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24 止まる時間、止まらない時間…


「……レ……ケイレ?」


ケイレは所属する事務所で、彼女専用の机の上に置かれた治療師全体のスケジュール表を確認しつつ、それに多機能バングルをかざして読み込ませながら…いつの間にかボーっと窓を見つめていた。


「……」


側まで来ていた兄弟子のアシハから肩を軽く叩かれるまで彼の存在に全く気付かずいて…


ハッとなる。


ケイレの所属する治療師の事務所では、女性の治療師はケイレの様に後ろで長い髪を1つに三つ編みにしているか、耳にかかるギリギリくらいの長さのショートカットにしているのだが、男性の治療師達は全員が肩までくらいの長さの髪を後ろで1つに結えているのだが、何故だか彼らはザンバラ状態の髪を仕事に向かう直前に事務所の中央の柱に掛けてある鏡の前に立ち纏める習慣があり、アシハも例外なく髪を纏め始めながら、


「考え事か?ケイレにしては珍しいな…」


と、クスッと笑う。


ケイレは読み込みが完了したバングルを机の脇の小さなスクリーンボードに向け、入力内容をチェックし始めながら、


「まぁ…私も考え事くらいしますよ。常に大らかで物事に動じない兄弟子と違って、小心者の私は悩む時もありますし…」


「…ケイレ…それは私を遠回しに能天気な奴と言っている様にも聞こえるんだが?…」


アシハは少し落ち込む素振りをしながらチラッとケイレを見る。


いつも温和で、後輩弟子達をまとめながら優しく指導してくれるアシハ…


彼の不機嫌な様子は、ケイレは未だかつて見た事がない。


それは勿論、能天気だからではなく、彼の芯の強さと懐の深さに寄るモノだと分かっているから…ケイレも安心してそんな軽口が叩けるのだ。


そのアシハの反応を見て今度はケイレがクスッと笑う…


「…で…兄弟子は私に何か用事があったのでは?」


「あ、そうなんだよ。忘れるところだった…今朝早くにセレスのハンサさんから連絡があって、次に君がセレスに来る予定が決まったら、これからは君がハンサさん宛てに直接連絡して欲しいとの事だ。次回は治療の前に長老が君と少し話がしたいと仰っていたそうだよ。」


「…そうですか…分かりました。バングルメモに書き足して置きます。」


「……」


いよいよか…


一応、病院の方はまだ退職扱いにはなっていない為、ヒカさんの治療に関しては名目上はまだあの方が病院と我が師匠の事務所との仲介役になってはいるが…


ハンサさんはもうあの方の身の振り方は決まったと見て、私に直に連絡して来た…という流れのような気がする。


「…ケイレ?…」


…もうあの方は、新しい世界に旅立とうとしている…


数年前にあの方と組んだ仕事の帰り道で、食事をしながら1度だけ…冗談とも本気とも付かないような彼の理想の仕事について聞かされた事があったが…


あの時点では荒唐無稽な願望のようにも思え「陰ながら応援しています」とは答えたものの…生まれた時からレールを敷かれ重い期待を背負わされたあの方の現実逃避の投影のようにも思えたのだが…


まさか現実にしてしまうとは…


行動力はさすがとは思うけれども…


「ケイレ…」


リラさんの事もおそらく…


なにより…10歳以上離れているとはいえあの少女に…冗談でも興味を示した事が…重要な変化の兆候だ。


彼が…カシル様が7年間…徹底的に避けていたレノの女性に…


「ケ、イ、レ、ってば、オイ。」


髪を纏め終えたアシハが、再び窓の外を凝視したままのケイレの、額の少し上辺りを軽くデコピンする。


「あ…、え?…」


おでこの軽い衝撃で我に帰ると、アシハがかなり心配そうにケイレの顔を覗き込んでいた…


「…本当に…大丈夫か?」


…なんだか私…本気で心配され始めでる…?


「…大丈夫です。先日セレスに行った際にヒカさんはほぼ快復された様子だったので、いよいよ次回の治療でヒカさんの為のチームは解散になるのかなぁって…セレスだけでなくミアハもやっと落ち着くのかなぁと、しみじみしていたので…すみません…」


言っている内容は間違ってはいないが…ケイレの先程までの思考内容とはほぼ違う…


知られたくない事を煙に巻くような言葉がついケイレの口からこぼれていた…


アシハは納得していないような表情で…


「…なんか最近…君が考え事してる姿をよく見かけるようになったって…後輩弟子達の噂になり始めてるぞ…」


「……」


…おそらくアシハは…


最近のケイレが物思いに耽る原因の核心を、彼なりに把握してそうだが…


彼はあえてそこに直接触れて来る無神経さはない。


「あの変異の子の件がめでたく解決ならさ…お前さん…ここで思い切って長期休暇取って気分転換して来たらどうだ?病院の方も間もなく体制が色々変わるみたいだから…良い機会だと思うぞ。今は事務所の治療師の数も充実していて落ち着いているし、来週にはジウナも謹慎が解けるだろう?ケイレは何年も休みらしい休みも取らず働き詰めだったのだから、まとまった休暇取ったって誰も文句は言わないだろ。」


今まで…10年近くの間ずっと…あの病院に於いて医師と治療師がタッグを組んで患者の治療に臨む場合のケイレのパートナーはカシル固定で…


それはケイレの実力はもとより、仕事の相棒としての相性の良さをカシル自身が強く感じ望んだ事でもあった。


当時、新米治療師として病院の治療チームに加わり始めたばかりの若きケイレにとっては、治癒能力者ではない医師の固定相棒として指名を受ける事は自信にも繋がり、自身の評価も上がる名誉な事の為、カシルはケイレにとっては長老と師匠に次ぐ大事な恩人でもある。


そのカシルとの相棒関係も病院では既に解消しているが…この環境の変化はケイレ自身も自覚していない程のダメージがあったようで…


仕事に集中し切れていない状況を後輩弟子達にも悟られている様になって来ているのは、兄弟子の指摘の通りとケイレも薄々感じていた。


「ジウナはしばらくは…弟子達をまとめる上で中心的存在である貴方か師匠の助手としての仕事が続くでしょうから…主戦力ではないです…」


ケイレの指摘にアシハは苦笑する。


「まぁ…あの性格だからな…だがじきにあの子も自覚が芽生えるさ。今回の件だけでなく、特定のクライアントからの指名任務が多くなればなる程に、自分の行動は全て師匠や事務所の評価に繋がってしまうと身に染みる経験はこれから増えていくだろうしさ。だがあの子の生い立ちから考えれば、理解出来ない行動でもないんだが…まさかヨハ君に直接噛み付くとはね。」


アシハはくすくすと笑い出す…


「笑い事ではありませんよ。セレス側からは何の連絡も無く、1週間も過ぎてジウナ自身からその件を聞かされた時は…一瞬、立ちくらみが起きましたよ。すぐ様、師匠と共にジウナを連れてセレス本部に謝りに行ったんですから。けれど長老はそれには及ばないとニコニコしながら自ら私達にお茶とお菓子を振る舞われいつの間にか居なくなってしまうし…それから間もなくハンサさんが来て、彼もまた笑顔で全然関係ない世間話をされながら、お茶とお菓子をしきりに勧められ…それらが減った頃に[それではわざわざいらして下さったので、私が皆さんをティリまでお送りしますね]と、車の用意までして下さろうとされるので、師匠と私はそれを必死に固辞して…結局、謝罪らしい謝罪をさせて貰えないまま帰途に着いたのですから…」


ヒカの治療チームが緊急で集められ初めての治療に臨む際、ケイレは治療師として独り立ち直前の妹弟子のジウナを助手として選び、セレスの研究所に赴いたのだが…


かつて…


治療を無理強いする大国富裕層のクライアントの横暴で、ティリの治療師が死に至るケースが少なくなかった時代があり…長老は他国の首脳にそれぞれかけあい、治療に関する枠組みを強く示しルールを法的に定めてもらってからは、その問題はだいぶ改善された。


長老はそれこそ…治療による生命エネルギーの枯渇によって死の危険に晒される治療師達を危機から救い出してくれただけでなく…


世界におけるティリの治療師の地位を様々な手法を用いて確立させ、更には無理な治療を強いられ命を落とした治療師達の孤児が路頭に迷い、大国の研究所に連れ去られたり犯罪に巻き込まれたりで…様々な形で困窮し虐げられている現状を憂い、彼らを見かければ直ぐに保護し、能力の強い子は信頼出来る治療師に弟子にさせるべく預けたり…


能力の弱い子供達であっても、彼等の自立をこまめに見守り続けてくれているのだが…


その長老に対して、朝食の時に無遠慮な口をきいていたヨハにジウナは我慢がならなかったらしく…


彼女だけ先に任務を終え出立する朝にヨハを待ち伏せし、[我らが恩人の長老に無礼な振る舞いをするな]と…更には[もしもセレスの外でもそのような振る舞いをしたなら、長老に恩のある者達の強い批判に晒されるであろう]と警告をしたとか…


現在、ケイレの師匠の事務所でも10名の孤児を引き取り、その子等は師や兄弟子達から能力に関してだけでなく生活全般の様々な面での指導を受け一緒に生活している。


ケイレも元はその孤児の1人だが…


今や外国からも指名が絶えない程に実力をつけ、ティリを代表する治療師の1人となっている。


そんな先輩の姿に後輩弟子達も刺激を受け、彼女に続けとばかりに4人も…ケイレの後輩から評判の高い治療師が誕生しているのである。


ジウナも…セレスでの件がなければ、実力的にはそろそろ師から一人前の太鼓判を押して貰える段階だったが…


「その話は師匠からもチラッと聞いたよ。長老という方はちょっとトボけている感じで面白い所があるというのは噂で聞いていたけど…側近のハンサさんも似たような感じなのかな?私も是非付いて行きたかったよ…」


アシハは結構他人事で楽しんでるようで…笑いを堪えていた。


「もう…兄弟子はすっかり他人事ですね。…あの子は…ジウナは、次期ミアハを統べる者の後継者として表面的には品行方正で上手く立ち回り、能力者としての力も申し分のないヨハさんに対し、今は感性豊かな少年らしさを見失わないよう教え導こうと苦心されている長老の思いをまだ理解出来ていないのです。ですがいずれジウナも…あえてそうしているあの方の深い愛情を理解してくれると私は信じています。」


あの日…


ケイレと初対面の際のあの少年は…愛弟子の少女の命の危機に大分参っている様子だった…


だが長老だけでなく、周囲のしっかりした大人達があの少年を守り支えようとする雰囲気は、あの場でこちらにもひしひしと伝わって来ていた。


勿論、あの環境を作って行ったのは長老だろう…


長老の様々な機転で仕掛ける…ヨハ少年の素の輝きを引き出すような(時には親子ケンカの様な)楽しいじゃれ合いを、むしろこの先もずっと色々と見せて欲しいとすら思う願うケイレで…


いつかジウナもあの2人の師弟関係の絆を、我々に置き換えて考えて欲しいとも願うのであった。


結局…ヨハさんだけでなく、いつの間にか長老もムキになってしまっているあのやり取りの面白さも…


「?…なんでそこでケイレがニヤニヤするんだ?…でもまぁ…心あらずだった君が何やら笑って喜んでるなら安心か…。じゃあ俺はそろそろ行くとするよ。」


ケイレの笑顔に少し安堵し、アシハは出て行こうとする。


「お気をつけて……、あれ?…どうも静かだと思ったら、若手の子達が皆んないないのですね…先輩弟子達の重篤なクライアントの治療にでも付いて行ったのかな…?」


アシハの後ろ姿を見送りながら、ケイレは初めて辺りをキョロキョロしながら、ガランと静かだった事務所の様子に気付く…


「今頃それに気付くか?…あの子達は今日は病院の引越しの手伝いに…ちょっとな…」


「引越しの手伝い?治療ではなくてですか?」


…振り向きながら答えたアシハの何か躊躇するような様子に…ケイレは少し胸騒ぎを覚えた。


「…最近はセレスと外国依頼のクライアント対応に追われていた君は知らなかったかな……今、病院の方は部署の整理を兼ねた引越しを色々やっていてね…特に資料室の古い資料の一部を、空いた地下の部屋に移す作業が面倒らしくて…」


「…地下?…」


ケイレの表情がハッキリ変わるのが、アシハにも分かった。


あまり触れたくない話題だったが…いずれケイレにも知れる事だと、アシハはあえて気付く言葉で伝えた。


「………」


ケイレはそれきり黙り込んでしまったので、


「じゃあ行って来るよ…」


と出て行こうとするアシハを、ケイレは慌てて呼び止めた。


「あ…兄弟子、あのっ…私…やっぱり1週間…お休みを頂いてもいいでしょうか?」






「こんにちは。えっと…初めましてじゃないですよね…今日はよろしくお願いします。」


あいも変わらず今日も深い藍色の瞳がなんとも独特な青年が、タヨハの神殿の敷地の入り口の前でカシルを迎えて挨拶をする。


早朝に長老から叱られた件から程なくして、彼の指示で1人メクスムに出向いたカシルの運転する車は、タヨハ達の暮らすポウフ村の神殿の前に到着していた。


「あ、どうも…お久しぶりですね。長老の命によりお迎えに上がりました。こちらこそよろしくです。」


カシルも応える形で挨拶を返した。


唐突にエンデの送迎を長老から言い渡され、カシルはどこかスッキリしない気分ではあったが…


今後はここがカシルの活動拠点となる為、一応タヨハにも挨拶しておこうと車を降りようとすると、


「あ、今ちょっと…タヨハさん達は手が離せないから、このまま出発してもらってもいいですか?」


すかさずエンデに遮られる。


「…まだ暴れたりするのか?…あれからタヨハさんも君も少し苦戦しているみたいだな…」


カシルはエンデの言葉で概ね察し、運転席に戻る。


「まぁ…そんなところです。」


と、苦笑いしながらエンデも助手席に乗り込む…


「…俺が聞く事ではないかも知れないけど…そんな中で君がいなくなっても大丈夫なのか?」


エンデの乗車を確認し、エンジンをかけながらカシルが尋ねる。


「最近の彼女は基本的にタヨハさんが側に居れば落ち着いているのです。けど今しがたタヨハさんに電話がかかって来て…聞かせたくない内容だったみたいで、少し外に出た途端にタニアちゃんが泣き出してしまって…今やっと落ち着いて来たところなんです。カリナは…おそらくですが、タニアちゃんの記憶と共に能力も一緒に戻ると踏んでいるようなので、その兆候が現れるまではここには近づかないと思います。特にここ1週間くらいはこの地域全体は安全に見えたので、長老に今日の日が良いと僕からお願いしました。」


「…普通ならさ…画像なり肉眼で確認してナンボだと思う情報確認作業だけど、色々な特殊能力者同士の情報戦が水面下であるみたいだから…ややこしいし怖いよ。これからはそういう面での対策が直ぐ出来るようにして置く訓練も必要なんだな…」


「そうですね…僕の能力も攻撃力はないので…警備員の中にそういう系の能力者が数名居たら心強いとは思うけど…カリナに関しては下手をするとその能力者も利用して来ますから凄く厄介です。なにしろ…[傀儡師のカリナ]って呼ばれているくらいですから…」


「……」


事前に独自ルートである程度の情報は収集してはいたけれど…アイツの暴走はいつ頃から始まったのだろう…?


今現在、あの人はこれを黙認しているのか?それとも…?


ソフィアからの情報だと、あの人はケントさんとの交流も多分途絶えているようだと言っていたし…


彼は…今はもう長老クラスの立場でないと、直接会う事は難しいだろう…


エンデの話を聞きながら、変わり果てた旧友と対峙する日がそれほどに遠くない感覚に、カシルはやや落ち込みながらも…


今後は自分もこの特殊な情報戦をまず把握し判断して行かなければならない事を改めて感じ、新しい道も全然甘くないなと…ハンドルを握る手に力が入るのだった…


…少しの間車内に沈黙が流れ…


「うわっ……」


突然、右肩を跳ね上げ驚く仕草をしたエンデに、カシルは困惑する。


「なんだ。…どうした?」


エンデは驚いた様子で少しの間、右斜め上の方をじっと見つめていたが…


それからスッと前を向き、感情の見えないなんとも微妙な表情になって、


「…なんでもないです。ビックリさせてすみません。」


と答えた。


意味不明な行動の後、何もなかったようにやり過ごそうとするエンデ…


…タヨハさんや神殿に在駐している警備員達は、このエンデの力を絶賛してはいるが…捉えどころのない力だけに未だに俺はイマイチ受け止めきれないんだよな…


まさか長老はこの男の力でリラの未来を見て貰えとかいう意味で俺に送迎を命じたのか…?


取り留めのない疑念や想像がカシルの胸に湧いては消える…


と、


「あ、ミアハに入る前に寄って欲しい場所があります。それ程回り道にはならないとは思いますが…そこである人物を乗せる予定です。」


「ある人物?その件、俺は聞いてないんだけど…」


「…ちょっと訳ありの人で…僕の知り合いでもあるんですが、長老がその彼に依頼したい事があるそうで…あっ、そこの道を左折して下さい。」


エンデはカシルの内心を知ってか知らずか、微妙な間合いで指示をしながら自身は徐にサングラスをかける。


「彼はちょっとある事情から追われている身でして…少しの間、自宅で匿っていた時期もあるんです。僕が接触してると気付かれるとお互いに問題が生じる可能性もあるので、その対策です。」


そう説明しながらサングラスをかけて瞳の色を隠し…表情も分かりにくくなったエンデが、カシルにニコッと笑いかける。


「僕もかつてメクスムのある政治家の命令でやや際どい仕事に関わったりしていた時期にマスコミにマークされていたらしくて…自分自身の為の変装でもあるんですけどね…」


「…そのセレス風の頭も例の特製鬘なのか?」


「ええ…念の為。カリナ自身は長老や僕やヨハ君にはおそらく近づかない…けどこちらの動向は常にチェックしたがっていますからね。この方法がかなり有効とは思いませんが、応急処置としてはまあまあと思います。タヨハさんの敷地内にいる者は基本、タニアちゃん以外は鬘と特殊軍手は常備しています。あ、勿論、カシルさんの分も用意してありますよ。」


「え?俺のもか…」


「どうやら…カリナに接触し指示を出している上司の男は、カリナの思考に干渉する能力を恐れて頭の中に能力遮断目的の金属製のチップを埋め込んでいるようです。それよりは随分安全でマシな対策と思って頂ければ…」


「……」


なんとも複雑そうな顔をするカシルにエンデが再び笑いかけた辺りで、2人の車はしばらく続いていた森の道を抜けた。


「……」


カシルとしては…現段階ではまだエンデの話す内容が経験値の範疇を越えるモノだらけの為、所々消化不良を起こしている部分は正直あった。


「…実際、カリナの狙い通りにあの子をテイホ側が手中に納めても、この星の破滅を止めるのは難しい事を見通せる者があちら側に存在していないであろう事が危機だろうと僕は思っています。そもそも、あの変異の子を欲しがる件はともかく、タニアちゃんの件はほぼカリナの独断で動いている話で…あの人…ブレム氏に会うのは長老が適任とは思いますが…彼は殆どヌビラナにいて体調もあまり良くない状態で…会談の実現は不透明です。タヨハさんやタニアちゃんが辛い選択に追い込まれない為に僕は、あらゆる対抗策を講じていくつもりでいます。今はまだ貴方には僕の力を信頼してもらう為の材料が不足しているかもですが…信頼してもらえるよう頑張ります。」


と、自身の力を認め切れずにいるカシルの心を見透かすように、エンデは色々と語る。


「いや…別に君自身を信頼していない訳じゃない…」


エンデの能力云々より、彼の今の発言内容が所々引っかかり戸惑うカシル…


「…すみません…色々口が滑りました。あなたを信頼してるが故の失言と聞き流して下さい。大事な事を民に知らせられる権限は長老に委ねられている事なので…申し訳ないですが、カシルさんもここでの話は車を降りたらとりあえず忘れて下さい。ミアハを愛しているならあの2人…特にヒカさんは守らなければならないのです。僕の心情的にはタヨハさんとタニアちゃんを優先してしまいそうになりますがね…」


そう言ってエンデは苦笑した。


彼が醸し出す空気は全く笑えない重々しさがあり、カシル自身もそれは共有して行かなければならない重さでもあると思った…


「…まぁ…守りたい人や守りたい場所があるから…こうして俺達も出会ったんだろうしな…」


「…そうですね…」


2人の会話が少し弾んで来た所で、周辺の景色は次第に点々と住宅が増え始めていた。


そしてあるまとまった集落の地帯に差し掛かると、


「あ、この脇に駐車して貰えますか。」


とエンデが指を刺す。


カシルはほぼ指定通りの位置に、たまに現れる後続車の走行の邪魔にならないよう脇の草原に少し入り込んで駐車する。


「…時間通りなので、問題が起きてなければすぐに現れます。このまま少しお待ち下さい。」


と言いながら、エンデは窓から草原の奥にある家屋をじっと見つめる…


「……」


少しの沈黙の後、


「あ…問題ないようです。」


と、少しホッとしたように表情を緩める。


「え?どこ?俺には見えないんだけど…」


エンデの呟きに目を凝らしながらカシルが尋ねる…


「…すぐ現れますよ…」


必死に目を凝らすカシルに、エンデが囁くと…


少しして、キョロキョロと辺りの様子を気にしながら、薄ら茶色の入ったメガネをかけTシャツにジーンズというラフな服装の…黒髪で薄汚れた男が建物の裏の薮から出て来た。


「あれ…?」


カシルは改めて目を凝らす。


その男はエンデを確認すると軽く挨拶するように手を少し上げて、車に向かって走って来た。


あれは…


かなり近くまで来ている男にカシルはもう1度だけ目を凝らす…


「すみません、宜しくお願いします。」


やや強張った表情で男はそう言いながら、エンデ側の後部座席に素早く乗り込んで来る。


「あ、カシルさん…ですよね?お久しぶりです。今日はよろしくお願いします。」


「……」


ルームミラー越しにその男がカシルに挨拶して来た時、長老が自分に会わせたいと言っていた人物は多分こいつだと…カシルは確信した。


「へシクタン社の…確か…テイスさんですよね?…その節はどうも。…噂は色々と…ご無事でなによりです。」


そのテイスという男はカシルの挨拶に苦笑する。


「カシルさんもお人が悪い…噂をご存知なら、私はとうの前にその会社から追われた存在である事はご存知でしょう?」


…この男こそ…かつて徐々に収まり始めた親父とのいざこざ再燃の原因を作った張本人…


一時は彼が努めていた会社こそ…自分の葛藤を救ってくれる存在と信じ、世話にもなったが…


「…失礼。でも決して他意はありませんよ。あの会社の中でやり取りしたのはほぼあなたで…俺の中ではヘクシタン社と言えばあなた、という記憶しか有りませんから…」


テイスは落ち着きなく周囲を気にしていて…カシルの話をちゃんと聞いているかどうかも覚束ない様子だった。


「すみません…とりあえず車を出して頂けませんか?」


と車の発進を促して来る。


「……」


…ややギクシャクした空気の中でカシルは車を出し…


その後も彼は、カシルやエンデの声かけや質問にはうわの空で外の様子を常に気にしていた。


なんとも言えない沈黙が少しの間続いた後…


「テイス、大丈夫だよ。ここら辺りに君をつけ狙う人の気配はないから…だからここで待ち合わせしたんだよ。」


と、エンデが後部座席を振り返り、彼に声をかける。


と…


♪〜


カシルには聞き慣れたオルゴール音が車内に響く。


だがテイスは突然の聞き慣れない音にビクッと反応し、身体を臥せる仕草をする。


過剰に反応するテイスの様子にカシルは笑いを堪え、


「これは、ミアハのコロニーの境界を超えた際に車が反応して知らせる音だから…あなたにとってはむしろ安心すべき音ですよ。ミアハに無事入ったんです。ミアハの地は他国からは事前申請のない車は入れないのでね。無申請の車や乗車してる者に通行パスが無いと、境界手前で強力磁力により脇に寄せら全ての動きを封じられて警報が鳴り響き、警備の者がやって来ますから。まぁ今のメクスム政府は国境におけるミアハのこういう一連の対策を上手く利用していて…ミアハからメクスムへの出国は今はポウフ村ルート一択なのでその場合の手続きは色々と簡易化させてもらっています。その部分はエンデ君様々らしいと聞いているよ。君は余程メクスム政府に信用されてるんだな…」


「いや…僕というか僕の能力に乗っかっている手続きなんで…僕が…まあミアハ側は長老や長達がマズい侵入者へのアンテナがそれぞれあるようだけど、ポウフ村は僕1人の把握だから…荷が重いです。近い未来になんとかすると向こうの政府は言ってるようですが…」


カシルは初めて聞く情報に驚いて目を丸くする。


「メクスム政府にまで信用されてるって事か…?スゲェな…」


「…ユントーグ併合からまだ間もないから、まだ管理が行き届かない理由が大きいんですよ。こんな信頼より、メクスム側の国境警備を早く整えて欲しいモノです。」


…そうぼやくエンデは確かに少しゲンナリしているようだった…


「まあ…何かあったら責任問題も絡みそうだしな…」


「…そうなんですよ…まあ僕としてはミアハもポウフ村も大事なので、やる事はやりますが…」


「……」


こいつは想像以上に頼りになる奴なのかな…?と、カシルはちょっと感心しながら改めて横目でエンデを見る…


「という事だからテイスさん、まあまあ安心していいと思いますよ。目的地のセレスの研究所まではまだ1時間ちょっとはかかりますけどね…」


「……」


テイスは臥せていた上半身を恐る恐る上げ…キョロキョロと周囲を見ている途中でルームミラー越しにカシルと目が合うと、バツの悪そうな顔で天を仰ぎながら、


フゥ…


と息を吐いて、初めて座席シートにもたれ掛かる…


「退職してから3度…変な奴らに拉致されそうになって、今も時々現れる訳の分からない連中から逃げ回っている毎日です。僕の告発で会社相手に訴訟が幾つか起きてるようだし、会社の株も大暴落で潰れかかっていますから…そりゃあ恨まれますよね。下手な正義感なんか持たなければ良かったと…後悔し始めています。」


「……」


カシルはかつて…


レノの研修先で出会った先輩医師のリラと恋に落ち、将来の約束もしていたが…


その後間もなくリラは、幼少期の病気の治療の影響で特異体質となった事が原因で不治の病を罹ってしまい、その体質故に有効な治療法も見出せずに徐々に弱って行く様子をカシルは見かねて、「冷凍保存によってリラの時間を止める事で、新たな治療法の出現を待つ」という手段に行き着いた。


この方法を実現させる為に、意識が朦朧とし始めていたリラ本人をなんとか説得し、彼女の両親と自分の両親に了承を得ようとするのだがその段階でかなり揉め…特に自身の父親とは大喧嘩になったが、なんとか説き伏せ7年前に瀕死状態のリラの冷凍保存に踏み切ったのだった…


娘の寿命が尽きる日をただ待つ状態だったリラの両親も、困惑しつつも徐々に淡い希望を持ちながら見守るようになり…カシルの家族はどちらかというと「好きにさせるしかないだろう」という感じの諦めモードで状況を見守るようになって…事態は表面上は平穏を取り戻していたが…


それから数年経ち、このテイスによる「初期段階の冷凍機能に関する欠陥」の内部告発によって薄氷の上の平和は脆くも崩れて行った。


「いい加減、ご両親の元にリラさんの身体を返してあげなさい」という父親の要求は日々強くなって行ったが…


そもそもリラはコロニーの異なるレノの娘というだけでなく、幼い頃の病で片足を失い義足となっていた為に、2人の交際を当初から大反対していた父親への反発心も相まって、カシルは父の言葉を素直には聞き入れられないまま…どんどん険悪な関係になって行ったのだった。


そしてカシルは…


親が行く行くは病院長にさせるべく自分にレールを敷こうとしている父親の願いにはどうしても添いきれず…


長年の葛藤に区切りを付けるべくある決断をし、その気持ちを父親に打ち明けた。


が、予想通りの展開で…父親のタトスは烈火の如く怒り、とりつく島もなく……結局カシルは退職届を自室の机に置いて家を出た。


そして彼は、今後の仕事のボスとなる予定の長老に泣きつく…


長老はカシルと長時間話し合い、新たな仕事への熱意と決意の強さを確認し、長老自らもタトスを説得すべく動き、こちらも長い話し合いの末に大体の了承を得られはしたが…


「現在、勝手に家を出て行方を眩ましているバカ息子とじっくり話し合ってから、最終的な決断をさせて欲しい」


という、タトスの条件を長老はカシルに伝え、今度こそ2人は冷静に話す事は出来たのだが…





「分かった…」


自宅の書斎の椅子にゆったりと座り、タバコの煙を燻らせながら…床に両膝を着いたまま淡々と自身の今後の進路への覚悟を述べる息子の話を、父タトスは終始冷ややかなオーラを醸しながら聞いていたが…カシルの話が途切れると、タバコを消し一言だけそう発した。


「…セダル様から依頼を受けたとお前から聞かされて以降…いつからか家に居ない事が極端に増え始めた辺りでなんとなく嫌な予感はしてたんだ。…もう後戻りは出来ないぞ。」


入室してからずっとソファには座ろうとせず、背筋を伸ばして床に正座するカシルは…


父タトスを真っ直ぐに見つめていた。


「はい…分かっています。」


カシルの事に関しては常に妥協なく厳しくあったタトスが、長老のお陰でやや軟化したせいか…


過去からの数々の言い合いが嘘のように、今夜は目の前の父と普通に会話出来ている事が…カシルにはなんだか不思議な感覚さえした。


「…この先お前が背負うはずだった荷物は、今後はミリが1人で背負わざるを得なくなる。お前はミリには一生、頭が上がらないと思え。」


「…はい…」


確かにそれだけは…妹の将来の選択肢を狭くしてしまったようで…さすがのカシルも心苦しかった。


「でもまぁ…」


タトスはクルッと椅子を回転させ、カシルに背を向けて窓の外の玄関の方を見た。


ドアの開く音と声がして…ミリが帰宅したようだった。


「現在、諸々の心配な情報は色々耳に入って来ているし、我々の医療活動においてもそれを反映するような変化もゆっくりだが起きつつあり…残念だが…ミアハの危機もただの噂ではなくなって来ている実感はある。そんな中で、お前のように現在のミアハの抱える問題に直接向かい合おうとする若者が増えてくれば長老も心強いだろう…。あの方の元で直接任務をこなす者が我が家から出るのは誉れでもある事だ。…やるからには頑張りなさい。」


薄暗くなり始めた窓の外を眺めている父の背中をずっと見つめたままカシルは…


「ありがとう…あらゆる覚悟はしているつもりだよ。」


と答えた。


「…そうか…では、最後に2つ…条件を出させてもらうぞ。」


「え…?」


タトスはクルッと再びカシルに向き直り…


「1つ、お前は決して両親より先に死んではならない。2つ、3日以内に病院の地下を綺麗に掃除して、リラさんをご両親の元に返しなさい。この2つを実行出来ない場合は、お前の独立は認めず勘当とする…以上だ。質問や反論は許さない。分かったならもう行きなさい。」


有無を言わせない勢いで一気に話し、最後にニコッと笑ったタトスは…


再び背を向けてしまった。


「……」


…どこかでリラの話は出て来るかと予想はしていたが…


父なりの最大限の譲歩の中でこう来たか…と苦笑しつつ…


「分かりました。…親父殿もどうか身体に気をつけて…」


と言ってカシルは立ち上がる。


タトスは相変わらず背を向けたまま…


「余計なお世話だ…早く行け。」


と息子に返した。


「……」


もう…後戻り出来ないカシルは、


「失礼します。」


と最後に告げて部屋を出た。


敷いてもらったレールを自ら壊した彼の、厳しい巣立ちの瞬間でもあった。




「お兄ちゃん!」


玄関で、突然背後からミリに抱きつかれる。


「今度こそ、本当に出て行くのね。行ったらダメよ。死んでしまうわ。」


今夜のミリはいつになく素直で…


たった1人の妹の泣きそうな声を聞いてしまうと、カシルも辛かった。


「死なないよ。戦争に行く訳じゃないんだぞ。」


意識して、いつも通りの口調でカシルは答えた。


「今の病院で仕事してても死ぬような危険はないじゃない…病院にいるよりは遥かに危険な目に遭うわよ。行かないで!」


背後から回されたミリの腕が…カシルの身体に食い込むように、更に力が込められる…


「…自分の天職って思っちゃったんだからしょうがない…もう後戻り出来ないんだ。ごめんな…お前には俺の荷物も背負わせてしまうな…」


「…そうよ、バカ兄貴。バカバカ…」


不意に拘束は緩み、今度は背中をポカポカ叩かれ…ミリは泣き崩れてしまう…


「…バカで…自分勝手な兄貴で…本当ごめんな…」


カシルは振り返ってしゃがみ、ミリの頭を撫でながらハンカチを渡す。


「バカ兄貴…許さない。…私にたくさんご馳走して、たくさん…服とか色々…買ってくれなきゃ…許さないわよ。」


「アハハッ…実にお前らしいな。」


ミリの目を見てしまったら自分も泣きそうで…あえて視線を外し、カシルはいつも通りに振る舞う。


「…可愛い妹の為だ…いくらでも買ってやるよ。…親父とお袋を頼むな…」


そして、そのまま背を向けて立ち上がる。


母は…親父から釘を刺されているのか玄関には顔を出さなかったが、玄関の片隅に置かれていた母らしい筆跡の自分宛ての手紙付き手作り弁当を手にして…


カシルは家を出た。


「時々帰って来るのよ。絶対死んだらダメ。約束よ。破ったら…一生許さないわよぉ…」


ミリの泣き声のような叫び声が外まで響いて来て…カシルは苦笑する。


「…ったく…ミリは大袈裟なんだよ…」


車に乗りこんだカシルの頬にも…


一筋の涙が伝わっていた。




「確かにだいぶ怖気付いている感じだね。でも実際、君の告発によって例の機器購入を思い留まった人達は少なくはないよ。ただの夢を見るだけの道具として売るにはもっともらしい能書き付きでかなり高額の商品だからね…。残念ながらそういう被害を未然に防いで貰った人達からは実害の痛みはないから、中々感謝はされないけども…君のそういう正義感をミアハの長老は買ってるみたいだから、君の事を見てる人はちゃんと見てるという事じゃない?」


「…え?テイスさん…ミアハで働くのか?」


エンデの今の言葉で、カシルは家族との別れの余韻から意識を引き戻される。


「…正式には決まってませんが…今の自分にとってミアハはある意味閉ざされている地ゆえに、刺客の恐怖から解放される唯一の場所となりそうなので…僕で良ければ是非雇って欲しいですけど…長老のお気持ち次第です。」


「因みに…今回は何を依頼されてるのか、聞いてもいいかな?」


「え?ああ…まずは今セレスには僕が告発した例の機器があるそうなので、そのメンテナンスと…より安定的な人工交配と人工母胎の機器の自主開発に関して力を貸して欲しいと…あっ…」


カシルの問いに答えている途中で、テイスは大事な事に気付く…


「…カシルさんが以前購入された冷凍保存機器は…今はどうなっているのですか…?」


「……」


カシルは答えられず…沈黙してしまう。


「え…と…、会話してる最中に色々と見えて来てしまったので…なんなら僕から説明しましょうか?」


エンデは隣からカシルをチラッと見る。


「…いや…大丈夫だよ。自分が切望して購入したモノだしな….それは今…我々が向かっているセレスの研究所にあるよ。中には今もリラが眠っている…」


「え?……あ…そう……ですか…」


テイスは、カシルの返答に徐々に居た堪れない様な表情になって行った…


「…貴方にお売りする前に問題が分かっていれば……本当に申し訳ないです。」


「でもさ、あの時、あんたは俺の接客担当にみたいな感じで動いてたよね?どういう経緯で機器の問題が分かったわけ?」


かつてテイスが勤務していたヘクシタン社は、動物実験では世界で唯一、1年以上冷凍保存した中型哺乳類動物の解凍再生に確率的には5割弱程度だが成功した。


その技術を前面に推し、人体の冷凍保存機器を一般人対象で商品化した会社で、カシルは8年前に藁をも縋る思いでその機器を購入したのだ。


「…元々僕は研究開発チームにいたんですが、発案したモノには妥協が出来ない性分で…度々僕の指摘で計画が進まなくなる事で上司が煙たがり…とうとうチームから除外されてしまったのです。その時点で退職も考えましたが、いつかまたチームに復帰出来る可能性もあるとチームの同僚に励まされ、異動先の営業部の方で頑張り始めた頃にカシルさんの担当になったのです。けど、貴方にお売りして1年くらい経った頃に、ひょんな事から商品化した人体向けのモノは冷凍段階の機能に幾つかの問題があるらしい事が分かって…」


「そのひょんな事はどんな事か、俺が目を通したした資料には殆ど触れていなかったから、そこは是非知りたいんだけど。」


出来るだけ納得して起きたい気持ちが前のめりになり、カシルの口調が少しずつキツくなる。


「あ…そうでしたか…そうですね、お売りした貴方には説明を聞く権利があると思いますから…お話しします。」


と、テイスはカシルに売った機器が問題を抱えている事を知った経緯をかいつまんで話し始めた。


当時、彼の仲の良い同僚が自身の祖父から「もし自分が倒れて意識不明の重体になるような事が起きた時はその機械で冷凍してくれ」と、冗談とも本気ともつかない事を言われていた矢先に、奇しくもその祖父は似た状況に至ってしまい…法的手続きを済ませ家族の了承も得て冷凍したが、間もなく祖母まで倒れて…一命は取り止めたが寝たきりになってしまい、その祖母からあの状態の祖父を残しまま逝くのはどうにも心残りだから、自分が逝く時に祖父も一緒に荼毘に伏して欲しいと懇願され、結局、間もなく祖母も亡くなってしまい…家族会議を経て祖父をまず一応、解凍蘇生する事になったそうなのだが…


開発半ばでチームから外され、完成品の実際の能力を知りたがっていたテイスを、同僚はその現場に特別に呼んでくれたのだ。


だが祖父は結局、解凍後蘇生はしなかった。


そこでテイスは、荼毘に伏す前の祖父の細胞組織を所々調べさせてくれと同僚に頼み、遺体の一部を調べたのだそうだが…


テイスは眉間に皺を寄せた。


「結果は?どうだったんだ?」


カシルは少し身を乗り出す…


「…全ての部位において細胞の、冷凍時に寄るものと思われる損傷は予想以上に大きく…それらの損傷は肉眼でも分かるほどでした。特に脳は…残念な状態になっていたのです。」


「…でも、その機械がたまたま欠陥品だった可能性だってあるんじゃないか?」


カシルは更に語気が強まる…


テイスはテイスで、


「…僕だって1度はその機器の開発に関わった人間ですから、世に出ている機器全ての機能に問題があるなんて…そんな答えを望んで調べた訳ではありません。あなたの他にも数名に売ってしまいましたし…責任を感じました。同僚も僕もただ純粋に機器の能力を検証する必要があるとの思いで…極秘でスタッフ達の目を盗んでは会社の完成直後の機器を少しずつ…計7台を、彼の祖父に近い体重のある家畜を使って、凍結から蘇生まで試みましたが…蘇生しないばかりか、細胞組織の状態は彼の祖父のケースと酷似していたのです。…実験の結果、あの機器は人間用として説明書通りの機能を備えた商品として販売出来るまでの凍結能力には達していなかったと…僕と同僚は結論付けました。」


研究者としての探究心にスイッチが入ってしまったのか、悪びれていた様子が一変、テイスは当時の検証の様子を熱を帯び語り出していた。


「……」


「少なくとも最初の開発チームは…あの機器をただアテにならない夢を売る為のモノとして世に出すつもりではなかったはずなんです。例え動物実験ではチラホラ良い結果が出ていたとしても…人間用として世に出すのは早過ぎたとしか…」


テイスは…拳で自身の膝を何度も叩き…悔しそうに顔を歪めていた。


「その後、同僚は会社に失望して退職し、僕はそれなりの処分は覚悟の上で、僕の独断で勝手に実験を行った体で結果を報告し、あの機器の実験検証をもう一度やって欲しいと上層部に掛け合いましたが…彼らの反応は僕の予想を上回るモノで…即刻クビとなり、実験を行なった機器の支払い請求書を脅迫めいた警告文まで添えて自宅に送って来たのです。」


「……」


う〜ん…研究者としては真っ直ぐな理想を持っている人なんだろうけど…会社への行動も真っ直ぐ過ぎて…もうちょっとやりようがあったんじゃ…


と思ってしまうカシルだが…真っ直ぐ過ぎた代償が今の状況なのかと思うと…同情する余地はあるとも思えた。


何より…


結局、宣伝文句で歌っていた機能は無いという疑いが出たにも関わらず、利益最優先で叶わぬ夢を売るだけの機器を…テイスを解雇した後も尚、彼の告発が世に騒がれるまで販売を続けていたヘクシタン社には、改めてじわじわと怒りが込み上げて来ていた。


だが…


アレを選んで購入したのは自分。

あの時、他社の製品も見て回ったが…最終的に選んだのは自分…


例え…他社製品を購入したとしても…あの時、持って2週間と言われていたリラの時間は…一時停止という状態に出来ただろうか?


「…大体は分かったから、この話は俺に対してはもう…いいよ。…で、1つ聞きたいんだけど…あんたさ…その同僚の話は、会社には全く話してないの?」


テイスは研究者モードがだんだん冷めて来たようで、淡々と…


「あ…まぁ…最初は僕も協力して欲しかったんですが…彼には家庭があり、家族への影響を恐れて拒まれました。その辺は理解は出来たし、僕は1人ででも現状をなんとかしようという決心が固まっていたので、会社にも何処にも彼の協力の件は言っていません。僕としては、告発後に担当したお客と話すのはカシルさんが初めてだったので、経緯は隠さずにお話しすべきと思い話しました。長老へはこれからその辺の事も隠さずお話しするつもりですが…どうか、同僚の件はここだけの話として納めて頂けたらと…。セレスに入ったら、もう長老以外にお話しするつもりはないので…よろしくお願いします。」


テイスはルームミラー越しのカシルに深く頭を下げた。


カシルはフッと笑って、


「俺の隣にもう1人いるけど…彼には口止めは頼まないのか?」


と尋ねると、


「エンデさんは…色々と隠したくても隠せませんから…心得てくれていると信じます。」


「そりゃどうも…まぁ信頼関係を維持する為に僕もそれなりに神経は使っていますので…」


エンデは苦笑しながら答えた。


思いがけず貴重な当事者であるテイスの話が直接聞けて…あの機器を彼から購入した事は、不幸の中に救いもあったような気がして…カシルも少しだけ表情が緩んだ。


「…テイスさん、俺も人の事は言えないが…要領悪いくせに理想に真っ直ぐな所がある人なんだな。そういうの、俺は嫌いじゃない。長老がなぜリスクを抱えたあんたをわざわざ手元に引っ張ろうとしているか…なんとなく分かる気がするよ。」


「いや…まだ今の段階では、長老が自分を具体的にどうされたいかは…分かりません。可能ならば過去の自分を反省しながら、これからの人生をセレスの研究所に捧げたいですけどね…」


エンデは少しの間、後ろにいるテイスに何か言いたげな表情をしていたが…徐々に見えて来た前方の建物を指差す。


「ミアハ本部が見えて来ましたよ。後、15分ぐらいで研究所に着きますね。」


「…セレスに来るのは初めてでもないのか?」


カシルがエンデに尋ねると、


「…いや…初めてです。」


前方を見つめたままのエンデは、心なしかドヤ顔で答えた。


「確かさ…タヨハさんから聞いた話だと、あんたは目が見えないという事だったんだけど…何がなんだか…訳分かんない人だな。」


「それが、エンデさんなんですよ。」


と、すかさず背後からテイスが反応する。


ルームミラー越しに見る彼も、なんだかよく分からないドヤ顔だった。








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