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クソニートだったけど、六年間特養で働いた話  作者: 六年働いたけど、ほぼパートの男
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第二話 19歳無職、困窮者自立支援制度を活用、特養へ無償労働

 翌年、三月。

 うつ病にはならなかったものの、もはや行動する気力すら湧かないオレはニートですらなくなっていた。

 無職引きこもりである。

 ただ、家にいると催促されるし、居心地の悪さがあった。

 だから、言い訳で介護職員初任者研修を取ることで、紛らわしていた。

 これがなければ、介護では働けない。資格を取るための金は、今まで働いた金で補った。たしか、10万はあったはず。


 しかし、ゲームと惰眠をむさぼり、他責と自責に支配された脳みそになっていたオレ。

 その中、母へ知り合いづてに「困窮者自立支援制度」というものがあるという話題が出たという。

 オレと同じような境遇の息子さんがいて、その制度を使い、職についたとのことだ。


 母はそれをオレにやってみたら? と提案してくれた。

 うつ病で引きこもっていた兄が同伴してくれ、翌日二人で市役所まで行くことになる。

 オレは怖かったし、オレ程度が社会で働けるのかと不安で不安でたまらなかった。


 手続きの後、個室で二人の社会福祉士と面談することになる。

 現状、今までしてきたこと、なぜやめたのか、根掘り葉掘り聞かれた。

 それに対しては何も思わない。


 ただ、新卒で入った指導してくれた先輩から「おめえ、つかえねんだよ」という言葉がフラッシュバックのように蘇るということは伝えた。

 それ以外はなにも覚えていない。

 それを聞いていた兄は泣いていたっけ。


 さておき、自身の話をしているうちに、いくらか前向きになったオレ。

 今までの鈍感さがあったから、再び立て直せた。

 長所でもあり、短所でもある。


 介護なら引く手あまただろうから、言い訳ながら資格を取っていたのが幸いした。

 それに中学生時代の職業体験でグループホームに行き、雰囲気が良かったのを覚えていたのもある。

 オレは「介護をしてみたい」と社会福祉士の二人に言った。


 何件かの施設で制度を利用する人を受け入れ、職業体験のような形で無償で働くという物だった。

 通勤費は出る。賃金は出ない。それほど、重要な仕事にはつかないし、3時間と短い。

 未熟な人生経験から、遠いところだけは継続しないのだけはわかっていた。


 一致したのは特別養護老人ホームであった。

 特養。資格を取るに辺り、勉強をしていたため理解はしていた。

 介護度3以上の人たちが集まる、終の住まい。

 ※介護度3以上とは、知らない人にわかりやすいのは、中度~重度の認知症(弄便したり、異食したり……)の方や寝たきり。

 

 覚悟を決めたオレはそこに行くこととなった。

 翌日、二人の社会福祉士とともに特養に行き、施設長・副施設長と対談する。

 一種の施設見学に近い形で、全ての階とフロアを見学した。


 その後、施設長と副施設長から、キミはどうしたい?と質問を投げかけられた。

 オレは「やってみたいです」と返す。

 その後、どういう条件で無償で働き、通勤費が出るのかという書類を手渡され、読み通した。


 翌日から9:00~12:00の勤務が始まることとなる。

 そこは一階がデイサービスで、特養が二階と三階に分かれた施設だった。

 そして、一階のデイサービスへ行くこととなる。


 緊張はある程度はしたが、キャベツ畑に比べたら、ある程度の負荷は耐えられる心理でいた。

 事実、この心理は六年後の辞める日まで役に立った。


 初めて会った人は母親ほどの年齢の人たちである。

 同年代はいない。年が近くても離れて、二十は離れていただろう。

 19歳なこともあり、珍しがられたし、可愛がられた。

 今までない経験だったし、必要とされているという実感が生まれたのを覚えている。


 やる仕事は単純だ。

 居室内清掃、シーツ交換、食器洗いや乾燥機をかける。(これは資格を取っていたから、なにも苦労せずに行えた)

 利用者さんと話していて、と職員から指示があれば話す。

 複雑なことは何もないし、無職引きこもりの体力ですらなんとかなった。


 職員は気を使ってくれたし、教えてくれていていた介護補助さんも優しかった。

 後から聞けば、事前にこういう人が来るのだと教えられていたのだという。


 オレは無償であろうとまじめにやった。

 なぜなら、経験が積めるからだ。

 空気、雰囲気、なにをして、なにをすればいいのか。

 ただ、勉強するだけではわからない現場がそこにはあった。


 コップをいきなり投げる利用者さんもいたし、半分寝たきりに近い人もいた。

 でも、大半の利用者さんはひ孫ほど年が離れたオレを可愛がってくれた。

 それが、行く気にさせてくれていた理由の一つだと思う。


 五か月ほど一階で働いたあと、介護統括から「次は二階に行ってみない?」と提案され、承諾。

 二階の雰囲気は思っていたより、平和だった。

 歩く人もいたし、歩行訓練を機能訓練指導員とともに行う様子も見られたからだ。


それで、オレは数あるうちのフロアの「1」へいくことになる。

そこではオレと六つほど離れた職員もいた。

どの職員も優しく対応してくれたし、どの利用者さんには気を付けてね、だとか注意や仕事も丁寧に教えてくれる。


一階でやっていたことと二階でやる仕事が同じなこともあり、すぐに頼られることになった。

ミスがあれば教えてくれたし、それを自覚することで仕事の質を上げられた。

なにはともあれ、人は精神次第なのだと思い出させる思い出だ。


三月から八月までは一階、八月から10月初旬まで二階で働いた。

そして、オレが辞めるまでのほぼ六年を働くことになる、三階は10月初旬から始まった。


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