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ヱトの花  作者: 高城ノキ
壱、黄色の天竺葵
8/13


 早朝の炊事場での仕事を与えられてから約二週間が経過した。相変わらず、一日の大半を部屋で過ごさなければいけないが、ヨミはそれなりに満足していた。

 その理由は雪染が持って来た本の数々だ。

 学んでも損は無い礼儀作法。自分が知らない花や茶の種類。意欲と食欲が唆られる西洋料理。そして、若い娘達の間で人気だと言う長編物の娯楽小説。

 特に今迄で常連の老人達に読まなくなった本を譲って貰っていたヨミにとって、流行りの娯楽小説は新鮮その物だった。


 物語の舞台は妖かしと人間が共存する江戸と言う町。両親と姉に虐げられて生きてきた良家の娘が黒龍の許へ嫁ぎ、共に様々な困難を乗り越え、夫婦の絆を深めていく恋愛小説。

 人間嫌いの黒龍が娘の献身さに触れ、次第に固く閉ざした心を解かしていく描写は涙無しには語れないと愛読者のミミは言っていた。

 確かに彼女の言う通り、登場人物達の心理描写は解り易く、思わず感情移入してしまう。ヨミも物語を読み進める毎に没頭していたが、ふと現実に戻される事が暫しあった。


「似てるな〜〜」


 ヨミは雪染が居ないのをいい事に本を持ったまま、ゴロンと俯せに寝そべり、とある人物を思い出す。

 物語に登場する黒龍。真の姿は黒い鱗の龍神なのだが、普段は人型で世に紛れている。


 その姿は漆黒の長髪に緋色の眸をした美丈夫。


 髪の長さは違うが、もしや参考にしたのでは?と疑いたくなる程、小鳥遊に似ていた。


「いや、将軍様はもっと光の無い眸か?」


 表紙や挿絵の彼は緋色ながら、澄んだ眸をしている。


「何であんなに光が無いんだろ〜。勿体な〜〜い」


 そう呟きながら、寝返りを打つと何かにぶつかった。

 一瞬、雪染が戻って来たのかと思ったが、見覚えのある黒い袴の裾にヒュッと喉が鳴った。

 恐る恐る視線を上げる。此方を見下ろす二つの紅玉。その眸は龍神よりも鋭い眼光を放っている。


「光の無い眸で悪かったな」


 スッと眸を細める小鳥遊に全身の血の気が引き、肌が粟立つ。


「もももも申し訳御座いません! けして、悪気があった訳ではッ!」


 慌てて体を起こしたヨミは額を畳に擦り付ける。

 その様子を暫く凝視した後、小鳥遊はその場で腰を降ろし、『面を上げよ』と命じた。

 未だに猛獣を前にした草食動物の様に震えるヨミは何とか顔を上げ、姿勢を正す。


「あの……私、ちゃんと部屋で大人しくしてますよ……」

「知ってる。別に叱咤しに来た訳じゃない。お前に伝えたい事が有ってな」

「伝えたい事、ですか……?」


 彼のその言葉に心無しに顔と背筋が強張る。

 侍女の雪染や家臣を通さず、将軍直々に出向く理由。他人を介して伝えたくない重要な話。

 庭園で宙吊りになっていたあの日。彼は『時期に解る』と言っていた。

 自分も側室にも正室にもなる気はないと彼にはっきり告げていた。

 そして、小鳥遊は朝晩と突き当たりの……恐らく旧家の子女が居ると思われる部屋に通い続けている。

 其処から導き出される答え。


 つまり、『そういう事』だ。


 元々出て行くつもりではいたが、少なくとも和菓子屋夫婦の許へは戻れない心積もりはしていた。

 何せ只の町娘が将軍に娶られるのは本来、名誉な事。

 だが、城を追い出されては不出来な娘が居る店だと思われ、二人にも迷惑が掛かってしまう。

 ヨミは小鳥遊に見放された時、ヱトを去ると端から決めていた。


―― 暫く、女中として働けないかな……


 炊事場にも慣れ、短時間にも関わらず、相応の給金も支給されている。

 せめて旅立つ資金が貯まるまでは働かせて欲しい。

 頼み込めば、また承諾して貰えるだろうか。

 そう思いながら、ヨミは息を呑む。


「近い内、『花宴(はなのえん)』を開く。お前もそれに出て欲しい」

「はい、解りま ―― ……はい?」


 予想外の言葉にコテンと小首を傾げた。


 花宴(はなのえん)とはヱトで定期的に催される要人達が集う花見だ。

 春は桜。夏は花菖蒲。秋は紅葉。冬は水仙。其れ等の花を昼間は茶で、夜は酒で楽しむ。

 今年は庭園の桜がなかなか咲かないと炊事場の首領(ドン)がぼやいていたが、開催の見込みが立ったらしい。

 何より花宴は菓子や茶、酒類を扱う商売人にとっても喜ばしい行事だ。ヨミが働いていた和菓子屋も一度だけ上生菓子を献上した事がある。


「つまり、菓子を作れと……?」


 ヨミの問いに小鳥遊は怪訝な顔をした。


「お前、話聞いてたか? 淑女として宴に出ろつってんだ」

「な、何か口悪くないですか?! しかも、淑女って……!」


 これが来賓者への給仕等なら、引き受けていたかも知れない。しかし、淑女となると話は別だ。

 部屋でだらしなく寝そべっている時点で、自分の所作は淑女とは程遠い。


「安心しろ。お前には必要最低限の作法が身に付く様、稽古を受けても貰う」

「稽古、ですか?」


 ゴクリと。また別の意味で息を呑む。

 花宴は主に旧家、良家、奉行所の人間のみが集まる宴。稽古を受けたとしても庶民の出で在る以上、不安しかない。だが、これは好機でもある。


「解りました……っ! 受けて立ちます!その代わり、私のお願いを一つ聞いてくださいねッ」


 ぐっと両手の拳を握り意気込むヨミに小鳥遊は目を瞬かせる。

 将軍相手に取引を持ち掛けるとは思いもしなかったからだ。


 やはり胆力がある分、突飛しもない事を言う。


 上がってしまいそうな口角を抑えながら、小鳥遊は平静に応じる。


「いいだろう。何でも聞いてやる」

「約束ですよ!」

「解った、解った。まぁ、明後日までに立派な淑女になれよ」

「…………え?」


―― 明後日!?


 思いがけない小鳥遊からの爆弾にヨミは体も思考も完全に固まった。

 今日は朝から本丸内や外がやけに騒がしいとは思っていた。現に侍女の雪染も今日は起床時と炊事場から部屋までの送り迎えしか会っていない。


 そう。皆、明後日に開かれる花宴の準備に追われているからだ。


 未だに固まるヨミを余所に小鳥遊は立ち上がり、静かに部屋を出て行った。




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