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「そして私は理解られた」
「(君)って変だけど優しいよな。」
学校において、友人からの私の評価はどれを取ってもここに集約する。
「どこが変なのですか。」と質問しようとする。
「いっぱいあるね。歩き方だったり、同級生や下級生に敬語で話すことかな。」
と返されるので、余りこう言った手の話は振らない様にしているのだ。
他人に敬語を使うのは、紛れもない恐怖からであった。
彼らは、自分で飛び立てるのだろう。
彼らを見ると羽の構造が違う様な、そんな別の存在を見る様な感覚に陥るのだ。
彼らに見せる優しさは、単に別の存在への謙遜と羨ましさから来るエゴである。
要するに、私は自身を作品として他人に紹介しているに過ぎず、作品を評価するのは作者ではなく、いつだって他人である。
友人は、私という作品を見て「優しい」と理解ったのであり、私もそう魅せる様に努めたかった。
それが私のためであり、友人のためである限り。




