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道端の缶

作者: シャチ―

 学校の帰路、桜並木の下を歩いていると、僕は一個の物体を見付けた。

 それは、桜並木のうちの一本の木の下に落ちていた。

 落ちていた? 実際にそんな感じがする。誰かが、この物体を落としたところを直接見たわけではないが「置いてあった」「放置されていた」にしては、何だか丁重さに欠ける。

 それは、横に倒れていた状態で、しかも僕から見て斜めの方向を向いていたので、明らかに誰かがこの場に「置いた」のではなく「落とした」と言える。

 僕は、その物体が無性に気になったので、その元に歩み寄った。そして、分かったことがある。

(なんだ、普通のコーラかよ)

 それは、まさにどこにでも売っている、おそらく一三〇円くらいの値段で売っているサイズのコーラの缶である。そして、その缶を拾って、更に分かったことがある。

(ん? 何で中身が入ってるんだ?)

 そのコーラには、中身が入っていたのだ。しかも、缶を全く開けない状態で。

 つまり、この缶を持っていた人物は、缶の中身を全く飲まずに、この場所に捨てた。あるいは、うっかり落としてしまって気付かなかったのかも知れない。

 そう考えると、この缶の持ち主は、前者の場合だと、物を粗末に扱う人物、後者の場合だと、やや注意力に欠ける人物だと言えるだろう。いずれの場合でも、この缶の持ち主に対しては、プラスのイメージを抱けない。

 ところで、この缶はどうなるか。いや、僕がどうするか、どちらかと言うと後者の選択にかかる。

 さて、どうするか――そう考えていると、僕はある選択肢に行き着いた。

(飲むか)

 大胆な発想である。どこの誰が落としたのか分からないのに、僕がそれを飲むなど、まるで泥棒と同じだ。ただ、喉が渇いているので、そのように思い至った。

 いや、この場合は違う。泥棒ではない。落とし主は、おそらくこのまま現れる気配はない。たかが一三〇円の缶ジュース一本のために、ここまで戻って来るだろうか。僕だったら、そんな面倒なことはしない。そもそも、この場合、落とした本人が悪いのだ。別に僕が飲んでしまっても警察に捕まるわけではない。たった一三〇円のジュースである。僕だってすぐに買い直せる。

 だが、ここで僕はもう一つの選択に迫られた。

(本当にこれを飲んでもいいんだろうか)

 この選択肢、実に微妙な問題である。先程の「飲んでも捕まらないか」という問題は、もう解決した。この一個のジュースを飲んでも、捕まりはしない。しかし、それとは別に、もう一つの問題があった。

(飲んでも安全か。腐りはしていないだろうか)

 この缶には、完全に中身が入った状態で、缶の口も開いていない。誰かが口を付けたり、飲みかけの物ではなく、いわば新品の状態である。

 だからこそ気になるのだ。どこまで新品か。

 この缶が、いつからここに落ちたかは分からない。一日前ならまだしも、一週間、一カ月、はたまた何年も放置されていた――なんてこともありそうだ。

 というのも、この桜並木の通りは、人が極めて少ない。一日に人ひとり通るか否かのレベルで、それほど目立たない通り道である。僕はこの地元に住んでいるし、この通り道は学校への近道になるので、平日は毎日利用している。しかし、僕以外に誰かがこの道を通るとなると、そうではない。桜はこんなにも綺麗なのに、地元の住民はここを通りたがらない。なぜか、その理由は僕にも分からない。

 そうなると、僕以外、この缶は、他の誰の目にも触れられていないため、実際に放置されてから、何時間ないしは何年経っていてもおかしくはない。

 いつからこの場に落とされたのか、全く分からない物体。缶の中は腐っているのか、それとも、見た目はコーラだが、コーラではない別の液体が入っているのか。

 分からない。実に気がかりだが、それが分かる手掛かりは、この缶、この付近には見当たらない。そして、僕自身も分からない。

 そう考えると、本当にこの缶の中身を飲んでいいのか。飲んではいけないのか。

 飲んでいいとは言われていない。だが、飲んではいけないとも言われていない。そもそも、この缶には、そのような指示や制約がない。よって、缶自体には、僕に飲まれるか飲まれないかを決める権限はない。

 そう考えると、飲むか飲まないかは、僕が決めるということになる。

 まず、このジュースは飲む価値があるのか否か? 答えはイエスである。今、僕は喉が渇いている。水筒も学校には持ち込み禁止のため、とにかく何か飲む物が欲しかった。だから、今回一三〇円もするコーラと今ここに出会ったということは、それだけ僕が喉を潤す権限を与えてくれたということになる。よって、このコーラを飲む価値は十分にある。

 続いて、このコーラを飲んでも捕まらないか? 答えはイエス。恐らくだが捕まらないだろう(珍しくもこの通り道に警察官がパトロールで通りかかって、僕がこれを飲むところを見られた場合、不審に思われ、職務質問をされるだろうが、それほど運が悪くなければ大丈夫だろう)。

 最後に、このコーラを飲んでも安全性に問題が無いか否か? これについては何とも言えない。缶の中身が腐っているか否か、また、それを、この段階――外側から見ているだけでは、何とも判明できない。缶は密閉されているため、匂いを嗅ぐことはできない。よって、腐敗している気配を感じることもできない。

 そう考えると、どちらにも取れる。飲んでも安全だったり、安全ではなかったり。

 安全と思い込んで飲んでも何ともなければ、完全に僕にとっては好都合である。しかし、そう思い込んで飲んだ後、逆に何かある可能性だってある。そう考えると、飲んだことを激しく後悔することにもなるだろう。

 とはいえ、もし安全だったのに飲まなかったら、それは凄く勿体無いことだ。ただ、その安全性は分からない。安全性を証明する材料がどこにも無い。

 飲んで後悔するか、飲まないで後悔するか――。こういう判断を迫られた時、最も信頼できる手段がある。それは、母から受けた昔の教えに倣うことだ。

 こういう道端に食べ物や飲み物が落ちていることはよくある。この場合、どうすればいいかと言うと、とにかく手を付けない、無闇に飲まない、ということだ。

 安全か否かは分からないままだが、それ以前に、まず、この不審物は、その場に置いて、出来るだけその物体から離れることが重要だ。ちょうど嫌な予感もしてきたので、尚更飲んではいけないと思うようになった。

 僕はその缶コーラを、元あった場所に置き、その元から足早に離れた。ポケットに二〇〇円くらい入っていたので、桜並木の通りを過ぎたら、最寄りの店か自販機で別のジュースを買うことにした。


********


 後日、僕はあの缶コーラを本当に飲まなくて良かったと思った。朝のニュースで、地元の例の桜並木に落ちていた缶コーラの件が取り上げられていた。その缶は何と、"液体爆弾"だったことが判明した。警察が現在落とし主(恐らく作った犯人?)を捜索しているが、その缶を飲もうと開けた瞬間、自動的に爆破して、開けた人を無差別に殺傷する意向だったらしい。

 その缶が置かれたのは、もう一年以上も前だと判明し、地元の住民は不審に思い、その缶が置いてある桜並木には足を運ばなくなったようだ。しかし、爆弾は撤去されたので、もう大丈夫なはずである。

 あの桜並木には、今後、人通りの多さが復活するだろう。

 

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