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12 伝えたかったこと


メクスムのある高層ビルの最上階…


その部屋のドアをノックする音にエンデは気付かず…無意識に鼻歌を口ずさみながら、ここに来てから仲良くなった鳩にパンくずを上機嫌で上げていた。


「おいエンデ、例のトレーニングはいいが、ノックの音にも気付かないのは不用心だぞ。…って…また窓から鳥の餌やりしてやがる。餌やりは屋上にしろって言われているだろ?下のベランダや通行人に糞が落ちたら回り回って内のボスに迷惑がかかるんだから、そこからの餌やりは本当に止めてくれ。」


昼間はいつもウェスラーの部屋のドアの前に立っているマクルが困った顔で注意する。


彼等はエンデがただの気分転換だけで鳩に餌やりしてる訳ではない事を知っていて、勿論、エンデの鳩との交流はウェスラーの許可も得ている事なので、あまり強くも言えず…困惑気味だ。


「すみませんマクルさん…彼等はそれなりに状況は理解しています。糞は屋上か少し離れた所の一番大きな木の枝で済ますそうです。餌やりは、間もなく雨が降るので今日はここからの方が良いと判断しました。屋上はウェスラーさんの部屋からでないと行けないから、僕がその度にあの部屋をウロウロするのも申し訳ない気がして…」


ほら、もう終わりだよ。とエンデが鳩に両手のひらを見せると、鳩はそれを理解したように飛び去って行く…


そして、鳩がいなくなったのを確認してエンデが窓を閉めようとしたタイミングで、ポツポツと雨が窓に当たり出した。


「……」


確かにこの少年の能力は本物なんだなぁ…


と感心しながら様子を見ていたマクルの所に、エンデがゆっくり歩いて来る。


「ウェスラーさんが僕をお呼びなんですね?」


マクルはエンデの言葉に、自分がここに来た目的を思い出してハッとなる。


「あ、そっ、そうなんだ。人払いして待っているようだから、結構大事な話なんだろう。早く行ってくれ。」


「分かりました。…あ、今…さっきの鳩が屋上で雨宿りしてるみたいです。マクルさんが巣箱を屋上に置いて下さったんですね。ありがとうございます。」


と言いながらエンデは、マクルに軽く頭を下げてニコッと笑った。


「あぁアレな…ま、まあいいから急げ。」


マクルは照れ隠しの様にエンデをウェスラーの部屋へと追い立てた。


「あ…じゃあ…」


素早く礼をして自分を素通りし、ややこしい暗号にも慣れてウェスラーの部屋へ入って行くエンデを、マクルは生温かい目で見送った。


「なんだかんだで、いつのまにかここの人間達に受け入れられて可愛いがられてるんだよなぁ…アイツ。なら…ずっとここでウェスラー様の元で俺たちと仕事をして行けば良いのに…」


ドアの反対側に立つもう1人の警備の男が呟き…


「そうだな…」


とマクルも願ってしまうのだった…





「まあ座ってくれ。」


今日はパジャマにガウン姿でソファに座って寛ぐウェスラーは、エンディをいつものように対面に座るよう促す。


ただいつもと少し違うのは…彼がタバコではなく葉巻を嗜んでいる事…


エンデには、今日のウェスラーはあえてそうしているように見えた。


「なんだかやけに楽しげに鳩に餌やりをしていたな…」


そう言いながらウェスラーは、少し不機嫌そうに葉巻を口に近づける。


「……」


エンデの部屋の様子を監視カメラで彼は先程まで見ていたのだろう…


「今日…これから何が起こるかを知っているが故の反応なんだろう…?」


ウェスラーにしては珍しく、エンデを少し切なげに睨む。


「…あなたがこの国を思うように、僕も故郷の村の役に立ちたいし…僕を慕ってくれている子達が困っているなら、側にいてあげたいんです。」


自分を真っ直ぐに見て澱み無く答えるエンデに、ウェスラーは少しガッカリしたような表情を浮かべながら、手にしていた葉巻を灰皿に置く。


「やはり、どこまでも君は君だな…憎たらしいくらいブレない奴だ。」


「…すみません…」


「謝らなくていい。…最初に理不尽な振る舞いで君を拘束したのはこちらだからな…」


「……」


「…先日、村長から相談を受けた内容は、一応こちらでも独自に調べさせて貰った。部下に周辺を探らせたが、確かにあの荒屋の中で子供達は流行り病で寝込んでいて、ミアハの医療機関で治療の為に一時的に引き取るか否かを村長夫妻とティリの長が話し合いをしていた。何より村長は彼らの世話をしている夫人の体調と、もし自分達が感染してしまった時の村の諸々が滞るのをかなり心配している様子だったそうだ。…だが…」


ウェスラーは腕組みをしながらソファに背を預ける。


「ならば、ミアハで子供達の治療を任せられるなら、君がわざわざ帰らずとも大丈夫なのではないか?むしろ適切な治療を施して貰えるならば、そちらに任せた方が効率的と思うが…」


まあ第三者から見れば…ウェスラーの考えは最もだ。


エンデは右腕に巻いたライカムの腕輪を触りながら、


「サハはともかくセジカは…今はミアハの家族と距離を置いていたい気持ちが強くて、あの村から離れる事で彼の孤立感を強めてしまう可能性があります。サハも…家族は彼と暮らす事を願っていますが、セジカが大好きなので彼が心配で離れたくない気持ちが強く…かと言って…一時的にサハの家でセジカを預かってもらう事も不可能ではないですが、その為のハードルも幾つか存在しますし、今のセジカの心理状態では返って彼の孤独感を強めてしまうように見えるのです。」


「…そのセジカという子の親はどうしてるんだ?」


「……」


エンディは少し躊躇したが、意を決したように…


「セジカの父親は、彼が攫われて間もなく病に倒れたセジカの母である夫人を亡くし…本人も心労で仕事もままならなくなって行った時にお世話してくれた同僚の女性と再婚して子供も生まれ、今は新たな家庭を築いています。僕がレブントの路地で座り込む彼に声をかけた時は、既に彼には家族の記憶もほぼありませんでしたから…見知らぬ人の家に世話になる感覚が強かったようで、一度は父親の意向でミアハに帰りましたが、生まれたばかりの腹違いの妹の世話に追われる義理の母と上手く関われず…自分は邪魔かも知れないと、すぐ村に戻って来てしまったのです。」


「……」


ウェスラーはセジカの行方不明の原因が、大国…今は主にテイホ関係者による誘拐とすぐにピンと来た。


「セジカもサハも…僕がここに来る前にミアハに戻ったイードという子も、大国の研究サンプルとして攫われ、血液や身体のあちこち…時には内臓組織の一部や脊髄も取られ…果てに用済みになってユントーグとの国境近くの人気のない場所に捨てられ…運良くレブントまで辿り着いたところで僕に拾われた子達です。昔は身体の全ての部位が研究対象とされ、研究対象外とされた臓器も売ったり、上流階級者達の慰みモノとか奴隷の目的での人身売買も活発に行われた時代もあり、攫われた子は二度とミアハには戻れないとされていた。今は研究が進み、必要なサンプルのポイントが詳細に分かり出すと、命まで奪われる事は激減したようです。が、それでも…攫われた子供達の過酷さは勿論ですが、彼らの家族もまた子供の連れ去りによって運命を大きく狂わされています。奇跡的にミアハまで戻れても、彼らはそれぞれのトラウマを抱えながらお互いに家族の絆を紡ぎ直す事に苦心することになります。僕はどこであっても子供達が生き生きと暮らせる居場所を見つけて欲しいのです。かつて大火事で僕を助け、育ててくれた恩人であり親代わりでもあったテウルという老人が僕にそうしてくれたように、一時的でもあの子達が僕を必要としてくれるなら、僕は出来る限り応えてあげたいです。」


ウェスラーに説明して行くうちに、エンデの藍色の瞳には涙が滲んでしまっていた。


…じいちゃん…


大きな混乱と喪失感の中で、僕に食べ物と居場所と…自分でも人の為に何か出来ると思わせてくれた人…


ここはできるだけ冷静に…感情的にならず話したかったエンデは、この潤んだ瞳がウェスラーの抱える苦悩を刺激してしまいそうで…心の中で軽く舌打ちをした。


「…君は…だからあの場所に拘るのか?」


「いつか見たレブントの町の路地裏には、まだ助けなければならない子供達が結構いたのです。…だけど…あの時の僕がなんとかしてあげられそうな子は3人が限界でした。…セジカみたいに家族との絆が切れかけて、戻るに戻れない子は今後も出て来るでしょう。中にはミアハに戻れれば将来は能力者として活躍出来る子もまた結構いると思います。まず彼らに居場所を与え、出来る事なら将来に希望を与えてあげたい。例えミアハの能力者の道でなくとも、孤立せず将来の為に自立出来る子を増やす手伝いをしてあげたいんです。…あの地で…自分と似たような願いを抱くタヨハさんと共に…」


「……」


ウェスラーはそこまで聞くと、また寂しそうな表情になる。


「素晴らしい理想だが…それは決して容易い道ではないと思うぞ。そんなにも君は…そのタヨハという人物といたいのか?私が君に第二秘書というポストを与え、報酬も弾むと言ってもか?それを資金にして、あの村に色々な専門家を迎えて、ここから間接的にその人や子供達を支えて行く道もあるぞ。」


いつの間にかウェスラーも…


常に自分以外の人の事ばかり考えて奮闘するエンデが気に入ってしまったのだ。


珍しく、少し身を乗り出して、彼はエンデに問う…


「……」


エンディは申し訳なさそうに微笑んだ。 


「僕は…今後もずっとあなたの理想を支えて行くつもりです。理想の実現の為に権力が必要なら、僕の能力でその権力の中央に進めるお手伝いを続けて行きたいのは本当です。…でもあなたは…ご自身の身は最低限ご自分で守れるし、信頼できる素晴らしい部下で周囲をしっかり固めておられる。でもタヨハさんは…人望はあるけど、人に利用されやすい危なっかしさもあるのです。優しすぎる故に約束された未来を奪われて突然の事故のように授かった我が子を優先し…一時は人望も立場も失ったあの人は…今後もそんな事を繰り返してしまいそうな人なんです。つまり…お人好しでちょっと抜けている。先日のパシュケでの件も、どこまでもセレスとしての使命感を優先した故に巻き込まれてしまったケースで…そんなあの人の元には本当にそんな彼を好きな人も多く集まるが…たまに巧みに利用しようとする人も紛れてしまう…そして何より…」


ここでエンデの顔が少し強張る。


「彼の最愛の存在の1人でありミアハを統べる存在である長老の後継者と噂されている少年と、長老の命によりその彼が懸命に世話をしている少女に…テイホ政府があの女を使って触手を伸ばそうとしているのです。ミアハの未来の担い手として重要な子供達に、既に数え切れないほど酷い事をして来て、更に…です。」


「…それは間違いない話か?」


ウェスラーも、久しぶりに聞く例の女の話題に背筋がゾクっとなる。


「ミアハと積極的に関わる限り、いずれカリナと僕は直接対峙する事にはなりそうですが、なによりミアハの人達もそうで…彼等は準備を始めてはいますが…より一層の備えが必要なんです。もし今、僕があなたの側近的立場になってしまったら、僕の存在にすぐカリナは気付くでしょうし…彼女から情報が色々漏れて、早い段階であなたやその周囲の人にもテイホの工作員だけでなく政敵の使者による被害が及んで行く危険もあります。…基本、カリナは政府の言う事をそのまま聞く事はあまりない人ですが、良くも悪くも彼女にとっての地雷は父親です。その事はあなたも今後はずっと気を付けて行った方が良いと思います。彼女がもし髪や目が真っ赤になっている姿を見たら、絶対に触れてはいけないし目を合わせてもいけません。即死しますから。繰り返しますが、今のあなたは出来る限り余計なリスクは避けるべきですから…僕とはある程度の距離を置く必要があるのです。」


「……」


「今…カリナが狙っている件は、背後であの女を上手く使おうとするテイホ政府の意向が強く、父親の意思ではないようです。カリナもまた、遠い未来まで見る力がない故に、僕からしたらややトンチンカンな事をしてるように見えている。…ただ厄介な事は、彼らの行動全てがこの星の未来の為という視点ではそう的外れな事ではないんです。あの長老も薄々分かっていて、この先しばらくは対応に苦慮し続ける事になる。この星の危機を救う為にはミアハの力がどうしても必要ですから、僕はあの方の力にもならなければいけないと考えています。ただ長老には女神の強力な守護がある。だから今、僕が一番心配しなければならない存在はタヨハさんとその子供達となる訳です。専門家の方達の知恵は確かに必要ですが…僕があの場にいないと、ミアハの特殊性を深く知らない彼らに今後の対策全てを委ねる形になってしまう危うさがありますからね…」


ウェスラーは何か腑に落ちないようで…


「彼の息子は分かるが…娘はなぜ狙われるのだ?」


「ああ…、カリナ自身も色々あって…その強い能力に人生を狂わされていますし…プライベートでは葛藤やすれ違いでなかなか満たされていない為、個人的な理由でタヨハさんの娘さんは狙われる事になるようです。」


エンデはニヤッと笑う。


「多少…危なっかしいけど、息子の方はまあ大丈夫。むしろカリナの方からしたら最も近付きたくない人物でしょう。ただ娘さんは…」


エンディの表情からまた笑みが消える…


「…なんだ?」


「……」


ウェスラーはその続きを聞きたがるが、エンディは黙り込んでしまう…


「あの方にはなんとしても…」


エンディは考え込むように俯いて、ボソボソと呟く…


「おい、タヨハという人物の娘がなんなんだ?続きを話せ。なんとしても…なんだ?」


ウェスラーはつい話の続きを急かす…


「いえ……あ、そうか、……カリナのの父親は…なんとも厄介だな…」


もはやウェスラーの事は意識の外で…困ったような顔で思案しているエンデ…


「…おいエンデ…」


「……」


「おいコラ…」


「…やはり僕がタヨハさんの側にいて動くのが一番無難かな…」


「私を無視するとはいい度胸だ…」


不敵に笑むウェスラーは、懐から銃を取り出し…銃口をエンデに向ける。


「エンデ、3秒以内に私を見ないと帰国許可を取り消すぞ。」


「え?」


ハッとしてエンデが顔を上げると、ウェスラーが意地の悪い表情を浮かべながら自分に銃を向けていた。


「ウワッ、な、何ですか…ど、どうしてこんな展開に…?」


尚もニヤニヤしながら自身に向けた銃口を下げないウェスラーに、エンデは割と本気でパニクって、思わず両手を上げる。


「何ってお前…今、私の問いかけを何回無視したか覚えてるか?」


「ええ⁈…無視?…覚えてない…です…」


結構本当で怖がっているエンデを見て少し気が済んだウェスラーは、そこでやっと銃口を下げ、銃をテーブルに置いた。


「彼等のややこしい問題に入り込んでしまったら…周りが見えなくなっていたようです。すみません…」


ウェスラーは軽く溜め息を吐き、


「相手が私だから良かったが…私レベルの政治家の前でやったら二度と会ってくれなくなるぞ。立場の弱い国が外交の道を閉ざされたらある意味終わりだ。君はこの大国とミアハの架け橋になりたいんだろう?たった一度でも無礼が許せない人間はいるし、大国の政治家ならその確率は高い。くれぐれも覚えておけよ。」


「…はい…気を付けます。」


思わぬ気の緩みで今までの努力が無になりそうだった事を考えると…


エンデは脇の下に嫌な汗がじわりと滲む感覚を覚えた。


ちょっとやり過ぎたかな?と内心苦笑いをしながら、ウェスラーは今度は懐から2つの封筒を取り出し、エンデの前に置いた。


「忘れない内に渡して置く。」


「?…なんですか…これ…」


エンデは封筒を手に取りながらウェスラーに尋ねる。


「帰りの交通費と食事代だ。前回、こちらに向かう途中でマスコミに尾行されてたろ?君のお陰で上手く撒けたが…君との接点はギリギリまで隠して置いた方がいいんだろう?だから…分からないよう警備は付けるが、一人でここを裏の駐車場から出てタクシー乗り場まで歩いて行ってくれ。国境通過許可証も一緒に入っている。レブントの病院前で降りて、市場まで歩いて行けば君の村の村長が待っている手はずだから、そこで村長にもう1つの封がしてある方の封筒を渡してくれ。…それからこれを…」


と、ウェスラーはデーブルの上の小さな引き出しの部分を開け、銀色の小さな塊をエンデに渡す。


「これは…?」


「私直通のイヤーフォーンだ。私としか通話は出来ないように作られている。だが、まず最初に3785という4桁の番号を押してからでないと機能しない仕組みになっているから注意しろ。最近、レブントとポウフ村の境辺りに私の息のかかった人物の経営するデパートの所有ビルで、秘密裏にその最上階にこの電波用の中継点でもあるモノが建ったんだ。君の自宅辺りなら確実に電波は届くはずだ。君の協力が欲しい時にはまたよろしく頼む。そして君も…何か困ったら遠慮なくかけて来い。私で出来る事があれば協力する。」


「ありがとうございます…」


「…もう大体の荷造りは終わってるんだろ?昨夜遅くまでガサガサやってた様だからな…」


ウェスラーは少し意地悪そうに笑いながら、再び葉巻を吸い出す…


「…バレてましたか…」


…いや…実際は荷物なんてここで買い与えてもらった下着と簡単な部屋着等の衣類と身綺麗にする為の生活雑貨くらいで、持って行ってもゴミになるだけかなと区分けしていただけだったんだけど…


エンデはバツが悪そうに笑う…


「あの部屋もそんなに居心地悪くはなかったろう?」


「…そうですね…」


監視されてなければ…と、心の中で付け足しながらエンデは答える。


「…今後、あの部屋は君の好きに使え。監視カメラは撤去し、部屋は君に譲渡する。」


「え?」


最近、ウェスラーはエンデの部屋の事をやたら気にしている様子は感じていたが…譲渡って…


「僕…明日帰るんですが…」


ウェスラーは意外そうな反応をするエンデの顔を見て少し得意げな表情を浮かべ、


「ふふ…君でも予想外の展開もあるんだな。君が帰った後、あの部屋をどうしようか迷っていたんだ。本来の使い道はもう無くなってしまったから、試しに今、思い付きで言ってみた。」


ウェスラーはイタズラっ子の子供みたいな目をして微笑んだ。


…だがエンデはほんの一瞬、ウェスラーの脳裏に悲しみを帯びた娘さんの後ろ姿の映像が浮かんだのを見逃さなかった。


娘さんを呼び寄せて、彼女の受験の為の勉強部屋に用意したのだろう…


だが彼女は今…「体調を崩した祖母の看病をする」と頑なに父の提案を拒み、自ら進学の夢を絶ってしまっているようだった。


「ぼ、僕だって…ウェスラーさんの思考に集中していたら気付きましたよ。…でも…危険を伴う状況でなければ基本…あんまり人の思考は意識しないようにしています。…相手にとってはあまり気持ちの良い事ではないでしょうから。それは親しい間の人と話す時程、気を付けています。」


「…そうか……」


ウェスラーはなんとも嬉しそうにエンデを見つめる…


「私の友人として、いつでも気軽に来いという意味であの部屋を君に贈るのもいいと思いついたんだ。あいつらも君の帰国は寂しいそうだよ。最近、私がいない夜に君の部屋で屋上の掃除を賭けてトランプゲームで盛り上がったそうだな…次回は私も混ぜてくれ。」


と言ってウェスラーは葉巻を一服吸った。


「…これから3日間、私は視察の為に出かけるから明日の見送りは出来ないが、気を付けて帰ってくれ。明日は長老が派遣を許可してしてくれたレノの長と能力者達を迎えて各地の土壌調査を始める予定なんだ。…本当は君も同行して欲しかったんだがな…。話は以上だ。行っていいぞ。」


ウェスラーはまた葉巻を吸って窓の方を見る。


「……はい。村の子供達の体調が落ち着いたら是非、僕も調査の一部でもいいので参加させて下さい。」


エンデはゆっくり立ち上がって、深く一礼する。


「色々と…ありがとうございました。」


…最初こそ…罪人扱いされ…覚悟していたとはいえ、かなりのストレスだった…


だが…実質この国の問題ではないタヨハの人質問題を、この人は様々な手を打って自国の軍隊まで働きかけ、彼の救出成功に導いてくれた。


更には、自分に部屋まで譲渡し…友と呼んでくれた。


屈辱的な思いはしたが、エンデの命がけの訴えに応えてくれた心ある1人の政治家に、今は感謝の思いしかない。


「……」


改めてエンデがウェスラーに向き直ると…彼は素っ気なく、葉巻を持ったまま窓の方を見ていた…


「失礼します。」


と告げ、エンデがドアの方へ向かうと、


「君は無罪だ。…そもそも疑惑は存在しない。色々と無礼で…酷い振る舞いをして、申し訳なかった。」


ウェスラーはエンデの背中に向かって……初めて謝罪をした。


「……」


謝罪はちゃんと相手の目を見て行うモノと…かつて僕のじいちゃんは言ってましたよ…


可愛げのない謝罪をする大国のプライド高いおじさんに、エンデはそう言いたかったが…


様々な思いが涙と一緒に溢れてしまい…声が出て来なかった。


「うっ……」


いや…ウェスラー自身もかつて…ポウフ村ほどではないが、メクスムのあまり豊かとはいえない地方農村部出身の政治家として都市部に出て来た際は、田舎者というだけで都会の様々な洗礼を受けて傷ついていた。


更には…


政治家達の家族の交流の場として催されたお茶会に、政治的な主張を掲げた…いわゆるテロ集団が乱入し、無差別攻撃でかなりの死傷者が出た事件にウェスラーの家族も巻き込まれ…夫人と幼い息子が重傷を負ったが、当時の大臣や名家出身の政治家の家族が救急搬送の際に優先され、出血の酷かった息子が救急車を待ちながら息絶え…更に搬送が後回しにされた妻は傷口からの感染による合併症で、治療の甲斐もなく搬送から1カ月を持たず亡くなってしまったのだ。


現場でも、病院に見舞いに来た大臣にも、更には葬儀の場でも、何も文句が言えなかったウェスラーに、幸い軽傷で済んだ娘が不満を抱き…強烈な非難と共にウェスラーを拒絶し、亡き妻の田舎の祖母の住む家行ってそのまま…断絶状態になっていた。


[自分は権力が無いから家族を死なせ…家庭は崩壊した]


という思いが、「国の隅々まで豊かで平和な国にしたい」という最初の理念から彼を遠ざけ…今のウェスラーの野心の燃料になっていた。


「…大丈夫か?」


堪え切れず泣き崩れたエンデを、いつの間にか側まで来ていたウェスラーがそっと支えて立ち上がらせる。


「君に頭も下げず…こんな謝り方しか出来ないオヤジは本当にみっともないな。君は…昔の自分に少し似てる。私はあれほど嫌悪した都会の洗練されたプライドに、気がつけばしっかり染まって…日々凝りもせず権力闘争に励む奴等となんら変わらない視点で、昔の自分を見下していた様だ…」


ウェスラーはエンデの肩を抱え、


「部屋まで送らせてくれ…」


と支えるように歩き出した。


「……」


何か言葉を返したいが、口を開けると嗚咽が漏れてしまいそうで、何も言えないエンデ…


「今の私は…使命感みたいなモノを持って仕事に打ち込めそうなんだ。それは…君のお陰だ。私に原点に戻る勇気をもたらしてくれた。この転機を逃すつもりはない。」


エンデは、ここでやっと自分を支えてくれている男の顔を見る。


「……」


ウェスラーは…


今まで見た事がない程の澄んだ目をして、前を見ていた。


そして彼はエンデの部屋のドアを開け、ベッドまで連れて行こうとしたが…


エンデはドアの側でウェスラーの歩みを制止した。


「もう、ここまでで十分です。ありがとうございます。」


と言って、支えてくれていたウェスラーの腕を解いて軽く一礼をする。


「そうか、それじゃあ……邪魔したね。」


と部屋を出て行こうとするウェスラーに、今度はエンデが話しかける…


「…僕も…1年前はあなた達がとても怖かったけれど、あなた達に会うべきだという使命感みたいなモノに突き動かされてここまで来ました。僕もあなたに会えた事は人生の大事な節目と思っています。あなたは部下の方達と良い雰囲気で関係を築かれているようでしたから、割と早い段階で信頼できる人だと感じていました。ですから先程…僕を友人と言って頂けた事はとても光栄で嬉しかったです。で、その……調子に乗って1つだけよろしいですか?」


ん?という感じで振り向いたウェスラーに、


「娘さんとの関係修復は、今がチャンスです。いや…最後のチャンスかも知れません。お祖母様は…その…ご快復は難しいと思われ…今の娘さんには看病やら諸々の対応は少々荷が重いようで…彼女は心の奥深くではあなたを非難した事をかなり後悔しておられますが、色々葛藤もあるようで…あなたの手助けを欲してはいるが、ご自身からは言えないようです。このままお祖母様と二人きりにしておくと、彼女は心を閉ざして病んでしまいます。そうなった後では意思の疎通が困難となり、関係修復はかなり難しく…今後の人生においてお互いが強く後悔を残してしまうと思います。」


エンディの言葉に、最初こそ目を見開き厳しい表情を浮かべたウェスラーだが…徐々に冷静に…穏やかな表情でエンディの助言に耳を傾けていた。


「そうか…やはりか。…義理の母は結構前から体調を崩していてね…つい最近担当医師から連絡をもらったんだが、あまり状態が良くないらしくて…彼女の入院を強く勧められたんだ。義理の母は認知症もあって…娘は昼夜が逆転しがちな彼女の対応で慢性的な睡眠障害に陥っているらしいとも聞かされた。覚悟を決めて色々急がねばなるまい…ありがとう。」


「……」


以前…腕を撃たれた時を思い出しつつ…今のウェスラーの言葉にエンデの心は震えた。


「…お節介ついでに…もう少しいいですか…?お祖母様と娘さんを引き離す形では上手く行かないと思います。お祖母様をこの近くの病院に入院させて、娘さんは…例えばですが、この部屋に住まわせて病院に看病に通える状況を作ると良いように思います。あと…娘さんは既に軽度の鬱症状が出ているように感じるので、彼女お気に入りの、カモミールの香りの入浴剤みたいなモノを浴槽に入れ、毎日の入浴を促して行く事で身体が温められ鬱症状は軽減していくと思います。」


「……」


結構細かいアドバイスに、ウェスラーは少々呆気に取られていた。


「君は…そこまで見えているのか…」


「…見えているというか…必要だから見せられて言わされているのかも…」


「誰に?」


「分かりません…なんとなくの感覚です。多分ですけど、これからこの星が直面する危機を乗り越えて行く為にはウェスラーさんの理想の実現は必要で、そんなあなたを支える為に娘さんの存在も大事なのではないかと…これはあくまで僕の主観的な考察です。」


「…そうか…」


ウェスラーは少しの間、何か考えている様子だったが…フッと悲しげに微笑んだ。


この時…


エンデはこの父娘がずっと抱えてきた心の中のブラックホールみたいなモノが見えてしまった。


あの事件から2人はずっと…


なぜ妻と息子、母と弟が死ななければならなかったかを自問しながら…お互いに家族を助けられなかった事を悔やむあまり責めるあまりに…自分の幸せを考える事を止めてしまったように見える…


ウェスラーの娘は、祖母に必要とされる事で父を責め続けている罪悪感を紛らわし、ウェスラーは権力を得る事であの日の家族が元通りになるような幻影にしがみつこうとして来た…


エンデは一度大きく息を吸って…覚悟を決めてウェスラーに問う。


「ウェスラーさん…奥様と息子さんからのメッセージをお伝えしてもいいですか?」


「……いやそれは…」


ウェスラーはエンデの唐突の申し出にかなり困惑し、目を泳がせながら窓の方を見たり、部屋を出て行こうとして止めたり…嫌がりながら迷ってもいるようだった。


「今日は…もうここから離れるからって…少々立ち入り過ぎじゃないか…?」


そう言いながらもウェスラーは、部屋を出て行く様子はないようで…


「…すみません…実は僕も亡くなった人とチャンネルを合わせないように普段は苦心してるんです。ポウフ村のあの家で育ての親と言ってもいい人が亡くなって…3年近くはずっと一人で暮らしてたんですが、夜眠れなかったりすると、火事で死別した母や育ての親のじいちゃんが…時々励ましてくれるんです。嬉しいんだけど…会話していると僕もそっちに行きたくなってしまうので…見ないように見ないように過ごしていました。だから…ウェスラーさんの今の心境は、僕なりにですが理解出来ます。…けど」


またもやエンデの目は潤んで行く…


「ずっと…あなたに会ったあの日からずっと僕は…いつも側であなたを心配そうに見ておられる奥様と息子さんに懇願されていたんです。[2人の心からの笑顔が見たいと伝えてくれ]と…」


ウェスラーは目を見開き、エンデの両腕を掴む。


「…痛っ…」


掴んだ力はとても強く…エンデは思わず顔を歪めた。


だがウェスラーは…掴んだまま固まってしまっていた。


「ちょっ…いっ今言いますから…とにかく焦らないで、ウェスラーさんも固まってしまってますから…」


「君は何を言っている?…私がいつ…急かしたりした…。もう止めてくれ…」


エンデの腕を強く掴んだ手をやっと離し、ウェスラーは潤んだ目を隠すように背を向けて部屋を出て行こうとする。


「待って!急かしてるのは奥様のアニアさんです。[いくらパパっ子だったからってあなたはイトリアに遠慮し過ぎなの。どの道、助からなかった運命を私もシムルも既に受け入れている。あなたは何も悪くないのよ。イトリア自身も見当違いの非難をしてた事は気付いているけど、不器用で頑固な子だから誤りを訂正出来ないでいるの。今、あの子の心は壊れかけている。早く行って愛していると抱きしめてあげて。あの子を救うのはあなたにしか出来ないのよ。]…だそうです。」


「…ああ…アニア……」


ウェスラーはエンデに背を向けたまま、ヘタヘタとその場に座り込んだ…


「…シムルもいるのか?…2人とも…本当に済ま…なかっ…」


「……」


ウェスラーは絨毯に顔を擦り付け、堪え切れずに嗚咽の声を漏らした…


「……」


自分の前ではいつも…努めて平静でいようとしていたウェスラーの…


あまりに切ない謝罪の声にエンディも胸が詰まり…掛ける言葉が上手く見つからない…


だから…とにかくひたすらに、今は伝えようとエンディは思った。


「…[お姉ちゃんは気を失って見ていなかっただけ。パパも血が出てたのに、犯人と闘って捕まえている姿はカッコ良かった。パパ頑張ってた。僕は知ってる。前みたいに笑って。パパとお姉ちゃんが悲しいのは嫌なんだ。]と息子さんが…アニアさんは[あなたが謝る事ではない]と、何度も繰り返されています。」


「…クッ…うわぁ〜ッ…」


ウェスラーの嗚咽はとうとう慟哭へと変わって行って…


「おい、どうした…」


と、聞き慣れない声に心配して部下達が集まって来ていた…


「入って来るな!」


とウェスラーが叫ぶ。


「あ、ウェスラーさんは大丈夫です。」


…部下に見せたくない姿と察し、エンデは慌てて部下達を廊下に押しやり、経緯を説明した。


「…という事で、実はここに来た時からアニアさんの訴えがもの凄かったので、今日、勇気を出してウェスラーさんにお伝えしました。」


「……」


エンデが話し終えると、部下達は一斉にトバルの顔を見る…


「あっ、大丈夫だ。コイツの声に偽りはない。」


トバルがそう判定すると、


「…そうかそういう事なら…とにかく我々は席を外そう…。君は…ウェスラー様が落ち着くまで見届けて上げてくれ。じゃあ…我々は戻るぞ。」


秘書のデュンレの鶴のひと声で、皆は潮が引くように元の場所に戻って行った。


…見届けるって…ウェスラーさんは誰にも泣いてる様子は見せたくない人だし…僕どうしたら…


ドアの前でどうしたものかとウロウロしていると…


カチャリとドアが開き、ウェスラーが出て来た。


目は赤く、やや腫れぼったくなってはいるが、なんだか憑き物が落ちたようにスッキリとした様子だった。


「長居をしてしまって済まない。今日はありがとう…じゃあ元気でな。」


ウェスラーはニコッと笑い、エンデの肩をポンと叩いて通り過ぎた。


「あっちょっと待って下さい!」


「なんだ?…まだ私を泣かす気か?」


もう勘弁してくれと言った雰囲気で、ダルそうに振り向くウェスラー…


「…奥様はこの機会を逃すまいと凄い勢いで…最後にこれだけは伝えてと…[きっとあの子は最初、可愛げのない言葉であなたを拒む。だけど怯まないでね。何度でも…抱きしめて愛を伝えて上げて。私を口説いてくれた時を思い出して。粘り強く頑張ってね]…だそうです。」


「……」


振り向いたままの体制で聞くウェスラーの顔は…耳までみるみる真っ赤になった。


「…エンデ…今後はそういう連絡は口頭でなく…筆談で頼む…」


と言って彼は再び歩き出す…


そしてニヤニヤ笑いを必死に堪える警備員の間を通り、何事もなかったように部屋に戻った。




翌日…


「ええ?!…どうしよう…こんな事なら昨日すぐに聞けば良かった…帰り道の交通費と食事代って言ってたから…お金の単位とかよく分からないのをいちいちウェスラーさんに直接聞けなくて…こんな大金、怖くて受け取れないよぉ……」


エンデはどう見てもお金に見えなかった封筒の紙をトバルに見せて、数字の書き込まれた紙はどう使えばよいかを尋ねたのだが…


トバルの説明によると、それは小切手と言う物で、換金の仕方は村長に聞けと言われた。


お金の基準が分からず、この紙で確実にレブントの病院までタクシー料金は足りるかを心配で聞くと…


「お前はやっぱり面白い奴だな…文字も読めてウチのボスと難しい話をしてた事もあったのに、お金の使い方が分からないのか?」


「…だって…村では食べ物は自分の畑で作るし…死んだじいちゃんや村長さんが着る物や生活に必要な物はみんな使い古しと言いながらくれたから…お金って、扱い方がよく分からないんだ…」


使い古しと言いながら、結構、新品のような物もあったからオカシイとはエンデも思ってはいたが…


じいちゃんは「何かあったらこれを使え。使い方は村長に聞け」と、引き出しに十数枚の紙幣とコインがある事を教えてくれたが…テウルの死後、村長家族は何かとエンデに差し入れをくれるので、お金の使い方を知らずにここまで来てしまったのだ…


家を出る際にエンデもセジカに同じ事を告げては置いたが…どうやら、彼がいなくなってからも村長達は何かと彼らに差し入れしてくれていたようで…まだあのお金には手をつけていないようだった。


トバルはエンデの頭をくしゃくしゃとやや雑に撫で回し、


「お前は本当に面白くて…可愛い奴だ。」


と破顔しながら言った。


「いいか…ここに書かれているお金は、贅沢さえしなければ、おそらくお前と一緒に暮らす子供達が死ぬまで食べるに困らない金額で…そんなに大きくなければ、お前の望む学校や病院が村に建てられる程の額だ。大事に…よく考えて慎重に使え。」


エンデは驚きを通り越して、顔が真っ青になる。


「村長さんが時々レブントの市場までトラックいっぱいの野菜を運んで、それをお金に交換して、これが我が家のだいたい半年分の生活費と言っていたから…このお金がどんなに凄いかは僕も分かるよ…困ったな…」


「ボスの気持ちだ…有り難く受け取れ。返されたらボスは凄く怒るかも知れないぞ。大きな夢があるんだろ?きっとそれに使ってくれるだろうとあの方の思いが籠ってる筈だ。無下にするもんじゃない…」


トバルは今度はポンポンと、赤子を優しくあやす様に頭を叩きながらエンデを諭す。


「だってウェスラーさんにはタヨハさんを助けてもらっているのに…」


「…エンデのお陰でかなりの儲けが出たと言っていた。そのお礼もあるんだろう…罪人扱いして来た詫びの意味もな。色々な事が籠っているお金だ。お前の夢は常に誰かを思ってのモノだしな…ボスも応援したいのさ。それの資金にすりゃいいじゃないか。俺達も応援してるからな。」


尚も困惑する表情のエンデに、トバルは軽くウィンクする。


「う……ん…」


「さあ、もう行こうぜ。ここでうだうだしてたら村に着く頃にはとっぷり日が落ちてしまうぞ。」


と、トバルはまだ腑に落ちない様子のエンデを半ば強引にエレベーターに乗せる。


降下中のエレベーターの中でエンデに水色のカラーコンタクトレンズを付けさせ…


そして、いざエレベーターが地下駐車場の階に着くと、


「いいか、俺は少ししたらここを出る。お前はこのまま真っ直ぐ、通り沿いをいつも通りの様子で駅前のタクシー乗り場まで歩いて行け。タクシーの運転手には国境通過許可証だけ渡して行き先を告げろ。その許可証にはタクシー代金も含まれるんだ。そっちの小切手は間違っても渡すなよ。…それはお前が命をかけて拵えたお金だ。胸を張って夢の為に使え。…じゃあ…頑張れよ。」


トバルはエンデに軽く敬礼をした。


「トバルさん…」


エンデは別れが無性に悲しくなって、前に進めなくなってしまった…


「エンデ、昨日…ボスは葉巻を吸ってたろ?」


トバルも薄っすら目が潤んでいた…


「ああ…そう言えば…」


なんで今その質問を?と思いながらエンデが答えると…


「あれは…ボスの…我々の出身地の風習で、大事な家族や仲間の旅立ちを見送る時に、無事を祈って成人男子が葉巻の煙で送るんだ。」


トバルは徐に懐から葉巻を出して、火を着ける。


「ああ葉巻なんて10年ぶりくらいだ。昔は担当患者の退院をよく葉巻で見送ったモノだ…昨日はあの方の葉巻を吸う姿も久しぶりに見たよ。」


と言いながら、トバルは吸った煙をふぅっとエンデに吹き掛ける。


「別れの挨拶はしないぞ。またいつでも遊びに来い。…確かトレーニングも中途半端だったようだしな…」


トバルは涙ぐみながらも意地悪そうに言った。


「トバルさん…完全に面白がってますね…」


泣き笑いで突っ込むが…


どこか雰囲気がテウルに似ているトバルとの別れが…エンデは無性に悲しかった。


「期待してるんじゃないか…早く行け。」


早くしないと涙が溢れそうで…トバルは追い払うようにエンデの出発を促す。


「うん…じゃあ…ありがとう、トバルさん。」


やっと歩き出すも…エンデは途中で何度も振り返る…


「ば、ばか。振り返ってたら不自然だろ。真っ直ぐ歩け。」


それでもエンデは2回程振り向き…


やっと意を決したように前を見て、力強く歩き出した。





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