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クソニートだったけど、六年間特養で働いた話  作者: 六年働いたけど、ほぼパートの男
3/4

第三話 10月初旬、「3Fの4」

「3Fの4」

六年間、週四で働くことになる全15名で構成されるユニット制だ。

A.Bに別れた個別ケアユニットでもある。

介護統括とそこのリーダーとオレとで5分程度の話し合いを行った。

たいして、特別な話はしていない


ここで、これからなにをしてもらうのか、最初は1Fや2Fでやってたことをするということだけ。

いま思えば、そのときも人手不足だったな。

ただ、無償で働いていた&一種のお客様立場だったようで丁寧に接された。


さっそく、対談後に仕事が始まる。

リーダーも、そこであった一人の女性の先輩も母親ほどの年齢。

最初は居室内清掃を3Fの補助さんとやることになるが、一日でOK基準を満たしたようで翌日から一人になった。

その後は一階二階で行っていた仕事だけでなく、トロミを混ぜるお茶入れも任されるようになった。

たぶん、資格があったから任せられたんじゃないかな。


ただ、二週間たったときに問題が起きる。

仕事の優先順位だ。

ある時、オレは歩けないのに立ち上がろうとする利用者さんを見ていてくれ、とリーダーから頼まれる。

10:50頃だ。

まだ、居室内清掃もあるしそれとお茶入れもあった。


二人ほどそういう人がリビングにいたため、立ち上がったら、話が通じなくても穏やかにはなし、座っていただく。

一人は座席、もう一人は車椅子使用者だ。


二人は2分たっては立ち上がり、1分たっては立ち上がり、と作業を中断させられる。


その二人は何度も転倒しており、大腿骨骨折からのADLが落ち、元々あったアルツハイマーの進行が退院したときには進んでいた。


よくある病院から施設に帰ってくる退院者たちである。


お茶入れは出来たが、居室内清掃は片付けられなかった。

食事中に清掃は出来ないしで、いつも帰れる時間に帰ることが出来なかった。

リーダーから、他は大丈夫だからある居室だけはやってもらえない?と言われ、勤務時間は過ぎていたが、昼食後にそこにいく。


そこは、うんちまみれの居室だった。

床対応だったことから、相当動く人であったのは間違いない。

入口にセンサーもあったしね。


うんちと小便の匂いはもう慣れていたし、初日で働いた時も大丈夫だった。

なぜなら、猫を飼っていたから。

その匂いだと思えば、余裕である。


消毒したりで片付ける頃には、昼食が終わるまで待っていたこともあり、13:50になっていた。

しかし、提案された勤務時間は12:00までである。

まー、経験を積みに来てるわけだし、ずっと続かなければ良いかと考えていた。

実際、時間オーバーしても着実に経験は積まれていたことが嬉しかったし。


11月になる前に、統括からある提案をされる。

「うちで働かないか」、と。

まずはこれまで通り、週3。

慣れてきたら週4へ、それで慣れてきたら正社員へ。


そんなステップアップを提案されたが、正社員になる気は働いていた六年間一切なかった。

ただ、オレは生きていることに罪悪感さえ感じなければ良かったからだ。

女にもブランドにも興味はなく、ゲームと映画やらの娯楽以外趣味はない。

明確にしたいこと、なりたいこともない……それは、いまもだけど。


昔から人間不信に近かった。

なぜなら、人に興味が出ることは一切ない。

男性や女性の諸先輩方と話を合わせたり、コミニュケーションくらいは出来る。


ただ、猛烈なまでの深層心理に宿る、「自分を潰してまで、生きる意味はあるのか」という思想がそこにはあった。

それは、幼少期から現在をも遡るくらい複雑なものになるのでカット。


とにかく、正社員になる気は一切なく、六年間パートとして働く男の出来上がりだ。

11月から本格的に週3のパートとして雇われることになり、身体介助など介護実務に関わることになる。


最初はリーダーから仕事を教えられ、2ヶ月ほど指導してもらった。

いま考えると、めちゃくちゃ気を遣ってもらってたと思う。

徐々に仕事が増えていくが、配分が絶妙で焦らず覚えることが出来た。


早番の7:00~16:00。

日勤8:00~17:00、9:00~18:00のシフトを任されるようになる。

まあ、入浴介助は一年後までやらせてもらえなかったけど。


半年経つ頃には入浴介助以外は出来るようになった。

入ってから二人は亡くなったか。

両方とも90歳超えだった。女性だ。


初めて、エンゼルケアが利用者さんの姿を見たときに、「お疲れ様でした」と一言だけ言って、涙ながら手を合わせたっけ。

実際、いろんな病を患い、戦争を体験し、家族を失い、貧困を経たこともサマリー(利用者さんの情報)からわかっていたからだ。


その壮絶さは現代の世界の若者にはわからない。

オレを含めて。話しか聞けない。

ただ、オレの3倍以上を生きてきた人たち。

それもオレよりもはるかに過酷で、地獄の中であっても、苦しい中を生きつづけ老衰で亡くなったのだ。


「お疲れ様でした」、それ以外の言葉は出てこない。

そんな人が施設の中に百人以上いるし、もっと言えば全世界にいる。

苦しみを減らすため働こうとも思えた。


最初は、だが……。

現実はそう甘くはない。


ぶったたかれて、メガネを吹っ飛ばされる。

「ぎゃー襲われる~、殺される~」なんて、うんちまみれのおむつ介助中に言われる。

うんちがついた手で腕をさわられたり、引っ掛かれたり……。

車椅子への移乗介助中、クソ重い(175cm70kgオーバー)男性利用者からかみつかれたり……。

色々ある。


……そんな気持ちをぶっ飛ばすくらいの仕事内容であってもつづけていた。

なぜなら、周囲の人間関係が良かったし、初めてやれている仕事だったからな。


そんな中、初めてやる気に削がれる現象に会う。

働いて、一年半経った頃だろうか。

亡くなった利用者さんが出たため、エンゼルケア用の道具を持ってくる。

そこまでは良い。


その後、キレイなシーツに張り替えるため、シーツ類や掛け布団を片付け、また新しいシーツを持ってくる。

そう居室にいる先輩に指示されたため、まずはシーツ類を片付ける。


その中、到着した看護師二人に怒鳴られる。

「ねえ! 亡くなってんのわかんない!? いま、そういう時じゃないよね!? さっさとエンゼルケアの道具持ってきて」、と。

オレは指示されたことをやっただけなのに、という怒りとその人たちを知っていたこともあり、悲しみに溢れた。


エンゼルケアの道具を持っていき、仕事を終えたあと、トイレで泣いた。

かつてのトラウマがすべて甦ってきたからだ。

看護師の言う通り、さっさとエンゼルケアの道具を持ってくるのは当たり前の指示だ。


しかし、それとこれとオレの過去は違う。

作業していた先輩は怒られないのに、オレだけが怒られるという矛盾。

新卒で入った工場、コンビニ、畑……。

一年半経って、初めて辞めたいと思った期間である。


しかし、またあの罪悪感を感じる日々に戻る。

だから、辞めなかった。

だから、六年間続けた。

だから、続けられた。


ニートは世間が思うほど楽なものではない。

親に罪悪感を抱え、なにもしない、しようとしても出来ていない・出来ない自分に自責を覚える。

なぜなら、それらが出来ないという精神。

周囲の評価は正当性があり、正義があり、それが大多数だから。

だから、苦しむ。


なぜ親は長年生きていて、苦しむことはわかっているはずなのに。

なのに、なぜ産んだのか。

その泥沼とも言える負の坩堝にハマる。

こればかりは理解されようとも理解してくれとも思わない。


大多数の人は苦しんでからわかる。

オレも味あわなければ、理解できなかったしな……。

そして、施設で働くと良くわかる。


人生そのものだ、と。

生老病死、四苦八苦……人が味わうすべてが、施設にある。

なくなっても家族すら来ず、葬儀会社の人だけ来ることもあった。

中に聖人のようにいい人もいれば、頑固で意地が悪く、なにして生きてきたんだ、このクソジジイババアと思うこともある。


見ている人がどんな年代だか、知らないがこれだけは言える。

ぽまいらも必ず老人になる。

そんときにどう生きてきたかを試されるのが、老後であると。 


オレは孤独死で終わるだろーな。

家族も友人も恋人も欲しくねーし、健康にも気をつかってねーし。

死後、一ヶ月の腐乱死体で発見されるのがオチ。

未来なんてだれもわかんねーが、このままならそのルートを辿る。


それで良いとすら思う。

それが、この世に産まれてきたってことだ。

思い描く理想的な死に方なんてほぼ出来ねー。

生き方すらままならねーからな。

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