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33 月下の君


「う〜ん……」


エンデは当初狙っていたような効果があまり出ないどころか…タヨハのトラウマが違う形で現れ出し…


タニアはもとより…マリュや警備員や村人もかなり心配し出す状況となり…途方に暮れていた。


やはり…自分は肝心な事から目を逸らしているのか…?


「今日もね…昼間の農作業の途中で座り込んでしまって…ボーっと遠くを見てるのはまだいいんだけど…ポロポロ涙を流すの。どうしたの?って聞いてもパパも訳が分からず涙が出て来てしまうんですって…」


最近は毎晩恒例になっている深夜の報告会で、タニアはそこまで話すと…深い溜め息を吐いた。


「自分でもコントロール不能な涙にパパはかなり悩んでいて…途中から農作業を止めて神殿に篭ってしまったの…」


「……」


似たような内容の報告はもう5回目になるか…身近で見守るタニアも憔悴して来ている様子が…エンデだけでなく周囲の誰もが気付くほどになって来ていた。


体力的な疲労というより、結果が現れて来ない努力に疲れて来ている様子だった…


「パパの抱えるトラウマは…私に…いや…誰であっても迂闊には話せる内容ではないでしょうし…そのトラウマゆえにパパの寝室に一緒に居てあげて、大丈夫よって…安心させてあげる事ができないのね…」


タヨハは…以前からそうだった。


不用意に寝室に入って来られる事を異常に嫌がった。


だが徐々に夜に度々うなされるようになって…


その傾向は顕著となり、叫び声とかが聞こえてもタニアでさえ迂闊に寝室に飛び込んで行けないのだ。


『ただ記憶を押し込めても問題は解決しない…君があの人の側にいる理由をもっと考えて…』


…まただ…


夜、タニアとこの話題になると、最近は必ず父親が出て来てエンデに声をかけて来る…


父なりのアドバイスと分かっていても…エンデにはプレッシャーの方が大きく…


父さん…それは側から見たら不謹慎とさえ思われる行為だし…何より僕は…その道のプロではないんだよ…


『…この間の君の歌は素晴らしかったよ。決してお世辞じゃない。プロではなくても…君が今、彼の側にいる意味を考えるべき時なんだ。あとは君次第…勇気を出して。』


「……」


無言の中での父とのやり取りをしているエンデを、タニアは知ってか知らずか…何も言わずに側でジッと待っていてくれる…


「ねぇタニアちゃん…君の…部分的な記憶を潜在意識の底に押し込める能力は、タヨハさんのフラッシュバック防止に使えるかと思ったんだけど…その…少しやり方を変えてみようと思うんだ…」


絞り出すように発したエンデの言葉にタニアは…


「うん…私も…外部の力で記憶の浮上を止めても、パパの場合は自我の中でトラウマを上手く処理が出来ていないから、表面意識のパパや外部の人にとっては、意味不明な感情が浮上してしまう様子に見えるの。私はエンデの深く広い視点からの判断を信じてる。協力するから何でも言って。」


そう言って、彼の迷いを吹き飛ばすような…満面の笑みを見せた。


「ありがとう…タニアちゃん。あのさ…」


…その夜の、新たな作戦会議はいつもより長く続き…幸いタヨハの苦しそうな声は寝室から聞こえる事はなく、打ち合わせはスムーズに進んだのだった…



そして、翌日の深夜…


タヨハの部屋から久しぶりに大きな叫び声と呻くような…切ない懇願が交互に聞こえて来て…


待ち構えたようにタニアは立ち上がる。


様子を伺いながらゆっくりと歩きだし…タヨハの部屋の前で止まる。


「頼む…もう…やめてくれ…」


タヨハの絞り出すような懇願の声…


「私は男だ…なぜ君達はこんな…」


何度聞いても…タニアは胸が締め付けられる…


「うわぁ〜ッ!!」


…私はニセモノの記憶だったけれど…それでも悪夢のループは辛かった…


酷いことを言っても…タヨハはずっと私を見捨てる事なく…悪夢の闇に寄り添ってくれた。


今度は私の番…

パパ…私頑張るからね…


「……」


少し静かになったので、タニアは声を掛けてみようとドアに顔を近付ける…


が、


「うわぁ〜〜!やめろぉ〜〜ッ!」


再び叫び声が聞こえ…そして、


ドサッ


という音…


何度もベッドから落ちるので、怪我をしないように下には衝撃を吸収する素材の絨毯を引いたのだが…それでもやはり落ちると心配になる…


「……」


大体のパターンで、タヨハはベッドから落ちると一度覚醒する。


「パパ…?…大丈夫?…」


「え?……ああ…私はまた落ちたのか…」


反応があったので、タニアはもう一度声を掛けてみる。


「…パパ?…怪我が心配だから確認したいの…入ってもいい…?」


「ん…怪我…?大丈夫だよ。起こしてしまってごめんな…私は大丈夫だから…もう寝なさい。」


「……」


タヨハは人が寝室に入る事を嫌うので、まずは必ず断られる。


だが、そのまま放置すると落ちたまま眠ってしまったり、またうなされたりする確率が高いので、タニアは怯まず、


「分かった…でも顔を見て安心したいから…少しだけ開けていい?パパの顔だけ見て安心したいの…」


「……」


「……お願い…」


「……」


「…分かったよ…私がそちらに行くよ。」


根負けしたタヨハが立ち上がる気配がタニアにも伝わる…


「…ありがとう…」


ドアが開けられタヨハが顔を出す。


…やはり…今夜も昨夜も…きっとその前も…熟睡は出来ていないのだろう…


タヨハは顔色が冴えず、目の下にクマもハッキリ見える。


「パパ…あまり良く眠れていないように見えるわ…ホットミルクを入れてみたの。神殿に用意してあるから…一緒に飲まない?」


タヨハはあまり気が進まないようだったが…


「う〜ん…じゃあ少しだけ。タニアがせっかく入れてくれたなら…」


タヨハは少し困ったような表情をしたが、タニアの気遣いに応えようと部屋から出て来た。


するとタニアはそのタイミングを待っていたように、神殿の正面の入り口を開け、


「ねぇパパ…今夜は大きい月と小さな月が近付いて良く見えるんですって、夕ご飯の後でパパと一緒に見ようと思っていてすっかり忘れてしまっていたの。まだこの時間なら見えると思うから…外に出て飲まない?…ほら…あそこ…」


外を指差す…


タヨハが近付いて見ると…神殿の入り口から少し外れた場所に椅子が2つ並んで置いてあった。


…確かに…扉の向こうには月が…覗く様に2つ近くにあって、満月とまではいかないが…いつもより明るく見え…タヨハもなんだかしばらく眺めていたくなった。


「タニアと2人でゆっくり月を眺めるなんて…そういえばなかったな。たまにはいいか…」


「うん…こんなに明るい月が近寄るのはあんまりないんですって。少し前にセジカが教えてくれたの。あの子も星を見るのが大好きらしくて…凄く詳しいの。だから、絶対にパパと一緒に見ようって思ってたの。少し遅い時間になっちゃったけど…パパと見られるのはなんだか嬉しい…」


タヨハにホットミルクを渡しながら、タニアは努めて笑顔で自分も隣に座る。


「…ありがとう…なんだかミルクの温かさがお腹に沁みるよ…」


タヨハはミルクを一口飲んで呟く…


「…うん…少し冷めちゃったけど、ほんのり温かくて…絞りたてみたいね。まあでも朝に私が絞ったミルクだから割と絞りたてよ。エンデのお陰でヤギの乳搾りも大分上手くなったと思う。」


「…そうだね…タニアは頑張ってるものね。」


タヨハは嬉しそうに、もう一度ミルクを啜る。


「…だって私はパパに頼りにしてもらいたいから…これからもっと頑張るね。」


タニアはタヨハの腕に手を回し、少しだけそちらに身体を預ける…


「…おやおや…頼りにされたい人が早速甘えるのかい?」


「うん…だって最近はプレハブの子供達が…畑や神殿に来てパパと遊びたがったりするでしょう?今だけは私のパパだから…」


「タニア…私にとっては君は唯一無二なんだ…心配なんてする必要はないよ。あ、…まあヨハもそうだが、あの子は長老に取られちゃったからね。タニアが側にいてくれるから…私は幸せだよ。」


セレスの状況も理解しているが、ヨハに関しては多少は長老を悪者にしても許されると思っているタヨハを、内心で苦笑しながら聞き流すタニア…


「そう…ある意味ヨハはライバルね。パパは渡さないもん…」


「タニア…ヨハはライバルじゃない、君の弟なんだから…戦ったりしないでくれよ。神殿が壊れちゃうかも知れないぞ。」


「……喧嘩なんてしないわ。姉としてパパの一番側は譲ってあげないだけよ。」


「…随分と大人気ないお姉さんだなぁ…」


タヨハがハハッと笑った。


タヨハの表情が明るくなって来て…タニアは小さく安堵した。


「……」


まだ…タニアからヒカの事は何も触れて来ないが…


いつか…近い未来にタニアからなんらかの発言はあるだろうとタヨハは思っていて…自らは今は触れないと決めていた。


タニアなりの…ヒカに対する贖罪は、彼女が本当に自我を取り戻し歩き出す為の1つの節目になるだろうとも…タヨハは思っている。


今は…そのいつかを信じてタヨハは待っているのだ。


「ねぇパパ…パパからしたら私はまだまだ頼りないかも知れないけど…私はどんな時もパパの味方よ。辛い時は話して欲しいの。すぐに解決は出来なそうな事でも、話すだけで楽になる事もきっとあるわ。あ…勿論、話したくない事は無理に話さなくていいの。でも…私がパパの側にいる事は…忘れないでね。」


「……ありがとう…タニア…」


タヨハは飲み終えたカップを下に置き、絡めているタニアの手の上にもう一方の手を置く…


「ちょっとちょっと…僕を仲間はずれにして何イチャついてるんだよ。夕方、この椅子はなんだろうとは思ってだけど…酷いよタニアちゃん、僕の椅子は?」


背後から急にエンデに文句を言われ、驚いた2人はビクンとなる。


「…もう…ビックリさせないでよ…一瞬、不審者かと思って臨戦体制に入るところだったわ。」


「あーッ、何か飲み物まで持って来てる…ズルいよ…」


「エンデ…人の話聞いてる?こんな夜更けに大きな声を出さないで。エンデはだって…昼間は子供達の世話だけでなく色々と大変で…凄く疲れてそうだったから…悪いなって思ったのよ。それにこの間、私をフッたんだから…これくらいの罰は受けて当然よ。」


「何それ、罰って…あんな打算的な話に僕が乗る訳ないでしょ。タニアちゃん、僕は拗ねるぞ。」


「もう、子供みたい…。あなた、プレハブで子供達の面倒を見てるんでしょう?セジカの方がよほど大人びてるわ…」


「子供?……ならセジカと結婚すれば?」


「ちょっと…私がいつセジカと結婚したいなんて言った?こんな話題に引きずり込んで…セジカにも失礼よ。」


「…セジカは…喜ぶと思うけど…?僕より大人びてるから、お似合いだよ。」


「エンデ…いい加減にして。話が完全に変な方向に行ってるわよ。…ねぇパパ…なんとか言って。」


なんだかんだで2人は言い合いが出来るくらいに仲はいいように見えるから…タヨハは下手に口が挟めなくて、ただ笑っていた…


「…まあ…せっかくだから3人で月を見ようよ。少し詰めればこの椅子でも3人で座れるんじゃないか?…あ、そういえばセジカの星好きは君の影響だって聞いたような…次の特別な夜空はいつだい?」


仲良しゆえの遠慮ないやり取りが…どうか本格的なケンカになりませんようにと思いながら、タヨハはなんとか話題を逸らす。


「…僕は…このままで大丈夫です。タニアちゃんの意地悪が少し悲しかっただけで…。特別まで言えるかちょっと微妙ですが、早ければ…明日くらいから北東の空に流星群が見えますよ。未明辺りなら月明かりもほぼないと思います。」


エンデは少しブスッとした感じで説明する。


「だから、意地悪じゃないってば。」


エンデの言葉に反応してまたムキになり後ろを向くタニア…


「じゃ、じゃあ明日は皆んなで流れ星を見れたらいいね。」


そんな娘の手をタヨハは宥めるようにポンポンと軽く触れる。


「タニア、君が作ってくれたお月見の時間だよ。せっかくだから仲良く見ようよ…」


「……」


タニアは…今度は俯き黙ってしまっている…


「…せっかく月がキレイなんだからさ、2人共…仲直りしなさいよ…」


タヨハは少し困って来て、とにかく2人に仲直りを促す。


「…じゃあエンデ、月にちなんだ歌を歌ってよ…そしたら許してあげる。」


「許すってなんだよ…仲間はずれにしたタニアちゃんが悪いでしょ。」


と、今度はエンデがそっぽ向く…


「タニア…君も大人気ないよ…原因は君だと私も思うよ…」


「…じゃあ…パパが月の歌をリクエストして。そしたら私も歌う。エンデもよ。そしたら皆んな仲直りよ。」


タニアもそっぽ向いて答える。


「仲直りって…そもそも私は喧嘩してないよ、まったく…。じゃあ…ミアハに伝わる歌をリクエストしたい。大きい月と小さな月の恋物語のような歌なんだけど…」


タニアの無茶振りに少し呆れながらも、なんとか仲直りさせたくて、タヨハは知ってる歌を必死に思い起こしリクエストする。


「あ、それ知ってる。私、歌いたい。」


急激にタニアのご機嫌が直る。


「…エンデ、君はこの歌は知ってる?」


「内容が面白い歌なので…前によくサハとイードが歌っていて、覚えてしまいました。」


エンデはまだ少しムスッとしていたが、タヨハはとりあえず皆んなが歌える歌を見つけられてホッとした。


「…じ、じゃあ…ちょっと最初だけ歌ってみるから…後から付いて来て…」


と言って、タヨハは小さめの声で歌い出す…


タヨハが人前で歌う事はまず無いが、意外と上手くて…2人は少しの間、聴き入ってしまっていた。


「…!」


エンデに背後から軽く突かれ…タニアは慌てて途中から歌い出す。


タニアの歌声も…今初めて聞いた2人は予想以上に上手くて驚く…


ここに来てエンデは…怖気付き初めていた…


「……」


『勇気を出して。私達一族の声帯は独特で、愛を込めて唄えば聴く人達の琴線に必ず触れる事が出来るんだ。メクスムの歌手も褒めてたろう?彼女は歌に関してはお世辞は言わない人だよ。ほら頑張れ…』


即座に父親の励ます声が聞こえて来た。


「……」


エンデの心境を察して、タニアはさりげなく彼を見て「頑張って」という視線を送る。


エンデも心の中で「ありがとう」と言葉を返す…


タヨハさんのどこか神秘的な雰囲気と底無しのお人好しな性格は…これからもずっとポウフ村の人々を和ませる…なくてはならない存在…


いやそういう事ではなく…


この人に…深い心の平安をもたらしてあげたい…この2人に幸せになって欲しいのだ。


勇気を出してエンデも一歩を踏み出す…


タニアは驚くようにエンデを見上げ、やがて……嬉しそうにニッコリ笑う。


大きな月と小さな月はお互いに意識し惹かれ合うが、素直になれず…すれ違いながら…いつか1つになって、大きな大きな月になって、夜空を照らせる日が来る事をお互いが夢見るようになる…。だけど、お日様に邪魔されたり星々に揶揄われたりで、現実は厳しいけれど…それでも2つの月は夢を見る事は止めず…お互いを思いながら追いかけっこを続けて行く…


その歌の歌詞はちょっぴりほろ苦いが曲調は明るくコミカルで…


ミアハの子供達に好まれていて、タヨハもタニアも馴染みの深い歌だが…


エンデの歌声は、そのメロディを通して2人の心になんとも沁みて来て…


「……」


歌い終わっても…3人共なんだか物足りなかった。


「…もう一回…今度は最初から3人で歌いましょうよ。セーの!」


タニアが勝手に指揮をするように2人を誘導し…


3人は一緒に歌い始める。


皆んな…そのうちに、


今、天空にある月達の、実際の物語かのように思えて来て…


気が付けば、3周も続けて唄っていた。


「……」


タヨハは…


唄い終えた後もしばらく…なんとも感慨深げに月を見続けていた。


もしもニアが生き延びていたら…自分はニアの気持ちを受け入れて結ばれる未来もあったのだろうか…?


それはタヨハの中で長い事…幾度となく自問自答していた事で…


タニアは父のその心の声を知ってから…


パパは悪くない…パパが悩む事じゃないのに…


むしろ、私が生まれていなかったらパパは…あんな辛い思いをする事はなかったかも知れないのに…


と、胸が締め付けられるように痛むのだった。


タニアは思わずタヨハの腕にギュッとしがみつく…


「パパ…ごめんね…」


タヨハは唐突に娘に謝られ、困惑する。


「なんだい、急に…」


「歌っていたら…謝りたくなったの。エンデとの口喧嘩に巻き込んでごめんね…反省してるわ…」


「なんだ、そういう事か…別にいいよ。…君達のやり取りは見ていて面白かったから。だけど…本気はダメだよ。」


「うん、分かってる…」


タニアはタヨハにしがみついたまま…子供のように甘えた声で答える…


「…まったく…また僕を無視してイチャイチャして…」


エンデには2人の心の声が聞こえていたから尚更に…このやり取りは切なく…フェリアと唄った時の様にはなるまいと…必死に涙を堪えていた。


「エンデ…凄く凄く素敵な歌声だったわ。よかったら…また聞かせてね…」


エンデの心情もまた、タニアには伝わってくる為、顔を見たら泣いてしまいそうで…背後にいるエンデの方をあえて見ずに声を掛けた。


「…喜んで。もう僕を仲間はずれにしないならいつでも歌ってあげる…」


エンディは2人の肩にそっと手を置いた。


「本当ね?」


突然、タニアの口調が変わる。


「パパも聞いたわよね?」


そう言いながらタニアはタヨハの身体を揺さぶる…


「…あ、ああ…」


タヨハもタニアの豹変に驚いているようだった。


タニアはクルッと振り向き、エンデの腕を掴みながら見上げ…


「またエンデの歌が聴きたくなったら…逃げたりしないでね。約束よ。」


そう言ってタニアは満面の笑顔をエンデに見せた。


そしてタニアの心は、


[歌はもう大丈夫ね。ありがとう、エンデ]


と語りかけていた…


「…手が空いている時だけだよ…」


エンデは照れ臭そうに答えた。


「…良いお月見だったね…。あぁでも…少し冷えて来たね。そろそろ戻ろう…」


タヨハがそう言って立ち上がると、


「…そうね…」


と、タニアも立ち上がり…


3人は神殿へと戻って行った。


まずタヨハが寝室に入るのを2人は確認し…


エンデも部屋に戻ろうとしたところ、背後からタニアに軽く腕を引っ張られる。


「えっ?」


と振り向くと…タニアはエンデに耳打ちをしてくる…


「今夜はとても楽しかったし…作戦は成功のように感じるわ。エンデ、あなたのお陰よ…ありがとう。」


「いや…僕の力だけじゃ…」


と、照れて言葉を濁すエンデの耳元に、タニアは更に顔を近づけて…


「ところであなた…[あの丘で]の映画の挿入歌が好きなのね…。ねぇエンデ?……私は自己完結して逃げる人は許さないの。じゃ、おやすみなさい。」


タニアは一気に喋ると、クルッと方向を変え、エンデ何か言い返す間もなく部屋へ入って行ってしまった。


「……」


茫然と立ち尽くすエンデ…


…ニアさん…

タニアちゃんは確かにあなたの娘さんです…


閉められたタニアの部屋のドアを見つめながら、エンデは心の中でそう呟き…苦笑していた…






「綺麗ね…」


かなり接近して輝く2つの月を病室から眺めながら、ヨルアは呟く…


「…そうだな…アリオルムの夜空を落ち着いて眺める余裕なんてなかったから…こんな風にヨルアと一緒にゆっくり月を眺められている今が…なんだか夢を見ているみたいだ。」


「……パパの声がとてもゆったりしていて…体調がかなり良くなっているって分かるわ。本当に良かった…」


「…そうだね…ここまで良くなるって思わなかったから…僕も嬉しいよ。お陰で自力で車椅子の移動もまた自由に出来るようになったから…まだまだ希望を持って日々を過ごせる。あの治療師の人にも感謝だが…巡り合わせてくれた君とアイラさんにも感謝だな。ありがとう…」


「…私が言っても聞いてくれなかったのに…もっと早い段階で寝込めば良かった…。そうすれば…」


ヨルアは凄く悔しそうに呟く…


「…いや…君には元気でいてもらわないと…もう無理したらダメだよ。本当に…バカなパパを許してくれ。君の祖国であるミアハの人に…僕が君を幸せに育てられているか自信が無くて…頼る気持ちになれなかったんだ…」


「そんな事…」


「ヨルア、聞いてくれ。…もう不毛なタラレバの話は止めて、現実の話をしよう…」


強引に言葉を遮ったブレムに、ヨルアはなんだかとても嫌な予感がした。


「……」


ブレムの座る車椅子の背後にいたヨルアは…彼の車椅子の手押しハンドルを握りしめたまま固まってしまっていた。


「ヨルア…僕の横に来てくれ…君の顔を見て話がしたい…」


絶対に嫌だった。


おそらくこの人は…


これから絶望的な話を始めるんだから…


「頼む…月明かりに輝くヨルアの顔を…見たいんだ…」


「そんな大袈裟な…別に月光に当たったって私は輝かないわ…」


…きっと聞かなきゃいけない話なのは分かってる…だけど…ヨルアの全身が拒否していた。


「ヨルア、頼む。」


ブレムは懇願し、後ろまで手を伸ばしてヨルアの手を掴む。


「…分かったわ…」


ヨルアは意を決してブレムの左側に立つ。


「…もっと良く顔を見せて…」


ブレムは横にいるヨルアの顔をじっくり見ようと、座ったまま彼女の方へ身体を傾け…俯き加減のヨルアの顔を覗き込むようにじっと見る。


「もう少し顔を上げて…月明かりの影になってよく見えないから…」


「もう…注文が細かいおじさんね…」


気恥ずかしさはあったが、言われた通り窓の方を見て少し上を向くヨルア…


「…ああやっぱり…まるで月の女神様みたいだ…」


ブレムはヨルアの方へ手を伸ばし…頬に触れる…頬が既に濡れている事には全く気付かないフリをして…


「もう…大袈裟なんだから。恥ずかしいから…もう後ろに戻る…」


やたら褒めるブレムにどんな表情をしていいか分からず、ヨルアは少し後ずさると、


「待って、お願いだから…もう少しここに居てくれ。」


と言って、ブレムは咄嗟にヨルアの腕を掴んだ。


「…パパ…」


「本当に…いつの間にやらこんなに素敵なレディになって…。パパも…思わずプロポーズしたくなっちゃうくらい…綺麗だよ…」


「……」


ヨルアの瞳から溢れた涙は頬を伝わり…やがてヨルアの頬に触れているブレムの指に伝って…次々と流れ落ちて行く…


「パパは…良い父ではなかったね…。ごめん。だけど、君の父親として人生を送れて…パパは幸せだったよ…」


「止めて!止めてよ……体調が良くなって来たばかりなのに…そんな事…言ったりしないで。」


「ヨルア…よく聞いて。僕は分かるんだ。今のプロジェクトも…これから1年ぐらい関われれば嬉しいけど…その頃のヌビラナの現場は…正直どうなっているか分からない…いや、僕はね…これから間もなく始まるミアハの能力者達のヌビラナへの上陸…特に例の2人のプロジェクト参加が実現する半年後に…どうも嫌な予感がしているんだ。」


「……」


ヨルアは…何も答える事が出来なかった…


なぜなら…彼の地の長老や彼に近しい者達は…まるで見られる事を妨害している様に青い霧の幕が…最近日増しに増えて来て…ヨルアは意識を集中しても全く見えなくなっていた。


ヌビラナもまた奇妙な事に、あの星の地上に吹き荒れる虹色の風の様なモノが…ヨルアが意識を向けると見るなとばかりに吹き付けて来て、視界不良になってしまうのだ。


こんな…色々深刻な局面に父の力になれない事が、ヨルアは悔しかった…


「パパ…本当にごめんね…パパが言うような嫌な事かどうかは分からないけど…何か動き出しそうな予感はするの…だけど…ヌビラナの未来もセレスのあの子達の事も…見ようとすればするほど…何かが妨害してるように見えなくなってしまうの。…肝心な事が見えないなんて…役立たずで本当にごめん…」


ブレムはヨルアの頬の涙を一度だけ大きく拭うと…その手をゆっくり下げて、ヨルアの手を握った。


「いいんだよ…ヨルアに未来を見通して欲しかった訳じゃない…ただ…長年あの地にいた私の…なんとなくの勘で言った事だから…」


ブレムは握っていた手を緩め、ヨルアの手の甲を優しくポンポンと叩いて…そして手を離し、前に向き直った。


「ヨルア…僕は明日、退院してそのままヌビラナに向かう…君はまだ微熱が出たりしてるから、退院まではもう少しかかるだろうと聞いた。退院したら、色々と理由をつけてアイラさんに上手く対応してもらい、もう政府のスパイの様な仕事はするな。そして、セレスのあの2人がヌビラナで任務を終えたなら…身を隠しなさい。でないと君はこの先、動けなくなるまでテイホ政府の監視下でいいように使われる事になる可能性が高い。その段取りは…今、アイラさんと準備している。…いいかい、今後、僕に何かあったらアイラさんを頼るんだ。今のテイホ政府は…どうも周辺国の多少の犠牲はやむなしという感覚で、これからの飢饉対策を考えている傾向が強い。水面下で反対勢力が色々と動き出してはいるが…彼等が権力の近くに行くにはまだ少し時間が必要だ。それまでは…君は政府の捨て駒にされないよう、上手く逃げ切るんだ。」


「もう…そんな話…」


ヨルアは耐え切れず、うずくまって号泣してしまう。


「嫌だって言ってるのに…パパが居ない世界なんて…考えたくないのよ…。何か…治療法が見つかるかも知れないじゃない。もしもなんていやよ…聞きたくないよぉ〜……」


「…ヨルア…」


しばらくの間…


うずくまったまま泣きじゃくるヨルアの頭を…ブレムはひたすらに撫でていた。


「どうか…聞いて欲しい…。パパは今までひたすらにアリオルムの未来の為に頑張って来た。頑張った先に何かが実を結んで行く世界を…ヨルアに力強く生きて行って欲しいんだよ。どうか…パパのやって来た事を…ヨルアは見届けて欲しい。」


「……」


泣き続けるヨルアの頭を…ブレムはただひたすらに…撫で続けていた。


「愛しいヨルア…どうか…約束してくれ…しっかり生き抜く事を…」


「……」


突然、


ヨルアはバッと顔上げてブレムを見る。


「…分かった…約束する。だから…」


そう言いながらヨルアは立ち上がり、ブレムの車椅子を自分の方に向かせ、再び目線に合わせるようにブレムの正面にしゃがんで彼の両手をそれぞれ掴む。


「私も…こんな変な体質というか…能力を持ってしまった人生を受け入れたい。…ちょっとでもいいから自分の人生をYESって思いたいの。だからヌビラナで…可能な限りパパの側でお世話をさせて。パパの家政婦と警備の仕事をしたい…役に立ちたい…守りたいのよ。もう現場で部下の人達と一緒の作業は無理でしょう?少しの間、ここで車椅子で生活するパパを見ていたけど…車椅子の操作は上手くいってる感じだけど、やはり色々と大変そうに見えたわ。今のヌビラナは作業員の人達は半分近く帰されちゃって…看護士や介護士もパパの方に派遣されてないってボスから聞いたわ。もう、あそこはパパが自由に生活出来る場所ではないでしょう?ね…お願い…」


「…あの星は…一度君も行って見て分かったろう?何かあっても逃げ場が無い…そんな場所でパパは…もうこの手で君を守り切る自信はないんだ…」


「だからよ。自分のこの能力をパパの為に使う事で私は救われるの。私に守らせて…」


「……」


先日の夜のアイラの言葉がブレムの脳裏に甦る…


本音を言えば…側にいて欲しいに決まっている。


だが…もし、この子の命に関わる事が起きたらと想像すると…ご両親に…ユトさんやメリッサに顔向けが出来ない…


「…ヨルア…すまないが…」


と、突然ヨルアはブレムの足にしがみつく。


「背中や腰の痛みは治っても…立ち上がれないんでしょう?お願いだから…パパの役に立てる力はあるつもりよ。ジョアナさんにはしっかり鍛えられたし…私は傀儡師のカリナなんだから…」


「……」


「ねぇ…パパ…お願いよ…」


ヨルアは尚も足にしがみつきながら、ブレムを見上げる…


ブレムは…怖いのだ。


そのまま長くヨルアに頼ってしまったら…その内に絶対に言ってはい禁句を言ってしまいそうで…


なのにこの子は…


「…もしお願いを聞いてくれないなら私…パパに何かあったら後を追うから。」


覚悟を込めた目で真っ直ぐに自分を見て来るのだ…


「…分かった……君には負けたよ…」


…もう…


受け入れるしかないではないか…


「…ありがとう、パパ…」


ああ…やっとこの子は笑ってくれた…


だがブレムは最後にもう一度、釘を刺す。


「前にも言ったが、ヌビラナに着いたらその時点で僕達は上司と部下だよ。彼等は…現地の部下達はそれこそ年単位で家族と離れて命懸けで作業をしている。上司である私の公私混同は彼等の信頼を失う1番の懸念材料と私は捉えて気を付けている。それは…曖昧にして欲しくない。いいね?」


「…分かったわ…」


ヨルアは幸せそうに微笑みながら、ブレムの足にしがみついたまま…


「パパは…生きる事をまだ諦めないと…誓って。ケイレさんや、知り得る全ての情報網を使って私もとことんパパの病気の治療法を調べるわ。元気になれる方法を見つけて…パパとのんびり暮らす事が私の夢…お願いだから…まだ諦めたりしないで…」


「…ヨルア…出来ればパパだって、治せるモノなら治りたい。…だけど医学的視点は軽んじる事は出来ない。ケイレさん達のお陰で良くなって来ているのは嬉しいけれど…ケイレさんからも…完治は難しいと…大体のタイムリミットも聞いているんだ。僕は部下の事もあるから、一応最悪の事を考えて準備しなければいけない。…上司としての義務とも思っている。…だから…」


「分かってる…もう子供じゃないわ。…それでも…諦めて欲しくないのよぉ〜。お願い…」


ブレムの足にしがみついたまま…また子供のように泣きじゃくるヨルア…


「……分かったよ…約束するから…」


…言ってはいけないのだ…


きっとこの子は覚悟は出来ている。


だけど、ブレム自らが娘に絶望を突きつけるような事はこれ以上…


「パパ……パパ………今度会う時はもうパパって呼べないから…もう少し…こうしていさせて……パパ……私だけのパパ…」


そのままヨルアは、ブレムの足にしがみ付いたまま泣きじゃくっていた。


いつの間にか、2つの月は病院の庭に鎮座する大木に隠れてしまっていて…


ヨルアの嗚咽の合間にパパと呼ぶ声だけがしばらく…病室の中に切なく響いていた…
















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