40 耀く土と新たな決意
珍しく、大きなトラックがポウフ村の神殿の前に止まり、トウが颯爽と出て来る。
そして真っしぐらに神殿の入り口のドアを叩き…
「こんにちは〜!トウです。只今到着しましたぁ〜!よろしくお願いしまぁす。」
トウの声は異様に弾んでいて…
「あら、お疲れ様。無事ご到着ね♪皆んなを呼んで来なきゃね。」
満面の笑顔で出迎えつつ、直ぐに畑の方に駆けて行くタニアの足取りも、なんだか軽やかだった。
トラックに同乗していた他の人達も数人降りて来て、運転していたカシルも混ざって連携してトラックの荷物を下ろし始めた…
そうこうしている内に、荷物も人も移動し終えたトラックの後ろに普通の乗用車が一台…ゆっくり止まり、ハンサと共にある人物が降りて来たのだが…
その人物の来訪は、1時間後の神殿内に吹き荒れる嵐の訪れを告げてもいたのだった。
「…で、植物にとって、土の中の微生物同士のバランスはとても大事なんですけど、地域によってもそのバランス加減は様々で…それぞれ微妙に違うんです。今回、この酵素の存在は…以前ここで暮らしていたセジカとサハがギハン病に感染した事で見つけられた様なモノなんですよ。」
「へぇ〜…」
最近完成したばかりの、この小さな村で管理するにはかなり大きめな食料や医療物質用の貯蔵施設に集められた村の人々は、トウの説明を熱心に聞いていた。
トウのアシスタント役で黒板の脇で待機しているセジカとサハは、自分達の名前が出て来てなんとも気恥ずかしそうな様子で…
長老の要請の元、レノに新たに建設された研究施設で作られ、更に妖精リンナのたくさんのアドバイスを得たトウにより大量生成も可能となり、今日、晴れてここポウフ村に運ばれて来たその酵素の説明会は、これまでの貢献も大きく、彼以上にその存在の事を詳しく知る者はいないだろうという事で、長のサラグより命を受けたトウが、ポウフ村の農業に携わる全ての人達を対象とした講師役に抜擢されたのだった。
「基本的にレノの民はセレスやティリの人達に比べて感染症に罹り難い体質なんですが、それは僕達レノの人々の体内に有している葉緑体の存在が大きく影響していると言われています。そのレノの民である彼等がなぜギハンに感染したかというと、ちょうどこの村でギハンが流行り始めた頃に彼等は誤ってある毒キノコを食べてしまった為らしく…実はギハン感染症が流行る年には必ずと言っていいほどそのキノコも多量に見つかっているんです。そして、ギハンが大流行した翌年には農産物全般が発育不良の傾向が必ず出て…ギハン大流行した地域は翌年はいつも飢饉に陥るパターンがあるそうですが、ギハンと毒キノコと飢饉は関係性は昔から噂されていながらも、旧政府は調査はずっと先送りのまま今に至り…その詳しい仕組みは長い間分からないままだったそうです。ですが今回、ある研究者によって大国でこの村のようなパターンを長年調べていた人物の存在を知り、その方の協力もあって、逆にギハンが流行らない年に特に元気の良いキノコと植物の生態や共生関係がある程度分かって来たのです。更に植物や菌類、他に地質学者の方々と…様々な分野の研究者のご協力も頂き、あとはレノの研究所の皆さんの昼夜を問わない努力もあって、このポウフ村の土に合った、主に農作物の発芽や発育に良い影響を及ぼすバクテリア達の良い餌となる酵素が完成し、結果、このような大量生成に成功したのです。」
その研究者達は大体はヨハの知り合いとウェスラーからの紹介だが、ギハン流行と毒キノコの繁殖と飢饉の関係を調べていた学者の存在をトウ達に教えてくれたのはテイスだった。
そして、研究に関してたくさんのヒントをくれたのはリンナで…関係者の殆どが名前の公表を嫌がったのでトウは敢えてその部分は上手く端折ったが…選りすぐりの人脈とリンナの古代の叡智が無かったらここまでは辿り着けなかった事は…今回、研究の為にミアハに集められた人達は皆知っている事だった。
だからこそ、トウは説明の端々で皆の努力に感謝と敬意を示す意味で、努めて自分の事に触れずに説明を続けた。
「…という事で、今回こちらに大量に搬入させて頂いたこの酵素は、ポウフ村の土に合わせて作られました。原因不明のまま謎の減少を続けている例の酵素ほどの力はありませんが…この酵素はポウフ村の土のバランスを崩す事なく、安定的に人が増やす事も出来ます。土と人が上手く関わって行く事で、土壌内で自然に増やす事が可能なモノなんです。それによってギハン菌による大小様々な被害も防げたり小さくする事も可能だと思います。」
すると、
この村の現在の村長のウェクがすかさず手を挙げる。
「土と上手く関わるというのは、具体的にどうすれば出来ますか?我々の大半は代々農家で、土の事は皆、真摯に向き合って来たつもりなのですが…」
トウの説明は、長く農業を営んで来た者達からしたら付いていけない内容もあるだろう…ウェクはやや困惑の表情で質問をする。
「…そうですね…現実的には難しい問題ではありますが…科学薬品…薬剤を用いて土の中の虫や微生物を叩くというのは実に便利で手軽な対処法ではありますが…土の中のバクテリアも多量に死滅させてしまう作用もある物ですので…人間にだけ表面的には都合の良い作物の育て方はいずれ土を痩せさせてしまいがちです。そして、土本来の力を回復させる為に更に有機的でないモノを加えて…土の中での良い循環が生まれ難い状況を作ってしまいがちなんです。このままだと昨今、広い範囲で起きている問題の進行をより加速させてしまう可能性があります。可能な限り薬物は使わず、なるべく負担なく有機的な肥料を土に与えられる方法の研究を、レノの研究所では同時進行で模索し続けております。そして…」
トウは、黒板の両脇に置いたポウフ村の土に例の酵素を与え続けて育てたブルーベリーの鉢植えをチラッと見ながら、意を決して話し出す。
「とても個人的で…にわかには皆さんにも信じて頂けない体験なのですが、僕はある時から妖精が見えるようになり…その妖精と会話が出来るようになりました。その妖精はとても小さく可愛いらしいのですが、とても気まぐれで…僕が呼んだからと言って姿を現してくれる訳ではないのですが、その存在は自らの名前をリンナと名乗っていて、リンナは姿を現すといつも不思議なモノを見せてくれたり、植物に関しての大事な知恵を授けてくれるのです。リンナは、土や植物の発芽や成長に関わるバクテリアや自然の恵に感謝の気持ちを伝えて欲しいと言っています。」
ここで…妖精の話が出て来た時点で、元々ポウフ村に暮らしている大人達は苦笑いしたりやや落胆した表情を見せ始め、ざわざわと…微かだがおしゃべりをし始める。
…まあそうだよね…ここで都合良くリンナが現れれば皆もう少し真剣に妖精のメッセージを聞いてくれそうではあるけれど…
と…
そんな中…しばらく姿の見えなかったエンデが、皆が集まっている倉庫の後ろ側のドアから入って来て、会場内をキョロキョロと見回し始める…
すると、聴衆の集まりの前方の端っこにいるタニアを見つけ、近くまで来て話しかけているようだった。
妖精の話にかなり興味を持った様子で聞いていたタニアは、名残惜しそうにゆっくりと立ち上がってエンデに付いて行こうとしたが、立ち止まってしまい…続きをとても聞きたがっている様子だった。
だが、エンデがそれに気付き、タニアに再び声をかけようとした時、
少し遅れてタヨハが入って来て…タニアを見つけ、無言で腕を掴んでグイグイとやや強引に彼女を出口へと引っ張って行く…
明らかにいつもの穏やかで優しいタヨハの様子とは異なり、会場はざわつき始める…
その父の様子にタニアは戸惑い、タヨハの掴んでいる手を引き離そうすると、
「いいから、早く来なさい!」
と、またもやタヨハらしくない…不機嫌な表情で少し大きな声を出し、今度は足早に会場を1人で出て行ってしまう。
タヨハの尋常でない言動に人々は呆気に取られ…会場はシ〜ンと静まり返る。
その様子を見たタニアは、会場の人達に済まなそうに頭を下げて、側で鎮痛な面持ちで立ち尽くすエンデの腕を軽く引っ張りながら、彼等2人も出て行ってしまうのだった。
「……」
少しの間の沈黙の後…会場内は一気に蜂の巣を突いた状態となり…
トウはどうやって人々の注意を土の話題に戻していいか分からなくなってしまう…
…ああ…どうしよう…
思いがけない展開にトウが途方に暮れていると、警備を兼ねて聴衆の後ろの方で様子を見ていたカシルが、トウに向かって何かを合図していた。
「…?」
カシルさん…?
見ろ?…って言っている…?何を…?…右…?
カシルの合図の意味がよく分からず困惑していると、今度は右手をツンツンされた気がして視線を移すトウ…
屈んだ状態のセジカが直ぐ側まで来ていて…右側に置いてあったブルーベリーの鉢植えを指差す…
「ああ!来る…」
右側の鉢植えのブルーベリーの木全体がじわじわと光を放ち始めているのが目に入り、トウは無意識に大きな声を出てしまった。
すると、それぞれ勝手におしゃべりしていた人達の意識が、トウの声と彼の視線の先に集中し始め…
今度は、突然輝き始めた木を見て感嘆の声が其処彼処から聞こえ出したのだった。
「…何だアレ…」
人々の声にハッと我に返ったトウは、これはチャンスとばかりに、
「皆さん、この木が輝き始めたのがお分かりになりますか?これはブルーベリーの木なのですが…先程お話ししていたリンナはブルーベリーの精霊だと僕に話してくれた事があります。彼女は気まぐれなんですが、人に褒められるのが大好きみたいで…こんな風に人が集まっている所でリンナの話をしていたので、現れてくれたのでしょう。」
トウが頑張って会場の空気を元の状態に戻そうと、色々と説明をしているうちに木はどんどん輝きを増して来ていて…明らかに眩しいと人々が目を細めるくらいになって来た時、中心の幹の部分が更に強い光を放ち…
次の瞬間、
その輝きの中心の幹の部分から何か小さなモノが飛び立った。
その小さな存在は人々の上空をグルグルと飛び回り…その存在を見つけた人々から大きな歓声が上がる…
やがてその歓声は全体に伝播して行った。
今までトウの話を半信半疑の様子で聞いていたポウフ村の大人達も、驚きと興奮を隠せない様子で…
皆、小さくて不思議な存在に夢中になっていた。
そしてリンナは、何周か人々の上を旋回すると、休憩とばかりにトウの頭の上に降り立ち…素早く胡座をかいて座ってしまう…
そのリンナの動作も可愛いくて、リンナの様子が良く見える比較的前列の人達は、リンナが動く度に歓声をあげていた。
「こんにちは、リンナ。今日は久しぶりに姿を見せてくれてありがとう…でもね、今日の僕は突然消える訳には行かないので、帰る時は気をつけてね。」
と、トウが苦笑いしながら告げると…
頭上のリンナは、すまなそうに手を合わせてうんうんと頷きながら再び飛び立ち、トウの頭上を一度旋回して彼の耳元に近付き、羽ばたきしながらトウに何かを告げてから、またフワッと高く飛び上がり…今度は黒板の端に座ったのだった。
それからの会場内はリンナの一挙手一投足に歓声が上がるようになって行き…今日のリンナはまるでアイドルのようだった…
「トウさん、さっきリンナちゃんはなんて言っていたの?」
マリュに見守られながら集団の前列の端っこに集められていたプレハブに住む子供達の1人がすかさず尋ねて来た。
「うん…メルサ、いい質問だね。リンナはね、さっきこの上を飛び回っていた時に、ここにいる皆さんに魔法をかけたんだって。」
トウの返答に、会場は再び大きくざわつく…
勿論、メルサや周りの子達も目を輝かせて、
「ええ〜!ねえ、それはどんな魔法なのぉ?」
と再び質問を返す。
「どんな魔法かって?…それはねえ…」
と、トウが話し始めると、ざわついていた会場の人達がトウに視線を戻し、一気に静かになって行く…
「内容は今は言わないでって言われたんだ。明日の朝に目が覚めたら直ぐに分かるって。明日は1日だけ…今日、僕が話した内容がより分かるような魔法なんだって。今、ここに来れなかった人も皆んな…ポウフ村に住む人すべてに魔法をかけたんだって。明日のお楽しみだよ。」
「…今は分からないのか…なぁんだ…」
メルサや子供達があからさまガッカリした反応をすると、再び皆がざわつき始める…
と、このやり取りを見ていたリンナがまたトウの耳元にやって来て、何やら告げる…
「ねえ、今度はなんて?」
前のめり気味で子供達が次々に質問したがるのを、マリュが必死で止めに入る。
その様子を見たリンナは再びトウに話しかけて…
そしてまた黒板の端っこに戻り、ちょこんと座る。
「…リンナは今日…この地を守る女神アバウの意思の力もあって、皆さんに魔法をかける事が出来たのだそうです。」
トウが女神アバウの名前を出すと、村長を始め、村人達が神妙な顔つきになる…
「明日は早速、まず農作業の始めにこの酵素を土に混ぜ込んで、水をたっぷりその土に含ませて下さい。明日はとにかく、朝の祈りの後はその作業から始めて下さい。女神アバウはこの星が迎える苦難を憂えており、皆さんが心を寄せ力を合わせなければ、この困難は乗り越えられないと仰っており…更に……えっと…、あなた達は私にとって、それぞれがかけがえのない…愛すべき存在で、明日はこの私の言葉が深く感じられる1日になる事を願っています。…と伝えて欲しいと、リンナは頼まれたそうです。」
村の大人達は…複雑な表情になって行く…
「アバウ様のお告げまで出て来てしまったのか…なんかな…」
目からも耳からも…今日は入って来る予想外の情報が多すぎて…人々は消化しきれずに困惑してしまっているようだった。
と、
リンナはトウの肩まで急降下し、また何やら伝える。
「あ、だから、消える時は離れてっていつも言って……もうっ。」
トウは慌てて身体を揺するも…リンナの姿はどんどん透明になって行く…
「リンナは女神のお願いは果たしたので、もう戻るそうです。」
とトウはやや早口で説明し…更に申し訳なさそうに…
「…ごめんなさい…リンナが消える時に僕の身体がリンナに接触していると巻き込まれてしまうんです。僕はこのままリンナの棲家である自宅のブルーベリーの木の側に移動してしまいます。皆さんすみませ…」
挨拶もしきれぬ内に、トウはリンナと共に消えてしまった…
「……」
トウが妖精と共にいきなり消えて…
信じられない出来事の連続に、皆、少しの間は呆気に取られて絶句していたが…
「何だよこれぇ〜…」
という誰かの一言で、皆一斉にまたそれぞれが騒ぎ出し…
「凄いな、訳が分からん…」
「あの男の子はなんなんだ?」
と、また会場内は収拾が付かない状態になって行った。
…どうしよう…
トウ君が説明の途中で消えちゃったら…僕らどうしたら…?
黒板の両側で途方に暮れるセジカとサハ…
見渡すと…エンデもタヨハも…タニアも戻ってはおらず…頼みのマリュも、子供達の制御に苦心している様子で…
「まあ、今日はしょうがない…またひと月でも経ってからトウが来て説明してもらうしかないだろう。とりあえず、次回はこれから実際にあの酵素を使ってもらっての質疑応答の会を開催するでいいんじゃないか?」
…あ、そうだ、この人がいた…
トウの突然の消滅にテンパっている2人にカシルは素早く近付き、声を掛けて来る。
「か、カシルさん…僕達は大勢の大人達の前で話す事に慣れていなくて…その…すみませんが…」
サハはセジカの後ろに隠れてしまい…そのセジカも及び腰で…縋るような目でカシルに頼ろうとしていた。
「ったく…セジカは教師になるんだろう?こんなんでビビってたら子供達に舐められちゃうぞ。…まあでも、3人共よく頑張っていたな。今日はちょっとエンデ達は込み入った話があるらしくて…警備の奴等も皆向こうに行っててな…もしもの時の為に俺はこっちに残ったんだ。まあ、任せとけ。」
ポンッと胸を叩くような仕草を2人に見せて、カシルは最早カオス状態になっている会場の人に向かって大きな声で話し始める。
「え〜皆さん、今日はお忙しい中お集まり頂いたにも関わらず、講師のトウ君が講習の途中で唐突に消えるというアクシデントに見舞われ、中途半端な終わり方になってしまった事を心よりお詫び致します。これからお帰りの際の出口でこの2人が例の酵素をお配り致しますので、どうかまずはお試し下さい。使用法は、この酵素を入れた袋と一緒に箱に同封してある紙に絵で説明がされていますので、もしよく分からない場合は、後でこの2人かエンデにお尋ね下さい。そして、出来れば今日中に部分的な場所でもいいのでこの酵素を土に混ぜて見て下さい。その中で生まれた疑問点にお応えするべく、また改めて、先程のトウがこちらで説明会を開催させて頂く予定でおりますので、どうかよろしくお願い致します。」
と、カシルは途中で言い淀む事もなく説明し、深く頭を下げた。
「凄〜い、カシルさん」
とカシルの臨機応変な対応に感心しながら、隣で拍手を送る2人だったが…
「まあな、お前等よりは多少長く生きてるからな…って、そんな感心してる暇はないぞ、早く出口に行って準備するぞ。酵素の箱が入っているダンボールは、さっき俺が急いで出口付近に設置したテーブルに積んでおいたから、これから行ってテーブルに乗せて、帰る人にもれなく渡して行くんだ。とりあえずサハがどんどんテーブルに乗せてセジカが渡して行け。俺は流れを見て両方手伝うから…ほら、行くぞ。」
2人は次の作業を支持されて早足で出口の方へ…それを見守りながら追うカシル…
やがて3人は走り出し、競うように出口の方へ向かって行く…
少し波乱の展開ではあったが、説明会はなんとか終了した。
リンナの出現はトリッキーではあったが、元々の村人達には結果的にまあまあの好印象だったようで…
「急に妖精が現れて…説明してたお兄ちゃんは途中で消えちゃうし…なんだかおとぎ話の中にいるみたいで面白かった。また来るよ。」
と、子供は勿論、大人達にも説明会はそれなりに好意的な視点で興味を持ってもらえたようで…カシル達はひとまずホッと胸を撫で下ろしていた。
一方…
神殿の中は…タニアにとって予定外の訪問者もあって…状況は紛糾していた。
「お待たせして…申し訳ございませんでした…」
タニアとしては今日のトウによる説明会をとても楽しみにしていて…内容も色々興味深くて、割と早い段階で妖精の話にトウも触れ出したりで、ワクワクした真っ最中の呼び出しだった。
まさか今日、長老が直接…ハンサを伴って自分の件をタヨハに話しに来るとは思っていなかったのだ。
以前エンデもカリナも言っていたが、本当に長老の動向察知は青いモヤのようなモノに視界を遮られる事が多く…タニアも良く見えない事が多いので、今日の来訪には本当にビックリしている…
皆を一つの場所に集めておけば、例え神殿の中からタヨハの多少大きな声が聞こえたとしても、ほぼ村人は気付かないだろう…
という、長老の考えた「不意打ちどさくさ作戦」だったらしい…
タヨハによるタニアの溺愛ぶりは村でも有名だったから、この村の神官の立場にいるタヨハが取り乱す様子はなるべく村人には見せない方が良いだろうという…
長老自身の来訪を誰にも知らせなかったのは、トウにも村人にも気を遣わせない為の配慮だったのだろう…
結果的にはそんな配慮も虚しく…長老の前ですら隠そうとしないタヨハのかなり不機嫌な様子は、先程、村人にもトウ達にも若干見られてしまったのだが…
「タニア、まず君の口から直接説明を聞きたい。なぜこんな大事な話を私が最後に聞く状況になっているのかを!」
「……」
予想通り…タヨハはかなりご立腹状態になっている。
「そりゃあ…こんな風に怒って…私の話も聞かずに大反対すると思ったから、慎重に…まず長老に私の意志を知って頂いて判断を仰いでから…パパに話すつもりでいたの。つい最近、長老から直接ご連絡を頂いて…その時に、私の気持ちは理解はするけれどまず長老からパパに打診をするから、それまではこの件は保留扱いとして少し待っていて欲しいと。おじ…ハンサさんにはまだ私からはヌビラナの件は話してはいないし、エンデは…いつものように、その深淵の瞳で私の意志を察知していたのだろうと思うわ。私はまだ長老にしかお伝えしていない件のつもりでいた。パパを最後にとは全く考えていなかった…本当よ。」
「だから私はさっきから何度も言ったろう?ハンサには、今日ここに来る直前に私からざっとかいつまんで話したんだよ。とにかく、君も一旦落ち着きなさい…」
長老は、アバウの女神像に一番近い位置の椅子に座り、テーブルを挟んで目の前にいるタヨハに向かって説明しつつ、珍しく感情的になっているタヨハを嗜める…
「…そうですね…いい歳をして取り乱してしまい、すみません。タニアも…頭ごなしに怒ってしまってすまない。でもそれなら、来訪される前にはあなた様から僕に一報は頂きたかったですね。伝えられた内容が内容だけに…かなりパニックになりましたから。」
タヨハは多少気まずそうではあったが、冷静さは徐々に取り戻しつつはあるようだが…
依然…不満はまだ大分燻っているようだった。
タヨハは長老から視線を移し、今度は長老から少し離れて隣に座っているタニアの方に身体を向けて、真っ直ぐに彼女を見た。
「タニア…詳細は先程長老から聞いた。とりあえず聞いたが…私は反対だよ。君の気持ちは分かるよ。気持ちは分かるけれども…どうして…私の子供ばかりが…危険な場所に赴かねばならない…?パパは……耐えられないよ。だって君は…やっと………」
タヨハは堪らず…目頭を抑えたまま…言葉が出なくなってしまう…
「タヨハさん…」
エンデもまたタヨハと力を合わせて必死に…タニアの快復を切望しながら頑張って来ただけに…
タヨハの思いには共鳴してしまうモノがあり過ぎて、目頭が熱くなって来ているのをなんとか堪えた。
「頼むから……止めてくれ。どこにも行かないと…パパの側にいるって、いつも言ってくれるじゃないか…。結婚して離れて行くのは覚悟はしているよ。でもこれは…違うだろう?」
タニアの目も既に潤んで…涙のダムが決壊寸前になっているが…タニアは踏ん張って、なんでもないような素振りで答える。
「もう…大袈裟ね…ずっと居なくなる訳じゃないわ。せいぜい2ヶ月の間よ。…パパはさ…口に出して言った事は無いけど、私が人に迷惑をかけてしまった事とキチンと向き合えて初めて、私はあの忌まわしい出来事を乗り越えられる…って…普段から思っている事を私は知っているわ。カリナさんは酷い事をしたけれど、当時は私との事は任務とはあまり関係なく行動していたみたいなの。私とあの人は似たような時期に辛い状況にいた。そして、同じくティリの血を引き、特殊能力のタイプまで似ているんだもの…私達はうまくハマってしまったのよね。今もあの頃もカリナさんは、私と仲良くしたいと思う気持ちはあまり変わっていなくて…だけど2人の間で大きく違う事は、私は今はパパの側にいられて凄く幸せだけど、あの人は…大好きなパパを病気で失おうとしているのよ。そんな人を憎める訳がないじゃない。それに私は、全てがあの人の傀儡の状態で起こした罪とは思っていない。特にヒカちゃんの記憶の件は、私の嫉妬が起こした事だって分かる。…まあ元々はヨハに対しての嫉妬ね。お互い、初めて心を許して話せる人が目の前で死んじゃったのに…あの頃はヨハだけがどんどん幸せになって行っているように見えて…」
タニアはここで耐えきれず、両手で顔を覆う…
「悔しかったのよね……くッ……あの頃のヨハは…私に関心はほぼ無くて…自分でも……うッ…情けないとは……思うけ………」
タニアは色々な感情が一気に溢れて来て…深い所から込み上げて来る嗚咽を抑えようと必死になるが…自分ではどうにもならなかった…
「タニアちゃん…」
堪らずエンデが駆け寄り、タニアの震える背中にそっと手を置く…
「いいんだよ。辛い体験を無理に話さなくても…皆んな…あの頃のタニアちゃんが辛かった事は分かっているから。だけど罪の償い方なんて1つじゃない。焦る必要はないと思うよ…」
「…そうだよ…わざわざ自分を危険な状況に追い込む事が贖罪ではないと僕も思うよ…別の方法だって、君が真剣に探せばきっと見つかるよ。ヒカちゃんは…実感のない事だからね。向き合える記憶は無いけど…命の危機も乗り越えて、今はなんでも前向きに捉えて頑張って行こうとしていると思う。ヨハ君も、タニアちゃんがあの女性に特殊能力で上手く振り回されてしまった部分は気の毒に感じていたように思うし、彼は彼で記憶の件は今は乗り越えていると思うけどね…」
…ここまでタニアの話を辛そうな表情で聞いていたハンサも、タニアの側まで行ってティッシュを渡しながら、ヨハとヒカの近況をさりげなく伝える。
「…でも…あの子………今の…ヨハは…少しまいってる…よね?…ヒック…」
自分の中から色々溢れ出て来る感情をなんとか整理して…タニアは必死に言葉を紡ぎ…ハンサに問いかける。
「…まあ…ちょっとね…あの2人はセレスだけでなくミアハ中の有名人だからね。あの子達にアドバイスと称して色々と巧みに干渉して来るお節介な人がチラホラいてね…今は少し振り回されてしまっているかな…」
あの薄闇で話した後…結局あの子は僕の部屋へは来なかった…
ヒカちゃんはヒカちゃんで…微妙にヨハ君との対話を避けていて…まあ…ちょっと心配な状況ではあるんだよな…
「今のカリナさんは多分…病気のパパの事しか頭に無いから……ヒック…ヌビラナでは2人には必要以上の接触は…して来ないと思うけど…ヒック……テイホの雑魚能力者は違う。すぐではなさそうだけど…最初はじっくり様子を見て、2人の2度目の上陸の時から色々と手を打ってくる可能性が高いわ。ヨハの能力はそいつ等に対処は出来るけど、使い過ぎると後が厄介だからね、その間に私がいると…結構と役に立つと思う。あとカシルさんも…テイホの情報を流してくれる人がいるみたいだから…。あ、ねえ…エンデ…」
感情が大分落ち着いて来たタニアは、ハンサがくれたティッシュで一度鼻をかんでから、エンデの方にクルッと向き直り、
「あなたが頼りにしているメクスムの政治家の娘さんの知り合いに、興味深い能力を持った人がいるみたい…特殊過ぎて能力者とは誰も思ってないみたいだけど…ラフェンって呼ばれている男の子で、少し薄まってるけどセレスの血が入っている子みたいなの。お爺さんがセレスの人だったのかな…なんとか探してもらえないかな…?」
「タ…タニアちゃん…君…」
エンデは…呆気に取られていた。
そんなエンデの様子を見て、タニアはちょっとドヤ顔になる。
「…ふふ…私って凄いでしょ。深淵の瞳を持つあなたより見えてしまうんだから…って言いたいところだけど…違う…要因はアバウの女神様と長老様ね。」
タニアは長老に目で軽く会釈をして、
「長老がここにいて下さる事で、急に色々とクリアに見えて来た様に思うわ。突然、ヌビラナの様子が細かく見え出したのもなんだか不思議よ。どうせ見えないって思っているから、ヌビラナを見ようなんて普段からあまり思っていなかったしね。先日長老から連絡を頂いた時だって…実はあの後から、能力全般が以前よりじわじわ増して来ているように感じていたの。ヌビラナでヨハ達の側に欲しい人を、まるでヌビラナの女神様が見せて下さってるかのようよ。」
「ち…ちょっと待ちなさい、タニア…これではまるで…君のヌビラナ行きが決定になってしまっているような言い方だぞ。」
タヨハも、タニアの話しぶりに堪らず側に駆け寄って来る。
「パパ……あのね…今までは見えないって言うよりも見せてもらえない感じだったのに、さっき神殿に入ってから急に…ヌビラナの様子が細かく見えるの。…多分だけど、女神様が私に意図的に見せているようにしか思えないのよね。本当に…今までの私の力ではあり得ない事なのよ。だから、私は女神様から選ばれて行くのだと思ったら…パパはどう思う?私は…心が震えるほど凄く嬉しい…。私の人生を誇りに思えるくらい嬉しいの。…ごめんね…」
「…タニアぁ…」
勘弁してくれという感じでタヨハはタニアの腕を掴んで…まるで拗ねている子供の様に、目で愛娘に訴えかける…
「…パパ…パパには許してもらって行きたいの。女神様もそれを望んでいるように思う…だってほら…」
タニアは唐突にアバウの女神像を指差す…
と…
急に女神の左肩の辺りが光り出し…
なんとリンナが現れた。
「わぁ…妖精だわ!…今日はやっぱりトウ君が村に来ているからかしら?凄ぉい。嬉しい!」
すると、リンナはやや不機嫌な表情になり…顔を左右にブンブンと振ってから、アバウの女神像を指差すのだった。
エンデはそれを見てクスッと笑い、
「ごきげんよう、リンナ。僕が君に会うのは2度目だよね……なんだか今のリンナは女神アバウの人使いが荒いって怒っているみたい。」
エンデがリンナに向かって軽く会釈をしながら彼女の今の心境を説明すると、リンナはそうなのよ〜と言わんばかりに深く2度ほど頷く。
「へぇ〜…アバウ様に呼ばれたの…どうして?リンナさん…」
タニアが尋ねると、リンナはクルッと方向転換をして、再びアバウの女神像の元へ…
「…あれ?女神の右手に何か乗っているねぇ…」
女神像を1番近くで見ていた長老が、目敏く微妙な変化を見つける。
「あ、本当だ。…あれはブルーベリーの実じゃないかしら…?」
続いて、スイーツや果物には目がないタニアが、女神の手のひらの上に乗っているモノはブルーベリーと皆に告げる…
「リンナ…そのブルーベリーをどうするつもりなんだい?」
長老の問いかけにリンナは、女神の手のひらに乗せられている6つの実を1つずつタニアの手のひらに置いて、エンデを指差す…
「え?…君は僕を使うの?トウはどうしたのさ…まったく…」
リンナはタニアの肩に座り、エンデに向かって手を合わせながら苦笑いの表情でぺこぺこ頭を下げるのだった。
「リンナからじゃなくて、今、アバウの女神像から声が聞こえて来たんだけど………う〜ん…一応、そのまま伝えるね。その6つの実は今は袋に入れてしまって置いて、ヨハ君達が2度目にヌビラナに着いたら直ぐに2人に渡して、3つずつ必ず食べて欲しいって…。なんかさ、アバウの女神様はタニアちゃんがヌビラナに行く事が決まっている前提で話しているみたいなんだけど…」
エンデはタヨハの様子を気にしつつ、困惑気味でタニアに伝える。
「…決定なんだと思うわ。女神様が必要として下さっているのなら、私には迷いは無いもの…」
そう言いながらタニアは、タヨハの方に向き直り…眉間に皺を寄せたまま辛そうな表情の父を抱きしめる。
「…パパごめんなさい…私はやっぱり気持ちは変わらないわ。必ず無事で帰るから…。ねえパパ、ヨハは…ヒカちゃんの記憶が無くなった時、3日も寝込んだんでしょう?」
「…なんで…それを…?」
タヨハは驚きの表情でタニアを見る。
「…見えちゃっただけよ。あの時の事がどうしても気になって…でも記憶がツギハギみたいになっててよく分からない部分も多いから…知りたくていつも考えていた時期があったの。そしたらある時、当時の様子がまるで映画のように全て見えてしまったの。パパ…ここに来てから今まで…私に過去の事を突きつける人は誰もいなかったわ。皆んな…本当に優しい人達よ。この後に変に勘繰って、存在しない犯人探しとかしないでね。だけど、こんなに鮮明に見えたのに…私はヒカちゃんの記憶は戻せないの。多分、カリナさんの力も複雑に関与しているから、あの人も同じ事を望まないと上手く行かないんだと思う。でも…今の私が彼女に頼んでもそれは難しい気がするから…とりあえず今は、私が着実に出来る事を頑張りたいの。ヨハ達に迷惑かけてしまった力を再び使うのもどうなんだろうと考えたりもしたけれど…役に立てるなら使いたい。その為に授かった力なんだって思いたいの。お願い…パパ…絶対に…皆んな無事で帰って来るから…」
タニアはタヨハにしがみつくようにして、ギュウっと抱きつく…
「………」
「…帰って来たらいっぱいパパ孝行するから…戻ったら、嫌だって言ってもずっとパパの側にいるつもりよ。…だから…」
タヨハはもう…頷くしかなかった…
「…分かったよ。まったく…言い出したら君は聞かないんだから。ずっと側にか…嬉しいけど複雑だなぁ…」
そう言いながら、タヨハもタニアをぎゅっと抱きしめ返す…
「あらパパ…ここにいても、その気になれば素敵な人と出会えると思う。きっと結婚だって出来るわよ。」
と言ってタニアはタヨハの肩越しにエンデをチラッと見る。
エンデはドギマギしながら目を逸らし、赤面を隠すように顔を伏せてしまう…
「…結婚…か…君の口からまだその言葉も聞きたくないんだけど…」
「もう…パパは我が儘なんだから…側にいるんだからいいじゃない。」
「我が儘って…君がそれを言うのかい?」
タヨハが呆れたように言い返すと、
「はい、イチャイチャはそこまでにして。もう…キリがないんだから…」
エンデが憮然として2人を引き剥がしにかかる…
「…エンデ君…感動の場面なんだから、これくらいいいだろう?君だって…いつも仲良さそうにタニアと喧嘩してるだろう?」
「な、仲良く喧嘩って…そ、そんな事…仲良い時にはしませんよ。」
タヨハの鋭い指摘にエンデはまた赤面し、なんだかあたふたしてしまう…
「…こちらもなんだかんだで…楽しそうにやってるじゃないか。タヨハ、本当に良かったな…」
長老は長い髭をいじりながら、しばらく3人のやり取りを嬉しそうに眺めていたが…タヨハの方に向き直り、目を細めて声をかける…
「…ありがとうございます。そうですね、後はヨハがここで暮らしてくれれば言う事ないんですが…」
「またお前は…」
タヨハと長老も、相変わらずギリギリのやり取りを楽しんでいるようだった…
「…?…おじさん…?」
タニアが抱擁を解いて、さっきからずっと無言でいるハンサに目を向けると…
「…良かった…本当に…あの頃はいつも寂しそうで…。タニアちゃん…ごめんな。情けないけど…あの頃の僕は…君の力にはなれてなかったよね。本当にすまない…ああでも…夢みたいだ。君がこんなに逞しく…楽しそうにしている姿を見られるなんて…、ちょっと失礼します。」
涙が零れ落ちるタイミングで、ハンサは神殿の外に出て行く…
「……」
いつも飄々として抜かり無く…あまり感情を露わにしないハンサの泣き顔を見てしまい…タニアは動揺していた…
「…珍しいな。まあ…あの子が君の事をいつも気にかけて来たのは分かっていた。私もあの頃は本当にいっぱいいっぱいで…君が怖がっていたアムナ達は間もなく引退するからと…安易にハンサを本部に引き抜いてしまったんだよな…ハンサが気に病む事ではなく…悪いのは状況を見誤って指示した私なんだ。タニア…本当にすまなかった。せめて君に友達が出来るまで、一時的なヘルプという事にして、ハンサの移動はもう少し待つべきだったかも知れない。今更だが…この通りだ。」
長老は徐に立ち上がり、タニアに向かって深く頭を下げる…
「いや違う、違うんです。止めて下さい、長老…どうか頭を上げて…こんなこと…」
タニアは慌てて長老の元に駆け寄って、頭を上げてもらおうと腕を掴んで長老の身体を起こそうとする…
長老にとんでもない事をさせてしまっているようで…オロオロしながら、よく分からない涙がタニアの瞳の奥からポロポロと零れて来る…
「ああ…もう…タニアを泣かせないで下さい。あなたやハンサさんのお気持ちは既に十分伝わっています。そもそもあなたが長老でなかったら、私達親子は存在していない。私の力不足で子供達には色々辛い思いをさせてしまったけれど…あなた方の温かい配慮やエンデ君の献身的な手助けがあって、色々試練も乗り越えられたんです。お陰様で私とタニアは今はとても幸せに暮らしています。ヨハだって…あなたやハンサ君が見守り導いて下さっているから立派に育ってくれたと、私は日々感謝しています。あなたは私達にとっては偉大な恩人です。あの時はタニアも私も運がなかった…そこに尽きると私は思っています。本当は私達こそあなたの足を引っ張っていたでしょうから…私は少なくともあなたの倍は謝らないないといけません。そんなあなたに謝られたらタニアも居た堪れないです。もう、過去を悔やむ話はこれで終わりましょうよ…」
「…唯一マズかった事は、あの頃…私は最悪のタイミングでカリナさんが出会ってしまった事です。私こそ…長老にはご心配も迷惑もたくさんかけてしまいました…ごめんなさい。」
やっと身体を起こした長老に対して、今度はタニアが頭を下げる。
「いやタニア……まあ…そうだな。もうこういうのは止めよう…」
長老は苦笑しながらタニアの頭を優しく撫でる…
「タニア…すまないがハンサを迎えに行ってやってくれないか?あいつは…君が大変な状況に巻き込まれたのは自分のせいだとずっと己れを責めていたんだ。なぜあの時…と考える節目が彼なりに色々あったのだろう。ハンサはあれで人の愚痴は聞くのはなかなか上手いようだが、自分の悩みは結構秘めてしまうからね。今のハンサに一番声が届くのは君しかいないだろう…」
「…分かりました。」
長老の要請にタニアはゆっくりと頷き…神殿を出て行った。
すると、タニアがいなくなったのを見計らって、すかさずエンデが長老の前に進み出て、ミアハの例のポーズを取って跪く…
「長老、畏れながら…タニアちゃん側だけが問題をクリアしても、カリナ側の問題が…以前、メクスムでも少し触れましたが、あの女はそう遠くない未来に必ずここに来ます。彼女の当面の泣き所というか地雷は父親ブレム氏ですが…どうやらカリナが激怒しそうな事にミアハは関係してしまうようです。今日ここにせっかく5人が集まりましたから…少しその襲撃の対策について話しませんか?」
「…しかし…確かこの後は私達はこのままこっそりミアハに戻って、レノで一連の研究者達の意見交換に立ち合う予定なんだよ…う〜ん…」
少し困っている長老にエンデは、
「…多分、なんとかなるんじゃないでしょうか…だって…」
ニッコリ笑ってエンデが女神の像を見る…
「…そのようだね…ハンサが戻ったらすぐに時間調整をしてもらうとするか…」
長老も微笑みながら見つめる女神の手のひらには、未だ消えず皆のやり取りを見守っていたらしいリンナが…
長老に向かってうんうんと笑顔で頷いていた。
「おじさん…?」
神殿を出るとすぐ、タニアは近くの木の下で神殿に背を向けるように立っているハンサを見つけて…歩み寄りながら声をかける。
珍しく、彼は溢れて来る感情をなかなか鎮められていないようで…背を向けたまま、慌てて涙を拭くような仕草をして…
「…もう行かないとだね…ごめん。…悪いけど、あと5分だけ待ってと伝えてくれるかな…すぐ戻るよ。」
後ろ向きのまま、ハンサはタニアに伝える…
どうやら一緒に戻る気はないらしい…
「……」
…少しだけ…タニアにイタズラ心が芽生えてしまった。
「おじさん…ありがとう。」
そう言いながら、タニアはハンサの背中に抱きつく…
「タ、タニアちゃん?!」
タニアの期待通り、ハンサはかなり驚いてくれた。
「…気持ちは…嬉しいんだけど…き、君はもう子供じゃないんだよ。」
ハンサはかなりテンパりながら、タニアの腕を外そうともがく…
「…ダメ…もう少しだけこのままでいて…あの頃の…少女の心の私がそう言ってるの。」
「…タニアちゃん…」
ハンサの抵抗がフッと止まる…
「おじさんが長い間…私の事で心を痛めていたのは分かっても…どうしたらいいか分からないでいたの。色々心配かけてごめんね…私はもう大丈夫だから。今でも思い出す事があるけど…あの時…私はおじさんがいてくれたからエリンちゃんの死を乗り越えられたんだなって…それはね、おじさんにいつか必ず伝えようって思っていた。遅くなってしまったけど…本当にありがとう。」
「……」
ハンサの背中が震えているのは…すぐに分かった。
「ああやっとおじさんに伝えられた。花壇でおじさんに可愛げない事を言ったままの私に…こんなタイミングを与えてくれた長老様には感謝しかないわ。…ブランコで泣いてた時みたいに、今度は私がおじさんを抱きしめてみたの。でも…私があんまり長く抱きついていると怒りそうな人が3人いるから…ここまでにしておくね。」
と言って、タニアはハンサから身体を離す…
「…3人…?」
「ふふ…おじさんならすぐ分かるはずよ。…ねえおじさん、私ね…ヌビラナから帰ったらもっと幸せになるつもりよ。…だからおじさんも…もう少し自分の幸せを考えて欲しいの。」
「…なんだか…今日のタニアちゃんは色々と意味深な事を言うんだね…」
タニアは、ハンサの背中に向かって更に続ける…
「ふふ…そうかもね…笑って受け流してもいいわ。だけど、私はおじさんの幸せをいつも祈っているの。これからもず〜っと私はおじさんの味方よ。忘れないでね…」
「君は…生意気になったね…」
ハンサは相変わらず背を向けたまま…泣きそうな声を必死に堪えて呟く…
「そうよ。こんな生意気な私をずっと…パパとおじさんには見せて行きたいの。じゃあ…私…先に行くね…」
と言って、タニアはハンサに背を向けて歩き出す…
が、すぐ立ち止まり、背を向けたまま…
「おじさん…久しぶりにタバコ臭かった。長老に言いつけちゃおっかな…」
と言って急に駆け出す…
「ちょ…タニアちゃん…それだけは…」
結局、慌ててタニアを追いかけて行くハンサなのだった。
翌日…
「タニア…ちょっと来てごらん…」
神殿の方から父の呼ぶ声がして、タニアはとりあえず包丁を置き、台所を出て行く…
世が明ける少し前に、ポウフ村の神官として迎え入れられたタヨハはまず、旧ユントーグ南東部の地域で昔から豊穣の女神として崇められて来たアバウの女神像の鎮座する神殿の前で、地を癒す為のセレス特有の瞑想をするのだが…
以前、エンデやマリュが神殿で寝泊まりしていた頃は、タニアも父と隣りでなんとなく一緒に瞑想をしていた。
まだ意識もぼんやりしていたり瞑想の意味もよく分からない状態だったので、途中から目を開けて父を見ていたりウロウロ歩き出していたタニアだったが…
最近はプレハブの方に子供達が更に増えて来ていて、エンデはプレハブで寝泊まりする事がまた多くなって来ている為、神殿での食事は全てタニアが準備するようなって、今は瞑想が終わったらなるべく早く朝食をテーブルに並べられるよう…まず台所へ行き、瞑想の前に大急ぎで朝食の下準備をしておくのがタニアの朝一番の仕事で…
もたもたしていると、食事の最中に子供達が1日の物事を始める前の瞑想の為に神殿に押し寄せてしまうので、タニアにとっては朝が最も忙しい時間帯となっていた。
一方、タヨハは起床してまず、すぐに新しい朝の空気を入れる為に神殿の正面の扉を開けに行くのだが…珍しく入り口の辺りから、台所で忙しく作業しているタニアを呼んだ。
「なあに?まだ下準備出来てない……え…?…あら、今朝はまあ…一段と輝いてるわ…」
「…?…一段と?…君にはコレがいつも見えていたのかい?」
タニアの少し前に立つタヨハが、少し驚いたように振り向く…
「…まあね……でも前からじゃない。記憶と能力をほぼ取り戻してからかな。それに普段はぼんやり光ってるかな…っていうくらいの感じよ。でもパパがね、瞑想をした後はいつも輝きが少し増すの。朝は農作業の前にそれを見るのが密かな楽しみなのよね…」
「…そうだったのか…見えていたなら…パパにも教えて欲しかったなぁ…」
タニアがタヨハの隣りまで来ると、タヨハは少し寂しそうにそう言って、タニアの頭を軽く撫でた。
「パパは忘れているのね…なんだか地面がキラキラしてるって言った事があるけど、パパは昨日の雨で地面が少し濡れているからかな?って…私もその時は見えてるモノがなんだか分からなかったし、パパはそう答えるしかなかったんでしょうね。…これはきっと昨日、セジカ達と一緒に土に混ぜた酵素が関係してるのね…」
「…そうみたいだよね…道端とかはあんまり光っていないし…昨日エンデ君がリンナが明日がお楽しみって言ってるようなんだけどって…確かそのあとで何が?ってエンデ君が聞いたら消えちゃったんだよね。…多分、この事だったんだろうね…」
「そうね…」
タニアも昨日の事を思い出しながら、フッと微笑んだ。
「早くトウ君の側に帰りたいみたいだったけど、アバウの女神に引き止められて…あの時のリンナは帰る機会を狙っているみたいだったから…」
タヨハにも見えているという事は、昨日の午後に遅めの農作業を始めて例の酵素を蒔いていた他の村人達にも、今、自分達の様な驚きと感動が訪れているのかなぁと想像したら…
タニアは、目の前の…ほんの狭いスペースだが神殿の前の庭の様なエリア一面に植えられているブルーベリーの木々の下の地面が、光の粉を蒔いた様にキラキラと輝き、更にそのキラキラの影響を受けているのであろうブルーベリーの木の根元全体がボンヤリ光っているのを見て…
あの酵素がレノに集められた科学者達とリンナの知恵と、長老を始めとしたミアハの人々の切なる願いと努力から生まれた事は疑いようが無いと思え…なんと言えない高揚感で満たされていた…
「タヨハ様ぁ〜、地面があちこちキラキラ光ってるんだよ〜ねぇ凄いよぉ!」
今朝は少し早めに子供達が神殿に押し寄せて来たようで…
子供達の興奮気味の声が耳に届いたタニアは、しまったという表情で頭を抱える。
「あちゃ…地面のキラキラに見惚れていたら子供達が来ちゃった…。パパ…今日の朝食は少し遅くなりそうだけど…頑張ろうね…」
と言って、じわじわ近づいて来る子供達の騒めきと足音を聞きながらタヨハを見上げると、
「…そうだね。でもまあ…楽しい一日になりそうだ…」
と、少し残念そうに…でもそれ以上に嬉しそうにタヨハは笑った…
…ああなんて…
満ち足りた空気に包まれている朝だろう…
例え嵐が来ても、きっとこの村の人達は…再びこんな満ち足りた朝を迎える事が出来る。
まあ私も…皆の側に戻れるよう…とにかく頑張るしかない。
そう…死に物狂いで頑張ろう…
眩しいくらいのタヨハの笑顔を見ながら、タニアは心に誓うのだった。




