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5 紡がれる絆の先


「ダメだよ、ヒカ…こっちにおいで。」


ドアへ小走りで向かっていくヒカを呼び止めるも、聞く様子なくドアノブに手をかけた為、ヨハはやれやれという感じで立ち上がり、ゆっくりとその小さな後ろ姿を追う…


「あれ?」


ヒカがガチャガチャと必死でドアノブを回すも開かない…


育児棟の子供部屋はほとんど外からは比較的簡単に施錠も解錠も出来るが、内側は鍵がないと開かない仕組みになっている。昔からミアハは子供の連れ去りが時々起こり、敷地内への侵入対策は厳重にしたが、中の子供が勝手に外に出ようとしてそれを狙われるケースもままあった為、この部屋のように内側からは鍵が開け辛い仕組みになっているドアはこの棟には多く存在している。


ミアハの人々の独特な容姿や能力をビジネスや軍事に利用しようとする輩はいつの世も外国では絶えず、常に対策に苦労して来た歴史がミアハにはある。


まあ、実際ミアハの癒しの特殊能力はミアハの地を離れて1年以上経過すると能力が失われて行く事や、彼らの能力がミアハ以外の人間に伝播して行く事は無く、交配を行っても力は全て父方から受け継がれて行く能力なので、母親がミアハの民以外の人間ならばその子は力は半減して受け継がれる上に、ミアハの地で生活しない限り能力は大体幼児期の段階で消滅する事が徐々に外国でも分かって来て、能力を狙った誘拐はかなり減少しているが…


彼等の独特の容姿を商売に利用しようと狙う輩は、相変わらず無くならない…


特にセレスに於いては、数少ない子ども達を誘拐の魔の手から守ろうと対策に必死なのである。


ただ最近では、現長老がミアハ国への出入国自体を許可申請なしでは出来ない様、対策に力を入れている為、入国者の管理は大分楽になり、棟内に子供達がいる状態であれば以前ほどアムナがピリピリする場面はなくなったと、ヨハも聞いている。


稀に内通者の存在もあるのだが…ミアハの女神エルオはなんらかの形で民の裏切りは炙り出してしまうので、長老を始めとする元老院はそのサインを見逃す事はない…


ただ国内では唯一、セヨルディという商業施設は外国人の出入国が盛んで…そこから無断での他地域への侵入は以前より難しくなってはいるが…あの手この手で侵入や連れ去りを狙う輩はゼロにはなっていない。


ヒカの体調は、ヨハのティリのエネルギーによる治療や食事の管理…更に薬もヒカの主治医と相談しつつ、こまめに体調を見て変化を見極めながら処方を変えたりした効果が、徐々に出始めていた。


そして、ヒカのエネルギーバランスが整い体調も安定して行くと、起きて動き回る時間帯も徐々に増え、最近は育児棟の内側の広場に設置されている遊具を使って遊んだり、敷地内の建物の裏側の小道を散歩したりも出来るようになっていた。


しかし、ヒカは同じ年代のセレスの子供より食が細く、身体が華奢な事もある為か、頻回ではなくなったものの…まだ熱がポンと高く上がる。


今日は熱が下がった翌日で、身体が楽になればまたいつものように食後は外に行けるものとヒカは楽しみにしていたようだった。


「お兄ちゃん、開かない…。お外に行けない…」


淡い青緑色の瞳で必死に訴えられると、ヨハはついつい絆されそうになるが…外で存分に遊びたいヒカの願いをしっかり叶えさせてあげる為には、今は冷静に対応しなければならない…


「今日はお外は少し風が吹いているからね…お熱が下がったばかりのヒカがお外で遊べるようになるには、あと1日我慢だよ。今日は新しい絵本をたくさん持って来たから読んであげる。」


「………」


ドアノブに掛かっているヒカの両手をそっと剥がしながらヨハが優しくなだめると、ヒカは少しガッカリした様子で渋々ヨハと共に元いた場所に戻る…


「…お兄ちゃんは今日はどこにも行かない?ずっとヒカとお遊びしてくれる?」


「………」


ヨハは3日後に例の受験を控えていた。


つい1週間前に、試験対策資料をチェックしておきたくて、ヒカの事をマリュ達に頼んで丸一日外出したのだ。


ヒカの質問はその時の事を不安に感じてのモノだった事はすぐに分かった。


「行かないよ。僕はいつもヒカの側にいるでしょ?この間はどうしても行かなければならない用事があっただけだよ。」


「…じゃあもうお出かけしない?ずっとヒカと一緒にいてくれる…。」


「………」


実際のところ、ヨハは今後の事で迷い悩んでいた…


出会った最初の日こそ、独特の雰囲気を纏うこの少女の寝顔に見惚れてしまったヨハだが…


過去のデータも希少な…生後間もない時期に発現した治癒エネルギー変異の幼児の体調管理や世話は、日々戸惑う事の連続で…


最初の1週間は、ヒカの一挙手一投足に翻弄されっ放しだった。


ヒカはヒカで、ヨハを医療スタッフと勘違いしたのか「またチックンするの?チックン痛いから嫌…」と、注射の警戒ばかりして距離が埋まらず、初日はまともに会話も出来ずに終わったが…


注射等の痛い治療行為をする人でない事が分かると、慣れるのは早かった。


それどころか、ヨハがずっと側にいて一緒に遊んでくれる事が本当に嬉しかったようで、最初こそ勘違いもあって「ヨハ先生」と恐る恐る呼んでいたのが、マリュ達に「このお兄ちゃんはお医者さんじゃないのよ」と何度か言われているうちに「お兄ちゃん」となり、次第に彼にベッタリになって行った。


ヨハの方も、最初はヒカの怯えたり懐いたりの極端な反応に戸惑い、時には鬱陶しさも感じたが、ヒカに依存されている事が彼自身も驚くほどに居心地が良かった。


ヒカは基本聞き分けが良く、少々ワガママを言って聞かない時も「ヒカ、これはお遊びでもイジワルしてる訳でもないんだよ。大事な事だから聞いて。聞いてくれないならお兄ちゃんはもう帰っちゃうよ」というと「帰らないで。ヒカ、良い子にするから…」と泣きそうになってシュンとしてしまうので…その反応が可愛くて堪らず、きちんと聞き分けて貰わなくてはならない場面でも、ヒカの願う事をなんでも聞いてあげたい気持ちになってしまうのだった。


ヨハ自身がかつてこの棟で生活していた頃は、ほとんど興味が湧かず触った記憶もないような子供用のおもちゃでヒカと遊び、時にはマリュ達に許しを得て床にテープやチョークで色々な図形を描いて雨の日でも室内で身体を使って出来るようなゲームをヒカ用に考えて遊んだり、ヒカが興味を持ってくれそうな絵本を図書館から抱えきれないほど借りて毎夜寝る前に読み聞かせてあげたり…


気が付けば、ヒカの喜ぶ反応にヨハの方が楽しくなってしまっていた。


嬉しそうに笑うヒカの顔を見ることでヨハの日常もまた充実し、二人で過ごす時間は日増しに色鮮やかで笑顔溢れるモノとなって行った…


夜は、ヒカが眠りにつくとヨハは用意された隣の部屋へ移動し睡眠を取ったり受験勉強の時間に当てていた。


ヒカが発熱してる時以外は、夜は定期的に見回るスタッフの人達に任せているが、それでも時々深夜に目が覚めて泣き出す事もあり、それはヨハの部屋にあるモニター画面からも見え泣き声も聞こえるので、部屋に駆けつけてヒカが安心して寝入るまで側にいてあげる…


それが深夜でも明け方でも、不思議な事にヨハは全く苦に感じなかった。


全身全霊で自分を必要としてくれ、常に純粋な好意を向けて来るヒカが愛おしくて堪らない…


…ヒカとただ寄り添って過ごせるこの時間が、叶うならば永遠に続けと強く思うほどに…


レノやティリでは、ごく近しい血縁のグループで生活するのが一般的で、そのグループを家族と呼ぶ事は知識として知ってはいた。


もしセレスもそのグループ単位でで暮らしていたなら、ヒカにとって自分は兄のような存在なのかな?と…少女の寝顔を傍らで見つめながらヨハは時折想像したりもした。


気が付けば、2人はお互いの足りないモノをピッタリ埋め合うかの様な…離れ難い存在になっていた。


育児棟のアムナ(育てる者)の主任のナランと元々のヒカの担当のマリュ…そして主治医とヨハを交えたヒカの経過報告会の際には、ナランから聞かされた「あの子はレノのお母さんの身体から直接生まれて、ここに連れて来られるまではずっと家族と一緒にいた子なのよ。レノやティリでは育児棟にいる子くらいの年齢ならだいたい母親が常に側にいるから、あの子がそういう存在を恋しがって泣いたり熱を出すのも仕方ない事なのかもね。お母さんも最後の面会の時は泣いていたわ。変異さえ起こらなければ、長老もそんな幼子を親から引き離すという苦渋の決断をする必要は無かったでしょうし…普通ならば今も家族と小さな建物の中で一緒に暮らしていた子なのよね…」との話も、ヨハの中の保護本能みたいなモノを一層刺激してしまったのかも知れない…


普通セレスの大人達は、20代を過ぎて来ると1個人に強く感情移入してしまう傾向は徐々に弱くなるらしい…


元来の性質なのか、特殊な育児形態の影響か…その両方に起因しているのかも知れないが、幼児期を経て思春期を過ぎると特定の人に感情移入して密接な交流を求める欲求が次第に弱くなって行くセレスの民…


天の気を体内に通しながら地を癒すセレス特有のエネルギーに身を包まれる為か、孤独感を感じ難い民とも呼ばれ、争いを好まず人とは適度な距離感を重視しての交友関係を育みたがるのが、セレスの人間の一般的な感覚と言われている。


常に全身で親の愛を欲する子供達を育てているアムナ達が、こんな風にヒカのような子に感情移入し世話を焼きたがる事が、セレスの大人の中ではやや特殊な状態である事を当人達自身があまり意識していない状況も、セレス以外の人達から見れば胸をなでおろしながらも切なく感じる光景なのだろう…


ヨハも早い段階からごく一般的なセレスの大人の様な感覚を有する子と思われていたし、自身もそうだろうと自覚していた。


だがヒカに出会ってからのヨハは、今まで感じた事のないような温かくて切ない何か…言葉には上手く表せないモノが心の深い場所から込み上げて来て、その捉えどころのない感情にしばしば翻弄されている…


少し似たような事は以前にもあったが…


その人はいつもいつも優しく微笑んで話しかけてくれた。


最初は鬱陶しくて凄く嫌だったのに、イユナはとにかくしつこくて、よく逃げ回っていたっけ…


でも気がつけば…


いつの間にかヨハはその人の姿を目で追うようになっていた。


そうだ…


僕は…


ヒカと出会ってから、あの人の事を思い出しても涙が出なくなった。


思い出す事すら辛かったのに…


「……」


ヨハはこの事実に今気付き、驚愕した。


イユナとの思い出が優しく温かく感じられる…


「何も出来なくてごめんね」って言って泣いてばかりいた、思い出の中のイユナに…今は自然に「ありがとう」って言える。


ヒカと過ごす日々は、ヨハの心の奥深くにしまっていた深い後悔や悲しみをいつの間にか癒し、ヨハの世界に新しく鮮やかな色を吹き込んで、重苦しい未来に希望すら抱かせてくれていた。


けど…今の生活は…


早ければ2ヶ月…長くとも1年以内には間違いなく終わりを告げるのだ。


セレスの優秀な能力者になるべく期待され、このコロニーの中では多少なりとも優遇されている2人にとって、これから貴重なセレス能力者として社会性を身につけながら力を最大限に社会に還元して行く為には、それは避けられない未来である。


「…お兄ちゃん…?」


黙り込んだヨハの顔を下から覗き込んでいるヒカと目が合う…


「…そうだね……可能な限り僕はヒカの側にいるよ。そしてヒカは僕だけでなく他のお友達ともたくさん遊べるように、ご飯をもっといっぱい食べられるようになって、早く元気にならないとね。」


…ヒカが早く元気になれば、それだけ今の生活の終わりは早まるけれど、それは今のヒカには言えない。


とにかく今は、自分の治癒能力と努力によって元気になって行くヒカの姿を、出来るだけたくさん目に焼き付けて置こう…


「…他のお友達…?ヒカはお兄ちゃんと居られればいいの…ずっとヒカと遊んでね。良い子でいるから…」


潤んだヒカの瞳を見つめ返すも…


うなづけない代わりにヨハはギュッと小さく華奢な身体を抱きしめる…


「ヒカ…皆んな大きくなると、それぞれやらなければならない事が出来るんだ。ましてセレスの能力者はね……それは僕もヒカも同じ…皆んなそうなるんだ…」


ヒカを抱きしめながら、ヨハは一瞬、悲しそうに顔を歪める…


「ヒカはセレスの能力が強いから尚の事ね…。でもそんな時が来ても、僕はヒカをずっと見守っているからね。それだけは忘れないで…」


急に抱きしめられたヒカはキョトンとしながら、


「どうしてそ………」


んなお話をするの?」と問いかけようとしたが、更にギュッと強く抱きしめられ…言葉が出て来なくなってしまった。


そして、


ヨハはゆっくり抱擁を解いた…


「膝においで、絵本を読んであげる。」


と、質問の答えは最後まではぐらかし、ヨハはヒカのお気に入りの絵本を読み始めた。


同世代のセレスの子達との合流が遅れれば遅れるほど、結局ヒカ自身が大変な思いをする。


今はただ…


ひたすらにヒカのエネルギーの安定と心身が元気になる事に集中して、この愛しい時間を大切に過ごそう…


では、


その先は……?


ヒカと共に過ごせる時間を増やす為に、色々と足掻いてみるのも楽しいかも知れないな…


絵本を読みながら、重苦しい未来の楽しみ方をちょっとだけ想像してみるヨハだった。




翌日…


悩んだ末、ヨハは3日後の受験を半年後への変更を申し出た。


かつてこの棟で起きたある悲劇をきっかけにヨハが切望した、医師免許取得の為の大事な試験を…


今はとにかく、資格取得の為の時間よりヒカの為に過ごす時間を最優先にするとヨハは決めた。





更に1カ月が過ぎ…


ヒカの体調はかなり安定して来ていた。


セレスのエネルギーバランス自体は未だあまり良いとは言えず、食もやや細いままだが…それでも大分落ち着いた。


微量ずつだが、ヒカのセレスの力は今も強くなり続けている。


…多分、ヨハの歳になる頃には彼の力を追い抜いてしまう可能性は高く、順調に成長すれば将来はヨハを凌ぐ能力者になるだろう…


セレスでは7歳になる前にこの育児棟を出て、学びの棟で15歳まで日々の暮らしや将来に向けての勉強や訓練をして過ごす。


能力者や様々な業種で自立し活動している大人達と定期的に交流しつつ、その中で瞑想や能力のコントロールを始め、将来についての諸々の事を徐々に学んで行く。


子供達は基本、だいたい10歳前後である程度の能力のコントロールが出来るようになってくる。


後は本人の努力と先天的な力次第だが、いくつかの能力テストを経て、仕事に出来るレベルの能力者というミアハ本部からのお墨付きを貰えた者は、大体は学びの棟を出て特定の師に付く。


師とあちこち巡り、一年程経験を重ねる頃には殆どの見習い能力者達の経験値は問題ないレベルとなり、無意識でもエネルギー調整できるまでになって来る。


セレスのエネルギーは地殻の活動に直接影響を及ぼす特殊かつ大きいエネルギーの為、自身のエネルギーバランスを整える能力は、能力者として絶対必要不可欠なモノとなる。


特にヒカのような、強いけれどバランスの悪いセレスのエネルギーは悪影響の方が大きくなる為、一部を除いたセレスの居住地の殆どの場所にはエネルギーを直に地に通さない為の工夫や対策が二重三重に施してある。


長老が早い段階でヒカをセレスの地に住まわせたのも、その事情による所が大きかった。


ヨハは11歳だが知能はミアハのみならずこの星のトップレベルの力を有し、能力の強さや安定力も既に現長老の若い頃のレベルに達している。


今の時点での彼は、切望する医師免許取得の為の準備期間として、護衛が付く条件下で長老の許可を得て、色々な研究機関への出入りも特別に許されている。


長老としては、ヨハを医師にする事はあくまでも通過点として現時点では見守っている状況でもある。


現在の一般的なセレスの…特に能力者の大まかな特徴は、平和主義だが独特の個人主義的傾向が強く集団での作業が苦手な傾向がある為、その集団を上手くまとめられる者も少ないという問題を抱えている。


それは彼ら特有の能力に起因していると言われているが…


肝心のセレスの能力者の現状の平均的な力も、ここ100年の間で弱まりつつある中で、出生率も極端に下がり続け、とうとう自力での受精や出産が難しい状態となってしまった為、大国との共同研究による最新の人工受精技術と人工子宮で、細々と種の存続を繋いでいる状況に陥ってしまっている。


そのような傾向はティリやレノには見られず、なぜかセレスだけに起きている大きな問題でもあった。


その中にあって、知力が高い上に好奇心も強いヨハは、自身の興味ある分野の学問を通じてのみだが、テイホやメクスムの大人の中に入って行って情報交換をしたりする行動力や社交性も備わっている為、長老がヨハに寄せる期待感は並々ならぬモノがある。


ミアハのような小さな国が大国とある程度良好な関係を維持出来ていられるのも、長老やミアハのそれぞれのコロニーの長達で形成された元老院の努力も大きい。


特に現長老セダルは、人心を惹きつける魅力がある事を上手く利用し、ミアハの力を怪しいまじないと混同する外国の一部の人達を、最新テクノロジーを駆使した実験やそれらの検証…更にそれぞれのコロニーで長きに渡り書き溜めて来た治癒能力による変化の記録を分かりやすくデータ化したり、ドキュメンタリー風に変化の過程の映像を一般の人々に見てもらえるよう製作し、広く世界に公開し説明して回った努力の種子を見事に芽吹かせ、世界におけるミアハの信頼と地位を高めた人物でもある。


だが…皮肉な事に、ミアハの地位の安定化と反比例するように、現状セレスの能力者の減少が顕著となっている事は、ミアハ全体に深刻な不安の影を落としている。


本来セレスの治癒エネルギーは、バランスを整える事で深刻な災害は小規模化あるいは回避する事も可能となるだけでなく天の気も安定し、それが巡り巡って嵐の激化を防ぐ事も可能になる。


天の気や地の気の大きなうねりによる、星自体の活動上でどうしても避けられない災害もあるが、セレスの能力者は地のエネルギー状態を知ることで大きな災害予知もある程度出来、アリオルムの生きとし生ける者達にとって、セレスの力の影響は決して小さくはない。


生きとし生けるモノ達の発する全てのエネルギーも、自然の気と密接に関わって影響を及ぼし合っている為、人や植物を癒すティリやレノの能力も役割は広く、決して軽んじられない力ではあるが、まず地を癒すセレスの能力は癒しの根幹で、エネルギーの質や規模の大きさはティリやレノのそれとは一線を画している。


ティリやレノの力は、地のエネルギーがバランス良く流れていれば、その効果も連動して良くなる故に、最近はセレスの能力者の減少が徐々にティリやレノの任務に少なからぬ負担が押し寄せて来ている…


セレスのコロニーの弱体化はミアハ全体の力に影響を及ぼす問題でもあるので、ヒカの両親が我が子をセレスのコロニーに託す事を無下に断れなかった背景もそういう現状にある。


ただ親としてヒカの将来を真剣に考えた末の苦渋の決断であった事も、大きな理由の一つではあるのだが…


未だアンバランスだがセレスの力が異常に高いヒカのこれからは、セレスの能力者としてヨハと同じくらい人々に期待されて行く事は間違いないだろう…


体調や心が安定して来ている現段階のヒカに必要な事は、早く同世代の子達との交流に慣れ、セレスの社会に溶け込んで行く事…


食事や遊びなどを通して合流出来る機会をゆっくり増やして行くと同時に、ヨハの居ない時間にも慣れていかなければならない。


これはヒカが育児棟で暮らす子供達と合流する為の大事な準備であり…ヒカを大切に思う気持ちが強くなればなるほどに、ヨハにとっては心の痛みも伴う作業になって行くのだろう。




ある夜…



「ふぅ…」


連日の雨で思うように外で遊べないヒカは、午後の昼寝が長くなってしまいがちで夜はなかなか寝付けず…


「ご本をもっと読んで欲しい。」


とヨハにせがむ。


やっと眠りに就いたヒカのあどけない寝顔を見つめながら、ヨハは今後の事をとりとめなく考えていた…


あぁそういえば…

昨日も一昨日もその前も…

気が付けば自分は毎晩のようにヒカの寝顔を眺めながら溜め息が出てるな…


ヨハは思わず苦笑した。


カチャ…


「…あ…良かった。さすがにそろそろ寝てくれる頃かな?と思って来てみたの…お疲れ様。」


静まり返った空間の向こうから響いたドアの開く音にヨハが振り向くと、ナランが扉から上半身だけ出した状態で彼に労いの言葉を小声でかけて来た。


ヨハは軽い会釈だけでナランに応える…


「ちょっといいかな…寝てるとは思うけど、ヒカちゃんの耳には入れたくない話をこれからしたいのよ…遅い時間に悪いけど、君の部屋に少しお邪魔させてもらえる?」


笑顔から真顔になったナランの表情を見て、ヨハは少し胸騒ぎを覚えながら、


「分かりました。」


と、ベッド脇の椅子から立ち上がり、ナランと共に部屋を出た。





「………」


ヨハの部屋では、ナランは用意された椅子に、ヨハはベッドに腰掛ける形でナランと向き合った。二人の間にある小さなテーブルの上には緊張しがちな空気を和ませようとナランが持ち込んだホットミルクが、2つのカップの中でゆったりと湯気を立ち昇らせている…


ほんのりとミルクの優しい香りが立ち込める中でも、どことなく張り詰めている空気を意識しないように、ナランはいつも通りの雰囲気で口火を切る。


「そんなに怖い顔をしないで…私は君とヒカちゃんを引き裂く悪魔ではないわよ。」


微かな湯気の向こうで、かなり分かりやすく強張っているヨハの表情を見ながら、やれやれと思いつつ手前に置かれたカップを手に取り、ミルクを一口啜ってナランは続ける…


「でもね…正直、今は驚いているの…。君があのヒカちゃんの面倒をこんなに親身に見られるとは思わなかった…それにお互いを受け入れるスピードの速さもね…意外だったわ。」


もう一度ミルクを啜って、ナランは続ける。


「君の凄さと同時に、今回あえてヒカちゃんの為にここに君を呼んだ長老の采配も流石と思う。今だから話せるけど、ヒカちゃんを君に引き合わせて上手く行かなかった場合の事も色々考えていたのよ。でも……そうなのよね。よくよく考えたら君が医師を目指したきっかけはイユナの事が大きいのでしょう…?取っ付き難い部分はあるけど、いざとなったら君は辛そうにしてる人を見過ごせない優しい子だものね…」


「………」


…久しぶり聞くイユナの名前は、やはり悲しみを伴ってヨハの胸に響く。…幼く気難しいヨハに根気強く接してくれた育児棟の新米スタッフだった人…そして…ある日突然にヨハの目の前で倒れ、そのまま帰らぬ人となった…笑顔がとても優しかった人。


倒れる1週間くらい前から「なんだかクラクラするの」とふらつく感じで歩いているのを見かけた…当時の幼いヨハには少し血の気が薄いように見えていたけれど、その時はどうしたらいいのかが分からなかった。


そして…突然倒れて………


その頃はなぜだか似たようなケースで亡くなる人が続いた。


後に長老は「どうしようもないケースだった」と…辛そうに話していた。


あの頃の幼かったヨハには更にどうしようもなかった事で…


ヨハがいくら悔やんでもイユナが生き返る問題ではない。


でもあの時、ヨハには1週間前に異常が見えていた。


皮肉な事にその悲劇の直ぐ後で、ヨハにはティリの高い能力が発現してる事が判明したのだ。大事な場面で何にも出来なかった、その後で…


故に、ヨハは医師免許を渇望することとなった。彼が医療に関する知識を貪るように詰め込み始めたきっかけはイユナの死だった…


だが…ヒカとの出会いで知識への渇望感は不思議と鈍化した。


自身の能力と、今知り得る限りの知識でヒカの状態が好転して行く事で、ヨハの中に長く留まっていた悲しみやもどかしさが癒されたような…


ヒカとの交流の中で感じた温もりみたいなモノで満たされていく心が、ヨハの暴走し続けていた何かを止めてくれたようでもあった。


けどこの先…そのヒカが元気になれば、自分は必要なくなる…?


今はそんな焦りも…


表情の強張りが解けぬまま、ヨハはそのままナランの話に耳を傾ける。


「暗黙のうちにセレスの大人達は、君はいずれ長老の元で直弟子として学ぶ事になるのだろうと思っているわ。あなたの持つ能力にはエルオの女神の意思があると…私達は可能性に期待している。まだ少年のあなたにも重苦しい未来を背負わせるような事を言って申し訳ないけれど…若い人達…特に君やヒカちゃんは、セレスの…ミアハの希望なのよ…」


「………」


「ミルク…温かいうちに飲んで。」


テーブルに置かれた一方のカップをヨハの方に空いている手で押す…


だが尚も強張った表情を緩めない彼に、少し困ったようにナランは続ける…


「でね、ここからは私の個人的な願いなんだけどね。」


この先の話を聞く怖さもありながらも、聞くしかないんだろう…と、ヨハは膝の上に置いた握り拳にぐっと力を入れ、ナランを真っ直ぐ見つめる。


「なんでしょうか?」


「特別な事ではないの。でも大事な事。君とあの子は境遇が似ている所があるけれど…学びの棟を出た後のヒカちゃんの選択肢は意外と多いの。その時に彼女がどんな選択をしてどう生きるかは分からないけれど、今は君が彼女のほぼ全ての支えになっている事は確かなのよ。いつだったか…君が丸一日外出した時なんて、ずーっと窓際に立って外を見ていたのよ。お兄ちゃんが帰って来ても窓からは見えないのよって言ってもね…ずーっと見てた…。そして次の日に寝込んでしまったでしょう?今は…あの子にとって君の存在はとても大きいの。とてもとてもね…。一日も早くヒカちゃんは育児棟の他の子達との生活に慣れなくてはいけないけれど、君が側から離れて行く事のリスクは計り知れないわ…でもそれでもセレスとして生きて行く為にはどうしても前に進まなければいけない。だからね…これから君はヒカちゃんと距離をとって行かなくてはならなくて…その為に私もマリュも君と上手く連携しながら慎重に対応して行く段階に入るのだけれど、ヨハ君は気持ちまであの子と距離を取らないであげて。暮らす環境は離れて行っても、この先も気持ちはヒカちゃんの「お兄ちゃん」でいてあげて欲しいの。…これからますます忙しくなるであろう君にとっては難しい部分もあるかとは思う。勝手なお願いは承知の上でなのだけど…これが私のお願いよ。」


「…それは…だいぶ前から僕も色々考えている事です…」


「…そう…よね…側で誰よりも長くあの子を見ているんだものね。…それで…ヨハ君、ヒカちゃんの事は長老からどんな風に聞いている?」


「…どんな風って…?」


なんだろう…?ナランのこの質問はヨハの気持ちを騒つかせる…


「あ…いえ…なんだか変な聞き方をしちゃったわね。ヒカちゃんの様なケースはかなり珍しいから分からない部分も多いでしょう?少ない情報の中でも協力し合って頑張らないと…と思ってね。」


…違う。


多分…何か…自分に確認したい事がある様な聞き方だった。


「それと、これからの事なんだけど……」


この時、意識的にナランが話題を変えたのはヨハにも分かった。


この後…途中から棟の巡回を終えたマリュも加わって、話し合いは深夜まで続けられた。


ナランからは、徐々に自分はヒカの世界からフェードアウトして行って欲しいと頼まれるのかと思っていたヨハは、意外なお願いにやや拍子抜けはしたものの…


結局、マリュが来る前のナランの質問に対する奇妙な胸騒ぎは置き去りにされたまま、ヨハがヒカから離れる為の計画は着実に詰められて行くのだった。



「……」


その日、深夜の育児棟の唯一灯りが漏れる部屋からは、声のトーンを意識的に落とした話し声がしばらく続いていた。


その声はほんの僅かだが暗く静まり返った廊下に漏れ、その声を聞き漏らすまいと、少しの間、壁に耳を付け様子を伺っていた人物の存在には誰も気付く事はなかった…






「……?」


これは…


同じ頃…エルオの丘の内部にある広場で瞑想をしていた長老は、ある気配に少し顔を顰める…


…警告…か…?


学びの棟にこれから広がって行く不穏な気配を感じ取り…


長老は深い溜め息を吐くのだった…










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