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28 新たな指令と絶望の共振


「…くッ……」


吹き荒ぶ強風に混じる砂が頬に…いや、顔面全体に当たり続けていて…顔が少し腫れて来たような…


ヨルアは薄暗い砂漠の中を1人…ただひたすらに歩いていた。


顔が痛い…


風はいつ止むの…?


いやそれより…私はなんで…ここにいるんだっけ…?


『…ア……ヨルア……ここまでいらっしゃい…』


風に混じって…自分を呼ぶ声がする…


ヨルアはふと…声のする方を見る。


「…そう…だ…私は行かなくちゃ…」


『…そうよ…早く……でないと…』


遥か前方には青い光があって…声はそこから聞こえて来る…


「…でも風が強くて…顔が痛いの…」


ヨルアはまたフードを深く被り直し、砂混じりの風が顔に当たらないよう…俯き加減で前進する…


「……から苦しいんだって、リンナも心配してるよ。」


「え?…」


不意にすぐ近くで声がして、ヨルアは少し顔を上げる。


…すると…右前方に少年が立っていた。


「…木…?…なんで…砂漠の中に…?」


歳の頃なら15.6歳ぐらいの…緑色の瞳と髪の少年の周囲には、砂漠の中にも関わらず、少年より少し高いくらいの木々が青々と葉を茂らせていて…更にその木々達は、紫色の小さな実をたわわに付けていた。


「あの木の実…どこかで見た事が…」


ヨルアは木の実に吸い寄せられるように、進行方向がだんだん右寄りに逸れて行く…


「君に必要な実はこの中にあるってリンナが言っているから、探してみて。」


少年はずっとニコニコしていて、ヨルアに手招きしている…


「必要な実?…リンナって誰…えっ?、…え…?」


木々の実に気を取られていたヨルアだったが…いつの間にかその姿の細部まで良く見えるくらい少年の近くまで来て…絶句してしまう…


「……」


立ち止まり、少年の頭部をジッと凝視するヨルア…


風になびく少年の緑色の髪が自分の身体に当たるのを楽しんでいるように…彼の頭部にちょこんと座ってニコニコしながらヨルアを見ている小さな少女…いや、よく見るとその存在には蝶のような羽が生えていて…


「妖精…?」


ヨルアの呟きにその存在はうんうんと頷き…頭頂部をその存在の憩いの場にされている少年も答える。


「そう、リンナはブルーベリーの木の妖精なんだよ。君は…誰かに呼ばれてここに来たの?」


彼の言葉に呼応するかのように、その妖精…リンナもまたうんうんと頷く。


「…呼ばれた…の?」


ヨルアが尋ねるとリンナは、畳んでいた羽を大きくバッと広げ、少年の頭から飛び立ち…


少しの間、少年の頭上を飛び回った後にスッと耳元まで降りて、羽ばたかせながら少年の耳に向かって何やら喋っているようだが…


ヨルアは少年の結構近くにいるのに、妖精の声は全く聞こえて来ない…


「……」


うん、うんと少年は途中で何回か相槌を打ちながら、妖精の話を真剣に聞いていた。


「……」


少し時間が過ぎ、妖精がやっと少年の耳元から離れると…


少年は妖精の話を聞いていた時そのままに、真剣な表情を崩さずヨルアの方を向き、口を開く。


「…女神様はね…君の辛かった事、悲しかった事、とても寂しかった事は皆んな知っているって伝えてって…」


…過去形の事でもないけれど…と思い…ヨルアは少し胸がつまる…


「でも…幸せになる事を決して諦めないでって…君の…ヨルアの本当の願いを伝えていい日は必ず来るからって…でもその為には…」


その時、ヨルア達のやり取りを少し離れ上空を飛びながら見ていた妖精のリンナは、再び少年の耳元に来て何か話し出す。


「…あ…うん…分かったよ。」


少年が頷くとリンナはまた飛び上がり、上から2人を見ている。


「…どうしたの?」


リンナと少年のやり取りが全く聞こえて来ないヨルアは思わず聞いてしまった。


「…君は危険な仕事をしているけれど、出来るだけ殺さないでって。殺さなくて済むような能力があるのだから、そういう所を怠けたらいつかそれは…ヨルアの大切な人を悲しませ…女神はその人を連れて行ってしまうって…。で…これは強く伝えてって今言われた。ミアハの変異の娘は絶対に殺しては行けない…その娘が死んだらヨルアの大事な人の努力は報われないまま終わってしまうって………」


「……?……なんで泣いているのかしら?」


少年が話しをしている途中からポロポロと涙を流したので、ヨルアは少し驚いて尋ねる。


「…その変異の娘は…きっと僕の妹だから…」


「…?!」


ヨルアは絶句する。


なぜなら…その娘の事は心当たりがあったから…


少年は…とても悲しそうにヨルアを見ている。


「…ヨルアは…僕の妹に何をしようとしているの?」


「……」


すると、何も言えなくてなってしまったヨルアと少年の間までリンナが降下して来て…ヨルアに向かってある方向を指差す。


その指差す方をヨルアが見ると、沢山の木々の中で小さく光る場所がある事を発見する。


リンナは、そちらへ行けとばかりに何度も光る場所を指差し直す仕草を繰り返す…


「…行けばいいのね…?」


リンナに確認しながら小さく光る場所へ歩き出すヨルア…


リンナはニコッと笑い、うんうんという仕草をして応えた。


距離的には3.4mくらい先…


ヨルアがその光る場所に辿り着くと、それはたった1つの実が発していた光だと分かった。


「…やっぱり…これはブルーベリーね。」


確認するようにヨルアがリンナを方を見ると、リンナは今度はそれを口に入れろという仕草を繰り返す…


「…食べろって事…?」


ヨルアは少し躊躇したが、リンナや少年からは危険な気配は全く感じなかったので…


「…分かったわよ…食べればいいんでしょ!」


ヨルアは半ばヤケクソな心境で、その光る実を摘んで口に放り込む…


「うわ…私の知ってる味じゃない…もの凄く甘いのね…」


ヨルアがその実の甘さに驚いてる中…


「…リンナの力が結実した特別な実だからね…そしてそれは君の為に用意された実なんだよ。」


背後から少年の説明する声が聞こえて来た。


さっきの余韻をまだ引きずってか…少年の声は少し憂いを帯びていた…


「…私の為って…一体どんな意味のある実なの?」


そう問いかけながら、ヨルアは少年の方を振り返る。


「…僕には分からない…リンナは実の力に関しては殆ど教えてくれないんだ。だけど、その実は君の為に結実した…ヨルアが幸せになる為のお手伝いをする実だよ。」


「…そう…なの…?」


と、再び少年を見ようとすると、リンナが2人の間を急に通り過ぎ、少年の頬にキスをした。


「あ…もう時間がないみたいだ…」


残念そうに呟く少年の肌がみるみる透けて行く…


「…僕…ヨルアが誰なのか…分かった気がする。君はどこかあどけない表情をしているし…名前も違うから…最初見た時は分からなかったよ。だけど多分、君は未来まで女神に呼ばれて来たんだね…」


「…未来…?」


話してる間にも少年の姿はどんどん薄くなる…


「…多分だけど…僕はこのあと未来の君と対面する事になるみたい…。どうか…ヒカを殺さないで。タニアさんを苦しめないで…お願い……」


そこまで言うと、少年もリンナも…ブルーベリーの木々も…全て消えてしまった…


風の吹き荒ぶ薄暗い砂漠の中でぽつんと1人残されるヨルア…


「…?…なんか…こんな薄暗かったかな…?」


いや…今もどんどん暗くなって来ている…


日暮れ…?…いや違う…あの光が…どんどん遠ざかっているからだ。


最初目指していた青白い光の方へ顔を向けると、その光はかなり遠く…小さくなりつつあった。


『……ルア……は…く………』


自分を呼んでいるような声もどんどん小さく…やがて聞こえなくなり…


とうとう光は消え…真っ暗になってしまった…


…何も見えないのに…なんか音が…うるさい……まるでアラーム音みたい…


…ん?…アラーム?……


ヨルアはハッとして目覚める。


ここは…


そうだ…昨夜パパに病室から閉め出され…帰れって言われて自宅に戻ったんだっけ…


…10日前にブレムは3度目の大手術を乗り越え…集中治療室を出た時点で、アイラの勧めで政府関係者のみが入れる病院から、彼の経営する病院の特別室へと転院し、予定の2週間後の退院に向けて投薬治療も受けつつ静養してるのだが…転院して間もなくにヨルアはアイラに呼び出され、久しぶりに…けれど気乗りしない指令を受けたのだった。


ヨルア的にはせめてブレムが退院するまでは側を離れたくなかったが…


つい最近法律が改正され、ヨルアの様な強力な能力者は政府直属になって働かねばならず…ただ、今日までのアイラとブレムの国への貢献度を考慮し、この度の特別指令をヨルアが無事にこなした暁には、ヨルアがブレム専属の能力者として活動する事を秘密裏に許可する…というモノだった。


その指令というのが…ヨルアにとってかなり気乗りしないモノではあった。


「君もミアハという奇妙な種族が暮らす小国の事を1度は聞いた事があるだろう?」


「ええ…まあ…」


…確か…ケビンの所によく遊びに来ていたカシル達もミアハの子だったな…彼等のご両親がヘレナママの治療の為に定期的に自宅に通って来ていた縁で家族ぐるみで仲良しになって行った事を思い出す…


アイラはしばしヨルアの様子をじっと見ている…


「…その反応から見るに…君もミアハの血筋だと言う事はまだ知らないのかな…?」


ヨルアはキョトンとする。


「私…ですか?」


「…そうだよ。君の亡くなったお父さんがね…ミアハのティリという種族の能力者だったんだよ。ミアハは大きく3つの種族に分かれているんだが、お父さんは人間の身体を癒す能力を持つティリという種族だったようだよ。…ミアハの人の中には時に他の特殊能力を持つ人が生まれるらしくて…君のその能力も、ミアハの血筋の影響が強く出たからでは?という見方も出来るそうだ。」


…そう…だったんだ…


「…戸籍には…父の名前は無かったから…知りませんでした。」


「亡くなった君のお父さんは当時、お母さんと一緒に暮らしていたみたいだけど…お母さんが妊娠し悪阻が酷くなってしまったので、体調が落ち着いたら2人で入籍に行こうと…そしてその予定の前日に倒れて亡くなってしまったんだよ。だから君はお母さんの私生児扱いになってしまったらしい…」


「……」


どうりで…最近、夢の中だけでなく、目覚めている時も時折見掛けるようになった亡き父の姿は…私と…ケビン達の家に来ていたカシルとその妹のミリとも似ていて…いや…皆ほぼ同じ…


そういう事だったのか…


「…まあ、その件はまた機会があったらブレムに聞いてごらん。…で、今回の政府からの指令内容はちょっと…この国の闇な面に触れる件でもあるのでね…私も出来れば引き受けたくはない案件なんだけど…政府が我々の足元を見て駆け引きして来る所をみると、大分切羽詰まっているのだろうね。この件はブレムが命掛けで打ち込んでいるヌビラナプロジェクトにも関連して来る話なんだ。」


アイラの話によると…というか、噂程度のレベルでヨルアも学生の頃に聞いた事があるし、ジョアナからも…昔からメクスムやテイホが、ミアハの赤ん坊から若者世代の人間を攫い、以前はこちらの人間と交配させて能力の取り込みを試みたが…生まれた子には容姿や能力も一応引き継がれるのだが、それは男系の遺伝子からのみ引き継がれ…そのせっかく受け継いだ能力も時間の経過と共に弱まり、幼児のウチに例外なく消滅してしまう事が分かって…それは子供だけでなく親の世代のミアハの人間も、なぜかミアハを離れると割とすぐに能力が失われてしまうとの事だった。


…どうやらミアハの民の能力と、彼等の国の研究所の裏に鎮座するエルオの丘という彼等の聖地は密接な関係があるらしく…ミアハの民も、エルオの丘から離れて時間が経過して行く程に能力が弱まって行ってしまうモノらしかった。


厄介な事に、エルオの丘というのはかなり特殊な場所で…ミアハの血を引く者でないと内部への進入時に何かが起こるのか?…大国から様々な手段でエルオの丘内部への侵入を試みた諜報員は拘束され…誰一人その際の記憶を有していないのだ。


ミアハの民であっても我々の協力者は…エルオの丘内部へはなぜか侵入出来ないのだとか…


その後も水面下で政府の息のかかった民間組織の諜報員に赤ん坊や子供を攫わせ、身体の様々な部位の組織を培養したり実験も行ってみたが…どれも能力の取り込みという意味では失敗に終わって来た。


特に近年はレノの種族が葉緑体を有し、体力の補助的に光合成をしている事が判明し、レノの子供が攫われる事件がかなり増えていたが…結局どの研究アプローチも能力や体質の取り込みは上手く行かず…メクスム政府は既にこの研究から手を引いていた。


むしろメクスムは最近ではミアハ国とのパイプを太くし、ミアハの民それぞれの種族の力を借りてこれからの危機を乗り越えて行こうという政策にシフトしつつあり…そこそこの成果を出しているとの情報もテイホ政府側に流れて来ているとか…


ブレムが中心となって進めているプロジェクトは、一応、連合国共同プロジェクトの名目もあってメクスムからの資金提供も大きく…


飢饉対策に於いてはメクスムの方が現時点ではより順調に準備がされて来ている感に、テイホとしては焦りもあって、レノの光合成能力の取り込みの研究を諦められずにいた。


大国だけでなく、世界中のこれから生まれて来る子供が光合成の力を持てたなら…人々の食の不安やストレスは軽減し、飢饉問題が引き起こす戦争も少なからず回避されて行くだろうと考えているのだ。


…そんな折…ミアハにおいて100年に一度の出現率と言われている、生まれた時の種族の力から違う種族の力へと、体内エネルギーの変化が成長の課程で徐々に起きて行く[変異の子]が生まれた。


しばらくして、その少女の血液データと皮膚や頭髪等の一部の組織サンプルの取得に成功したテイホ政府は…どうやらその子の変異を促す細胞にはミアハ以外の人種の遺伝子がレノの葉緑体を含む細胞を取り込む際に起こる拒絶反応を消してしまう作用がある…という事を見つけ出したのだ。


なるべく早く…彼女を攫って身体中の組織を調べ培養し、光合成を行う細胞の移植…もしくは受精卵や胎児の段階での遺伝子へ取り込む実験を成功させなければならない…


その実験の成功からいずれは…自然な遺伝へと繋げて行けると…彼等は考えているのだ。


あくまで長期的な…現時点では補助的な対策ではあるが、この研究が進展し軌道に乗れば、テイホは長年水面下で競って来たミアハの特殊な能力の取り込みに関する研究が世界から頭一つ抜け出せ、ヌビラナプロジェクトと合わせればメクスムより心理的に優位に立てるとも踏んでいる…


変異の娘は今回を逃せば後百年は生まれては来ないし、変異の形としてレノのエネルギーからセレスのエネルギーに変異して行く変異パターンが、今回は奇跡的な大きなポイントとテイホの研究者は考察している為…この千載一遇のチャンスをモノにしようと、ティリ系の強い力を発現している稀代の特殊能力者のヨルアに目を付けたらしい…


「…という訳でな、君に白羽の矢が立ち、その力を駆使してあくまで誘拐という形ではなく、その少女の意思でテイホもしくはヌビラナまで来る作戦を立てて欲しいとの事だ。」


…よりによって…ミアハの血を引く私にそれをやらせるか…?


テイホ政府のえげつなさに気分が悪くなってくるヨルアだった。


「ヌビラナプロジェクトは一応、メクスムとの合同プロジェクトとはいっても、パパが長きに渡って危険を顧みずにひたすら進めて来たプロジェクトですから、このプロジェクトに関してはテイホ国に主導権があるでしょう?なぜそんな…まだ確実に実現化出来ると確定されていない作戦の実行に政府は焦っているのですか?」


ヨルアの質問にアイラはやや眉を顰め…


「ブレム君は…まだ君には話していないんだね。実はヌビラナプロジェクトは今ちょっと…暗礁に乗り上げている状態なんだ。僕達の星が必要としてる物質は予想よりかなり深い地層に集中していたようでね…更に厄介な事にその物質が多量に含まれている地層はかなり硬くてね…ヌビラナは活断層の動きも意外と活発で…基地からは遥か離れた場所ではあるが、年に数回の噴火を繰り返している場所が数カ所あるんだが…深いところの発掘作業をそれなりの規模で強い圧力を加えて始めてしまうと、基地近辺の地殻変動を誘発してしまう可能性を心配してね。その為の再調査と、何より一番の課題はその必要物質抽出に必要な多量の水をどうするかという事。捻出するか母星からの運搬か…いずれにしても今の我々の科学力では効率的な手段は見出せていないんだ。ワープ技術はまだ極近距離での実用化が成功したばかりだからね…大規模でかなり遠方なモノは現段階では開発は全く追い付いておらず、現状、時間と費用的に不可能に近い…ゆえに作業はほぼ止まっている状況なんだよ。このままだと調査次第ではプロジェクト自体にストップがかけられてしまう事も心配もされている。発掘より富裕層をターゲットにした観光地化を望む連中を活気付かせてしまう訳だ。」


そう…


ヨルアは今度こそブレムに頼ってもらえると思ったのに…


仕方ないのは分かっているが、人前…特にヌビラナで働く部下達の前でのヨルアの言葉使いに関してはどんどん厳しくヨソヨソしくなり、警護の仕事に関する事以外はヨルアには殆ど話してはくれず…ブレムの看病に関しても、今はアイラの仕事を可能な範囲で手伝えと…病室から追い出すように帰されてしまう事も増えて来ているのだ。


…そこまでして自分を遠ざけたいなら、いっそのこと親子関係を解消して欲しいのに…


…ヨルアはもう…ブレムがどんどん分からなくなって来ていた。


「…ルア……おいヨルア!」


アイラは心ここに在らずになっているヨルアの右腕の辺りをポンと叩く…


ヨルアはハッとして、


「あ、はい、すみません…それで…私はどうすれば?」


と慌てて意識を現実に戻す…


「そこでテイホ政府の中のブレム支持派達はミアハの中の地殻の動きを安定させる力を持つセレスという種族に着目し、ヌビラナプロジェクトの今の問題をセレスの力を借りて乗り越えさせようとしているんだ。…で、その動きに合わせて、政府は例の変異の少女をヌビラナまで引っ張り出したいようだ。その変異の少女は未だかつてない程のセレスの力を有していて、更にその子は次のセレスの長候補であり長老の秘蔵っ子とも囁かれている青年が妹の様に可愛がっている存在のようなんだ。その関係を上手く利用して少女をヌビラナまで引っ張り出せば、彼女の身柄はなんとでも都合良く対処してこちらの手中に納められる…という作戦らしい…」


「…でも…向こうからしたらそんな将来有望な後継者を、危険なイメージのあるヌビラナまで派遣させる義理は無いのでは?」


ヨルアの質問にアイラは複雑な表情にはなる…が、


「そこは大国テイホだよ…我々にもこんな駆け引きをして来るんだ、小国ミアハに対してはなんとでも難題はふっ掛けられる力と悪知恵はあるのさ。彼等はあの癒しの力を経済活動に利用しているからね…その価格や活動範囲の制限を持ち掛ければ…ね。今は保留にしてある件のようだが…政府が更なる圧力をチラつかせれば、いずれこちらの条件を飲まざるを得ないだろう…ただね…」


アイラはずっと悩ましそうな表情だったが、ここで少し笑顔になる。


「我が国でも彼等の能力に依存している企業やセレブは結構多いんだ。そして何より…メクスムで最近力を付けて来ている政治家はミアハとの繋がりが太くてね、長老とも何度か1対1で会談しているらしいという情報もある。彼の強みは農業関係者の信頼が厚い事で…ゆくゆくは政権トップに登り詰めるだろうという存在で、実は私の友人なんだ。だから、テイホ政府もミアハに対してやりたい放題とまでは行かないんだ。」


アイラはニヤリと笑い…意地悪そうな顔になる。


「ボスはなんだか…その状況を少し楽しんでいるように見えますが…」


「…ヨルア…いや…どうもいかんな、

プライベートの場でもないのにその呼び方はブレムに怒られるな。いいかいカリナ…私は基本、この国のより良い未来の為に頑張っている。だが俯瞰した[世界の為]という視点は外したくないんだよ。この国…大国テイホのエゴだけの為に動くのは…嫌なんだな…」


ここでアイラはハッとして、1つ咳払いをする。


「まぁなんだ…ちょっと余計な事を喋り過ぎたな。…そこでカリナ君、これから君はミアハの例の少女ヒカの近況を探り、可能ならばマーキングを施し、彼女の師匠でありミアハの首長候補者でもあるヨハという青年周辺の…上手く使えそうな人物のマーキングも頑張って欲しい。長老やヨハには君の能力は使えないという情報もあるから…くれぐれも慎重にな。出来るだけその2人との不用意な接触は避けた方が無難だ。彼の国は閉鎖的でよそ者はかなり警戒されると思うが…あの国に唯一存在するセヨルディという商業施設には、規制も厳しいが様々な国の人々が観光や商売目的で入り込んでいるから…まずはその地から色々情報を集めると良いと思う。君の場合はその気になれば私達より広く深く情報は得られるとは思うが…ミアハは本当に特殊な国だから油断は禁物だぞ。よろしく頼む。」


まあ私に拒否権は無いだろうしな…

とにかく頑張るしかない。


「…分かりました。」


と答え、退室しようとしたカリナだったが…


「あ…っと、待て、大事な事を伝え忘れてた。」


と、アイラは彼女を呼び止めた。





2週間後…


カリナは1人…湖の畔に立っていた。


アイラの事務所を出てから、およそ3ヶ月近くかけて今回の任務に関しての事前情報の収集をみっちり行ったカリナは、いよいよ現地の実際の様子を探る為にミアハに入国し、無事アイラの言っていたセヨルディに観光客として潜入した。


ミアハは基本、一般の外国人に関してはセヨルディの街に面しているポムと呼ばれている湖を介して船での入国のみ許可していて…船の出入りが頻繁な港はたくさんの外国人で賑わい、その集団を入国組と出国組に振り分ける役人達が、その諸々の手続きする建物までの通路を手際よく整理していた。


その建物を介しないと内部の通りには出入り出来ないようになっていて、カリナもやっとその手続きを終えたばかりだった。


美しい湖なのに…


不正な出入国を防ぐ為に、遊覧船や貸し出し用のボートはここには存在しないのね…


何にも考えず、ボートから一日中湖の中を眺めていたい気分なのに…


まあ…もしあっても避暑地という雰囲気でもないから、落ち着いて湖の上を漂うって訳にも行かなのかもね…


騒がしいカップルの乗るボートにイライラするのも嫌だし…


少しだけ散策可能な湖の畔で、打ち寄せる細波をボーっと眺めながらカリナは苦笑する。


…そういえば…ケビンやカシル達と湖の近くにテント張ってよくキャンプしたなぁ…


ケビンと付き合って半年ぐらい経った頃だったから、とにかく何かに付けケビンと組まされ2人きりになる機会も多くて…思えばあの頃からだ…ケビンがやたらと自分の身体に触れたがるようになって行ったのは…


決定的なその転機が、キャンプの時にあった。


それぞれ2人1組でボート遊びをした時…湖に向かって垂れ下がる木の枝が丁度皆んなとの死角に入った時…ケビンが不意にキスして来たのだ。


今考えると…カリナ的にはあの時に完全気付いてしまったのだ…


自分はこの人にはこの先も恋愛感情は持てないだろう事…


あの頃から自分のそんな気持ちを持て余していたんだな…


周囲の人達の望む状況を自分の我儘で壊してはいけない気がしていたから…


でもあの妊娠騒動を経てケビンと別れてみて…自分はあのカップルという括りが苦痛だった事を初めて自覚した。


ケビンには申し訳ないが、やたら2人にされた時間は楽しくなかった。


こうして2人で過ごしている内にいつか結婚まで行くと信じているケビンから滲む期待が鬱陶しくて…どんどん楽しくなくなって行く自分の気持ちをどう受け止めて良いか分からず…今思えばかなりシンドかったのだ。


あの後、一方的な手紙だけで別れたのはなんだか申し訳なくて、アイラの元からブレムと暮らすマンションに戻って直ぐに、ブレムのイヤーフォーンを借りてケビンに電話した。


ケビンは…恐らくケントの持つ情報網で知ったようで…妊娠の件をひたすら詫びつつ…どこかで待っているようなニュアンスの言葉を幾度となく伝えて来たが、それらの言葉はヨルアには何も響かず…


「…悪いけど…そういう事はして欲しくない。離れてみて感じた事だけど、ケビンは大事な幼馴染み…だけど私の中では恋愛という形では気持ちは育たなかったの…私はこの特殊能力と共に生きて行く覚悟が出来たから、当分は恋愛は考えられないし、将来誰とも結婚するつもりはないの。だけどケビンならきっと、これから恋も仕事も誠実さで人を惹きつけ、人生を謳歌させられる人だと思ってる。大事な幼馴染みとしてのケビンの幸せを陰ながら祈ってるね。」


とだけ、ほぼ一方的に伝えて…堂々巡りになりそうな会話をヨルアから切った。


この時の心境は驚くほど冷静だった事を、ヨルアも良く憶えている…


…そう…私はえげつない特殊能力者だから…恋愛や結婚なんて夢見るべきじゃない…


私の任務上のコードネームはカリナ。


ヌビラナの地に立ち、ブレムの部下達に自分の存在を認知された時から、カリナという存在で日々の全てを生きている。


万が一でも自分の瞳や髪の色が赤っぽく変化して行く様子をリアルタイムで見られてはいけないから…鬘やカラコンや…時にはサングラスやスカーフもオシャレの体で使用して、日々の印象を常に微妙に変えて過ごしている。


時々現場の様子をチェックしに来るテイホやメクスムの役人や、ブレムの部下達には「カメレオンの娘」と陰で揶揄されている事は把握していても、このスタイルはずっと続けていくつもりだ。


…もう…これからの人生はカリナとして生きようと決めたのだから…過去の記憶はいらない。


カリナとしてひたすら前へ…


クゥ〜ン…


と、左下からいつもと違う独特の鳴き声が聞こえ、同時にそこの気配が動いた事を感じる…


「トイン…分かったわ。アンタも感じたのね…」


カリナはしゃがんで彼の頭を撫でる。


カリナの感知能力は日々の精神状態で精度が変化しやすい為、先程から左下で伏せの体制になっている愛犬トインの力を借りる事が時々ある。


ブレムの3度目の手術の後…アイラの経営する病院に転院してすぐにブレムは、カリナが世話をする事を嫌がって病室から追い立てるようになり…


帰宅しても、引越したマンションでの耐えられない孤独で日々憔悴していくカリナ…


そんな彼女をたまたま見かけたマンションの管理人のオバさんが…


「あんた、犬を飼ってみないかい?知り合いの家で4匹子犬が生まれたんだけど、1匹だけ貰い手が無くて困っているんで…ここの住人にも見かけたら声かけてるんだよ。けど中型犬種だからなかなかね…。それにあんた…なんか元気ないみたいに見えるし、私の勘だけど犬好きだろ?とても賢くて忠実な犬種だから…なんかさ…あんたに合いそうな気がしてさ。あ、貰って欲しくて言ってんじゃないよ。私はそういう相性みたいなの割と当たるから、犬猫の里親の世話も時々頼まれるんだよ。良かったらこの後見学だけでも行かないかい?」


と、1階の裏の通路の手前でゴミ捨てに行く途中のカリナの肩をガッチリ捕まえて、片手に吸いかけのタバコを持ちながら一気に捲し立てたのだった。


「……」


黙ってるのは拒否じゃないだろ?とオバさんにいいように解釈され…マンションから少し離れた一軒家にそのまま半強制的に連れて行かれたカリナだっが…


つぶらな瞳の子犬を抱っこしてしまったらもう…カリナは手放せなくなっていて…


そして見事、犬猫縁結びババアの管理人さんの術中にハマったのだった。


「ここはペット可だし、あんたん所は最上階だし、賢く従順な子が多い犬種だから鳴き声も大丈夫だと思う。なんなら屋上をドッグランにして使っていいよ。だけど世話はキッチリ頼むね。じゃ、そうゆう事で。」


相変わらず一方的なペースでその管理人さんは、カリナの部屋で出されたお茶を啜りながら軽く世間話をし、まるで台風のようにカリナの部屋に予想不能な風を吹き込み、あっという間に去って行った。


飼い始めたのは雄のボーダーコリーで、当初は一応特殊任務犬として訓練もさせたが…悩んだ末、トインにはこういった現地調査の時だけ力を借りる程度にとどめている…ほぼペットだ。


[いざという時は見捨てなければならない辛い場面を想像してこの子達を訓練し、自分も一蓮托生の覚悟で常に育成に臨まなければならないのよ…]


犬達に関して何かちょっとした問題が起こる度にヘレナママが噛み締めるように呟いていた言葉を、トインに訓練を施す度にカリナは思い出してしまう為、危険を伴うような任務に帯同させる事は諦めたのだった。


トインは麻薬や火薬の嗅ぎ分けは勿論、人が強いストレスや悩みを抱えている時に発する匂いにも敏感に反応してくれる。


彼がクゥ〜ンと鳴きながら伏せをするのは、近くにそういう人がいますよと知らせるトインの合図だ。


悩みやストレスを多く抱える人は、その原因を素早く察して労ったあげると色々な情報を引き出しやすいのだ。


カリナが周囲を見渡すと…4.5mぐらい離れた水辺で、憂いを漂わせた美しい少女がボーっと湖の向こうを眺めていた…


「……」


カリナは遠巻きに、あえて視線を合わせないようにして少女の思念に意識を集中させる…


…強い後悔…失恋のような悲しみも感じる…周囲の人達への微かな恐れと…不信感…?


[[…ダレ…?…]]


「…ヘッ…?」


不意に脳に直接響いて来るような声に、カリナはパニックになりそうなほど驚く…


…やだ…この子ってば…特殊能力者なんだ…


変に警戒されないよう…カリナは必死に冷静を意識しながら、努めてゆっくりと…ごく自然に少女の方を向く…


カリナは少女とは目は合わず…彼女はまだキョロキョロと周囲の様子を伺っていた。


そうか…あの子は私が情報を読み込もうと意識をロックオンした際に、私の気配を感じてしまったのかも知れない…


意識の情報や、そこから発する声を受け取る際の精度はそれ程でもないのかも…


発信元が私と未だ分かってないみたいだし…


でもこの子…人の意識に働きかける力や…人体に及ぼすような力は…結構強い。


その少女が、かつてどこかの警備員を一瞬で眠らせてしまった映像がチラッと見えたカリナは…ゴクッと唾を飲む。


…攻撃的な力の発現は割と最近みたい…キッカケは…失恋…?


「……この子…」


いつの間にか無意識に握っていた、カリナの両方の握り拳が小刻みに震え出す…


未だハッキリした自覚さえないのに…この子は自分の能力によってずっと辛い思いをして来たんだ…


いや…自覚出来るほどの力では無かったから尚の事…


それに…


かなり小さい頃、突然に仲の良い大切な存在を突然に亡くしている…


カリナはアイラの施設で指導を受けた、他人の思考にダイブして過去を探るテクニックを多いに活用し…


自分と似たような様な辛い経験をして…求める愛が得られない事に絶望を感じている少女に、何とも言えない親近感を覚えた。


この子と友達になりたい…


誰かに対してそんな事を強く願うなんて…生まれてから今までカリナは経験した事のない感覚だった。


「どうしたの?誰かを探しているの?」


とにかく、話すきっかけが欲しくて…無意識に…何の計算も無くカリナは話しかけていた。


「え?」


この時、少女は初めてマジマジとカリナを見た。


「…すぐ近くで誰かに話かけられたような気がして…でも…」


その少女はまた少し、キョロキョロと辺りを見回す…


…なるべく自然に…警戒されないように…カリナは少女との距離を微妙に詰めながら、


「…え…そうだったの?…実は私…さっきからこの湖の波や周りの木々をボーっと眺めていたんだけど…あなたの近くには誰もいなかったと思うわ。なんだか不思議ねぇ…」


「あれ?」


少女はカリナの方を見て一気に笑顔になった。


「可愛いい〜!とても毛並みがきれいなワンちゃんですね。」


「……」


…そっちかい……まあいいけど…


「あなたもワンちゃんが好きなの?嬉しいな…ボーダーコリーっていう犬種なんだけど…毎日ブラッシングが大変なの。名前はトインっていうのよ。」


「へぇ〜…トイン君ていうの?可愛い〜!」


ここからはもう少女の方からズンズン近づいて来て、トインの頭や身体を嬉しそうに何度も撫でる…


「トインは遊ぶのが大好きで…飼い主の私が言うのもなんだけど、凄くお利口さんなの。フリスビーとかボールで遊び始めると止まらなくて大変なの。赤ちゃんの時からおもちゃで遊ぶのが大好きで…だからトインって名前を付けたのよ。」


犬好きという部分でも話が弾み、カリナは任務そっちのけでトインの話を楽しんでいた。


「…いいなぁ…私の住んでいる所は自分でお金を稼げるようになるまでは一軒家に住めないし…ティリの山の方から時々狼が来たりするからペットのお散歩は大変で…あんまり犬を飼っている人はいないんです。だから今日はこんなに可愛いワンちゃんをナデナデできてラッキーでした。」


「……」


…この子…セレスよね…セレスの人は美形が多いと聞いたけど…本当に美人だわ…


カリナは会話をしながらも、つい少女の顔に見惚れてしまっていた。


少女に見惚れながらも…彼女の脳裏に過去の映像がたまに出て来るのを見逃さずにチェックしていると、事前の情報収集の中で確認していた人物の顔が何度か見えた時、カリナはある重要な事に気付く…


…そうか…誰かに似ていると思ったらこの子は…かつての長候補のタヨハ氏の…あの曰く付きの娘か…


…という事は、ヨハという…特殊能力者の姉。


姉と弟…どちらもシャレにならない能力者な訳ね…これは潜入初日から凄い収穫だわ。


カリナの口元は微かに緩み…


「…こんなにトインとの出会いを喜んでくれるなんて…なんだか感激よ。ここにはペットを同伴出来るカフェがあるって聞いたわ。良かったら…一緒にお茶しない?トイを可愛がってくれたお礼にケーキをご馳走させて。あなたともう少しお話ししたいわ…」


なんとなくの流れを意識しながら、カリナは少女に軽くウィンクした。


なぜだか…この少女には能力を使わず素に近い状態で話をしたかったカリナは、ここで誘いに乗ってくれるよう内心で必死に祈っていた。


「わぁいいんですか?ケーキなんて高いモノは大丈夫です。私ももう少しお話ししたかったから…あなたとお茶をご一緒出来るのは嬉しい。」


少女はカリナのお茶の誘いに心から喜んでくれ…彼女から流れて来る喜びの感情にカリナも感激で心が震えた。


「ありがとう。私の方こそ…本当に嬉しいわ。ここをトインと歩いて気分転換したい為に来たから…あなたみたいに綺麗でトインを褒めてくれる人に会えて…幸運に感謝したいほどよ。…じゃあ行きましょうか…」


「…綺麗だなんて…お姉さんのような素敵な方に言われるなんて…」


少女は両手を頬に当ててはにかむ…


…本気で照れてる…なんて初々しいのかしら…


カリナは少女の素朴な反応に感激しながらも、努めて上品で洗練されたお姉さんという彼女のイメージを崩さないよう意識しながら少女の背中に手を回し、アルカイックスマイル風に表情を作って、


「…多少のオシャレのセンスは大人になるうちに誰でも身につくわ。私が言ってるのは素の美しさだから。あなたの反応はみんな初々しいから…なんだか私まで照れちゃうわ。本当にあなたとはずっと話していたくなってしまうの。」


と話しつつ通りに出て、カリナは本当に少しワクワクしながらお目当てのお店を目指すのだった。




「…そう…だったの…」


カリナは複雑な心境でコーヒーを一口飲んで、ソーサーの上に置いた。


ホットチョコレートを一つ頼んだ少女は、カリナがケーキを奢る事を必死で断ったが、少しでも長く少女と居たかったカリナは「自分はケーキを食べたいけれど、一人で食べるのは寂しいからどうか付き合って」と説得し、セヨルディ周辺の森の中で採れた木苺を使ったタルトを2つ頼み…


最初こそ申し訳なさそうにしていた少女だったが…カリナの繊細な気遣いと美味しいタルトにすっかり心を開き、徐々に自身の事を話し出し…さっきはなぜ湖をずっと眺めていたかの理由も語り出したのだが…


「…ではタニアちゃんは、いつかお父さんのいる湖の向こうへ行って一緒に暮らしたいのね…」


正確にいうと、おそらく彼女の父のタヨハがこれから暮らす場所はかなり右側に逸れた位置なのだが…まあ湖を超えてひたすら右側を目指せば辿り着く事は可能だが…


「…パパが私を許してくれたらだけど…。いつもタニアが辛い時にはいなかったし…会いに来てくれるのも…長いと2年も間が空いてしまう時があって…信じていいか分からないんだけど…目が…とても優しくて…タニアを抱きしめて[必ず迎えに来るから待っていてね]って…だけどそんなパパに私…何度も…」


俯き加減で話していたタニアの目からは涙が溢れ…左手に持っていたハンカチで目を抑える。


ほぼ同時にタニアの脳裏には当時の記憶が映し出され…心配そうに近寄るタヨハに「もう来ないで!」とタニアが叫んでいる場面がカリナには見えた。


「……」


…それは明らかにタニアの八つ当たりだった。


大事な友達が亡くなった時に慰めてくれた事務の男に淡い恋心を抱き始めた矢先…人事異動でなかなか会いに来てくれないその男が恋人とキスをしている所を見てしまって初恋は呆気なく破れ…心配して様子を見に来てくれたその男にも八つ当たりし…


タニアの心は喪失感と後悔で張り裂けそうだった。


「……」


…まあ…この子は未来は見えないゆえに真剣に悩み、後悔しているのだけど…


1年と少し後だけど…タヨハが言葉通り「準備が出来たから一緒に暮らそう」と言う為にタニアに会いに来る姿がカリナには見えていた。


…なぁんだガッカリ…


あなたの悩みはいずれ解決してしまうのね…


でもそれじゃあ…ダメ…


カリナの目の色が微妙にピンクに変化する。


髪は鬘で目にはカラコンを入れて来たけれど…目の変化には気付かれそうで怖くて、カリナも少し伏し目がちになる…


パパと仲直りしてしまったら、私とタニアちゃんは今以上に仲良くなれないのよ…


カリナは徐に両手を伸ばし、テーブルの端にちょこんと置かれていたタニアの手を包むように触れて…


「…きっと…パパと仲直り出来るって私は信じてる…ね、タニアちゃん。」


やや伏せていた顔を上げ、カリナは真っ直ぐにタニアを見つめる。


「…ええ……パパと…仲直りする…」


カリナに見つめられたタニアの瞳が一瞬だけピンク色に反応し、直ぐまた元の色に戻る…


「…タニアちゃんの友達として、私は幸せをずっと応援しているから…お互いに頑張りましょうね。」


カリナはそう言いながら、少し虚になったタニアの両手を更にしっかり握る。


「…友達……カリナさんと友達…」


「そうよ。親友と言っても過言ではないわ。」


…そう…私達は親友よ。


お互いの心にある傷を、友情で癒して埋め合うの…


それには同じくらいの悲しみと絶望の深さじゃないとね…


…そうだ!


タニアちゃんの能力はこのままだと宝の持ち腐れだわ…


…だから…あなたもテイホでスパイの仕事をすればいいのよ。


そうすれば…ずっとずっと一緒に居られるもの…


ああなんて素晴らしいアイデア…


きっとアイラさんも喜んでくれる。


「……」


恍惚の表情でタニアの手を握り続けるカリナ…


彼女の…今の孤独感から来る愛情への渇望は思わぬ形でタニアへと向かう…


本当に心が望む将来なんて、考えるだけ虚しい。


そんなもの…時間の無意味。


なぜなら…


あの人は…最愛の人はもうすぐ…それほど遠くない未来に、この世からいなくなってしまうから…


実はカリナの心はかなり疲弊し弱っていた。


死の影がじわじわ迫る大事な人に、必要とされない絶望…


その悲しみは深すぎて…泣く事も出来ないほどに深い絶望だった。


そしてその絶望はいつしかカリナを蝕み…心までも悲しい魔女にしていた。




…私達は一心同体…


ね、タニアちゃん…




クゥ〜ン…


足元の方から聞こえる独特な犬の鳴き声にハッとなるカリナ…


見ると…


足元でトインが伏せの体制でカリナを悲しそうに見ていた。


「トイン…」


…分かってるわ…


トインの鳴き声は見失いそうになるカリナの理性を呼び戻す…


ありがとう…


…でも…


タニアちゃんだけは…解放してあげられないの…


彼女は傀儡じゃない…


大事な友達なんだもの。




それから二人は、ほぼ月に1度のペースでセヨルディで会うようになって行った。


最初の半年くらいは、お互い日々の他愛ない事を話し過ごし別れたが…


ある天気がとても良い日、過ごしやすい季節だったので2人はお店が並ぶ通りの裏側に入って森を切り開いて作った広場のベンチに座ってランチをしていた。


「このサンドイッチ本当に美味しい…なんか今回もご馳走して貰ってしまい…すみません…」


タニアは恐縮気味に玉子サンドを頬張る。


「もう…気にしないでって言ってるでしょう?私は仕事してるんだからタニアちゃんよりお財布の中身は余裕があるの。…何より…タニアちゃんとこうしてお話ししている時間が私の癒しなんだから…付き合って貰っているお礼の意味もあるの。」


「…だったら私だって…なんだかカリナさんは話していて、パパやおじさんより安心する。あの人達はいつも…次はいつ会えるか分からない人達だったし…」


「あら、嬉しい事言ってくれるわねぇ」


カリナはサンドイッチを持っていない方の腕をタニアの肩に掛け、軽く抱き寄せる…


「…ねぇ…タニアちゃん。…あなたは…具体的な進路はもう考えているの?」


「え?進路ですか…う〜ん…叶うなら…パパと暮らしてパパのお手伝いがしたいかな…」


「……そう…」


タニアの回答に、カリナの胸はツキンと痛む…


「もしも…それが叶わなかったら…?」


質問にタニアが切ない目をしたのを、カリナは見逃さなかった…


「…分からない…セレスの能力者としての道は私の力では無理なようなので…勉強を頑張ってアムナになってセレスで暮らすか…ミアハを出てみたい気持ちも…少しあります。」


タニアの回答の後半部分にカリナは歓喜した。


だが、表面上は努めて冷静に反応する…


「…アムナって何かしら?」


「あ…セレスの子はみんなアムナが育ててくれるんです。アムナは育て慈しむ者という意味で…女の子は割と憧れる職業だから…私もなんとなくという感じで…」


…なるほど…確かセレスは家族という単位がない特殊な種族ってあったっけ…


「…でも、タニアちゃんのパパはタニアちゃんと暮らしたがっているんでしょう?アムナがちゃんといるのに…なんか不思議ね。」


カリナの疑問にタニアは少し嬉しそうに微笑んだ。


あ…また…


カリナの胸がまた痛くなる…


「…そうですね…パパはセレスの中では少し変わっているみたい。私のママはティリの人だったそうなんですが、亡くなってしまったので…セレスの育児棟に預けられたようです。たまに違う種族のパパやママの子はいるのですがセレスのママは全くいなくて、パパがセレス以外の種族だったらパパの種族のコロニーで暮らしますし、パパがセレスの子はママがミアハを出て子育てをする場合が多いそうです。理由は自分で育てたいからだそうで…セレスの子になる場合はみんな育児棟に行かなくてはならないし…セレスの…特に能力者のパパはおじさんになると子供への関心が薄くなってしまう人が多いから、レノやティリみたいに子育てしたい人はセレスの中にいるより外国の方が髪とか目の色であれこれ言われないからマシって…聞いてます。だからタニアはまだパパの迎えに来るという言葉が信じられないのかも…でも…叶うならパパと暮らしたい…」


悲しそうに…しんみり話すタニア…


「……」


…ああ聞かなければよかったと、内心でゲンナリするカリナ…


「…この前タニアちゃん…他のセレスの子より運動神経がいいって言っていたじゃない?私、そういうタニアちゃんの特技を活かせるお仕事を知っているの。実は私もその関係のお仕事をしていてね…もし興味があったらいつでも聞いて?私の国でタニアちゃんと一緒に仕事が出来たらいいなぁって…私は思っているから。」


今日はこれぐらいにしておこうと、カリナは最後に軽くウィンクしてこの話を止める。


「…ねぇ、お昼食べたらまたトインの運動に付き合ってくれない?」


と、カリナがトインのお出掛け用バッグからフリスビーを取り出すと…


「もちろんです。」


と、タニアは嬉しそうに頷く。


そろそろ…


警備の人間には自分とタニアとトインという組み合わせの存在は覚えられつつある気配を感じる。


あまりちょこちょこ鬘やカラコンの色を変えたらタニアちゃんに不審がられるし…サングラスしたり髪型を変えて対策するのも限界かな…


会う場所をぼちぼち変える事も考えなくては…


と思いながらカリナは立ち上がり、森の広場のベンチや遊具のないエリアへと…タニアと手を繋いで移動する。


タニアちゃん…


私はこの手を離さないから…













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