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ヱトの花  作者: 高城ノキ
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 『小鳥遊将軍』。

 琴歌(きんか)城を建て、数多の戦からヱトの町を守り、約三百年以上日之国を治める征夷大将軍。

 先代の小鳥遊将軍は熊を投げ飛ばす大きな体。その情の厚さから民に慕われ、貧民に金品を分け与え、干ばつ時には城の備蓄倉庫を開放し、多くの民を救いました。

 しかし、八年前に就任した十三代目……つまり現在の小鳥遊将軍は先代とは違い、自身に背く者は身内すら斬り捨てる冷酷さ。歴代最強と謳われた剣客を倒す程の手腕。姿を拝見した事は有りませんが、他国の姫君が見惚れてしまう程、端麗な容姿をしているとの事。

 先代が皆から愛される『日の花』なら、彼は『氷の花』だと誰かが言っていたのを覚えています。


―― 見初められた? 庶民の私が?


 身支度を済ませた私はお世話になった夫婦にマトモな挨拶も出来ぬまま、城へ向かう駕籠へ押し込められました。

 将軍に娶られると言うのは誇るべき事。貰い手が居ないどころか男性とお付き合いした事も無い私には夢の様な話。


 そんな私を襲う一抹の不安。


 きっと城に着けば、私は大奥へ入れられ、一人の男性を巡って女同士の騙し騙されの愛憎劇に巻き込まれる羽目になるのでしょう。

 何せ、富も名声も容姿も優れた男性など滅多に居ません。それが将軍なら尚更です。

 正直、休憩中逃げられるか様子を窺いもしましたが、刀を携えた男性達を振り切れる自信が無い為、断念しました。

 慣れない駕籠の中故、何度か休憩を挟んで貰い、城へ辿り着く頃には日が陰り始めていました。

 駕籠から降ろされた私は大きな城門に思わず唾を飲み込みます。

 そして、ゆっくりと門が開き、中で待機していた女中達に出迎えられました。


 其処からは私の想像を越える出来事ばかりでした。


 少ない荷物を預かられ、広間に通された私を待ち構えていたのは大奥の女中達では無く、膳立てに並べられた食事。

 ふっくらと炊かれた白米は甘く。お味噌汁は白味噌の風味が良く。小松菜の御浸しや筑前煮も上質な出汁を引いただけでこうも味が違うのかと感激しました。

 滅多に味わえない果物まで付いた食事を平らげると次は湯浴み。

 眼前に広がる石で覆われた温水と独特の匂い。所謂、温泉と言うやつです。


「ぎゃぁああ! 一人で洗えます! 一人で洗えますからぁああ〜〜!」

「まぁまぁ、そう仰らずに」

「お痒い所は御座いませんか〜?」

「此処の湯は源泉掛け流しなので、スベスベになりますよ〜」

「やはりお若い分、お肌のハリが違いますねぇ」

按摩(あんま)も失礼致しまーす!」


 抵抗虚しく五人掛かりで頭から爪先まで洗われ、時に揉まれた私は今迄で一番潤った肌をしていたかも知れません。

 湯浴みと按摩が終わるとまた別の部屋へ通されました。室内には鏡台と散髪で使う鋏や剃刀。そして、正方形の小箱が一つだけ置かれています。


「どうぞ此方へ。髪も少し整えましょう」


 言われるがままに鏡台の前へ座ると女中が慣れた手付きで鋏を動かします。暫くして、綺麗に切り揃えられた前髪と丁寧に香油で梳かれた長い髪は艷やかになり、ほんの少しだけ化粧が施された顔は別人と見間違う程の仕上がりになっていました。

 更に女中達は手際良く着物を着付けていきます。最後に淡い色の青海波紋と菊花の打掛を羽織った私は蝋を持つ年配の女中に連れられ、今度は大きな広間へ案内されました。

 下段では無く、中段に通された私が先ず目に入ったのは上段に黙座する黒い羽織の男性。薄暗い中でも目立つ壁面に描かれた白い花。顔は面布で隠されていますが、この味わった事の無い重々しい感覚。

 蝋の灯りが揺れる中、私の目の前に居るのは間違いなく小鳥遊将軍だと本能が告げ、何故か頭も自然に下がります。


―― 少しでも粗相をすれば、首が飛ぶ。絶対に。


 長い沈黙の後、私は震える口を開きました。


「お、おはちゅに……ッ、!」


 噛んだ。終わった。殺される。


 頭の中で約十八年間の思い出の数々が巡ります。

 数奇な人生ではありましたが、これはこれで良かったのかも知れません。

 最後にこんな『綺麗な顔』を見れたのだから、きっと苦痛無く両親の元へ旅立てるでしょう。


―― 綺麗な顔?


 いつの間にか私の顎を掬い上げる様に添えられていた指。両耳で揺れる吉祥結びの赤い耳飾り。黒曜石に近い髪色。サラリと右へ流れた前髪から覗く紅玉の様な(ひとみ)。細く切れ込んだ目尻は何処か色っぽく。女性顔負けの傷や痣も無い綺麗な肌。触れると冷たそうな薄い唇。それが面布の下に隠されていた顔だと理解するのに私は数秒掛かりました。


「……っ!?」


 後ほんの僅かでも動けば互いの睫毛が触れてしまいそうな至近距離。未だに無言で私を見続ける眸に耐えられず、私は瞼を閉じてしまう。

 見えなくなった事で『ふむ』と小さく唸る彼の声と衣擦れの音がよく聴こえます。


「―― 思いの外、ガキだな」

「…………はい?」


 顎に添えられた指が離れると同時に目を開きました。

 スススッと足音も無く上段へ戻った彼はまた静かに腰掛け、此方を見下ろします。


「もう下がって良いぞ」

「え……、あの……?」

「悪いが『後が』支えてるんだ。 解らない事は侍女に訊いてくれ」

「な……」


―― 何だそれ!?


 これが小鳥遊将軍。冷酷無残なヱトの花。

 嫌な出来事は寝たら忘れる。明日には持ち越さない。

 そんな性分の私が生まれて初めて根に持った日。この日を私は生涯忘れる事は無いでしょう。



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