37:左手の剣士~マリー~
地下牢へ向かうだけなのに。
しかも私はドレスなんて着ていないのに。
デレクは私の手を取り、エスコートしながら歩き出した。
歩きながら、私は今のジェフの状況を考える。
ジェフは手首の腱を切られたのだ。もう剣を扱うような職務にはつけないだろう。幼い頃から近衛騎士として育ったジェフが、剣以外でどのようなことができるのか、それは未知数だ。でも分かることはただ一つ。この先、ジェフが進む道は茨の道だ。きっと辛いことだろう。
ジェフはあの時。
自暴自棄になっていた。「もう、どうなってもいい。終わった」という気持ちになり、私と共に死を選んだのだと思う。そして牢につながれた今も、ジェフの頭にあるのは死である気がした。
彼がしたことを思えば、相手にする必要はないのかもしれない。でもこのまま見捨てることは……忍びなかった。
私がこの塔に幽閉された時。孤立無援だと感じ、とても心細かった。
その時、ジェフがいてくれたことは……。
ある意味大きな支えになったことは間違いない。
ジェフには裏切られた。殺されそうにもなっている。
それでも。
希望を捨てず、やけにならず、生きて欲しいと最後に伝えたいと思ったのだ。
私は……変わり者なのかな。
「着きましたよ、マリーさま」
歩いている時から。
人気がなく、寂しい場所へと向かっている。そう感じていたが。
地下牢に続く階段を下り切ると、そこはまるで洞窟の中みたいだ。
天井も壁も剥き出しで、薄暗い。
しかも地下だからだろうか。
地上より気温が低く感じる。
「きゃっ」
「マリーさま!?」
デレクが私を胸に抱き寄せ、既に手には剣を持っていた。その様子はもはや騎士そのもの。とても自分の従者とは思えない。
ジェフに対する的確な対応。無駄のない迅速の動き。
デレクは本当は……従者などではなく、騎士になる方が向いているのではないか。
先程からこの考えが頭から消えない。
「もしかして、これですか?」
悲鳴を上げたのは私だったのに。
そのことを忘れ、デレクは騎士になんて向いていると思っていたら。デレクは私の悲鳴の原因を探り当てていた。
そう、私が悲鳴を上げたのは。
天井から落ちてきた水滴だ。
それが頭に直撃し、驚いたというわけ。
「そうみたいだわ。……ごめんなさい」
するとデレクは翡翠のような瞳を細め、柔らかい笑みを浮かべる。
「謝る必要はございませんよ、マリーさま。しっかり者のマリーさまがこんな風に悲鳴をあげるなんて。そのことに驚きましたが、お可愛く思いましたよ」
「もう、茶化さないで」
「茶化していませんよ」
そんなこと言いながら歩いていると、牢番が私の方へ駆け寄った。
「こちらでございます」
言われて案内された牢の中を見ると、ジェフは粗末なベッドに座り、膝に腕を突き、俯いて頭を抱えていた。右手に巻かれた包帯には血がにじんでいる。
牢番が私が座れるよう椅子を牢のそばに運び、デレクは少し離れた場所で待機してくれていた。
「ジェフ様」
声をかけるが、ジェフは俯いたままだ。
再度、名を呼ぶが、反応がない。
仕方ないので椅子に腰かけ、伝えたいことを言うことにした。
「ジェフ様。こんなことになりましたが、私がスコット皇太子の婚約者となってから今日まで。あなたは献身的に私を護衛してくれていたと思います。そのことに関する感謝の気持ちは変わりません」
チラリとジェフの方を見るが、先程と体勢は変らない。
「ここへ幽閉された時。私はとても心細かったのですが。ジェフ様がいたことに救われました。そのことにも感謝しています。この後、ジェフ様にどんな刑が科せられるのかは分からないです。それがどんな刑であれ、罪を償い、そしてこれからも生きてください」
そこで私が黙ると。
ジェフがゆっくり顔を上げた。
ヘーゼル色の瞳から涙がとめどなく流れている。
「マリーさま。自分はあなたが思うような人間ではないです。……スコット皇太子さまの指示に反し、粗末な部屋とみすぼらしい服、味気ない食事を与えるよう指示したのは自分です。あなたを追い詰め、この劣悪な環境から逃れるには、自分に頼るしかない。そう思い込ませるために。そんな残酷なことをする人間なのですよ」
そうだったのか。
そういう意図で……。
「でもマリーさま。あなたは強い心の持ち主だった。屈することがなかったのです。自身の置かれた状況に。自分と婚約すると頷けば、すぐに救われたのに、首を縦に振ることはなかったのです」
「それは……そうですね。でもジェフ様だってきっと。強い精神をお持ちだと思いますよ。子供の頃から辛い訓練に耐え、鍛錬を積んできたのですから。今のこの状況にも負けないと思います。大丈夫ですよ、ジェフ様」
するとジェフは自身の包帯を巻かれた右手を見た。
「左手がありますよ、ジェフ様。左手の剣士。目指してみては?」
「なるほど。そんな方法もありますか」
「はい。鍛え上げた体もあるのですから。力仕事もできますし大丈夫ですよ」
そこで初めてジェフが少しだけ笑顔になった。そして――。
「……マリーさま。自分のしたことを許して欲しいとは言いません。ただ、謝罪をさせてください。本当に申し訳ないことをしました」
ジェフが深々と頭を下げる。私は「その謝罪を受け入れます」と言ってから、椅子から立ち上がった。そしてワンピースのポケットに入れていた金平糖の入った小瓶を取り出す。
「ジェフ様、これを」
ベッドから立ち上がったジェフが私にゆっくり歩み寄る。
後ろで控えていたデレクがすぐに私の背後までやってきた。
私が差し出した金平糖の入った瓶を、ジェフは大切そうに受け取る。私はその金平糖の意味を説明した。するとジェフの瞳から再び涙が流れたが、すぐにそれも止まった。
背筋をピンと伸ばしたジェフは力強い声で宣言する。
「……あんなヒドイことをした自分を許してくださり、ありがとうございます。マリーさま。自分は……罪を償い、そしてこれからは贖罪の日々を送ろうと思います。舞台から退場し、なかったことにする。そんなことはしません」
……良かった。ジェフが前向きになってくれた。
ホッとする私から視線を移したジェフは、デレクをじっと見る。
「あなたは……宮殿の騎士の隊服を着ていますが……。見たことがない顔ですね」
「ジェフ様。驚かせてすみません。彼は私の従者なのです」
デレクが従者だと知ったジェフは目を丸くして驚いている。
「……とても従者だとは思えない。剣の扱いは完璧だった。……騎士になるつもりはないのですか?」
ジェフに問われたデレクは、まさに騎士のように右手を左胸にあて、優雅にお辞儀する。
「大変名誉あるお言葉ですが、僕はマリーさまの従者であることが、身の程をわきまえたものと思っています。……そしてあなたの手を傷つけたこと。あの状況では仕方なかったとはいえ」
「謝罪の必要はありません」
ジェフがデレクの言葉に被せ、キッパリ謝罪を否定した。
「あの時、あなたが止めてくれなかったら、今はなかった。自分は、人として超えてはいけない一線を超えることなく、踏みとどまることができたのです。それはあなたのおかげですから」
「そうですか。分かりました」
ジェフとデレクは……そこで握手をした。
まさか二人が握手することになるなんて。本当に驚いてしまう。
「それではマリーさま。どうかお幸せになってください。あなたが言っていた、心を偽らずに生きる。今度こそ、それを貫いてください」
ジェフがその言葉を覚えていたなんて。
でも、そう。
今度こそ、自分が思うように生きようと決めたのだ。力強く頷き、地下牢を後にした。














