の為の関係だから、自立試験合格によって、関係解消はもう元には戻せないみたいだけど…それによってあなた達の間には制約も無くなったのよ。ヨハの将来も…今は長や役職の候補から全て外れているそうだから、見方を変えれば今までより自由な関係を作れる状況なのよ。ヒカちゃんの本当の気持ちを伝えるチャンスと見ることも出来る今のタイミングを…よく考えて大切に使わないとダメよ。でないと多分…この先、あなたは一生後悔するかも知れないわ。」
「…後悔……私は後悔よりも、ル・ダの将来の邪魔になる事の方がよっぽど…怖いです。」
タニアに抱きしめられたままのヒカの声は…震えていた。
「ヒカちゃん…あなたも今は任務の事でいっぱいいっぱいなのは分かるわ…でもそういう時に大事な節目がやって来る時もある。私には今の2人がそういう状況であるように見えているの。意識して冷静に、あの子にとって何が本当に必要かを見極めて欲しい…ヨハがセレスの未来を背負う事を意識し始めたのは、あなたと出会った時からなのよ。ヒカちゃんが遠慮し過ぎてあの子とただ距離を置く事は、今の2人にとってだけでなく、諸々が良い方向に行くとは思えないの。私から見てミアハも今、大事な分岐点にいるのだけれど…その要因の1つでもある、古い約定の問題は、ミアハが…ヌビラナが…で考えるより、まずあなた達2人がこれからどうして行きたいかを考えて動いた方が、物事がスムーズに進むような気がする。ヒカちゃんが本当に望む進路をまずヨハに伝える事が、今のヒカちゃんに出来る事…かな?」
「私に出来る事……」
ここでタニアはヒカからゆっくり身体を離して彼女の目を見た。
青緑色の美しい瞳はやはり涙に滲んでいて…その潤んだ目は不安そうにタニアを見つめていた。
「そう…邪魔にならないように、ではなく、ヨハを支える視点で考えてみて。…でも…ヒカちゃんはもう既に何か考えている事があるんじゃない?それは今までの発想よりずっと前向きで良いと思うわ。後は少しだけ勇気を出す事…決して悪い展開にはならないから、今だけでいいから、私の言葉を鵜呑みにして頑張ってみて欲しいの。」
「……」
この時、
ヒカのタニアを見つめる目の力がグッと強くなり…
彼女が何かをはっきり決断した事が、タニアには分かった瞬間だった。
「私……」
何かを言いかけたヒカをタニアは再び抱きしめ…
「いいのよ、私には言わなくて…今、あなたが決めた事をそのままヨハに伝えてみて。…頑張ってね。」
そう、迷わずに本当の願いをそのまま伝えて欲しい。
あなた達にはあまり時間がないの…
だから、もう迷ったりしないでね。
…ミアハの民はこの千載一遇の機会を逃したらもう…
イウクナの民のように、絶滅を逃れる為に近い未来に大きな決断をしなければならない…
私も全力であなた達を守るから…
だから…
「……」
タニアはまたヒカを…更に強く抱きしめてしまっていた。
「が、頑張ります。離れ離れになる前に…最後に1度くらい…大きな我が儘を聞いてもらうくらい、いいですよね?ダメって言われてもいいから、伝えるだけ伝えて弟子を卒業します。」
若干…何か技をかけられているような…?
奇妙な感覚に陥りながらも、タニアの励ましが嬉しくて…キツい抱擁の中でヒカはやっと呼吸を整えながら、決意のカケラを言葉にしてみた。
「そうよ。それくらいの意気込みが丁度良いかも知れないわ。そして無事に任務を終えて帰りましょう。私達が全力で守るから、安心して。」
「…うっ……」
ここでヒカの…
ずっと張り詰めていた何が解れ、涙が一気に溢れて来て…
タニアに縋るようにヒカも抱きつき…しばらくそのまま…
「頑張ろうね。きっとみんな上手く行くわ…そう信じて頑張りましょう。」
…越えなければならない幾つかの大きな山は…タニアには既にかなり見えている。
それは全部、命懸けで越えなければならない山だけれど…
とにかく頑張るしかない。
今の時点でヌビラナで何が起きるかを気付いている者は、おそらく自分と長老だけ…
だから、しっかりしなければと思えば思うほど、タニアも色々な感情が込み上げて来て…
2人はしばらくそのまま泣き続け…メクスムでの最後の夜は更けて行くのだった…
「これは…?」
シンカラムの空港での荷物確認の際、ヨハとヒカが身につけていたバングルのようなモノに検査官の視線が行き、前もって提出されている手元の所持品リストとバングルを交互に見ながら彼はヨハに質問して来た。
「宿木で作った御守り的なバングルです。そちらのリストにもあると思いますが、消毒は先程済んでいます。」
前回の渡航の際にトウから2人にプレゼントされた物だったが、未申請で消毒もされていなかった事で持ち込み許可が降りなかった物なのだが…検査官は申請があっても質問に対して辻褄が合わない事を言ったりした物は再び除外してしまうので、ヨハはそこは慎重に対応した。
「この鉢植えの植物は?」
ヨハが両脇に抱えていたブルーベリーの鉢植えに関しても、検査官はすかさず質問して来る…
「ブルーベリーの木です。少し長めの滞在になるので、観葉植物としてかなり前に申請してあります。後ろのミアハの警護員がもう1つ鉢植えを持っていますが、どちらも消毒済みです。」
「…確認出来ました。では先に進んで下さい。」
「……」
今日、ヨハが一番心配していた場面を無事クリア出来たので、内心は緊張がドッと解れたが…それは努めて表情には出さず、その後も淡々と手続きをこなした…
…本当は…
今回一番心配していた事は、その存在はタニアが連れていたのだが…それは検査官に追及されず…いや、視線がソレに注がれる事すら無く…通過出来てしまったのだが…
こうして、ヨハとヒカのセレスの能力者の2人と警備員のカシルとタニアの、計4人のミアハの民を乗せた星間移動船は、ヨハとヒカによる2度目の、今度は約1カ月を予定している長期任務の為、予定通りヌビラナへと飛び立ったのだった。
「ああヤバァい…もうこんな時間…また兄さんに怒られるぅ…」
行きの運転で渋滞に巻き込まれてしまったフェリアは、久しぶりの都市部の商業施設でのショッピングを終えて駐車場へと急ぐ。
駐車場は結構な広さで、フェリアの車は商業施設の入り口からかなり外れた場所に止めてあり…荷物をカートに乗せているとはいえ、2週間後に予定日を迎えようとしている身重のフェリアには、車までの長めのランニングは少々キツかった。
「ハァ… うっかりイトリアちゃんの厚意に甘え続けているから…今日こそ兄さんに長ったらしい説教されるぅ…急げぇ…」
買い物は長女のエマを連れてると時間が倍かかってしまうから、ウェスラー達のマンション…主にイトリアの部屋へエマを預けての買い物で…
約束の時間に明らかに遅刻しそうなフェリアは、自分の止めてある車の場所への近道をする為、商業施設の裏側の方へ出て少し歩いた所の細い路地に入り、そこから駐車場のフェリアの車に向かう事にしたのだが…
「…?!」
路地へ入ろうとした瞬間、
あらぬ方向からの視線を感じたフェリアは、つい癖で身を屈めようとしたのだが…
「……何…?」
警戒していた方向とは逆の場所から小さな虫が飛んで来て…
フェリアのお腹にそれは止まった…
ように感じたが…
その虫…いや最新式弾丸はフェリアのお腹を貫通し…飛び出て行った…
「あ…私の…赤ちゃん……」
じわじわと赤く染まり始めるお腹の傷口を押さえながら…フェリアはぐずぐずと、その場に座り込んだのだった…




