2話 Collblande
――夢を見ていた。
何か、とても大切な物を失くしてしまう夢。
現実と区別がつかない程に精巧で……それなのに目覚めると全てを忘れてしまう。
ただ――強い後悔と、零れ落ちる涙。それだけは、目が覚めても忘れる事はなかった。
ーーーーー
目を覚ますと、ルインの影響で暗く濁った空が見えた。
周囲は壁に囲まれ、地面は硬いが何か薄い布の様なものが敷かれている。
そこまで考えてから、思い出す。
(そう言えば私、魔物と戦った後に寝ちゃったんだっけ)
そう。今は確か"旧東京都奪還作戦"の途中だったはず。
という事は、今ここはダンジョン――旧東京都の中で、寝てる間に翼が安全な場所まで移動させてくれた。ということだろうか。
とりあえず起き上がって周囲を見てみると、翼を見つけた。翼も私が起きた事に気付いたようで私に寄って来る。
「おはよう、菫。気分とか悪くない?」
「平気。……迷惑かけた、ごめん」
「ううん、大丈夫。菫が悪い訳じゃないし、その症状にももう慣れちゃったしね」
――症状。
突然耐え難い眠気が襲ってくる。ナルコレプシーと言う病気に近い何か。
治療しようと試みた事も何度かあるが、全て失敗していた。
"終末の日"以降に発症したからルインが原因……と推測されていたが、事実は何も分からない。
原因も治す手段も分からないので、放置するしか無いのが現状だった。
「そう。それじゃあ、ありがとう。この服、翼のでしょ?」
そう言って地面に敷かれていた服を渡す。
「えへへ、どういたしまして。でも、本当に平気? 菫、かなりうなされてたし、3日も起きなかったけど……」
3日も起きなかった……? 確かに私は一度寝ると中々起きない事もあるけど、数日間寝続けた事は流石に無かったと思う。
一応ライフギアで日付を確認してみたが、言っていた通りダンジョンに入った時から3日経過していた。
「うん。どこもおかしな所は無いよ、心配は要らない」
「それなら良いんだけど……何かあったらすぐに言ってよ? 菫が居ないと私、まともに戦うのも難しいんだから」
「わかった、そうする。……それで、私が寝てる間に攻略はどのくらい進んだの?」
そう聞いた瞬間、翼は少し困った様な、複雑そうな顔をしていた。
「今は旧八王子市。一時的にこの辺りを拠点として、引き続き旧中央区を目指す事になったよ。もう物資も受け取ったし、簡易メンテナンスも終わってるからいつでも進めるけど、行く?」
私が寝ている間にそれなりに進んでいたらしい。3日でこれだけ進めるなら、出現する敵が強くなる事を加味しても一ヶ月程で攻略できるかもしれない。
「準備が整ってるなら、行くよ」
「そう言うと思った。もう何パーティかは出発してるらしいし、早く行かなきゃね」
ーーーーー
そんな訳で、早速旧中央区目指して攻略を再開したのだが――
「――なるほどね。旧青梅市から旧中央区を目指すのに、なんで旧八王子市で一旦止まるのかと思ったら、納得したよ」
眼前の光景を見て、思わず足を止めてしまった。
10年前――終末の日以前の東京にはそれはもう歩くのにも苦労する程に多くの人が居たらしいけど、それを彷彿とさせるような夥しい数の魔物が蠢いていた。
その一角で戦闘が行われているらしく、時折剣閃が閃いたり魔物が吹っ飛んだりしているが、全体から見るとあまりにも小規模すぎる。
「このまま進むと危険すぎるから、一旦安全な場所を確保して補給をしようって話になって、それでね。実際、私のスキルでも全容の把握ができない程だから、相当やばいと思う」
翼のスキルで全容が把握できない。それはつまりこの大量の敵は半径500mの円形に収まりきらないほど、という事になる。
「まあ、それでも誰かがどうにかするしかない。手立ては無いけど、戦うよ」
そう言って駆け出す。
何はともあれ、敵を倒さない事には始まらない。最悪、コルブランドを全力で使用すれば全部とはいかなくとも大きく数を減らせるだろうし、数が多いだけならまだやりようはある……と思う。
考えながら走っていくと、少しづつ戦端の詳細が見えてくる。
押されているわけではないが、多勢に無勢。敵は無尽蔵に居るのに、探索者の数は数十人程度。
先頭で戦う二刀流の女性が居なければ戦闘にもなっていなかったかもしれない。
固有A.R.S『Lucky Lilac』とアーティファクト《Joyeuse》を持つ、最速最強の探索者、リリアーヌ・ラングレー。通称"リラ"。
先行して出発したパーティはそれなりの猛者揃いのようだが、彼女と比べてしまうと大きく見劣りする。
何せ、彼女の神速の剣技があって初めて拮抗した戦況を作り出せているに過ぎないのだ。これが無ければ直ぐに物量に飲み込まれて全滅していた可能性もある。
……と言うよりも、彼女が居たから戦闘を開始したのだろう。
「リラさん! あたし達も助太刀します!」
翼が少し遠くから叫んでいる。
「その声はツバサね。という事はスミレも……居るわね。なら何とかなるかもしれないわ」
リラはそう呟いた後、戦闘したまま私達に指示を出した。
やはりと言うべきか、その指示はコルブランドを利用する事。
地形すら変えるほどの威力を持つA.R.S、その最大出力なら一撃で戦況を覆す事も可能だろう。
当然、そのまま使えば味方に対しても被害が出てしまう為戦えるのは私と、遠距離型A.R.Sの所有者、そして全部回避出来ると豪語するリラだけになってしまうが、この状況で最も勝率が高いのはこの作戦だろう。
私もこれ以外に手段を思い付かないので了承する。
「みんな聞いて! これからこの場所は更にキケンになるから、ワタシが連絡するまで離れていて欲しいわ!」
ってな感じで、リラが他の探索者を避難させている間に、コルブランドを起動し出力を高めていく。
A.R.Sやアーティファクトでのエーテルの操作と言うのは全て感覚で行う。
例えば出力を上げようとするなら、使用するエーテルの量を"増やす"イメージをする。このイメージは人によって異なり、増やしているつもりでも別の効果が齎されたりする事もある。
そして、扱うエーテルの量が増えれば増える程、使用者の体力の消費も激しくなる。
コルブランドの場合初めに作られた試作機という事もあり、その加減が難しい。
少し増やそうとしただけでも膨大な量になり、減らそうとしても中々減らない。そんな厄介な性能なのだが、今回は都合が良い。
――コルブランドを中心に光が迸る。まるで太陽の様に強烈な光。
私は失明する心配など不要だが、普通の人には危険だと思う。今回は避難が終わっている様なので多分安心だ。
しかし、危険なのは光だけではなく、膨大な量のエーテルを私では制御しきれない。そのせいで周囲には暴風が吹き荒れ、気温も急上昇していく。スパークが頬を掠め、心做しか体が重い。
リミッターで出力が制限されているにも関わらずこの危険性。もし制限が無かったらぞっとする……と言うよりリミッターなんてものが本当に有るのか疑わしい。
とは言え危ないだけで実際に被害は出ていないし、文句は後に取っておく事にする。
恐らく既に最大出力には到達しているだろう。そう思い、敵の集団を睥睨する。
よく見ると、Lv2だけでなくLv3の魔物まで居る。数が多いだけでなく質まで高いらしい。それでもこれだけの威力の攻撃をぶつければ、大幅に数を減らせるだろうけど、さっきまでの戦闘で大事に至った人物が居ないのが奇跡に思える。
それだけリラの強さとカリスマ性が卓越していると言う事だろうか。
……周囲に誰も居ない事を確認する。
それから、真っ直ぐ目の前を見つめ、コルブランドを大きく横に薙ぐ。
斬り裂いた空間が割れ、数秒後そこから溢れ出るような光の奔流が、魔物の群れを呑み込んでいく。
前方に向かって敵や障害物全てを巻き込みながら進んでいくその光は、最早斬撃と言うより光線と言った方が近いかもしれない。
割れた空間は閉じる気配も無く、光は衰えること無く放出され続ける。
割れた空間の先はどうなっているのか。コルブランドの威力について。様々な疑問が湧いてくるが、それは今私が考えるべき事では無い。
「とんでもないわね……。あのキョウジュが最高傑作だと言う理由も、あれ以外のA.R.Sの性能が引き下げられている理由も、あれを見た後なら理解できるわ」
「そうですね。だけど、前に見た時はあそこまでじゃなかったような……それよりも、あれだけの威力ならLv3でも耐えられないでしょうし、あれだけの範囲から逃れた魔物が大勢居るとも思えない。なら、後は消化試合みたいなものですかね?」
「……ツバサ、キミは知らないのかもしれないけど、そう言う発言は"フラグ"って言うのよ。例えばこの場合だと――」
何やら外野の下らない会話が聞こえてきたが、それはどうでもいい。
長い数秒が経ち、裂け目と光が漸く消え、視界に色が戻る。
だんだんと眼前の光景が露になっていき、そこには――
「Lv4……!」
――光線を正面から受けきった大柄の魔物と、大きく数を減らしたものの、未だに大量と言える数を誇る魔物の大群が見えた。
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「統率個体が居るならあれだけの群れも納得出来なくは無いか」
そう呟くが、合点がいった所で手立てが無かった。
Lv4と言うのは特殊個体だ。ダンジョンに数体のみ出現し、Lv3までとは隔絶した強さを持つ。
ただ徘徊し戦闘するだけのLv3までと違い、私たち人類より大きく劣るものの知性があり、先程の攻撃を耐えた事からも分かる通りとてつもなく耐久が高い。当然、相応に攻撃力もある。
「オーガの上位種"オニ"ね。ニッポンらしいモンスターだけど、どうしたものかな」
亜人型Lv4"鬼"。大柄で筋肉質な肉体に、巨大な棍棒を持つ魔物。
見た目通りパワー型で、その分速度は低い。そこを突き、前衛が高速で翻弄しながら遠距離攻撃で削るのが正攻法と言われているが、さっきの攻撃で周囲のエーテルが枯渇しているせいでA.R.S、特に遠距離型の物は威力が激減、最悪使用不可になってしまっているだろう。
その為、出力が落ちた近接型のA.R.Sだけで討伐するか、周囲に再びエーテルが充満するまで耐え切る必要がある。或いは、エーテルのある場所まで誘導するか。
最も現実的なのは誘導だろう。しかし、ここから移動できる場所となると、味方の拠点となっている後方か、敵に阻まれている前方の2択。
どちらもあまり取りたくない選択肢だった。しかし、そうも言ってられない状況なので、選択するしかない。
「ここはあいつを引き付けたまま下がるべきか。拠点まで鬼を誘導して、そこで倒す」
「……そうだね。これがシティやシェルターだったら絶対に反対したけど、今は攻略を目的とした探索者しか居ない。それなら――」
「――ごめん、時間が無い。翼は許可を取って」
納得したらしい翼の発言を遮り、早く連絡をするよう促す。
攻撃によって一時的に動きを止めていた鬼が再び動き出したのだ。
「はあ、分かった。アイツの相手はワタシの役目。でしょ? ザコの相手はスミレに任せたわ」
リラは即座に私の意を汲んで鬼に向かっていった。鬼を誘導するには私よりも速度に長けたリラの方が適任だし、邪魔をさせないように周りの敵を遠ざけるにはコルブランドの方が向いている。
翼の役割は戦況の把握。敵の動きを監視し、リラに近づこうとした敵を私に伝える事だ。その敵を私が吹き飛ばす。その間にリラが鬼の行動を誘導し、敵を群れごと移動させる。そういう作戦だ。
「菫! 司令の許可取れたよ!」
少しの間、周りの雑魚の相手をしていると、そう叫ぶ翼の声が聞こえてきた。
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「どうされましたか? 司令官」
「Lv4の魔物が出たそうだ。それをここにおびき寄せる許可を出したから、ここに留まっている探索者達に戦闘の準備をさせる必要が有る」
「成程。では通達はお任せを」
そう言って彼は作業を開始する副官を意識から外し、己のA.R.Sに目を向ける。
太刀型固有A.R.S『飛電』。リラの持つ『Lucky Lilac』と同じく、威力よりも速度に重点を置いた特注品。
威力重視のものと比べると確かに出力が低いのは事実だが、それを不満に思った事は無かった。
しかし。
(A.R.Sの使用も儘ならぬ程にエーテルを枯渇させる出力か、恐ろしいな。それに耐える敵も、それを扱う者も)
彼――安藤 裕也――には、探索者達を指揮するに足る知恵と実力が自分には備わっていると言う自負があった。
終末の日以前から磨いてきた技術と、魔物との戦いで培ってきた経験。それらにより、最強たるリリアーヌ程ではないが、安藤は探索者の中でもかなりの強者と呼べる存在なのだ。
しかし、そんな安藤でもコルブランドの出力には理解が及ばなかった。
いくら彼が持つ飛電が速度型と言っても、威力型の固有A.R.Sとそこまで大きな差は無いのだ。アーティファクトならいざ知らず、A.R.S同士ではせいぜいあっても2〜5倍程度の差だろう。当然、全力使用したとしてもエーテルの枯渇など起きはしない。
それ故に、そんな事が可能なコルブランド、そしてその使用者である菫に少し恐怖を感じたのだ。そして、それだけの威力の攻撃を受けても斃れない敵に。
(……だが、我々に敗北は許されない。世界、そして人類を救う為、たとえどんな犠牲を払おうとも、勝利し続けねばならない)
安藤はそう心の中で覚悟を決め、戦場へ向かうのだった。
作者の筆の進みが非常に遅いので更新はかなりゆっくりになると思います。