45 それでも前へ
「という訳でな…君がヨハを迎えに行っている間にたまたま研究所に向かうゼリスを見かけてな…良い機会と思って彼女と2人きりで話しが出来た。…多分…近い未来にもう1度話さなければならないと思うが…いや、そうなってもらわないと困るのだがな…」
「?、?…長老のお話しは説明を色々端折り過ぎていて…私にはややちんぷんかんぷんなのですが…?」
カシル達と警備の打ち合わせに参加したヨハを迎えにポウフ村へ行き、戻った報告を長老にしたハンサは、ついでのようにゼリスと会話したらしい報告を長老から受けたのだが…
途中から未来予想系の内容に切り替わり、それがどうもざっくり過ぎた内容で…困惑するハンサ…
と、
長老は急に真顔になり…纏う雰囲気も一気に変わった。
「ハンサ…君に伝えておきたい事がある。後継者の件だが…私はもう決めているから…」
と言って、既に長老の前に置かれていた封書をハンサの前にスッと突き出す。
「…私にもしもの事があったなら、この封書を元老院の皆に見せなさい…」
「…なぜ…今なのですか?…それになぜ私に…?」
…なんだ?この展開は…
長老の思いがけない言葉に、ハンサの全身の毛が逆立つ…
「…この封書は君には渡さないよ。それに、今君に伝えた事は既に長達には伝えてある…だが、この封書の置き場所である奥の小部屋の鍵は君に渡して置く。」
そう言って長老セダルは、その封書を自身の元に引き寄せ…代わりに古めかしい小さな燻し銀の鍵をハンサの目の前に置いた。
「…どういうことです…?」
…考えたくない可能性をこの人は…グイグイ躊躇なく自分に突きつけて来る…
「…どういう事も何も…その時がそう遠くないという事だよ。…いやその前に…もしかしたら私はあの子と……まあ、君達にはあらゆる覚悟を持っていて欲しいという事でもある。大変な時にすまないが…いつどうなっても良いように諸々の準備をよろしく頼むね。」
そう言って長老はニッコリ笑った…
「…………御意…」
ハンサは掠れる声で言葉を返し…ゆっくりと…震える手で鍵を握る。
「…ありがとう、ハンサ。」
長老は鍵の握られたハンサの手を見届けると立ち上がり、もう彼を見る事なく…本棚の方へ歩き出す。
「私はここでまだ調べ物をするから、君は…広場で少し瞑想をしてから戻るといいね…」
「……そう…ですね…失礼します。」
涙を堪えられなかったハンサはゆっくりと退室し、クシャクシャに丸まったハンカチをポケットから取り出して素早く顔を拭った。
夕方…
ヒカが任務から戻り研究所に着いた頃は、既に日が傾き始めていた。
「…あ、ハンサさん…遅くなりましてすみませんでした。今、長老に報告に…」
1日遅れの帰還になってしまったお詫びと任務報告の為に、長老のいるエルオの丘の資料室へ向かう途中…やや薄暗くなりかけた丘の入り口の少し前方に、逆に研究所方面に向かってこちらに近付いて来るハンサが目に入ったヒカは、挨拶の途中で彼の微妙な異変に気付き…言葉を止めてしまう…
「あ…ヒカちゃんか…おかえり…」
どんな時も飄々と独特の雰囲気でいるハンサが…この時はなんとも重々しい動作で歩き、何より…ヒカとの距離が近付く程に…
「…ハンサさん…あの…体調は大丈夫ですか?…なんだか目の周りが腫れているように見えます。」
薄暗くなって行く中でも、ハンサの腫れぼったい瞼と目の充血が見て取れ、思わず駆け寄る…
「…僕?…大丈夫だよ…君こそ…体調は…?」
…ヒカの体調を気遣う彼の声は弱々しく…やはりいつものハンサとは明らか違っていた。
「…はい、リュシさん達に良くして頂き…お陰で体調は回復しました。私よりもハンサさんが…誰か呼んで…」
と、今まで見た事のないハンサの様子にヒカは動揺してしまい…誰か人を呼んだ方が良いように思えて慌てて踵を返すと、
「いいんだ。どうか今は騒がないで…」
と、ハンサに腕を掴まれる。
「…でも…なんだかお辛そうに見えます…」
「…そうか…そう見えるかい…僕もまだまだだなぁ…」
ヒカの腕を掴みながら、ハンサはなんとも言えない表情をして笑った…
「…ちょっと…ショックな事があってね。これは精神的なモノだから…見過ごしてくれるかな。今は落ち込んでる場合じゃないのに…余計な心配かけてごめんね。」
ヒカはハンサに向き直りながら、
「余計な心配なんて…私は今までハンサさんにはたくさん励まされて来ましたから…私に何か出来る事があったら言って下さい。」
と…ハンサに寄り添うように研究所の方へ一緒に歩き出そうとする…
「いや、僕は大丈夫だよ。君は長老の所へ行くつもりだったのだろう?早く行ったほうが…あっ…」
ハンサはハッとして、やや強引にヒカの歩みを止める。
「…君に出来る事ならあるよ。君の独立に関して、ちゃんと師であるヨハ君と話して欲しいんだ。いや…今すぐにでも君はすべき事かも知れない。」
ハンサの言葉にヒカの表情は一瞬にして強張り…
「私は…話したつもりです…」
と、俯いてしまう…
「……」
そんなヒカを見て、ハンサは小さく溜め息を吐く…
「…ヒカちゃん、今の君の様子はヨハ君とちゃんと意思疎通が出来ていない事を露呈しているようなものだよ。…そうやって、君の気持ちをちゃんと聞こうとするといつも黙り込んでしまうと…ヨハ君は君が心を閉ざしてしまったと悲しんでいるようだった。この状態のままヌビラナに行って任務が上手く行くと…君は本気で思ってる?」
「……」
相変わらず俯いて沈黙するヒカ…
「…良い機会だから君に伝えて置こうと思う。…長老が君から師弟解消の申し出があった事をヨハ君に伝えた日…あの日はもう少し遅い時間帯だったけど…今の僕とヒカちゃんのように、ここでヨハ君とすれ違ったんだ。彼は僕にすれ違った事にも気付かずに茫然自失の状態でフラフラと歩いていた。君が自分に何も話す事なく大事な事を決めようとしていると…見ていられないほどの落胆ぶりだった。」
「……」
相変わらず沈黙のヒカに、ハンサはもう一度溜め息を吐く…
「まだ間に合うと思うから、少し厳しい事を言うね。君は…自分の師を通り越して長老に師弟関係の早期解消を直談判をしているという事は、周囲から見たら君の行動は師匠であるヨハ君を否定していると見る者もいるんだよ。それは指導者としてのヨハ君を評価を下げる事として自覚しているかな…?」
「え…そんな…」
ヒカは考えもしなかったハンサの指摘に愕然とする…
「君の師弟解消を希望している事は、まだごく長老と僕しか知らないけれど…君は最近ゼリス君とよく話しているという情報を耳にするから…もしその件をチラッとでも彼女に話しているとしたら、じわじわと君の知らない所で情報が広がって行っている可能性は高い。基本的に長老や長達は、能力者の各々の師弟関係についてはあまり干渉はしないけれど…今回の君の一連の行動はやや軽率だったと僕は感じている。」
「……」
ポロポロと涙を溢すヒカにハンサは続ける…
「君なりに何か…思うところがあって行動したのだろうとは思う。けど小さな頃から…それこそ命を削る思いで君を見守って来たヨハ君に対しては、誠意が足らな過ぎる言動と思わざるを得ないよ。」
ここでハンサは辺りに人がいない事を確認しながら、ヒカの両肩に手を置く。
「いいかい、ヒカちゃん。それでもあの子はヌビラナでは命を賭けて君を守ろうとするだろう。他にも彼は、予言書に寄るとこれから命を賭けなければならない場面に出くわすらしく…その為に次の長や…勿論、長老の候補からも外れているそうだ。その中で君が彼に心を閉ざしたままで…危険な星での任務が上手く行くと思うかい?…まだ間に合うんだ。頼むから、ヨハ君と…もっと心を開いて話をしてくれ…」
そう言ってハンサは、ヒカの肩に置いた手に少し力を込めて頭を下げる…
「……」
「…頼むよ…」
…ハンサと思いもかけないやり取りとなり…信じられないようなヨハに関する情報も耳に飛び込んで来て…ヒカは酷い混乱に陥っていた…
「わ、わ…私…行かないと…」
思わずハンサの手を振り払い、ヒカは研究所の方へ走って行ってしまった。
「ヒカちゃん、長老の所へ行くんじゃ……って行っちゃった…。本当に…話が上手く伝わらないんだなぁ…以前は本当に素直で…ヨハ君の事を何より最優先する子だったのに…やはり彼女の力か…」
ハンサは遠ざかって行くヒカの後ろ姿をなんとも歯痒そうに見つめる…
「…だろ?だがあの力はそれほどには強くない。」
「うわっ!…もう…相変わらずトリッキーな登場をされますねぇ…」
段々と闇が濃くなりつつある中で、いきなり背後から声をかけて来た長老に思わず仰け反るハンサだったが…
「あはは…それでこそ私だろ?…ヒカの問題はヨハがそろそろなんとかするだろう…あいつは元々かなりしぶといぞ。何が障害になっているか分かれば、彼なら対処出来る問題だ。…我々も感傷的になっている暇はないぞ。頑張ろうな、ハンサ。」
ハンサの肩を軽くポンと叩き、長老はスタスタとハンサを追い抜いて行く。
「…そうですね…ヒカちゃんと貴方様のお陰で、気持ちが一気に切り替えられましたよ。」
と言って、苦笑しながら長老を追うように早足になるハンサだった…




