38 背負う使命 伝えられる思い
「すっかり元気になったな。予定は少し狂ったが…返って身体をゆっくり休められる機会となって良かったのかもな…」
「…色々とご心配をおかけしました…」
長老の許可が無ければ誰も立ち寄れないエルオの丘内部にある資料室に…今日はヨハ1人が呼ばれていた。
「だがまぁ…今回の事で君も良く分かったろう。君が倒れたらあの子も無事ではいないという事を…」
「……」
なかなか耳の痛い長老の指摘だった。
だがそれ以上に…今日の長老は何か雰囲気が違った。
今日のヨハを見る彼の目はいつになく真剣で…なんだか悲しそうだった。
「…まあ…かけなさい。」
「…はい…」
長老に呼び出され、個室で1対1で話をする事は初めてではないが…ヨハは胸騒ぎがしていた。
自分が倒れる少し前から今日まで、長老とハンサが時々見せる深刻な表情は日増しに重々しさを増しているように見え…
何より、今の長老は何か…ヨハを気遣うような気配があり、尚更に嫌な予感を抱かせた。
「…今日は…君に伝えなければならない事が3つ程ある。病み上がりの君には少し厳しい内容となるかも知れないが…どうか、心して受け止めて欲しい。」
…やはりか……
「まず1つ目だが、君は最近…大国からヌビラナという…美しいが恐ろしくもある星に、セレス能力者の派遣要請が来ている話をどこかしらで耳にしている思うが…どうかな?」
「あ、はい…最近はミアハならどこでも一度は必ずヌビラナの話は話題には上りますし…セレス能力者の派遣要請は、研究所の人達も時々噂していますよね。ハンサさんには聞いてもはぐらかされ…少し前にエンデさんと通話していた際もその件はやはり答えてはくれなかったけれど…彼は、多分ミアハは遠い昔にヌビラナとなんらかの約定みたいなモノを交わしているように思うと言ってました。…それがエンデさんなりの回答なんだなと思いました。」
…エンデ…
その話はまだ長達とハンサしか把握していない件だからと…遠回しに口外する事に釘を刺したのに…
長老は心の中で舌打ちする。
…まあ…
家族ぐるみで付き合いのあるテイホの大物達からカシルに流れて行く情報からヨハに洩れる可能性もあったが…アイツは一見、軽率そうでそういう所はわきまえて行動出来る男だから、そっちルートはあまり心配はしていなかったが…
まあどの道、これから嫌でもあの星と関わらなくてはならないのは…この子とヒカなのだ。
それに…そもそもヨハは世間話は極力避けるくらい警戒心が強く、本来の人見知り傾向も相まって、ウッカリその辺の人に情報を洩らすような事は絶対にしない事はエンデなら予め分かるのだろう…
「そう…だな。今は説明は少し端折るが…確かにヌビラナとミアハとの間には因縁めいたモノがある。現在は生命が殆ど絶えた星なんだが…皮肉な事にその星は今、このアリオルムにおいては希望の星とすら呼ばれている。その希望を手繰り寄せる為に大国…主にテイホが主導権を握ってあの星でさる人物が中心になって色々と奮闘している訳なんだが…そのテイホ国から少し前に正式にこのミアハに協力要請があったんだよ。ミアハの能力者の力…特に現段階では、セレスの力を切望している。」
「……」
「まず最初は、ベテランで構成された5人のチームで2度…あの星の発掘活動拠点のエリアで、1番活断層に近い場所で我々能力者が仕事をしやすいポイントを見つけて当分の地殻活動の急激な活発化を抑えて行く。で、だな…2度目のチームの5人の中の1人には君も入っているのだが…問題はその後なんだ。」
長老はそこまで言って一旦、話を切り…両腕をテーブルの上に乗せて手を組みながら、やや眉間に皺を寄せ顔を少し伏せる…
…なるほどね…
ヨハはこの後の長老の言葉は漠然とだが予想は出来た。
自分が倒れ、そのショックでヒカまでも倒れて…2人が同じ部屋でベッドを並べて夜を明かした日が2日ほどあったのだが…
深夜、朦朧とする意識の中で、
「行かなくちゃ…私が行かないと…皆んな大変な事になる…あの星へ…行かなくちゃ…」
と、隣から呪文の様に…数時間おきに2.3分、ヒカの声が聞こえていたような記憶があり…当時は夢だと思っていた。
だが先日、長老と自分の行脚の際にいよいよヒカも付いて来た際、病み上がりの2人の体力を考慮して、山道の移動だけハンサさんが車に乗せてくれた時…
移動中に緊張が少し解けたヒカがウトウト居眠りをしていた時…再びその言葉が彼女の口から聞こえて来て、ヨハはギョッとしたのを覚えている。
倒れる数日前にエンデから、「もしかしたら、ヒカさんはある日唐突にテイホに行くとかカリナに会いたいとか言い出すかも知れない。エルオの瞑想の広間で毎日瞑想しているから、あの子が以前カリナから傀儡の為のマーキングを受けた時の力は大分薄まってはいるけれど…意識が薄くなっていたりする時にいきなり夢遊病のように行動し出すかも知れないから気を付けて。」と忠告を受けていた。
テイホ国は…なんとしてもヒカを欲しがっている。
…という事は…
「3度目からは…君とヒカを限定で指名して来ているんだよ…」
長老は…ヨハの目を見ず、絞り出すような低い声で告げる。
「…なんとなく予感はしてました。ヌビラナに行けば逃げ場はなく、あの場所での事はなんとでも彼等のいいように処理が出来る場所ですものね。」
ヨハは淡々と反応しながら…
「…ここであなたが僕にそれを伝えているという事は…決定事項となったという事ですか?」
ヨハの質問に、長老は少し辛い表情をして顔を上げる。
「まあ…そういう事かな…。この星の為に力を貸して欲しいと大国首脳に直接言われてしまったら…こちらの選択肢はほぼ無いに等しい。君達にとって命をかけた危険なミッションになるかも知れないにも関わらず…だ。本当に申し訳ない…」
長老は徐に立ち上がり、ヨハに向かって頭を下げる…
「やめて下さい…貴方のそんな姿は見たくない。例え危険な場所だとしても、世の中の為にこの能力が活かされる事はミアハの使命だと…あなたから教えられた通りに日々覚悟を持って来ましたし、ヒカにもそう教えています。」
…そう…
例え陰謀が絡んでいようと…長老が正式に引き受けた以上、能力者はひたすら使命感を持って臨むしかないのだ。
ヨハは能力者として、弟子として、長老の指示に不満を抱く余地はない…
「……」
ただやはり…
ヒカの危機が大きく絡む事と思うと…感情は…正直どうしても揺さぶられる…
「君は知る権利…いや、知る必要があると思う。…ついて来なさい。」
そう言って、長老は意を決したようにヨハを手招きしながら奥の小部屋に向かう…
「……」
長老の手招きに吸い寄せられるように、ヨハも後に続き…そして奥の小部屋のドアは閉まる。
…ヌビラナでのミッションの話はあくまで入り口で…
ヨハにとっては更に心を抉られるような話が…この後に告げられるのだった。
同じ頃…ポウフ村では…
夕食の支度をしようと、畑から採ってきたばかりの野菜を洗い始めたタニアは…ふと手を止める。
「…用事があるなら、分かりやすく入って来て。前も言ったじゃない…気配を消して近付く人には凄く警戒してしまうのよ、間違って攻撃してしまったら大変でしょう…エンデ?」
タニアのすぐ後ろには、いつの間にかエンデが立っていた。
「…それを言うなら、1週間前から僕を避けまくっていた君の行動はどうなのさ…」
小声だが…少し怒っているであろう様子は彼の口調からタニアにもじわじわ伝わって来ていた。
「…パパが悪夢をほぼ見なくなってからずっと私をやんわり避けていたあなたがそれを言うの?…だって…私を止めようとしてるあなたの意思が凄く伝わって来たから…あなたと言い争いなんかしてパパに余計な心配をかけたくなんてないもの。」
「余計な心配って…」
エンデは失笑しながらも…内心はかなり苛立っていた。
「ほんの2ヶ月…実質は1ヶ月半ちょっとよ。今のあの子達の為に出来る事をしたいの。私でないと出来ない事…それに少しでもパパの立場の回復の為という部分もあるわ。傀儡にかかっていた時とはいえ…私はヨハ達にかなり迷惑をかけてしまったし、記憶はないけど…きっと学びの棟の情報もカリナさんに流していたのだと思う。でもね、皮肉な事だけど…その時に必死にカリナさんが日々こなしていた訓練に食らいついて、頑張って身に付けたスキルが私にはあるの。自分の能力とスキルを活かせて弟達の為に頑張れるなら…こんな有意義な事ないじゃない?…パパをお願い…あなたにしか頼めないの…」
そう言って振り向いたタニアの瞳は…じんわり濡れていた。
「…タニアちゃん…ヌビラナがどんなに危ない所か…君はちゃんと分かって言ってる?ただでさえ危ない場所で…空港から既にきな臭い事を考えている奴がウヨウヨいる場所に赴く事の方がよっぽど…君の大切なパパを心配させてしまうんだよ?やっと落ち着いて来たタヨハさんを悲しませるような事は、お願いだからやめて欲しい。そこまでしなくてもさ、ここで地道に頑張って信頼関係を築いて行けばいいんだよ。タヨハさん自身もそれ以上の事は君には望んではいないと思うよ…」
「エンデ…その危険できな臭い場所に、これからヨハ…いえ、あの子達は何日も行く事になるのよ。…私には何も言わないけど、パパが最近少し沈んで見えるのはそのせいに見えるもの…違う?」
エンデは気まずそうに…
「確かにそうだね…ごめん。ああダメだな…どうもタニアちゃんの事となると見えなくな…」
途中でハッとして口を閉ざすエンデ…
タニアはその様子を見逃さず、嬉しそうにニッコリ笑い…
「へぇ…どうして?」
と尋ねながら、エンデに一歩近付く…
エンデは反射的に一歩下がり、
「な、何が…?」
目を泳がせながら、とぼけるように質問に質問で返す。
「…私の事となると見えなくなるって…今言いかけたでしょ?」
相変わらず嬉しそうな表情を崩さないタニアは、また一歩近付きながら尋ねる…
「そ、そんな事…言った…かなぁ…」
なぜだか焦りまくっているエンデも、また一歩下がる。
「…なんで後退るの…?」
そう言ってタニアはまた一歩進む。
「君こそ、な、なんで距離を詰めて来るのさ…」
エンデは蛇に睨まれたカエルのように、タニアから目を逸らせないまま…また一歩下がり、手のひらには変な汗をかき始めていた…
「エンデが後ろに下がるからでしょう。」
相変わらず…タニアはニコニコしながら、また一歩前に出る。
「タ、タニアちゃんが先に……あっ」
エンデも反射的に一歩下がろうとするも…すぐ後ろはもう壁だった。
「ねぇエンデ…逃げないで…」
タニアはそのまま右手をゆっくり上げて、エンデの左の頬にそっと触れる…
「ひっ…」
エンデは一瞬、全身が強張る。
それでもなんとか強行突破しようと、背後の壁を両手で押して身体を横に一気にスライドしようとした瞬間、
「?!」
タニアの目の瞳孔が少し開き、少し光ったような気がしたと同時に…エンデの身体は硬直し、立ったまま動けなくなっていた。
タニアは悪戯っ子のように舌をペロッと出して、
「ごめん…ズルしちゃった。いい機会だから、ちゃんと私の話を聞いて欲しくて…」
「……」
[マジか…なんでかかった…?…これは反則だろ?]
タニアを責めたいエンデだが、声も発せなくなっていた。
「…エンデってば、パパの事が落ち着いて来たら…私と2人きりになりそうになるとすぐどこかへ行ってしまっていたでしょう?…きっと今を逃したらこんな風に話せないまま…あなたはいつかこの村をこっそり去って行きそうだから…良い機会だから、どうか私の話を聞いて欲しいの…」
強制的に身体を固定されたままタニアから目も逸らせないエンデは、
[ズルいぞタニアちゃん…早く解いてよぉ〜]
と、心の中で訴えながら必死にもがき続けていた。
だがタニアはそのエンデの心の叫びを意に解することなく、エンデの胸に顔をすり寄せて…話を続ける。
「…エンデ…改めて言うわ。私とパパは、あなたがいなかったら今頃どうなっていたか…大袈裟でもなんでもなく、本当に分からなかったと思うわ。今まで私達親子に寄り添ってくれた事…本当に…凄く感謝しているの。そして今、あなたが何を恐れているのかを私は察しているつもりよ。その上であなたにお願いがあるの。私はここでパパを見守りながら…あなたと共に生きて行きたい。叶うなら、エンデのその悩みを私にも背負わせて欲しい。あなたは意思疎通もまともに出来ず、元の状態に戻る保証どこにもなかったあの頃の私に…無条件にずっと寄り添っていてくれた。何の義務も縁もない私にずっと…少しくらい恩返しさせてよ。」
そこまで言い終えた時、何かがタニアの頭に当たったような感覚が微かにあり、ふと顔を上げてエンデを見ると…
彼の深い深い藍色の瞳から、滝のように涙が溢れ出していた。
タニアも呼応するように、涙が一気に込み上げて来る…
タニアはポケットからハンカチを取り出して、エンデの涙を優しく拭いてあげるが…涙は次々に溢れて来てキリがなく…タニアは苦笑いしてしまう。
「勿論、恩返しだけの為じゃないわ。あなたに…ずっとここにいて欲しいのよ。これから…あなたの目がどうなるのか…私はまだよく見せてもらえない未来だけれど、目にハンデを負った状態で慣れない土地で暮らすって…本当に大変だと思うわ。ここはあなたの育った場所で、あなたの未来の希望がそこら中に詰まっているのに…そんな事する必要なんてないでしょ。…ここにいてよ…いて欲しいのよ…」
タニアは再びエンデの胸に顔を埋める…
「…だって私は…」
と、
タニアの言葉を遮るように、
[解いて、この拘束を解いて僕にも話をさせて!]
という、エンデの渾身の心の声が聞こえて来た。
「もう…肝心な事は言わせてくれないのね…」
タニアは悲しそうに笑って、エンデの拘束を解く…
次の瞬間、タニアの視界は遮られ、身体は温もりに包まれていた。
「タニアちゃんのバカ……こんなズルい手を使って…僕はもう…どうしていいか分からなくなって来たじゃないか…」
タニアを抱きしめながら、エンデは震える声で文句を言う…
タニアも…恐る恐るエンデの背中に両手を回し…
そしてしっかりと彼を抱きしめる。
「分からなければ、そのままでいいじゃない。ずっとここにいればいいのよ…お願いよ…どこにも行かないで。あなたが好きなの。」
「ああもう…聞きたくなかったんだ。君なら…これから健康で誠実で…魅力的な人に巡り会えるチャンスはあるんだよ。なのに…僕はもう…君を諦められなくなったじゃないか。もう、もう…どうなっても知らないぞ…」
「…どうもならないわよ。ここを皆んなが寄り添って平和に生きて行ける村にしたいって…前にエンデが言っていた事がそうなって行くだけよ。…そして私は愛する人の為に…」
「少し黙って…」
「!」
エンデの言葉通り…
タニアの唇は大好きな人の唇で塞がれ…喋れなくなっていた…
「……」
そして…ゆっくりと唇は離れた…
「タニアちゃんのバカ…君を諦められなくなってしまった責任は…とってもらうからね…」
エンデの泣き笑いのような表情でタニアを責めるその声は…まだ少し震えていた。
「望む所よ。ねぇエンデ…これでミアハの民とイウクナの民の末裔は一つになるのよね…私がイウクナの子孫を沢山産むわ。そういう責任の取り方でもいいかしら…?」
キスの余韻に目を潤ませながら、タニアはサラッと先走った事を囁く…
「な、何を言ってるんだ君は…話が飛躍し過ぎだよ。」
エンデは顔を真っ赤にして目を泳がせる…
「あら、私はあの母の娘よ。赤ちゃんが先とか…あり得ない話じゃないわよ?…なんなら、また拘束しちゃおうかなぁ〜」
「タ、タニアちゃん…それは…君のパパは喜ぶとは思えない冗談だよ…」
悪ノリし始めるタニアにエンデはまた逃げたくなるが…
「…しないわ…パパを悲しませる事は…」
そう言ってエンデから少し距離をとって悲しげに笑ったタニア…
「ご、ごめん…テンパリ過ぎて、タヨハさんにも君のママにも失礼な発言だった…謝るよ。でもさ、タニアちゃん…君があの星へ行く事は、この村ではまだ僕しか知らない。これから…タヨハさんの猛烈な反対がある事は覚悟して置いた方がいいよ。まあ君も分かっているとは思うけど…」
タニアがスッと真顔になる…
「…そうね……でもね…私…未だに分からないのよ。未だにあの子に…ヒカちゃんにヨハとの小さい頃の記憶をね…戻してあげられないの。今の私が出来る事って、カリナさんと似たこの能力であの子達を守る事しか浮かばなかったの。たった2ヶ月で償い切れるとは思わないけど…不思議なんだけど、長老から確認の連絡をもらった時から…私、なんだか能力が強くなって来ている気がするのよ…」
「……」
確かに…
ティリ系の特殊能力は効かないはずのエンデが、さっきのあの場面でタニアの能力で動きを封じられるとは…エンデ自身も実はかなり驚きだったのだ。
「…そうだね…僕もタニアちゃんの能力に拘束されてしまうとは思っていなかったから…正直、とても驚いたよ。君の勘違いでは無いかも知れない…」
「でしょ?…だからね…私がやろうとしている事を女神様も応援しているように思うの。これ以上パパを心配させたくはないんだけれど…分かってもらうしかないの。」
そう言ってタニアは笑う…だがその笑顔はとても悲しそうにエンデは見えた。
「タニアちゃん…僕はやっぱり…」
「ねぇ…もう一度キスして…」
タニアはエンデの言葉を遮るようにキスをねだり…目を閉じる…
「……」
エンデは請われるまま…
タニアの両肩に手を置き、ぎこちない仕草でタニアの唇に顔を近付ける…
と、
カタンと神殿の扉を開ける音が響き…
「タニア〜ご飯出来たかい?エンデ君がいないって、今マリュさんが探してるみたいなんだけどさ〜…プレハブにエンデ君のイヤーフォーンが置きっぱなしになってて連絡も付かないみたいなんだ。」
と言いながらタヨハが入って来たのだった。
かなり近い位置で2人は顔を見合わせ、苦笑いをする。
「続きはまた今度ね…」
エンデにそう囁くと、タニアは素早く勝手口を開け、
「今、裏に収穫したままだったニンジンを取りに行ってたの。エンデはここにはいないわ。」
とタヨハに反応しつつ、エンデを裏口に誘導する。
「…そうか…どこ行っちゃったんだろうねぇ…チビちゃんが転んじゃったんだけど救急箱が見つからないって…もう夕方だし診療所はもう誰もいないんだ。今日はカシル君もいないから困ってるみたいなんだ。エンデ君、どうしちゃったんだろうね…」
勝手口から出て行くエンデと入れ替わるように、タヨハの声が段々と近付いて来る…
「…そう…私も探しに行こうか?」
「いや…あれ?なんだ…夕食まではもう少し待たないとだな…」
タヨハは台所に入ってくるなり、まだ野菜を切り始めたばかりの様子を見てガッカリする。
「…ごめんね。シチューの材料…用意していたと思っていたら無くて、揃えるのに手間取っちゃった。後20分待ってくれたらなんとか完成するから…」
「いや…最近は君に食事の用意を任せっきりになってしまっているからね…僕も一緒に作るよ。」
タヨハは腕まくりをしながらタニアに横に並んでジャガイモを手に取る。
「ううん…大丈夫よ。マリュさんもいつもいつもセジカ達は頼れないものね…マリュさんが食事の支度をしてる間、パパはずっとチビ達と遊んであげていたんでしょ?少し休んでいて。シチュー完成までもうちょっとだから…」
…申し出はありがたいけど、パパは料理作りはどうも相性が悪いらしく、色々問題が起きる…
もう指をケガして欲しくないし…
過去の傷だらけの指で完成させたタヨハ作の料理が並ぶ食卓での数々の残念な画像が…タニアの脳裏を一瞬過ぎる…
記憶はあまりない頃の料理は、なんでも器用に出来るエンデがずっと作っていたようだし…少し前までは料理上手のマリュさん頼みだった。
来月はいよいよセレスの育児棟と学びの棟をモデルにした「希望の棟」が完成する…
プレハブからのお引越しと…それに合わせてエンデも、セジカ達を見つけて来たユントーグは勿論、メクスムやテイホだけでなく世界中の、攫われて逃げて来たミアハの子供がいるらしいと目撃情報のあった所をこれから順番に見回るらしいから…
彼等は徐々に目が回りそうなほど忙しい毎日になって行くのだろう…
彼等に頼らず、私も頑張るしかないのだ。
「私は料理はまだまだ勉強中だけど…作るのは結構好きなの。もっともっと頑張るから…レパートリーが増えるまでもうちょっと待っててね…」
…マリュさんの料理の上手さにはいつも感心していたから、早く私もああなりたいんだもの…
「…ならいいけど…あんまり無理はしないでくれよ。」
タヨハは愛おしそうにタニアに頭を撫でる…
「私は大丈夫よ。今日は私の準備ミスなの…ごめんね。お肉の下拵えはもう済んでて野菜も大体切れたから…あと20分くらいかな?もう少しだからね…」
「…じゃあそれまで…エンデ君を探しがてら、もう一度プレハブの様子を見て来るよ。」
そう言って、料理するタニアの様子を名残惜しそうに見つめながら…タヨハはまた神殿を出て行った。
と、ほぼ同時に再び勝手口のドアが開く…
「相変わらず君達親子は…妬けちゃうくらい仲が良いんだから…」
少し機嫌が悪そうに呟くエンデが入って来た。
やや呆れ気味にタニアはエンデを見る。
「まだ子供達の所に行ってなかったの?マリュさん困っているみたいだから、早く行ってあげてよ…」
「…分かってる…でも、神殿を反対回りで向こう側から行かないと、同じ道でタヨハさんを追いかける形になっちゃうから…神殿にはいなかったはずの僕が変でしょ?神殿の正面入り口から向こう側に出て行こうと思って…」
「そう…じゃあ外はもう暗くなって来たから…気を付けてね。」
「うん…それじゃあ…」
…さっきはあんなに必死で情熱的だったのに…
すぐに背を向けエンデの方は見ようともせず料理を作り始めるタニアを、エンデは不満そうに見ながらゆっくり台所を出て行く…
「あ、エンデ…待って、」
タニアの声にエンデが嬉々として振り返ると…
「パパはなんとか説得するから…クドい様だけど、私がいない間パパをお願いね。そして、私はまだちゃんとあなたの気持ちを聞いていないから…戻った時でいいから聞かせて。さっきの続きはその時にね。」
笑顔で言うだけ言ってウィンクしたタニアは、さっさと台所に戻ってしまった。
一呼吸置いて、次第にエンデの顔は真っ赤になる…
「な、な…、続きって…そうやって言い逃げはズルいぞ。もう…もう今日は感情が…みんなタニアちゃんのせいだよ、クソッ。……タヨハさんはきっとかなり取り乱すと思うから、心の準備はしときなよ。」
気恥ずかしいやら…なんだかんだで結局、自分より年下のタニアのペースに翻弄されている自分にエンデは腹立たしくて…
でもそれでも…
たまらなく愛しい人…
結局、何でもして上げたくなってしまう…
エンデは取り留めのない事を言うだけ言って…自虐的な笑みを微かに浮かべながら神殿を後にした。
「…エンデの分のシチューも作って待っているからね〜!」
少しして、タニアは外の本人に届いているか分からないけど、大声で叫んでみた。
「……」
急に静かになった神殿の中…タニアはふと作業を止め、グツグツと煮立ち始めた鍋を見つめる…
「ありがとう…エンデ。忠告はよく分かってる…マリュさん直伝のデザートの木苺ヨーグルトムースも作っておくからね…」
…私と距離を置こうとしてたのに…今、この村の中では多分一番忙しい人のはずなのに…
私を心配して血相変えて来てくれたエンデ…
私は…いやヨハ達もきっときっと無事に帰るから…
そうしたら…
きっと皆んなが幸せな未来が来るよね…?




