9:天国と地獄~マリー~
信じられなかった。
孤立無援と思っていた私に救いの手を差し伸べてくれたジェフに、ベッドに押し倒されたのだ。その上で私のことを慕っていると言われてしまった。そして婚約して欲しいと彼は言っているのだ。
驚き、言葉が出ない。
そんな私を見て、ジェフは切々と自身の気持ちを私に明かし始めた。
「自分がマリーさまを初めて見たのは、スコット皇太子と訪れた舞踏会です。近衛騎士として周囲を警戒していた時に、マリーさまを見つけました。あなたは……派手なドレスを着ているわけでもない。落ち着いた色合いのドレスで決して目立つわけではなかった。それでも存在感がありました。ただそこにいるだけで、輝いて見え……。気づけばずっと、あなたのお姿を追いかけることになりました」
つまりは……一目惚れということか。容姿で好意を寄せられるのは嬉しい反面、寂しくもある。
「勘違いしないでください、マリーさま。自分は護衛として舞踏会にいたので、あなたと会話することは叶いません。ですからどうしても、最初は、あなたの存在感という見た目で心惹かれることになったのは確かです。でもそれだけではありません。話しかけることができない分、あなたの行動をずっと見ていました」
ジェフはヘーゼル色の瞳を輝かせ、まるでその時のことを思い出しているようだ。頬も赤く染まり、その初々しい様子はまさに恋する少年。
「扇を手にして、考え込む時の仕草。男性に話しかけられ、微笑するその様子。断り切れず、ダンスに応じた時のちょっと困った顔。実に表情豊かで好ましいものでした。ダンスを踊るとその腕は一流。意に沿わない相手とのダンスでも手を抜かず、表現豊かにステップを踏む。ダンスを終えた時のポーズの見事さ。そのすべての動作に、自分は胸を高鳴らせていたのです」
そこまで……細部に渡り見ていたのかと思うと、私の頬が熱くなる。恥ずかしいのは勿論、一人の女性として嬉しいことであるのは事実。何せここ最近の私は、皇太子から嫌われている婚約者として、常に冷たい視線にさらされていたのだ。ジェフの言葉は胸に染みた。
「もし私が近衛騎士でなければ。任務でその場にいるのでなければ。すぐにでもあなたをダンスに誘いたかった。でもそれはできず……。そして近衛騎士の任務には、休みなどあってないようなもの。あなたが足を運ぶ舞踏会に、プライベートで訪れ、声をかける……そうしたいと思っている間にも、殿下があなたを見染めてしまいました」
最後の方は声が掠れ、とても切なそうな顔をしている。その絶望的な表情は……見ていると胸が痛んだ。
「この国の皇太子の婚約者になってしまった。マリーさま、あなたは自分の手が永遠に届かない女性になってしまったのです。それならば自分のこの想いは諦めなければならない。忘れなければならないと思っていたのですが……。殿下は自分を信頼していたのでしょう。自分の周囲からの評価は真面目、任務一筋、恋愛に興味なし。そのように思われていたので、非公式ながらあなたの護衛を任されました。それは……私に天国のような喜びと地獄のような苦しみをもたらしたのです」
ジェフの相反する気持ちが渦巻く胸のうちは、容易に想像できた。慕っているのだ、私のことを。でも私は自身が仕える皇太子の婚約者。絶対に手を出すことは許されない。それでも自分が好意を持つ相手だ。そばにいられるのは……嬉しい。でも諦めることも忘れることもできない。
それは本当に天国と地獄を味わっているような状況だと思う。
「殿下とあなたが仲睦まじい姿を見て、胸が張り裂けそうでした。でも……マリーさま、あなたを想う気持ちがあったからでしょうか? 殿下と笑顔で話すあなたは、心から笑っているようには思えなかった。もしや殿下との婚約を心から望んでいないのでは……僭越ながらそのように感じていました」
そこでジェフが探るように私を見る。私は思わずその視線を避けるようにしてしまう。なぜなら……その通りだからだ。自分では完璧にバレないだろうと思っていたが。私の護衛につき、さらに私へ好意を寄せているジェフだからこそ、見逃せなかったのだろう。私の真の気持ちを。
「もし殿下との婚約が本意でないならば、自分にもチャンスがあるのではないか。そう想い、あなたを見守ることにしました。……ところが、リリアン・サマーズ伯爵令嬢。彼女が現れてから、何もかもがおかしくなった。殿下はあんなにあなたのことを気に入っていたのに。次第に冷めた目であなたを見るようになった。その一方で、あのリリアンさまにどんどん傾倒していくのです。驚きました」
ジェフは……私のそばに可能な限りいてくれた。つまりリリアンと私のことをずっとみていたはずだ。そう、ずっと見ていた……! それはつまり、ジェフこそ、証人になるのではないか?
「ジェフ様」
「何でしょうか?」
そこでいまだ、自分がベッドに押し倒されたままで、ジェフはベッドに両腕をつき、私を見下ろしている状態であると気づく。本当はこの体勢を変えたいのだが……。というか、この体勢、ジェフは疲れないのだろうか? 騎士として鍛えているから、問題ないの?
「マリーさま?」