2 別れ
アリオルム星にはテイホとメクスムという2つの大国が存在し、彼等は元は1つの超大国であったが後に2つに分かれ…お互いを強く意識し、牽制や小競り合いを時々繰り返しながらもなんとか連合国を形成するに至り、現在は微妙なバランスで和平条約を築いている。
その連合国に付き従う形で利害のバランスをとる20余りの小国があり…
それらの中の1つである極小国ミアハは、連合国を始め周辺国との関係を平穏に保ちながら、長い間独特な存在感を保っていた。
ミアハとはは彼等の言語で「癒す者達」という意味で、その国名が象徴するように民の全てが癒しの能力を持つ特殊な国で…
その中でも能力が特に強く、彼等が設けた一定のレベルをクリアした上で、安定した力を維持し経験を積んだ師の下で1年以上の修行を積んだ者は、ミアハ内だけでなく世界中の様々な場所で能力者として活動が出来、彼等はそんな能力者の癒しの力を国の外貨獲得の術の1つとしても据え、能力者になる事はミアハではとても名誉な仕事としても捉えていた。
また彼等は種族ごとに大きく3つのコロニーに分かれて生活し、セレスは地を癒す者・ティリは人を癒す者・レノは木や植物を癒す者として、種族で容姿も結構はっきりと特徴が別れている。
彼等ミアハの民は種族を問わずもれなく、自分達はこの星の自然の営みを安定させ人々の日々暮らしを可能な限り安全で豊かにする為に特殊能力を得ている存在と認識し、誇りに思っている。
ある夜…
ティリのある山奥では強い雨が断続的に降り続け、暴風が木々を激しく揺らしていた…
「…?」
荒れ狂う風と打ちつける雨の音の中に、時折人の声が混ざっているような気がしたタヨハは、突然の嵐に誰ぞ身動きが取れず困っているのではと心配になり、暴風雨の暗闇の中、傘を差して声の元を辿って行く…
傘ごと強く押し戻される様な強烈な風の中、歩を進める内になんとか声のする方向の見当がつき始めた。
やはり声がする…
正面の門の方からか…?
「……ま…し……さま…ど……」
近づいて行くと、何を言っているかまでは聞き取れないが、どうやら若い女性の声のよう…
こんな嵐の夜に、寄りによって山の中腹に若い女性がなんでまた…地元の民ではないのか…?
「神官様、タヨハ様、ニアです。どうか中に入れて下さいませ……どうか…タヨハ様…」
門の前まで来ると、叫んでいたのは意外な人物だった。
このティリをまとめる長の弟の娘で、この神殿に神官として赴任して来て間もないセレス能力者でもあるタヨハの世話も、彼女は色々と細やかに焼いてくれ…容姿も美しい為か、この辺りでは何かと目立つ存在でもある若い娘ニア…
確か、何かの資格試験に合格し、間もなくティリの中心地にある大きな病院で働く事になっていると、両親が話していた記憶があるが…
一体、こんな時間に…何がどうなって彼女はここにいるのだろう…?
若き神官タヨハは、彼女が置かれている状況がよく理解出来ないではいたが…何やら切羽詰まった様子にとにかく門を開けた。
ニアは門の前で何かを抱きしめ、震えながら座り込んでいた。
「ニア…震えているじゃないか。こんな嵐の夜に一体どうしたんだ?」
ニアは抱きしめていたモノをタヨハに差し出し、
「今日、山菜がたくさん採れたんです。新鮮なモノをタヨハ様に食べて頂きたくて、急いでお持ちしたのですが…途中で足を挫いてしまいました。やっと辿り着けたのですが、こんな時間になってしまい…申し訳ございません…」
足を挫いた上にぐっしょり濡れてすまなそうに震えているニアを、このまま自宅へ送り返すのも酷だろうと、タヨハは彼女の腕を抱え上げて門の中に入れる。
「とりあえず、その濡れた服を乾かし身体を温めないと…若い女性は夕方近くになったら不用意に山に赴くものではないよ。どんな危険があるか…それに見かけた人にどんな噂を立てられるか分からないんだよ。今後は気を付けないとね…ニア。」
大事に育てられたであろう若い娘がこんな無茶な行動をするのはよくないと嗜めながらタヨハは…
少し躊躇したが、すぐに部屋を暖められるであろう自身の生活する小屋の方へニアを連れて行った。
まずは暖炉に火を炊いて彼女の身体を温め、ニアの事を心配してるであろう両親に今の彼女の所在を知らせなければ…と、思いがけない嵐の夜の訪問者にこの先の事をあれこれ考えながら、タヨハはとりあえずニアを暖炉の前に座らせる。
そして温めたミルクを入れたカップを渡し…
「まず、ご両親に君がここにいる事を知らせないとね。」
と言いながら電話のある寝室へ行こうと部屋を出た瞬間、タヨハは急に背後から左腕を引っ張られ、強い力で半強制的に後ろを振り向かされた。
すると、先程まで足を挫いて震えていた筈のニアがタヨハの目の前に立っていて…
「…?!」
驚愕しながら何か言いかけた彼の唇を、ニアは自身の唇で塞ぐ
あまりに予想外の展開に、タヨハは必死で抵抗しながら目を見開いてニアを見る。
すると、ニアはそれを待っていたかのように微かに口角を上げ自身の瞳孔を開く…
すると、少し広がった瞳孔の奥の色が淡く赤く変化し…
「……」
タヨハは意識を失い、ニアの方にもたれ掛かるように崩れて行った。
ニアはそんな彼を素早く支え、軽々と横抱きにする。
「タヨハ様…ごめんなさい。親は私に必死に隠してるつもりだったみたいだけど、あなたが半年もしないうちにセレスに帰ってしまう事は知っていたの。勿論、あなたが生涯、誰のモノにもなり得ない立場の人という事も…」
そしてそのままニアはゆっくり彼のベッドへと移動する。
「…ごめんなさい…どうか許して。…タヨハ様を心から愛しています。どうか…迷惑はかけませんから…私にあなたの子種を下さい…」
彼のベッドの前まで来ると、ニアはもう一度、意識のない彼の唇に優しく自身の唇を押し当てた。
「タヨハ様、両親にはね…友達の家に泊まると言って来たから、あの人達は心配はしてないの…」
そしてゆっくりと彼をベッドに横たえ、ニアも彼の脇に片膝を沈ませながら彼の衣類を一枚一枚丁寧に脱がして行く…
そして…
タヨハの上半身が露わになると、彼の胸に頬を寄せ…
「ああなんて…本当に透き通るほどに美しい肌…」
ニアはウットリしながら、タヨハの胸に何度も頬擦りをする…
「…想いが叶わないのならせめて…あなた様の子どもを産んで育てたいのです。どうか、どうか…その願いを叶えて下さいませ…」
そう囁くと、ニアは恍惚の表情で彼の胸に口づけた…
3か月後…
ティリのある山の中腹に建つ…小さな神殿の広場の前に構える門の下で、1人の美しい若い女性が佇んでいた。
既に日はとっぷりと暮れ…灯もない暗闇の中で夜の冷気に震えながら、彼女はある人をひたすら待っていた。
愛しいあの方に、最後の別れを告げる為に…
…もうすぐ…
あの方は来る。一日の最後の見回りの為にここに来る。
「あ…」
程なくして、門の向こうで人の気配がした。
あの方だ!
女性はすかさず門を叩いて声を発する。
「タヨハ様!私です、ニアです。」
「…ニアか?どうしたんだ、こんな夜更けに…忘れ物でもしたのかい?」
と言いながら、この神殿の神官であるタヨハは急いで門を開ける。
「タヨハ様っ」
門が開き彼が姿を現わすや否や、ニアはその男性に駆け寄り抱きつく。
「……」
門の周辺は灯りのない暗闇であるものの、タヨハは周囲を気にしながら彼女をやんわりと振り解いて門の中に入れる。
「身体が冷え切っているじゃないか…。一体どうしたんだ?…温かな飲み物をあげるから、とりあえず中へ入りなさい。」
彼は、いつもと雰囲気の違う…思い詰めた様子の彼女を心配しながら、とりあえず神殿の脇にあるタヨハの住居用の小屋にニアを連れて行く。
炊いたばかりの暖炉の側に椅子に置きニアを座らせて、ホットミルクを入れたカップを手渡すと、タヨハもニアの向かいに椅子を持って来て座る。
「ニア…どんな理由があろうと、こんな夜遅くに独り身の男の元に若い女の子が1人で来るモノではないよ。君にどんな噂が立つかを考えなさい。そのミルクを飲み終えたら送ってあげるから帰るんだ。ご両親もきっと心配している。何か悩み事があるなら明日また改めて聞こう。」
何やら思い詰めている様子のニアに向かい合う形で、タヨハは諭す。
「…妊娠しました。」
俯き加減のニアはポツリと呟いた。
「…え?」
「…ずっと月のモノが来なくて…。お腹の中に赤ちゃんが…います。」
そう言いながらニアは俯いていた顔を上げて、タヨハを真っ直ぐに見た。
「あの…嵐の日の…タヨハ様との子です。」
あまりに突然に…ニアから荒唐無稽な言葉を投げかけられたタヨハは、思わず飲みかけたミルクを少し吹き出してしまう。
そして、彼女の言葉の意味が理解出来ないまま面食らった表情で彼はニアを見る。
「嵐の日の子?僕の?…ニア…、君は…何を言っている…?」
ニアはポロポロと涙を溢し、タヨハの足元に跪いて泣き出した。
「ごめんなさい。あなたが本当に好きでした。もうすぐあなたがここを離れて二度と戻る事はないと知ったら…想いが実らないならばせめて…あなたの赤ちゃんを産んで育てたいと思ってしまったの。その事はあなたにも…誰にも言わず、ひっそり産んで育てるつもりだったんです。だけど両親に妊娠を知られ…あなたの迷惑になるから堕ろせと父は怒り狂い…どうしたらいいか分からなくなって、ここに来てしまいました…」
「……」
事の経緯をニアは訥々と泣きながら話すのだが…それでもタヨハは半分も話の内容を理解出来ないでいた。
「嵐の夜って…僕は君に会った記憶は………あっ…」
ニアとの思い違いを問い正そうとして、彼はハッとする。
…確かに会った記憶はない…だが、その夜は夕食を食べていた辺りから朝目覚めるまでの記憶がすっぽり抜け落ちている妙な夜だった事をタヨハは思い出していた。
なにより…夢だと思っていたけれど、なんとも肌の滑らかな女性が絡み付いて来る感触が身体に残っているような気がした、妙に身体がシンドく重い朝だった…
「ま、まさか…そんな…」
タヨハは急に目の前のニアが恐ろしく感じてきた…
彼の表情を見て、ニアは悲しみに顔を歪める。
「タヨハ様…どうか…そんな目で私を見ないで」
と、
「タヨハ様ぁ〜っ」
不意に門を強く叩く音と共に男性らしい叫び声が聞こえて来た。
ニアはその声にハッとなり、
「お別れです。最後にお会い出来て良かった…本当にごめんなさい。」
ニアはニッコリ笑い、脱兎の如く部屋を飛び出して行った。
「ニア、待ちなさい!まだ話は終わって…」
彼もニアを追って飛び出すも、彼女は門の方ではなく神殿の裏側の森の中へと、あっと言う間に姿を消してしまった…
後を追うか迷ったが…先程の男性らしき声はどうも彼女の父親のような気がして、ともかく事情を簡単に話し、ニアを一緒に探してもらう方を彼は選択した。
が、結局その夜はニアを見つけられず…
3日後の朝、山一つ越えたレノとの境界辺りの森で、ニアはかなり衰弱した状態で倒れているのを発見された。
彼女はすぐにティリの大きな病院に搬送されたが、知らせを受けタヨハ達が病院に駆けつけた時は既に顔色に血の気は無く、夜の山を彷徨い歩いていた際に蛇か毒虫に噛まれたらしく…両足の先が紫色に変色し痛々しい程に腫れ上がっていて、医師からはおそらく今日が峠であろうと告げられた。
「……」
知らせを受け、急いで駆けつけたタヨハも…あまりに変わり果てたニアを見て言葉が出て来なかった。
1時間か2時間…
とても長く感じたが実際は10分か20分だったのか…
長い沈黙を破り、ニアの父親がポツポツ話し出す…
「先日もお話し致しましたが…妊娠の件は貴方様を責めるつもりは毛頭ありません…。むしろ…この子が犯罪者にされても仕方のない事を貴方様にしたのです。本来ならセダル様を助け、いずれは長老となる未来もある方に、娘はなんという事をしたかと思うと…本当に申し訳ない思いです。…この子のお腹の子の父親の事はなんとでも誤魔化せます。だから、どうかタヨハ様はもうこのままお帰りになって下さい…」
「……」
…先日の夜、門を叩きタヨハの名をを呼んでいた人物は…やはりこの父親で…
一緒にニアを探しながら彼は、ニアの特殊能力や今回の妊娠に至るまでの彼女の様子を話してくれた。
彼女は母方の家系に時々出て来る特殊能力がかなり強く、かつてイジメっ子やケンカ相手の同級生を能力で失神させてしまった過去もあり、更に1年前には自身の能力を知られた初恋の相手に捨てられ、その時に宿った子をショックで流産している事。
そして今回、ニアがタヨハに思いを寄せる様子が心配になる程になって来ていたが、相手は間もなくこの地を離れるセレスの長老候補だから、幾らなんでもそれは理解して今の片思いはやり過ごすだろうと、警戒しながらもやや楽観的に見ていたのだが…恐れていた事が現実になってしまったと…
成就があり得ない恋ゆえに返って思い詰め、果てにニアは激情に任せた行動に出てしまったであろう事をタヨハは知り、やっと幾つかの謎が腑に落ちた。
変わり果て明日をも知れない娘の傍で、苦悶の表情を浮かべ膝に置いた拳を震わせる父親の姿を見ると、タヨハもなんと答えたら良いものか…かなりの混乱の中にはあったが…
「…正直、私は今もまだ状況の全てを飲み込めていない状態にはありますが………」
意を決して、彼はニアの両親にある提案をする。
すると、タヨハからの予想外の言葉に両親は驚愕する。
「タヨハ様…貴方様は本当にそれでよろしいのですか…?」
それから約1年半後のセレスの研究所のある一室…
慣れない手つきで赤子を抱きあやす美しい青年がいた。
その姿を椅子に座り机に片肘をついて複雑な表情で眺めているハゲ頭の男性が、青年に話しかける。
「…タヨハよ…いくらなんでも乳飲み子抱えた男が他国で能力者として行脚するのは無理だ。赤子には負担が大き過ぎるし、なにより最近セレスの子供の誘拐がまた起きている。今はセレスの子としてここに預け、いずれ行脚の中でどこかの神官の信頼を得て神殿の守り人となって迎えに来るという方法が一番理想と思うがな。私はお前を応援するけれども…子連れのセレス能力者の行脚は、私が知り得る限り聞いた事がない。…まぁどの選択も楽な道ではないと思うが…」
「我が子がこんなにも愛おしいなんて…想像もしていませんでした。あっあくびした♪」
「おい、聞いてるか?」
「…分かっています…ただ、この子は身体能力が男性以上な母の、瀕死な状態の母胎の中でも生存していたような子ですから…もしかしたらって、思ってしまうんですよね…」
ハゲ頭の男性は、小さく溜め息を吐いて、少し姿勢を起こす。
「もう1人はどうする?順調に行けば半年後には産まれるぞ?そちらはセレスの子として私達に親権を全て委ねるという道もある。」
「……」
タヨハはセダルの問いかけに顔を顰める。
彼のそのあからさまな表情を見て、それが答えかとセダルは察しつつ苦笑する。
セレスに於いては…
近年の出生率は危機的な状況で、人工授精・人工母胎の技術はかなり発達して来てはいても、大国の技術に寄る機器で…
ここ数年間に無事生まれたセレスの子は1年間でやっと平均10人前後…
更にセレスは、同じミアハでもティリやレノの人との間には子が出来難いという共通認識が昔からあった。
なのに…
今回、セレスのタヨハとティリのニアの間に自然受精で子どもが出来たのだから、タヨハに降りかかった事件を知るごく一部の人達にとっては、衝撃的な出来事だった。
一連の研究に深く関わっている、このハゲ頭の男性…長老セダルも大層驚き、残念ながら息を引き取ったニアの親族とタヨハ自身に承諾を得た上で、人工交配を試みた受精卵は見事に人工子宮に着床し、現在その子は人工母胎の中でスクスク成長中なのである。
「……」
しかし確かに、2人の幼子を連れての任務は…男手1人ではかなり厳しいとタヨハは感じた。
「お前が落ち着いて2人を迎えに来れるまでは、将来能力者となるべく、セレスで子ども達を生活させた方が無難ではないか?」
「………」
悩んだ末に、タヨハはこのセダルの提案を受け入れるが…
結果的にこの選択も、タヨハにもセレスに残された2人の子ども達にとっても結構苦難の道となる事は、この時点では誰も知る由もなかった。
時は巡り…
ニアの死から8年後の、レノのコロニーのとある家の昼下がり…
ピコピコピコ……
エイメが自宅の菜園の水やりをしていた時にそれは聞こえてきた。
チャクラチェッカーの警告音だ。
あれ?家の中から…?おかしいな、今日は夫は任務だし…トウがイタズラしてるのかな?
「もう、やっと寝たのに…ヒカが起きちゃうじゃない…」
と、エイメは3歳の長男を犯人と決め付け、ぶつぶつ文句を言いながら手早く植物達への水やりを済ませる。
「お兄ちゃん、チェッカーに触ってるの?赤ちゃんが起きちゃう…」
と言いかけながらリビングに入るとトウはソファに座っておとなしく絵本を見ていた。
「僕知らない。届かないもん…」
そうなのだ。いつもは子供がイタズラしないように棚の上に置いている。
それに…
ただイジっても警告音は勝手に鳴るモノではない。
「…そうね…ごめんね。…おかしいな…とにかく止めなきゃ。ヒカが起きちゃう…」
音を辿りながら、エイメは思い出す。
「そうだ、確か昼食の後の瞑想にチェッカーを取りに行ったらヒカがぐずり出して…」
ヒカの寝ているベビーベッドに近づくと、スヤスヤと眠る赤ちゃんの足元で毛布の折り目に半分隠れたチェッカーがピコピコと音を立てていた。
エイメは素早く手に取り、青いランプの点灯と共に鳴っている警告音を止めて赤ちゃんを見る。
「良かったぁ、起きてない………て、え?…青…?…」
思えばそれが初めてで、最初はチェッカーの誤作動と思った。少なくとも、エイメはそう思おうとした…
けれどもその後も同じような事は続き…
ヒカの近くにチェッカーがあると青いランプの点灯と共に鳴り出す警告音に、最初はチェッカーの故障を疑い新品と交換もしてみた。
そしてある日、エイメは恐る恐る眠っているヒカの枕元に交換したばかりの新品チェッカーを置いてみる…
4.5分は経ったろうか…
青い光と共にチェッカーはピコピコと鳴り始めた。
この時、エイメが今まで抱えていた疑念は確信に変わった。
数日後の夜、子供2人を寝かし付けてからエイメは思い切って夫に切り出す。
「ねぇ…リュシ…あの……ヒカの事なんだけどね…」
「やはりエイメも気付いたか?」
「……」
リビングのソファーに座って任務用の資料に目を通していた夫のリュシが、エイメの声に手を止め喰い気味のタイミングで真顔で反応すると…エイメは次の言葉が出て来なくなってしまった。
レノの人間にはおよそ反応しない筈のセレスの能力者に出る青色の警告ランプ…こんな現象は今まで生きて来た中では聞いた事がない。
前例のない…何か…あまり良くない…特別な事が自分の娘に起きているような不安がドッとエイメの心に広がった。
「…長に相談するべきだろうな…。なんだか髪の色も日増しにシルバーがかって来ている感じだし、あの子の側にチェッカーがあると青いランプの警告音が鳴るだろう?我々レノの人間ではあり得ない事だ。少なくとも俺は初めて見た。よりによってセレスの青いランプと警告だ。何が起きてるか分からないが、長達に話すのはなるべく早い方がいいと俺は思う。」
「…あの子は…これからどうなるのかしら?…」
エイメの緑色の瞳から大粒の涙が溢れ出す…
「分からない……。ただ…今分かる事は、あの子の側で青い警告音が鳴り続けるという事は、このまま何もせずにこのレノのコロニーにいてはマズい状態にあるという事だ。なるべく早い方がいいと思う。ちょうど明日は俺も君も任務はないだろ?あの子を長の元に連れて行こう…」
リュシは、ヘナヘナとその場に泣き崩れるエイメの側まで行って、彼女の涙を拭いながら近くのソファーに座らせて優しく声を掛ける。
「俺の知る限り見た事ないケースではあるが、幼児くらいまでは我々ミアハが3つに枝分かれする前の能力が一時的に出たりする事が稀に起こると聞いた記憶があるし、たまたまトウは出なかっただけでヒカは幼児期の不安定な力が強く出ているに過ぎないかも知れないよ。それにもし…このまま放置してヒカの命に関わる事態になっても怖いし…とにかく長に報告しよう…」
翌日…
エイメが漠然と抱いていた不安は的中し、ヒカの変化は今後長きに渡りこの家族に混乱をもたらす事となって行くのだった。
長の判断で、ヒカは一時的にセレスのコロニーの中にあるミアハの総合研究施設に預けられ、1週間後の元老院の判断を待つ事となった。
リュシとエイメは緑色の髪と瞳という外見の特徴で植物を癒す能力を持つ、ミアハの中のレノという種族で、夫婦で能力者として任務をこなして報酬を得て暮らしている。
3年前にトウという男の子が生まれ、10ヶ月前に問題の女の子、ヒカが生まれた。
ごくごく一般的なレノの若い家庭だが、その家族の平凡でささやかな幸せな日常は、このヒカという女の子の誕生から大きく掻き乱されて行く事となる。
ヒカがセレスの研究施設に預けられてから5日後…
研究室の片隅で、ヒカの様々な検査データを手にした研究員と長老セダルが話し込んでいた。
頭髪は無く、鎖骨の辺りまで伸びた長い白髭となんとも優しげな青い瞳の老人の、この時の表情はいつになく険しかった。
「長老、私は未だかつて赤ん坊のこんな能力数値を見た事がありません。…純粋なレノの夫婦から生まれた子のはずなのに…まだ歯も生え揃わない赤ん坊なのに…ですよ。能力数値がセレスの能力者の平均値以上で…微力だけれど日毎に更に上がり続けているなんて…」
「………」
「然もです。この子のこの髪の色…シルバーグリーンて…父親は生後半年くらいからシルバーがかって来たって言ってましたね…」
「…変異の子だね。先代の長老が若い頃に一度だけこの子のようなケースを見そうだが…過去の少ないデータを全て調べても、セレスのこんな高い数値の子の例はなかった。然も…強くてこんなバランスの悪い数値では、身に付けずとも近くにあるだけで警報音が鳴りっぱなしになる訳だ。」
「長老も初めてご覧になるケースなのですね。」
「データによると、先代が過去に見た子より前は、更に100年くらい前の出現だったようだ。それほど稀なケースで(女神の入れ替えっ子)とも言われている。」
そして…
話を続けながらデータをチェックし続ける長老の眉間に更に深いシワが寄る…
「発現しているセレスの力の強さとこのバランスの悪さでは…とにかくこの子はレノの地では暮らせないな…。おそらくだが、この先も普通のレノの子供のようには戻らないだろう…」
「……そうですか…」
「しかし、稀なケース故にデータも少ない。ある時突然にセレスの能力が消える可能性もゼロではない。とりあえず1、2年は強力でアンバランスなセレスの力でも対応可能なセレスのコロニー内で様子を見て行くしかない。その間の家族の面会は可能な限り融通してあげてくれ。なるべく早い内に家族を呼んでレノの長からの当面の対応の説明を頼む。私もなんとか時間を空けられたら同席する。」
「…分かりました。」
それから約1年半…
ヒカはセレスのコロニーに引き取られ、毎日の様に色々な検査を受け経過が見守られた。
ヒカの両親は可能な限り面会に通っていたが…娘のセレスの能力が消える兆しは一向に見られなかった。
そして…
ヒカをセレスに引き取ってから2年を待たずして、長老は苦渋の決断をする。
ある日、夫婦は長老が直々に会って話したい旨の連絡を唐突に受け、研究所に呼び出された。
ヒカの両親の感じた嫌な予感は、その面会の際に的中する事となった。
ヒカは2年近く経過してもセレスの能力は高いまま増し続けている状態で、身体から放出しているエネルギーのバランスも悪く、しばらくは自力でのコントロールは難しく、セレスのコロニー以外の特殊な設備のない場所での生活は、その地への影響を考えると厳しい事と…
容姿も…髪の色は更にシルバーの色が強くなり、肌の色もセレス特有の透明感を感じる変化も見られ始め、瞳の色も微かに青みがかって来ていて、明らかなセレスへの変容の兆候が見られる為、過去の例も鑑みて今後レノの特徴が戻る可能性はかなり低いと判断した事を、長老は丁寧に両親に告げた。
更に、長い目で見てヒカはセレスの施設に守られて能力を伸ばして行った方が生きやすいだろうという事と、セレスの人間として生きるならなるべく早い内にミアハの中でも特殊なセレスの社会に慣れた方が精神的な負担は軽くて済むだろう事も丁寧に説明し、ヒカをセレスの子として半永久的にセレスのコロニーへの引き渡しを要請した。
心のどこかで覚悟をしている部分があったとしても…ヒカの両親からしてみれば、長老の話はかなり残酷な内容だった。
母のエイメは号泣し、父親のリュシはしばし言葉を失う…
仮に2人が長老の申し出に反対したとしても、強いセレスの力を有し容姿も変化し続けている娘をレノのコロニーに強引に連れ帰って、親としてどこまで娘の心と健康を守ってあげられるだろう…?
「出来うる限り、ヒカにとっての最善を考え、守り抜く」という長老の言葉を今は信じるしかない…と2人は決断する。
「どうか、私達の大切な娘をよろしくお願いします。」
と、長老に頭を下げ、応接室を後にして2人はすぐにヒカのいる部屋へ向かう。
あいにくヒカはちょうどお昼寝の時間で眠っていた。
夫婦でそれぞれベッドの両脇にしゃがんでヒカの顔を覗き込むみ…
頬をそっと撫でながらエイメは小声で話しかける。
「…ヒカは凄い力を持っているんだね…一体誰に似たのかな…?……いつか…セレスの力を使いこなせるまでになったら、ママ達に会いに来てね。」
再びエイメの瞳から涙が溢れる。
「大事な大事な私達のヒカ…愛してるよ。ずっと応援しているからね…また会おうね。」
反対側で毛布から覗いていたヒカの小さな手の甲を撫でていたリュシの目にも涙が潤んでいた…
あっ、とエイメは思い出したように屈めていた身体を起こし、手に持っていた小さな茶色の紙袋をドアの側で3人の様子を切なそうな目で見ていた養育担当らしい恰幅の良い女性に渡す。
「中にブルーベリーのタルトが入っています。うちの庭に実っているブルーベリーを摘んで作ったんです。先日差し入れしたらあの子は喜んで食べてくれたので…起きたら食べさせてあげて頂けますか…?」
ドアの側の女性は優しく微笑んで、
「分かりました…」
と言ってその袋を受け取った。
帰り際、ドアを開ける前に2人はその女性に深々と頭を下げ…
「どうか娘をよろしくお願いします。」
と告げた。
そしてエイメは、再びヒカの方を見て泣き笑いで…
「ヒカ、また会おうね!」
と小さく手を振り、部屋を後にした。
「これっきりじゃない…」
「また会える…」
夫婦はお互い確認し合うように、この2つの言葉を何度も繰り返し…励まし合いながら帰途に就いたのだった。