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クソニートだったけど、六年間特養で働いた話  作者: 六年働いたけど、ほぼパートの男
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第四話 五年のベテラン

 五年経った頃には、大抵の職場ではベテランだよな?

 介護士なら介護福祉士を余裕でとれる身だ。

 実際、オレは週四のパートの身であったが、中堅層に位置していた。

 早番、日勤、遅番、夜勤。

 全部やった。

 誰かが欠勤したときには率先して、リーダーから頼まれる。

 独り身だしね、やることもないしね……。


 祭りの準備やらイベントに駆り出されることも多々あった。

 職場の人たちと深く関わるのは好きじゃなかったけどな。

 だって、いちいち聞いてくるんだぜ?


 恋人はいないの、作らないの?

 なんで正社員にならないの?

 趣味はなんかあるの?

 休日なにしてるの?


 オレの人生に踏み込まれる、その行為そのものが嫌いだった。

 それを適当に話をあわせて、切り抜ける行動すらもうんざりだった。

 だから、家族もその面では嫌いだった。

 世間の当たり前がオレにとっての当たり前じゃない。

 いわゆる、変人である。


 初めて辞めたいと思ったあのときから、ほぼ四年。

 オレが働いていたユニットは地獄であった。

 もともと、二人体制という仕様が悪さをしていた。

 新人が入っても、キレ症なアラフォーのおばさん、他の施設と比べて過酷だから辞めた派遣の人……。

 五年経って、一人しか定着しなかった。


 で、その一人も辞めることになる。

 理由は居室入れ替えについてだった。

 3Fの4内での利用者さん同士の入れ替え。

 その中に担当していた利用者さんがいた。


 それがなんの会議や議論もなく、統括や理事長、施設長とケアマネ、リーダーによって決められたからである。


 オレはパートだから任されることはなかったが、ショックだったのは違いない。

 ある時、その人は夜勤を無断欠勤してしまう。

 まーめちゃくちゃ大変だった。


 実際、その入れ換えはオレが辞めることになったきっかけでもあった。

 A.Bに別れ、Aは多人数だがADL比較的良好。

 Bは一階から三階のすべてユニットにおいて、一番過酷であると後から聞いた。


 理由は歩けないのに歩く。

 これに尽きる。

 それが、五人いた。


 アルツハイマーが四人、レビー小体型が一人。


 一人は食べているとき、寝ているとき以外は車椅子から立ち上がり、大腿骨骨折後の手術後であるのに立ち上がる。

 トイレなど複数回行きたがり、行ってもなにもでない。

 だが、行かなければ立ち上がる。

 もともと、自立していた人であったが、居室内で転倒し、大腿骨骨折からの入院。

 もし、また転倒したら終わり、寝たきりである。

 他の利用者さんがトイレに行くことがあるから、その介助をしなければならない。

 そのプレッシャーが常にある。

 だから、食ってもらって服薬したら最優先で寝かせる。

 それがアルツハイマーを進行させる要因であろうと、やらなければ他の人の介助が出来ない。

 A側に任せようとしても、Aにも仕事があるからな。

 

 二人目は食べることすら忘れた重度のアルツハイマー。


 その人の歩行介助からなにまで、職員一人でやる。

 歩けるが、歩くことすら自分の意思で出来ない人。

 ベッドにいたら、自分で起きて転倒した経歴もあり、床対応。

 寝相はクソ悪いので、床対応は正解。


 ただ、自分の意思以外では起きないので、職員がたたせなければならない。

 床から立たせるとき、全身が突っ張り、全体重(58kg)が職員に襲う。

 まー腰痛になるよね。

 介助も絶対やらんといけないし。

 トイレ介助中に、頭につばを吐きかけられたこともある。


 三人目、常に息子さんの名前を呼び、徘徊する利用者さん。


 職員の頭をおかしくならせる利用者さんの一人である。

 機嫌が悪かったり、食事後すぐに服薬しないと服薬拒否。

 自分のやりたいこと以外はすべて拒否。


 かといえば、息子さんの名前を呼びながら徘徊するため、疲労がたたり、居室や廊下の床へ転倒する歴あり。

 この人以外トイレに行ってもらう間、車椅子から立ち上がる人がいるからね。

 まー常に神経張ってた。


 四人目は比較的落ち着いてるが、不穏(周辺症状)になったらやベー人。


 一人で歩けないのに、立ち上がり、その不穏を解消するまで職員を呼んだり、動こうとする。

 転倒はしたことはないが、いきなり立ち上がろうとするヒヤリが多発する人でもある。

 でも、この人は一番優先順位が低い。

 最後に回される。

 職員の声掛けや態度が穏やかなら、全然平気。

たまに家族に預けた自身の預金や年金について考え、不穏になり動くが……。


 五人目は脊柱管狭窄症によって、背が曲がり、靴ひもを結ぶような前傾姿勢になったまま歩くレビー小体の利用者さん。

 歩行は可能だが、疲れが溜まることを知らず、歩き続けるため疲れで転倒する。

 転倒歴多々あり、マジでキツかった。


 帰りたいと常にいっていたし、認知が通常に戻るときがたまにあった。

 この人が、家に帰れないことから泣くことも数えきれないくらいあったな。

 それすらも忘れるんだけど。


全員が転倒歴があり、そのうちのほぼ三人が日中常に動く。

トイレ介助中、おむつ介助中、ありとあらゆる目が離れる業務で動く。

センサーも頻回、もはやつけている意味すらなかったが、一応職員それぞれで工夫し、居室から出たら反応させたりとかやっていた。


それもこれも、ユニット間を隔てる扉があったからだった。

その扉をつけたユニットは「3Fの4」のみ。


つけられた理由は二人目の利用者さんが来たとき、全フロアを徘徊し、勝手に異食したり、居室にはいったりでトラブルが頻発していたから。

それを止めるためにつけられた扉が、重度の認知症利用者を集める口実にもなっていた。

重度なら金稼げるしね。

もはや、ユニットの基本理念である「暮らしの継続」なんぞなかった。


ただ、生きているだけ。

ただ、食って寝て起きてを繰り返しているだけ。

オレがいままでやれていた、やりたかった介護から遠のいていた。


人も補充されないし、教えてもすぐ辞めるしでオレを含め、全員が不満たらたらであった。

理事長は様子を見に来るだけで、現場の意見すら聞かず、帰るしな。

ケアマネもあんま分かってねーし、統括も理事長との間でいざこざが起きてるみたいだしで。


五年間、誰かに愚痴をいったことがないオレ。

ソイツが初めて職場の休憩室で愚痴をだし始めた時期でもあった。

愚痴なんて言う必要すらない、行動あるのみと思ってたからな。


だが、亡くなる度に、歩けねーのに歩く重度の認知の人が来て悟る。

無理だと、これ以上続けてたらやベーと。

なにを言っても聞けないし、すぐ忘れるし、仕事が進まないし、事故れば対応をし、報告書を提出しないといけない。

オレは他の施設で働いたことがないから、わからなかったが無理だと悟る。


だが、やめたら罪悪感を感じる日々に戻る。

その苦痛といまの環境を比例し、考えること一年。

利用者さんに「やめろーやめろー殺してやるー」と排泄介助中に暴言。

爪で引っ掛かれたり、殴られたときに起こったあの感情。

憎しみと怒りである。


歯を食い縛り、痛みすら感じるほどに拳を全力で握りしめたときに理解した。

一旦、休もうと、辞めようと。

このままでは、ニュースに乗るような犯罪者になると。


だから、六年経ったある日、六年間を共にしたリーダーに辞職の相談をすることを決心した。

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