29 傀儡の親友
「…それは分かったよ…とりあえず許可しよう。だが先日も話したが、こちらのターゲットはあくまで変異の娘だからな。タニアではないんだぞ。情報源として大事にするのはいいが…タニアに接近し過ぎて足がついたら元も子もない。君の失敗で外交問題にでもなったらセレスの能力者の協力が得られなくなって、ブレムのプロジェクトが潰れたら目も当てられないぞ。しっかりしてくれ。…じゃあな。」
自宅の書斎で珍しくやや声を荒げて話していたアイラは、後半はほぼ一方的に要件を告げて通話を切った。
「タニアをウチのスパイにするだと?何を考えているんだあの子は…」
厄介な事にならなければいいが…
カリナのお目付けをジョアナに頼みたいが、あの子は今はもう臨月だからな…妊娠してから疎遠気味だとも聞いているし…いや困ったな…
予想外の展開にアイラは頭を抱え…持病の喘息の悪化で半年前から主治医に止められている葉巻につい手を伸ばす…
と、
内線のコールが響く…
「…なんだ?」
久しぶりの葉巻タイムを邪魔され、アイラは不機嫌に反応する。
「…は?…確かにマシュイと名乗ったのか…?……分かった。とりあえず通せ。」
17だと?ありえない話だ。
誰に入れ知恵されたか直接問い詰めてやる!
アイラは受話器を置くと、先程諦めかけた葉巻にやはり手を伸ばす…
火を着け、半年ぶりにお気に入りの癖のある煙を味わい…
「まったく…今日は予想外の悩みの種ばかりが舞い込んで来る…なんて日だ。」
近付いて来る足音を聞きながら、アイラはボヤくのだった。
あ、いた…
やっぱり今日も来てたわね…
カリナは30mくらい先でセレスの若い女の子にまとわりつく茶髪のチャラい男を見つけ、ニンマリする。
ブルネットの鬘に淡いブラウンの色が入ったメガネをし、タニアと会う時の様な上品で清楚なお嬢様スタイルとは違って、派手目な柄のワンピースに少しワイルドな革のジャケットを羽織った出で立ちで、側にトインもタニアもいない状態のカリナはゆっくりと…そのチャラ男に近付いて行く。
「綺麗なお嬢さん。僕、ここに来たのは今日が初めてで…よかったら少しだけ案内してくれませんか…?」
…嘘ばっかり、この間もそうやってレノの女の子に話しかけてたくせに。
あ〜あ…嫌がってるのに…急に腕なんか掴んだら、警備員が来るのは時間の問題じゃない…
もう…しょうがない…あんたが今捕まるのは困るのよ。
カリナはナンパを失敗しかけているチャラ男の近くまで来て、一度しゃがんで立ち上がり…
「あの、これ落としませんでした?」
少し距離をとった位置でチャラ男に向かって手のひらの中の硬貨を見せる。
不意の声掛けに男の意識がカリナに移ると、その隙を逃さず、腕を掴まれていたレノの女性は一気に男の手を振り払い…逃げ出した。
すると男の興味はすぐカリナに移り…
「あ…えっと…そうだったかな…?」
と言ってニヤニヤしながらカリナに近付いて来る…
男が差し出された手のひらをまじまじと見ようとすると、カリナはすぐさまその手を引っ込めて、警備員に見えない角度から男のシャツの裾をグイッと引っ張り寄せる。
カリナの予想外の行動に一瞬男は驚くが、少しして嬉しそうにカリナの肩を抱き、
「あなたは…なんだか積極的ですねぇ…僕的には大歓迎ですよ。」
と言いながらカリナの頬に自身の頬を摺り寄せて来る。
と、カリナは素早く顔の角度を変えてかわし、男に耳打ちをする。
「バカッ、あんたこの間も似たような事してたでしょう?まだ遠目からだけど、注意人物として警備員にしっかりロックオンされてるわよ。捕まりたくなかったら私と来て!」
と手短かに囁き、警備員には男の腕に自身の腕を絡めているように見せながら、人気のない建物の角の方に男を連れて行く…
「あ、ちょっ…強引だなぁ……」
いつもはトイン用に使用している手さげから、ブルーがかったシルバーの髪色の鬘と紺色のカジュアルなジャケットを取り出して、
「これ付けて、早くっ。それともそのままの姿で警備員に拘束されて色々尋問されたい?」
と脅しながら、カリナは半強制的に男にそれらを身に付けさせる。
「…よく分かんないけど…分かったよ。でもこれ付けさせて、おねえさんは一体俺に何をさせたいんだ?」
「…あら…かなりいい感じよ。わざわざ鬘をオーダーした甲斐があったわ。」
カリナはカリナでツバの深めな帽子を被り、皮のジャケットを袋にしまい、代わりに大きめのスカーフをストール風に巻きながら、指示通りの姿になった男を褒めた。
「説明は船が湖に出てから。とりあえずここを出ましょう。あんたは前科があるから、警備員がそれを知ったら2.3日の拘束じゃ済まないわよね。行き先はあんたと同じテイホ。その船は15分後に出るから手続きを急がないと…さあ行くわよ!」
カリナが話し終える前に、男の顔はみるみる青ざめて行った…
「あんた…何者だ…?俺になぜかまう…?」
カリナはモタモタしてる男の腕を掴み、
「だから、説明は船に乗ってからよ。あんたに1つ頼みたい事があるのよ。嫌だったら別に断っていい。そのままテイホの港でお別れよ。私はセレスに知り合いがいるから警備員に目を付けられたくないのよ…お互い警備員に変に疑われる前に撤収よ。ほら急いで。」
と腕を掴んだままずんずん歩き出す。
「…いい?この裏路地を出たらまずあんたが先に行って。私は少し経って後を追うから…でも船が動き出すまではずっと他人のふりよ、ほら行って。」
カリナは出口が近くなって来たところで突き飛ばす様にして男を前に出す。
「うわっ、なんだよもう…」
男はなんとかシブシブ…出国手続きの為の列に並んだ。
カリナはそんな男の後ろ姿をなんとも嬉しそうに眺める…
…性格も頭の出来もだいぶ違うけど、鬘を被ったら更に似てたわ…本当に掘り出し物よね。
…そう、これできっとタニアちゃんの迷いも吹き飛ぶわ。
ふふ…来週が楽しみ…
ね、タニアちゃん。
カリナはややご機嫌な足取りで表の通りに出て、ゆっくりと行列の後ろに付いた。
1週間後…
セヨルディでタニアと会う約束をしていた日…
カリナはわざと遅刻をした。
いや…本当はタニアやあの男…ネサムより先に着いていたのだが…
今日はある作戦決行の日…
カリナはネサムがやらかし過ぎないかを確認しながら、タイミングを間違えないようにタニアの前に登場しなければならないのだ。
「あ…」
タニアはいつも通り…待ち合わせ場所に約束の時間の少し前に現れた。
20分が過ぎ…いつものようにカリナが現れない事に戸惑い、タニアはキョロキョロし出す。
彼女はイヤーフォーン等の連絡手段は学びの棟の決まりで持っていない…
ミアハでは、長老の意向で子供達は自立するまではなるべく文明の利器は使用せず過ごす…
特にセレスは様々な事情で長老が特に気にかけ、よく子供達の前に出没するのでアムナ達も気を抜けないらしく、カリナもタニアともっと緊密に連絡を取りたいが、迂闊にイヤーフォーンを渡して向こうの管理者に見つかったら大変な事になるので、今は我慢しているのだ。
だから、タニアはカリナの今の状況が分からず少し慌て出していた…
と、
「あ、来たわね…なかなか良いタイミングよ。」
タニアが身体の向きを変えて湖の桟橋の方を見始めたタイミングで、ネサムが入国の手続きを終えて出て来た。
「例の鬘もしっかり装着してるわね。ヨシヨシ。」
…その数秒後…
タニアはネサムに気付き、カリナのいる距離からでも明らかに分かるくらい表情が変わった。
「え……おじさん…?」
タニアは明らかに動揺していた。
そう…ネサムはタニアの初恋の人であるハンサに、顔立ちや背格好が似ていた。
落ち着いて見ればすぐに人違いと分かるが、今回はカリナ特製オーダーの鬘で、髪型やセレス独特の髪の色まで似せているので、タニアはまだ混乱してるようだった…
一方、タニアに固まったまま凝視されているネサムはタニアの視線に気付き…ゆっくりと近付いて行く…
「…そうよ…指示通りさりげなく、動作はゆっくりとね…あくまで偶然よ。…そして…」
ネサムはここでニッコリ笑いながらタニアに話しかける。
「お嬢さん…勘違いでなければ僕を見ているように感じたけど…何か…?」
「あ、あの…、いえ…知り合いにとてもよく似ていたので…あの…ジロジロ見てすみません。」
タニアはしどろもどろに答えて、その場を立ち去ろうとする。
「あ、待って!」
ネサムは駆け出そうとするタニアの手をかろうじて捉え、
「あなたのような綺麗な人に見つめられて僕は嬉しかったですよ。僕はネサム…よかったら少しでいいので僕とお話ししてくれませんか?」
と言って、ネサムは少しだけ真剣な表情をする。
「え、…でも…」
タニアは少し顔を赤らめてモジモジしている…
タニアは違うと分かってはいるが…声質まで似ているネサムと…初恋の人であるハンサの記憶がまだ分離出来ないでいるようだった。
「……」
そんなタニアの反応を見ていてカリナは複雑な気持ちになる…
…タニアちゃんは本当にウブな子なのね…
外部との接触のない環境で、熱心なアムナ達に見守られて育ったセレスの子は美しい外見とは裏腹に、ネサムのような軽い気持ちでナンパして来るような異性の対応に慣れておらず、騙されて国外に売られる事が時々あるらしいけど…
ホント、タニアちゃん…危なっかしいのね…
計算通りの展開だが、かつてケビンの気持ちにどう応えたら良いか分からずに悩み抜いた頃の自分の姿がダブって…またツキンと胸が痛くなるカリナ…
でも…タニアちゃんと私が深い部分で理解し合えるようになる為だもの…この経験はタニアちゃんの為でもあるの。
そう…タニアちゃんには私しかいないって…気付いてもらいたいの。
だから…
今のところネサムはカリナから指示されている通り、努めて紳士的に振る舞っている…
あいつ結構な面食いだから、タニアちゃんの事をかなり気に入ったみたいね…あんなに必死に取り繕って…
「…ここは少し騒がしいね。もう少し静かな場所へ行こう…」
ネサムは立ち並ぶ店舗の裏側の広場に通じる路地へ、努めてさりげなく誘う…
「え…でも…私、人を待っているので…」
タニアはハッとして、カリナの事をここで思い出す。
「…ほんの少し…10分だけでもいいから君と話したいんだ。…例えば僕の兄のハンサの事とか…ね?」
と、ネサムは意味深なウィンクも添える。
「え?…なんでおじさんの事…お兄さん…?」
本来、無自覚でも能力者であるタニアなら…普段はこの男の胡散臭さは感じとれたと思うが…
初恋の人に似た男の容姿が、タニアの判断力を鈍らせていた。
「…知りたいでしょう?…今の兄の事をたくさん教えてあげる…こっちへ来て…」
ネサムは意識してさりげなく…広場に出る手前の路地に面したドアを開けてタニアを手招きする…
タニアは誘われるまま…ネサムに続いてドアの中へ…
そして、ドアは閉まる。
「…ここまでは予定通り。さあネサム、タニアちゃんを押し倒して。」
…2人が入った部屋は、現在は空き倉庫になっている事は確認済みで、実はドアの下の方に自動ロックの外鍵を少し前にカリナが隙を見て付け加えていたので…もうあの2人は自力ではあそこから出られない…
目の前のケダモノから必死に逃れようと、踠き泣き叫ぶタニアの映像が見えて来る…
内壁もね…この日の為に防音マットを頑張って張り巡らしたの…
この場所にも何も聞こえて来ない…
ごめんね、タニアちゃん…
「……」
本当はもう少し時間を待ちたいカリナだったが…
2人の今の姿は…
カリナにとって、止めてと腕を振り解いても機会を狙っては身体を密着させて来たケビンの姿がネサムとダブり…
耐えられなくなったカリナは…
「ああ…もういいわ。ネサム、タニア、眠りなさい。」
と、2人を一気に眠らせる。
そして…
タニアはネサムにまんまと処女を奪われたところでカリナが助けに入り、ネサムをボコボコに殴って警備員に突き出しタニアを慰める。だがタニアは妊娠してしまい、カリナが手配してくれた病院で密かに堕すのだ。
身も心も抉られるような辛い体験をしたタニアをカリナは献身的に慰め…いつしか2人は無二の親友となり、タニアはミアハを出てカリナと共に働く決意をする…
というストーリーを、カリナはタニアの脳の記憶を整理する部位に植え込む…
次にネサムにはタニアに無体を働いて捕まり…やっと釈放されテイホに帰るところまでの記憶を刷り込んで…
「さあネサム、起きてテイホにお帰り…」
と命令する。
カリナが慌てて自動ロックの鍵を開けて距離を取ると、直ぐネサムは出て来て…
彼はそのまま真っ直ぐに、出国手続きを待つ行列に加わるのだった。
タニアの眠る倉庫に誰も入って来ないよう見守りながら、ネサムがテイホ行きの船に乗り込んだのをカリナはしっかり見届ける。
…あいつはかつて、ミアハの子供を誘拐する手伝いを小銭稼ぎにちょこちょこ行っていて、その報酬で結構いい思いをしている…
今回はあくまでプライベートでミアハの子にチョッカイを出していたみたいだが…過去に若い女性に無体を働き泣かせた事は数知れずやっており…
基本、女性を欲望の対象としか見ていない輩…ネサム…
奴はほっとけばその内に本当にここの子に被害を出しそうだから、警備員に告げ口して置こう。
監視カメラをチェックすれば、ナンパは常習的にやってる事はすぐ分かるだろう…
そこで今度は、いよいよタニアを起こす。
彼女はカリナが作った悲劇の設定の中で目覚めた。
「タニアちゃん。」
とカリナが呼ぶと、タニアは待ちかねたという表情で抱きついて来る。
カリナもタニアをぎゅっと抱きしめ返し、
「私達は親友だからね。辛い事はなんでも話してね。」
というと、タニアは更にカリナをキツく抱きしめながら…
「うん…カリナさんがいてくれて…本当に良かった。」
と、泣きそうな声でカリナに告げる。
そんなタニアの声を聞き、
「…私もよ…ずっと、ずっと一緒にいようね…」
カリナはそう呟きながら、じんわりと抱擁から伝わってくるタニアのぬくもりを感じ…作り物の友情にウットリするのだった…
「あれ?ハンサさんはもう帰るの?もうすぐお茶の時間だからそれまで居ればいいのに…」
午後の農作業から休憩の準備の為に神殿に来たエンデが、正面の入り口でハンサに出くわす。
「ああ…もうそんな時間なのか…気持ちは嬉しいけど、夕方に長老と少し打ち合わせがあるから…今日はもう帰るよ。」
「?…」
なんだか様子が……あ…
「…マリュさんとケンカした?」
「……」
すれ違いざま、ハンサはピクンと反応して立ち止まったが…無言だった。
「…やっちゃったんですね…」
「確認しなくたって…君は分かるだろう?」
と、ハンサは力なく言った…
「…ハンサさんの心配も分かるけど…僕達はマリュさんが来てくれて凄く助かっているんです。タニアちゃんもゆっくりだけどいい方向に向かって来ているし…今だってタヨハさんと…」
「マリュは、…あの人はさ、一応、未婚の若い女性だからさ、来る度に見かける顔の痣はさ…あれを見たら僕でなくても…」
…まあ…そうだよね…実際、痣は顔だけじゃないし…
タニアはまだ自発的な会話はしないが、こちらの問いかけには反応するようになって来て…タヨハが側に居れば感情が不安定になって泣いたり暴れ出す事も無くなって来てはいるが…問題は入浴や着替えで…
タヨハ達男性が上着程度でも服を脱がそうとすると暴れるので、カシルが連れて来た女性看護士達に対応してもらっていたが、タニアは力が男性並みに強く…いつも複数で対応するのだが、看護師の中には怖がる人も出て来て…
ゆえに対応出来るスタッフの顔触れが安定せず、それでタニアも警戒心が解けずで…状況がなかなか安定しなかったが…
その現状を小耳に挟んだマリュが立候補し派遣されて来たのだが…
マリュはタニアの信頼を得ようと恐れ知らずで接触を試みるので、身体中のあちこちに毎日痣を増やしていた時期があったのだが…
今ではだいぶスムーズに着替えや入浴の介助が出来るようになっていて、マリュじゃないと無理という所までタニアの信頼を得られるようになって来たのだ。
…だがそれでも、まだ油断するとマリュもタニアの強く振り払う腕を避けきれない時があって…
よりによって、なぜかハンサが不意にやって来る前日くらいにマリュは目立つ場所に食らってしまうので…ハンサはいつも心配そうにそれらの痣を見ていて、時々彼女に苦言を呈していたようだったが…とうとう今日はやり合ってしまったようだった。
「…ごめん…マリュにも君にも…僕はこんな事言える資格なんて無いのは分かっているんだ。僕もヒカちゃんの事が落ち着いたからもう少しこちらの事を手伝えると思ったんだけど…今のセレスはヌビラナ派遣の件で大騒ぎでさ…長老もここ数日はその関連でテイホへ行ったりメクスムへ行ったりで…殆ど寝てないように見える…テイホはヨハ君やヒカちゃんの派遣を遠回しに強要して来てるからさ…」
ハンサは頭をガシガシ掻きながら愚痴を吐露し始めた…
そういうハンサも殆ど寝ていなくて、マリュに少々強い言い方をしてしまった様子がエンデには見えた。
「タニアちゃんに関する事になるとすぐ自虐的な発想になってしまうのは…もう止めましょうよ。悪いのはカリナなんです。アイツは必要なら色々な心の隙をついて仕掛けられる力を持ってるんですから…。ただ…そろそろ放置していられない状況になって来ているんで、カリナ自身が色々拗らせている問題を関係者に解決して貰わない事には…」
「関係者…?」
「…まあそのうち…ハンサさんが今聞いても頭が痛くなるだけと思いますから…」
タニアちゃんを取り込む為にカリナが具体的にどんな手を使ったかも…この人は一生知らない方が良さそうだな…
エンデは思わず苦笑いする。
「…僕も…出来ればタニアちゃんをエルオの丘に入れて欲しいと長老に再度頼みに、近くミアハに行きたいと思っています。…多分…タニアちゃんがエルオの瞑想の間で瞑想すれば、植え付けられた偽の記憶は剥がれ易くなると思うんで…」
「…そうか…僕からも帰ったらさりげなく頼んでみるよ。」
…国外追放になった罪人は基本、二度とミアハには立ち入れない。それを踏まえて特例を申請する場合は長達全員の承諾が必要で…その承諾云々の前に元老院が申請を途中で止めてしまう事もよくある話で…
なかなかハードルが高いのは分かっているハンサとしては、ダメ元で長老に頼むのが精一杯だった。
…ただタニアの場合は自分の意思でない犯罪が殆どなのだが…人の願望や感情に付け入るカリナの能力がどの範囲まで影響していたかの判別がかなり難しく…ゆえに元老院や長達もあまり温情ある対応が出来ないのだ。
エンデと話して少し気持ちが落ち着いて来たハンサは、神殿前の広場周辺にブルーベリーの木が大分増えた事に気付く…
「ブルーベリー…結構増えたねぇ。そろそろ実がなり出す時期だから…子供達が喜ぶね。」
「そうですね…まだ小さいけどりんごやオレンジの木も、今作ってる建物の近くに植えたんですよ。以前、荒屋でセジカ達と暮らしていた時、サハとイードがよく喧嘩してもお菓子を作る話をするとすぐ仲直り出来たんで…。子供達…いや、皆んなの絆を築くキッカケになって行ったらいいなって思います。それに…」
「あ…トウ君大好きなリンナだね。」
ハンサは少し困ったような表情で笑う。
「…一応……ね。あいつは女神の言う事しか聞かないし、トウ君しか関心がないからあんまりアテにならないんだけど…タヨハさんなんて、朝の瞑想の前には必ずブルーベリーの木に向かって話しかけてるよ。」
「…なんて?」
「……う〜ん…タヨハさんのプライバシーが……でもハンサさんだけ特別ね。[タニアの心の呪縛を取って欲しいんです]って…内緒だよ。」
「…分かった。変なこと聞いてごめん…」
ハンサさんだって、研究所周辺のブルーベリーに似たような事…話し掛けてるよね…
いつもタヨハさんやハンサさんはタニアちゃんの事を気にかけ心をすり減らしてる…
そんな彼等を少しでも早く楽にしてあげたいと思うエンデ…
なぜなら…最近タヨハに気になる兆候が出始めているから…
夜中によくうなされていて…あの時の悪夢がフラッシュバックしているようだった…
「…話は少し戻りますけど…マリュさんは本気でここに腰を落ち着けるつもりでいるようです。これからここに更に集まって来る子達は、セジカ達みたいに全て家族の元に戻れる子ばかりじゃないですから…。あの人はここにセレスのようにアムナ達でそんな子達を育てる施設を作り上げて行く青写真を描いて、僕達の手伝いに参加しています。マリュさんにとってはハンサさんみたいに本気で心配してくれる人の存在は嬉しいと思う。だけど、彼女の覚悟を受け入れた上で心配して上げて欲しいです。実はタニアちゃんはもうここ3.4日…入浴も着替えもほぼ1人で出来ているんです。ハンサさんの心配も分かりますが…本当にもう少しなんで…」
ハンサは複雑な表情で頭を抱える。
「やっぱり…そんなところだろうと思っていたけど…そんな大それた事に関わってしまったら彼女は…」
「嫁に行き遅れるって?そう言うのを余計なお世話っていうのよ、ハンサさん。そんな頑張ってる私を見初めてくれる人だっているかも知れないでしょう?」
ハンサがハッとして声のする方を振り返ると、噂の当人がそこに立っていた。
「マリュ…」
右頬に出来ているドス黒い痣は…やはりハンサには痛々しく見えた。
「さっきも言ったけど、そんな目で見ないで。この痣は先週出来たモノで、タニアちゃんはここ3日ぐらいとても落ち着いてるの。こんな感じは初めてなのよ…。今はあっちでタヨハさんの作業も手伝えてるし…凄くいい兆候だから、本当に大丈夫よ。」
「でも君は…」
マリュは咄嗟にハンサの両手を握る。
「ハンサさん…さっきはキツい言い方してごめんなさい。心配してくれて本当に嬉しかったのに…可愛げないよね…」
マリュは少し涙ぐむ。
「家族に憧れている私を思って心配しているのよね…でも、私がどうしてそうなったかをあなたは知っているでしょう?…私、これから出来る施設のアムナの指導役と自分の家族を作る事…両方を頑張って手に入れるから…あんまり心配し過ぎず見てて…。応援団長はこれからなるべく心配かけないよう頑張りますから…」
マリュは言い終えると、手首に掛けていた紙袋をハンサに渡す。
「…もう帰るって言ってたから、お茶菓子の木苺クッキーを慌てて詰め込んだの。よかったら帰り道で食べて…」
「…ありがとう…僕も言い過ぎた。身体に気をつけて…頑張れよ。また時々チェックしに来るからな。」
そう言いながら紙袋を受け取ったハンサの顔は…エンデがさっき話しかけた時より大分優しくなっていた…
2人のやり取りを見ていたエンデは…少し嬉しそうに…少し冷ややかに…
まあ…いいけどね…
なんだかんだでイチャイチャしてるクセに…ややこしい2人…
…だけど……それでも別れを決意したハンサさんの気持ちも分かるから…
せめてこの人達はハッピーエンドになって欲しい…
と願うエンディだった。
「…おじさん…久しぶりです。」
リハビリを終えて病室に戻り、ベッドに横たわりウトウトしかけた所でブレムは、微かな声を聞く…
「…君か……」
なんとか目を開けて、声をかけた人物を確認するブレム…
「…起こしてしまいましたかね…事前に院長から面会の許可は得ていたのですが、唐突にお伺いしてすみません…」
そう言うと、見覚えある青年は少し離れた場所から深く一礼する。
「…誰ぞの使いで来た…という感じかな…?」
「…そうですね。まず大きな用件はお察しの通りです。まだこちらに滞在される時間が残っておられるようでしたら…長老と会って頂けないでしょうか…?」
使いの青年の要請にブレムは苦々しく笑う…
「…こんな…自力で起き上がる事も覚束ない私が滞在予定も何もないよ。申し訳ないが…自力で車椅子への移乗が出来るようになるまでは誰にも会う気はない。その後だったら…時間を作ろう。…かなりアテにならない約束と思ってくれ…」
「今回の手術では下半身の機能に影響が出るリスクは高いから一応覚悟を」と執刀医から告げられてはいたが…実際にそうなってみると、ブレムの心理的ダメージは大きかった。
「…分かりました。長老にはそのようにお伝え致します。」
「…で?…君の用事はそれだけじゃないんだろう?」
距離を詰めないまま会話をする青年は、少し躊躇するそぶりを見せるが…
意を決してブレムのベッドサイドまで歩を進め…
「…おじさん、ここからは立場を離れて忠告します。今のヨルアは…かなりヤバいと思う。俺は少し前にヨハの警備に少し関わった時期があって、その時に彼はタニアの襲撃にあったんだ。幸い彼は冷静に自力でそれをかわして事なきをえたが…少し離れた場所でボーダーコリーを連れている女がその2人の様子伺っていて、ヨハがその気配に気付くとそいつは慌てて逃げた。タニアの件は…カリナの独断でやってる事とミアハ側は把握している。俺もそう思うし、あの時のあいつが醸し出していた雰囲気は…少なくとも、俺の知ってるヨルアじゃなかったよ。」
「…そうか…」
「俺は…今病室に入って少しホッとしている反面、残念にも思ってる。あなたがこんな状態になっているのに…なぜあいつを…ヨルアを側に置かないんだよ。あんたの役に立つ事を何より望む奴だったのに…あんたがヨルアを意図的に遠ざけているようにしか…」
ここで青年はハッとし、少し後ろに下がる。
「すみません…言い過ぎました。」
ブレムは力なく微笑み…
「…いいよ、気にするな。君達は…昔はヨルアと本当に仲良くしてくれてたものな…今もあの子の事をそんな風に心配してくれて…嬉しいよ。ありがとう…カシル君。」
「…おじさん…俺はそんな事が聞きたいんじゃ…」
自分の娘の常軌を逸した行動にあまりに淡々としているブレムにガッカリして…カシルはもうその後の言葉が出て来なくなってしまう…
「…迷惑をかけてすまない…私なりに色々考えてはいるんだ。この話は…今はここまでにして欲しい。申し訳ないが…」
「俺は…ヨルアを救えるのは、やっぱりあなたしかいないと思ってます。…色々ズケズケとすみませんでした。」
…こんな…弱っている人に俺は何をやっているんだと思いながらも…
どこか…ヨルアから距離を置いているようなブレムにモヤモヤしてもいて…
カシルは再び深く一礼をして、病室を出た。
「……」
思わぬ人物の来訪で熱を帯びた病室を…再びいつもの静寂が包み込む…
「…どうして隠れた…?」
「……」
VIP対応の特別室の壁面に嵌め込まれた衣装ダンスの扉がゆっくりと開き、ソロリと人影が現れた…
「今すぐに…タニアさんの心を解放しなさい。でないと…」
「…分かりました。」
その人影…ヨルアは、ボソッと小声でそれだけ言うと…部屋を出て行った…




