3 癒す者としての使命
ミアハの民は、癒しの能力者として国内外で活動する事を大変名誉ある仕事と捉え、若い内には誰でも一度は能力者を目標にする時期はあり…その願いが叶えられた者は、例えどのような状況で癒す者としての仕事が終わりを迎えようと、能力者として活動出来た事を生涯、誇りと思うのだった。
能力者にとって外国での任務は様々なリスクも生じ…教育システムの比較的整っている大国であっても、ミアハの能力者の認識はまちまちで、特に富裕層の一部では人体を癒すティリの能力者を依頼する時、彼等の能力に関する知識をほぼ理解しないままに闇雲に力を求め、結果的に能力者を命の危険に晒すような事も時々起こる…という事を繰り返していた。
故に長老は、外国においての任務は全てそれぞれのコロニーの長達を通すシステムに統一し、何か問題が起きた場合は長老自らがその国の元首や大臣に苦情を入れ、能力者派遣にあたっての新たなルールの枠組みの作成を促したりして、対策を講じた。
それにより、大分トラブルは減ったのだが…権力に近い人のコネを持つ人の一部は、未だ能力者に対して度を越した要求をして来る問題は無くならず…しばしば能力者達を困らせていた。
ミアハの能力者は、その力の源とされている国内北部に位置するエルオの丘という聖地を定期的に訪れ、そこでの瞑想により力を整え精神の安定を図り、英気を養って再び任務へ向かうのだが…
稀にミアハへ戻る力も削ぐほどに過酷な状況に陥り、外国で能力の枯渇が起こる事も能力者達を悩ませていた。
その為、基本的に複数の能力者で行動するようミアハ本部から言われているのだが、個人指名をして来るクライアントの元へ向かう場合はどうしても個人行動になりやすく…時に悲劇も生んでしまっていた…
その日はブレムにとって、ことごとく間の悪い一日となってしまった。
その極め付けが今。
「マズったな…」
朦朧とする意識の中でブレムは必死で松葉杖を突き、自宅への道を急いでいた。
遡る事10日前…
大国テイホの陸軍大尉として、ある都市部で起きたテロ事件の現場で軍事作戦の指揮を執っていたブレムは、裏をかかれた襲撃から一時撤退する途中で負傷し、不運にも右足を切断する事を余儀なくされた。
処置後、軍事作戦現場の途中離脱という心残りな状況ではあったが、右足を失った今、幸い無傷で撤退出来た部下達の指揮を今後も責任を持って執る事は難しいと考え、ブレムは程なく除隊を決めた。
除隊後すぐに彼は軍立の病院を離れ、義手や義足の対応が充実している国立病院に転院する予定であったが、転院手続きの為に必要な一般用の身分証を取りに一旦帰宅し、ついでに除隊にあたっての書類の記入も兼ねて、自宅で一晩過ごす予定で自宅近くの日用品を扱う店の前まで、かつての部下の運転する車で送ってもらったまではいいが…
その店で買い物を簡単に終えた時点で既に日は落ちていて、ブレムはふと明日の迎えの車の時間を確認をしていなかった事を思い出し、イヤーフォーンを起動するが反応はなく…充電が切れているらしい事に気付く。
ならば帰宅後に固定電話から連絡しようと、ブレムは購入した物をリュックに入れ直し、薄暗くなった通りを松葉杖を付きながらいよいよ自宅の前へと続く路地に入った瞬間、
猫…?
戯れているのか喧嘩の最中か、2匹の猫が立て続けに飛び出して来て、そのうちの1匹はブレムの足元を通り過ぎ、2匹目が…
松葉杖に直撃し、ブレムは堪えきれずバランスを崩して倒れてしまった…
「……」
転倒時は特に痛みはなかったが、なんとか立ち上がり再び歩き出して間も無く…
なんだか下半身に冷たい感触があり手をやると…
切断した側の衣類がグッショリ濡れている事にブレムはここで初めて気付いた。
しまった…
ブレムは傷口が開いてしまった事を知り、焦り始める。
とにかく自宅まであと少し…なんとかそこまで頑張って歩いて電話をしなくては…
徐々に朦朧として来る意識の中、ブレムは必死で歩いたが…遂に力尽きて再び転ぶ…
「?!」
と思ったが、
「大丈夫ですか?」
不意に背後から腕を掴まれて、ブレムはかろうじて二度目の転倒は逃れた。
が、身体を支える力は既に無く…ブレムはその人物にもたれ掛かるような体制になり…
「申し訳ないです。明日が入院予定なのですが…傷口が開いてしまったみたいで…国立病院に連絡して頂けないでしょうか…」
ボヤける視界の中、暗がりでやっと見えたその男性は優しそうで…
「分かりました。とりあえず救急車を呼びましょう。救急隊員の方にその旨をお伝えします。」
と言うとその人は、すぐブレムを近くの縁石に座らせて彼の右足の付け根を何かで縛るような作業をし、次に自身のイヤーフォーンで通話をし始めた。
「間も無く救急車が来ますからね、頑張って下さい。待ってる間に少し治療をしましょう。」
…治療…?何を言って……この人は医師なの…か…?
「…ありがとう…ござ…」
薄れ行く意識の中でブレムが見たその人は笑顔が温かく…だが、なんだかとても顔が青白く見えた。
…暗い…せいだろうか…?
そしてブレムの傷口に微かに触れる彼の手が震えている気がしたが…そこで彼は意識を完全に手放した。
明るい……?
私は道端にいたはず…?
「?」
…人…?…泣いて……
すぐ側で人が泣いているような気配がして、ブレムはハッと目を開ける。
「ああ良かった…意識が戻られたようですね。」
…誰だ…?
安堵したように自分の顔を覗き込む女性に、ブレムは見覚えがなかった…
若く…肩くらいの長さの金色の髪を後ろで一つに結えた、水色の瞳の美しい女性は…溢れそうになる涙をハンカチで押さえてはいたが…既に泣き腫らした様な赤く腫れぼったい瞼が印象的な目をして、ブレムを見ていた。
どうやらブレムは今、ベッドの中…病室にいるようだった。
「…あなたは…?…あの人…僕を介抱してくれた男性は…?」
状況がだんだん分かって来て、ブレムは起き上がろうとするが…その女性はそれをやんわり止めて、
「起き上がらない方がいいです。まだ輸血の最中ですし…ブレムさんは一時危なかったようですから。あ、今、看護師の方を呼んで来ますね。」
女性はサッと立ち上がり、慌てて病室を出て行った。
…あの人…腰回りがふっくらしていて…身重のようだな…
謎の身重の女性が出て行ってからしばらくすると、医師と看護師と…元上官がその後に入って来て…あの女性の姿は無かった。
「意識が戻ったね。いや良かった良かった。ここに搬送された時点で君…かなり危ない状態だったんだよ。モニターは外すけど、死にたくなかったら1週間は安静にしててくれよ。義足の件はそれからだな。」
医師が話している最中に看護師はモニターと、ちょうど終わったばかりの輸血パックを外し、医師の方はブレムの傷口を軽くチェックすると、看護師と共にサッサと出て行ってしまった。
残った上官にブレムは、
「僕の不注意でお騒がせしてしまい、申し訳なかったです。」
と、とにかく詫びた。
記憶が確かならまだ作戦は続行中のはずで…こんな軍を辞めた元部下の為に病院に駆けつけているような立場の人ではない。
不本意な撤退の尻拭いも出来ないまま辞めて、こんな余計な心配まで元上官にさせている自分が…ブレムはただ情けなかった…
「いや…いくら除隊したとて、傷口も充分に塞がらない状態で君が転院させられているとは知らなくてな…。こちらこそ、命に関わる状況になるような対応になってしまった事をすまなく思う。このとおりだ。」
上官は済まなそうにブレムに頭を下げた。
「いや、止めて下さい。あなたに謝って頂く筋の事ではないですから…。ちょっと買い物がしたくて、自宅まで送ってくれようとした部下を断ってこの有り様ですから…情けない限りです。」
「起き上がるな、また傷が開く。正直、俺は期待していただけに君の除隊に関しては本当に残念でならない。まあ君の方は大事に至らなくて…本当に良かったよ。」
上官の男は起き上がろうとするブレムを苦笑しながら止めた。
「…?」
…君の方は…?
と言ったか…?
…そう言えば、自分を介抱してくれた人が救急車を呼んでいたと思うが…?
彼の事が未だ話題に上がらない状況が、どんどんブレムを不安にさせていた。
「…私を介抱してくれた人がいたんです。多分、その男性が救急車を呼んでくれたように思うのですが…お礼が言いたいのですが、何か聞いておられますか?」
「……」
上官の表情が僅かに引き攣ったようにブレムには見えた。
「お礼…か。彼は残念ながら亡くなったそうだ。彼もかなり身体の状態が良くなかったようでね…先程、奥さんが遺体を引き取りに来られていたようだった。あ、君も会ったんじゃないか?さっき医師達を呼びに来たのは彼女だったと思うから。」
「……」
それはあまりにショッキングな内容で…
上官が何を言っているのか…少しの間、ブレムは理解が出来なかった。
「あの女性…妊娠しているみたいなお腹でした。まるで泣き腫らしてるような目を……なのに……僕が目を開けたら……良かったって、笑ってくれて……」
ブレムはいきなりバッと起き上がり、
「僕はまだ、あの人にお礼もお詫びも言ってない。」
急いでベッドを降りようとするブレムに上官は驚き、慌てて彼の身体を押し戻そうとする…
「ま、待てブレム。そんな動いたらまた傷口が…さっき安静にしろって言われてたろ?」
ブレムが夢中で抵抗するので上官の男は慌ててナースコールを探すが…それはブレムが暴れてベッドの反対側に落ちてしまっていた。
「謝らなくちゃ…何も言えてない…こんな自分を助けて…身重のあの人を残して…」
何をどうすれば良いか…ブレムの思考は混乱し…ただガムシャラに歩き出そうともがいて上官を困らせていた。
「とにかく落ち着け、傷が開くって……言ってるだろがぁ!」
「…⁈」
気が付くとブレムは、上官に怒鳴られながら張り手を喰らっていた。
ブレムの動きが止まったタイミングを見計らい、上官は素早くベッドを回り込んでナースコールを押した。
「…多分…受け付けの人に事情を話せば、彼女の電話番号くらい教えてくれるだろうよ。お前…また傷口が開いたら、亡くなった彼の最後の厚意が無駄になるとは思わんのか?」
「……」
やっと…上官の言葉で我に返り…ブレムの目から涙がドッと溢れ出した。
「うわぁ〜っ!」
ブレムは自分の顔を毛布で覆って泣き叫んだ。
と…
ほぼ同じタイミングでバタバタと、この部屋をめがけて来るような慌ただしい足音が聞こえて…予想通りそれは彼らのいる部屋の前で止まった。
「どうしました?ナースコールの問いかけに反応がないのに男性の争う声がするって看護師達が…」
何か揉めていると判断されたか…今度は皆若くガタイの良い男性スタッフ達が駆け込んで来た。
「ここか…」
ブレムはあるアパートの一室の前で、ゴクリと唾を飲む…
予想していた通り…彼女の住居はブレムの生活区域内で、少し歩くが徒歩でもたどり着ける近さだった。
あの後ブレムは順調に傷も塞がり、軍側から進呈された最新式の…神経組織と繋ぐ事で普通の日常動作なら自分の身体の一部の様に機能してくれる優れモノの義足を装着して、身体的には何不自由ない生活を再び手に入れたところだった。
義足の問題をクリア出来たら真っ先にやろうと思っていた事…
それは…
亡き命の恩人レトの妻であり、あの日の自分の目覚めを見守ってくれた身重の女性…メリッサに、改めてお礼とお詫びの電話をする事だった。
無事に元気な女の子を産んだばかりの彼女は、唐突なブレムの電話にも穏やかに対応してくれ、彼の退院をとても喜んでくれた。
その際に、亡き夫レトはミアハというかなり特殊な国の出身で、生まれながらに人の身体を癒す能力を有し、その能力者として生計を立てていたという事や…
彼の死はミアハの能力者特有の問題で、あなたが気に病む事ではないと繰り返し言って、最後まで人を救おうとした夫の行動をむしろ誇りに思うと…涙声で伝えていた…
不意に赤ちゃんの泣き声が電話口に微かに聞こえて来たタイミングで、彼女は授乳を理由に「幸せをお祈りしています」とだけ言って、あっさり電話を切ってしまった。
今のあの親子は本当に安心出来る状況にいるのか?今の自分に何か援助出来る事はないだろうか?
と…ブレムはその事で頭の中がいっぱいになり、とにかく彼女達の状況を少し詳しく知りたくて、自分なりに築いたコネを最大限に利用し、メリッサ達の近況や住居を調べ…
今、ここに立っている。
何でもいい…
自己満足なのは承知で…ブレムは彼女達の力になりたかった。
「ふぅ…」
ブレムは一度軽く息を吐き、呼び鈴を押した。
「はぁい…」
聞き覚えのある声と共に開かれたドアの向こうには、紛れもなく、あの日泣き腫らした目をしていた女性が立っていた。
「こんにちは、メリッサさん。…初めましてじゃないですよね?」
目を見開き驚く彼女の腕の中には、目と肌の色こそメリッサと違えども母親に似て可愛いらしい赤ちゃんが抱かれていて…
その小さな存在は、ブレムを見てニッコリ笑った。
「…なるほどね…」
苦悶の表情を浮かべて眠るブレムの額に手を当てていた、深い藍色の瞳を持つ青年は少し切なそうに彼を見つめた…
彼の脳内に小さな銀色のチップの様なモノが埋め込まれているのが見えたが…
藍色の瞳の青年にとって、こうして直に手を触れればそのチップのクレヤボヤントによる思考読み取り防御効果は全く意味をなさないモノではあるが…彼の包帯の様な嘘をあの哀れで愛しい魔女に見破られない為に、彼もずっと必死だった事が伺えた。
「あんた達のすれ違いも大概だね。人の過去を暴くような事は趣味じゃないけど…僕も大事な人達を守りたいんでね。全てはあなたのその律儀な誓いが問題の根源だから…あなたには何としても魔女との関係をどうにかして貰いたい。」
ブレムの傍らにはいつの間にやら2人の男女が現れ…無言で彼を悲しげに見守っていた…
…ああ貴方達は…
そうですか…
なんとも心強い援軍の登場に、青年はニッコリと笑う。
「さて、とにかく魔女の暴走を止めないと…下手をすると死人が出てしまう。」
そう呟くと、青年は大きく伸びをして立ち上がり…
「それじゃあ…後はよろしくお願いします。」
と、振り向かずにそう言うと、その青年は魔女との対決の場に向かうべく…部屋を出て行った。
「ああ…気を付けてな…」
背後に控えていた老人は、わざとタイミングをずらすかのように、分厚いゴムの手袋に覆われた強張る手を押さえながら…まだ青年のいた余韻が残る椅子に向かって返事をした。
「長老…」
後ろで控えていた男が、心配そうに声をかける…
「…ブレムが目覚めたら、私は彼と少し話さなければなるまい。その後は…ヨハを手伝ってやらんとな。私は最後まで大忙しだ…」
いつもの彼には似つかわしくない、なんとも淋しげな…弱々しい笑顔を浮かべながら、長老は呟いた。