5:断罪後・現在~マリー~
卒業舞踏会の場で断罪され、そしてノートル塔に幽閉された。そしてそこで自分の前世を思い出すことになった。
自分が乙女ゲーム『夢見るドールは恋を知る』の悪役令嬢であることを思い出した私は……。驚愕することになる。
『夢見るドールは恋を知る』……通称『夢見ドール』は、私が初めてプレイした乙女ゲームだった。乙女ゲームがブームになっていると聞いていたが、それまでプレイしたことはない。でも会社での仕事にも慣れてきた入社5年目。彼氏なしで自宅と職場の往復をして、時間があると動画を眺めていた。その動画のCMで何度か『夢見ドール』が紹介され、面白半分でプレイし、ハマってしまった。
中世西洋風の世界観で、美しいドレスと舞踏会、騎士道精神が根付き、ハンサムで素敵な男性と恋に落ちる。それは非現実的で、現実世界に幻滅していた私には、心のオアシスになってくれた。
スコット皇太子という王道キャラを攻略すると、別の男性が恋愛対象として解放される。そして新たに攻略できる男性を落とすためにプレイを続けるというゲームスタイルは、とても分かりやすく、私に馴染んでくれた。他の乙女ゲームをやったことがないので分からないが、進めやすいと感じた。
この『夢見ドール』画面を起動したまま、スマホを助手席に放置し、営業車を運転していた時。
スマホに夢中で左右の確認をせず、道路に飛び出してきたギャル風の女子高校生を、撥ねてしまった。焦った私はそのまま側溝へ突っ込んだ。この辺りの側溝は、広くて深いものが多い。そこに軽自動車で落ちたのだ。恐らくそれで死亡した。その結果、助手席で起動したままになっていた乙女ゲーム『夢見ドール』の世界に、私は転生してしまったのだと思う。
私は……乙女ゲームは『夢見ドール』しかプレイしたことがなかったが、悪役令嬢ものの小説は何冊か読んでいた。昼食は営業車の中で一人で食べることも多かったので、そんな時、スマホで悪役令嬢ものの小説を読んでいたのだ。
だから今のこの状況がなんとなく分かったのだが……。
悪役令嬢に転生すると、断罪を回避するために奮闘するはずだ。でも今の私は……断罪が終了している。断罪終了後に覚醒する、それすなわち既に詰んだ後なのに、どうしろと……? なぜにこんなハードモードでの転生覚醒なのか?
いや、でも、まだ刑は確定していない。ひとまず幽閉されただけだ。ワンチャンあるかもしれない。
だが最大の問題点は。私にその時の記憶がないことだ。リリアン殺人未遂時の記憶。さらに言えば、過去に行ったというリリアンに対する嫌がらせ。こちらも全然思い当たることがないのだ。
学院で過ごす日々の中で、リリアンとの接点がゼロだったわけではない。廊下でバッタリ出会ったこともある……そう言えば出会い頭でぶつかり、リリアンは盛大に尻もちをついていた。食堂ではリリアンが私にぶつかり、トレイに乗せていた紅茶がリリアンにかかってしまったこともある。そういえばハエが着地したスープを口に運びそうになったリリアンを止めたこともあった。
リリアンも私も偶然、接する機会はあったが、そんな嫌がらせなんてした覚えはない。それとも殺人未遂時と同じように、記憶がないのだろうか。
それは……分からない。だから弁明できないのだ。私はそんなことをしていない……と思います――では信じてもらえない。明確に「私ではありません」と言えないとダメなのだ。それなのに肝心の記憶がないなんて……。
これは私が転生者だからだろうか? 一体どうしたら、この状況を打破できるのだろう?
何よりも今のこの私の状況を知ったコネリー夫妻はどう思っているのだろう……?
真剣な表情で、部屋の真ん中に立ち尽くしていたが、ゆっくり文机に備え付けられていた椅子に腰を下ろす。簡素な木だけで作られたその椅子は、私が腰をおろしただけでミキッとあぶなげな音を立て、脚の部分が軋んだ。まさか私の体重で壊れるとは思えないが、怖くなり、ベッドへと移動する。
ベッドはベッドで安物のマットレスが使われているのだろう。腰をおろした瞬間に盛大にギシギシと軋む音がする。かといって椅子のようにすぐ壊れることはないだろうと思い、そのまま座り、コネリー夫妻のことを考えた。
コネリー夫妻はきっと私の無罪を信じてくれている。助けようと動いてくれていると思う。だが……。決して貴族の中で、コネリー男爵の力は強いものではない。断罪したのは皇太子。しかも問われているのは殺人未遂だ。
無理だと思った。私を助け出すことはできない……。
やはり、詰んだ後ではどうにもならないのか。せめてリリアンが庭園で倒れていたあの状況について思い出すことができたなら。
眉間を押さえ、考えた時。
鉄の扉がノックされ、鍵が回される音がする。ゆっくり重く軋むような音を立て、扉が開いた。
「着替えは済んだのですね」
ホッとした様子のジェフが顔を覗かせた。もしやもう刑が確定したのだろうか? 背中に汗が伝う。
一方のジェフは静かに部屋の中に入ってくると「隣に座っても?」と私に尋ねる。私は罪人としてここに幽閉されているのだ。そんなに丁寧に扱わなくてもいいのに。さっきのメイドの荒々しい態度と対称的なジェフに、思わず頬が緩む。
「問題ありません。ギシギシとうるさいベッドですが」
「……すみません。これでもこの部屋がここでは一番ましなんです」
ジェフが申し訳なさそうに詫びる。本当になんて律儀なのだろう。
「気にしないでください。それで……どうされましたか?」
盛大にギシギシと音を立てながらもベッドに腰かけたジェフが、改まった感じで私の方へ体を向けた。
ダークブラウンの髪にヘーゼル色の瞳。よく日に焼けた肌に引き締まった体。見るからに武人と分かるジェフは少し頬を染め、口を開いた。
「マリーさま。自分はずっとあなたのことを護衛するため、おそばで見守ってきました。自分が見ていた限り、あなたが誰かを殺すような人にはとても思えません。自分は……これでも皇族を祖先に持つ公爵家の次男です。その立場からスコット皇太子とも、殿下とも話をすることができると思います。自分は……マリーさま、あなたのことを助けたいのです」
そう言うとジェフが私の手を掴んだ。
「あなたは殿下から婚約破棄されました。ここからあなたを救い出すため、また刑を下されないようにするために。マリーさま、自分の婚約者になりませんか?」