②
「寝言は寝て言え」
首を傾けた際、長い前髪と吉祥結びの耳飾りが揺れた。
問答無用。一刀両断。そんな四文字熟語が綺麗に当て嵌る。
雪染と共に二の丸の執務室へ訪れたヨミは小鳥遊に軟禁状態を解いて欲しい事。せめて何か一つでも雑事を与えて欲しい事を懸命に頼み込んだ。
しかし、結果は御覧の通り。否、それだけならまだ良かった。
小鳥遊はヨミが懇願する最中もパラパラと紙の束を捲り、時に硝子作りの万年筆を走らせ、彼女の話を片手間に訊いていた。雪染から『小鳥遊様は多忙なので』と事前に知らされていたが、あまりの態度にまた沸々と怒りが沸く。
「何故ですか!? 何か一つでも雑事を頂ければ、もう勝手に部屋から出ませんっ」
「何度も言うが、お前に与える仕事も雑事も無い。部屋で畳の目でも数えてろ」
「それはもうやりましたッ!」
―― やったのか。
ヨミの発言に小鳥遊と雪染は少しだけ戦慄した。
彼女が幾度となく脱走を図っていた時から薄々感じていたが、只の町娘にしては胆力がある。対面した当初は多少の緊張も有っただろうが、今は見る影も無く、将軍と云う立場の人間相手にも平気で噛み付いてくる。良くも悪くも普通の神経では無い。
小鳥遊が雪染へ目配せすれば、『これ以上は無理です』と空色の眸が訴えている。
本来なら、後一週間は彼女を『隔離』しておきたかった。しかし、この荒れ様ではまた同じ事を繰り返し、次こそ怪我を負ってしまう可能性がある。不本意だが、背に腹は代えられない。
「……解った。炊事場なら一人や二人増えても問題無いだろう。但し、早朝の二時間だけな」
「有難う御座います……!」
胸の前で手を組み、ヨミは水を得た魚の様に目を輝かせる。そして、小鳥遊が『もう下がれ』と言えば、彼女は素直に聞き入れ、雪染と共に執務室を去って行った。
「いや〜〜。おもしれー嬢ちゃんだねぃ」
間入れず、無精髭の男が執務室の戸を開いた。赤茶の髪にやや下がり気味の目尻。着流した着物が一段と彼の飄々とした雰囲気を作り出している。
彼の登場で小鳥遊も足を崩し、文机に頬杖をついた。
「禁断症状出るの早過ぎるだろ。どれだけ馬車馬の様に働いてたんだ」
「『スウェットショップ』なんて言葉も有るが、自分から搾取されに行く人間も居るんだねぃ。オジさん初めて知ったわ〜」
うんうん。と頷く男へ小鳥遊は『黙れオッサン』と適当に罵り、傍らに積まれた紙の山から一枚抜き取る。
旧家の出であろうと庶民の出であろうと花嫁として迎え入れる以上、それなりの事前調査は必要だった。
【報告、壱】七つの時から和菓子屋で働き、愛らしい顔立ちと素直な振る舞いで、和菓子屋の看板娘に。町の住人達からの評判も良い。
【報告、弐】細身だが、体は健康の様子。借金も無し。しかし、七歳以前の記録が無いの為、恐らく拾われた孤児だと思われる。
【報告、参】他の従業員達に比べ、労働時間の長さがやや気になる。給金もきちんと支払われているのか不明。寝起きしている場所も物置部屋と言っても過言ではない。
【報告、泗】和菓子屋は繁盛しているが、あまりにも彼女の服装は質素だ。逆に夫婦は上品な着物を着ている日がある。
【報告、伍】夫婦が花街へ出掛ける姿を確認。尾行す。
【補足】因みに恋人や将来を誓った相手は居ない様です! 良かったですね小鳥遊様! 後、経費で食う御手洗団子めっちゃ美 ――
其処でグシャッと紙を丸め、塵籠へ勢い良く投げ入れた。
「嬢ちゃんはアレで良いとして、もう一人はどうする気だい? 初代と繋がりある家系だろ?」
「それはもう三百年も前の話だろ。今まで疎遠だったクセに何故今更……」
約三百年以上続く将軍制度。初代と繋がりがある家系は既に途絶えたか、疎遠になっているのが殆どだ。今回献上された娘の家系は初代と共に乱戦を生き抜いた一人とされている。
「そりゃ未婚の美丈夫ともなりゃ、ほっとかねぇだろ。女中の話じゃ『氷解』するのは自分だと意気込んでるらしいぞ」
「どいつもこいつも寝言ばっか言いやがって……」
舌打ちをし、悪態付く小鳥遊を赤茶髪の男は髭を撫でながら、静視する。
以前の主君であり、悪友でもあった風月から小鳥遊の小姓を任され、早八年。嘗て自分の周りを纏わり付いていた悪童も今では『氷の花』などと呼ばれる風貌になっていた。
―― しっかし、嫁さん見っけて来るとはなぁ。
あれは雪が降っていた冬の日。定期的に行う視察から戻って来た小鳥遊は代々仕える『影』達にとある娘を調べろと命じた。それが和菓子屋で働くヨミと言う娘なのだが、大きく丸い琥珀色の眸に自然と上がった口角は可愛らしく、まるで小動物の様だった。
―― てっきり、お淑やかな美人かと思ってたが、コイツの好みは明るい可愛い系かぁ〜。
自分に息子は居ないが、感慨深いものは有る。
「いつまでこっち見てんだ。気色悪い」
「お前さんは本当に可愛気が無くなったねぇ」