おっさんとJKの自殺旅 3話 「転」
外は徐々に暗闇に包まれていき、気づけば公園にはシズカ達しかいなかった。
「どうして、シズカはここに居るの?」
シズカの母親と思われる女は、心配した様子で言った。
そこで、リュウタの脳裏に幼かったシズカとその家族が、日々一緒に暮らしていた記憶が過ぎる。
すると、記憶の中にいた母親と思わしき人物と、目の前にいる女が、同一人物であると気づいた。
しかし、そんな事を思っている間にも、まるで目の前にある宝物に翻弄された様に、母親はシズカの元へ手を伸ばし、歩み寄っていく。
その時だった。
「近寄らないで!!」
「「ッ!?」」
シズカは大声で、母親を威嚇する様に叫んだ。
娘の叫びを聞いた彼女は、歩み寄る足を止め、どこかひきつった顔をする。
「ど、どうしてそんな事言うの?」
女は困惑した表情をし、止めていた足を再び動かし始めた。
その動きを見たシズカは、鋭い眼光で再び、
「近寄んないでって言ってるでしょ!!!」
彼女は歯をむき出して言った。
それによって生み出される、あまりの気迫に、リュウタは鳥肌が立った。
その様子を見て驚いたのは彼だけでなく、シズカの母自身もそうだった様に思える。
彼女は不安げな表情を浮かべつつも、娘の近くまで来ると、歩むことをやめる。
「あ、貴方! 母親に向かって! なんて口の利き方なの!!」
「はぁ? アンタみたいな親なんて知んない! てか、今頃になって親ヅラとかマジうける! そもそも、子供見捨てて夜逃げするくらいなら子供なんか作んなし! 馬鹿なの? ねぇ?」
「おいシズカその辺に! ——ッ!」
母親に対して、今まで溜め込んできた怒りを爆発させる彼女に、リュウタが止めに入ろうとした瞬間、母親の平手が娘の右頬へ、パシンと風船が割れる様な音で打つ。
母親の予想外の行動に、シズカはその数秒間、理解が追い付いていない様子だ。
彼は咄嗟に霊で透明ながらも、母親に突っかかってしまう。
その時、彼女はリュウタの動きを制止させる様に、赤くなった頬を押え、口を開いた。
「……神崎さん、止めなくて良いよ。コレはお母さんと私の親子喧嘩だから」
彼女の目に迷いはなかった。
ただその瞳の中には、硬く固まった意志だけが存在していた。
一方、シズカの母は、娘の何らかの意志が伝わったのか、とても、怯えている様子だ。
「貴方、さっきから誰と喋ってるのよ!?」
「ねぇ、お母さん……酷いよ。どうして、あの時、私をひとりぼっちにしたの?」
シズカは異様にも冷静な趣で、母親に問いかける。
それを受け彼女の母は、さも当然の事をしたかのような顔をした。
「それは貴方の為だって、手紙にも書いてたでしょ!?」
すると、彼女は「過去」なぜシズカの元を去ることになったのかを、凍った空気の中で語り出した。
※
これはまだシズカの母と父が、愛くるしい娘の元を去る1週間前の出来事。
「それじゃ、お母さん! 行ってくるね!」
娘は母に元気な笑顔でそう告げると、自宅の玄関で靴を履き、錆びきったドアを開けた。
すると、開いたドアから入ってくる、太陽の眩い光が薄暗い家を明るくする。
「ちゃんと教科書は持った? 忘れ物はない?」
「持った持った。あれ? お父さんは?」
「寝てるわ、あそこでグッスリ。……気をつけなさいよ」
居間でグッスリと鼾をかいて寝ている父を指し、その姿を母とシズカでクスッと笑った。
しかし、母は学校のクラスメイトが娘にする扱いに、とても不安な気持ちを抱いていた。
そんな気持ちを紛らわすかのように、娘の綺麗な黒髪に、流す様に触れる。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
シズカとの何気ない会話が終わると、シズカの母は娘の後ろ姿が見えなくなるまで、アパートの2階から見送った。
「シズカは行ったのか? アレ? 視界がボヤけて……」
横からシズカの父の声が聞こえ、隣を見る。
そこには、髪の整っていない、穏やかな目を細める父が立っていた。
「あなたメガネつけ忘れてるよ」
「あ……」
「戻りましょうか」
※
あれから時間が経ち、時計の針が午後3時を指し示した時。
洗い物をしている途中、玄関の方からノックが聞こえた。
「貴方代わりに出て」
「ハイハイ……どちら様ですか——ッ!」
玄関の扉を開けた彼は、突然、言葉を詰まらせた。
「誰だったのぉ? ——ッ!」
シズカの母が心配になり、旦那の様子を見に行くと、そこには、胸ぐらを掴まれ、吊るされているシズカの父の姿だった。
「お? 今日はいらっしゃったんですね? 奥さん。安心してください、別に借金を取りに来た訳では無いんですよ。
少しお話しがありまして……」
聞き覚えのある声、毎日毎日、アパートに来ては怒号を浴びせに来る男の声だ。
そこには、2人の屈強な男達が立っており、1人は大柄の男、もう1人の方は、眼鏡をかけ、日本刀の様な物を鞘に入れ、異常な殺気を纏っていた。
※
身の危険を感じたシズカの両親は、2人を自宅にあげ、ダイニングルームに置かれたテーブルに、父と母、男2人、対面になるように座った。
「話ってなんでしょうか?」
母がそう問いかけると、大柄の男は不気味な笑みを浮かべる。
「アンタら3ヶ月ほど借金を滞納してるだろ? 俺らも仕事なんで払ってもらわないとめんどくさい。
そこでだ、上からの提案でな。
アンタらの嬢ちゃんを使って、夜の街のおっさん共を喜ばせて金儲けする、ていう提案だ。嬢ちゃん、中学3年にしには顔立ちも整ってるしなァ!」
「馬鹿な事を言わないでください! そんな事はさせない! 絶対に! もし娘に指でも触れたら、どうなるか分かるでしょうね?!」
声を荒らげるシズカの母の言葉に、父も首を縦に振った。
すると、大柄の男は二人の反応に苛立ったのか、まるで鈍器で殴りつけた様な音で、机に拳を叩きつけた。
「それしか方法はねぇんだよ! するしかねぇんだよテメェらにはよ! アンタら夫婦はなぁ、俺らに返しても返しきれない程の借金があんだよ!」
「おい、野嶋うるさいぞ」
野嶋の隣に座っていたメガネ男は、彼を怒鳴りつけ、静止させた。
その様子を見たシズカの母はメガネ男に、今にも爆発しそうな怒りを封じ、質問を投げかけた。
「あの他に方法はないんでしょうか?」
そう質問すると、彼は「あるにはある」と言い、それついて話した。
「1つ目は、アンタら両親と娘さんを引き離させ、保護者だけで借金を払ってもらう。その代わり、娘と俺ら組織は一切関わらない」
「ど、どうして親が子供の元を離れなければならないのでしょうか? 他に——」
「それが出来ないなら、借金が返済できるまで、自分の知らない場所で土木として家族全員働くかだ。
ちなみに、俺はそこから出てきたヤツは見た事ない。どうする?
娘を使って金儲け、家族共々土木として働く、それか、親子離れて借金返済か……」
「分かりました、決めました」
「おい、何勝手に! まだシズカと話し合ってない! せめてシズカと——」
「貴方はどっち?」
「え?」
「シズカにとって何の支障もない道か、自分たちの安全か。私は娘の安全を選択する! アナタはどっち?」
父はシズカの母の問いに、深く頭を抱えた。
そして、数分後、シズカの父は何かを決心した様な顔つきになり、考え抜いた答えを口に出した。
「シズカには絶対に関わらないんだな? それが本当なら俺と妻は娘から離れる。お前もそれが良いんだよな?」
「えぇ、そうよ」
こうして、お互いの利害が一致した母と父は、シズカの元から去り、遠く離れた場所で借金返済という選択をした。
「決まったのなら、明日またこの時間に書類を持って伺います」
メガネ男はそう言い残すと、席から立ち上がり、野嶋とその場から立ち去っていった。
※
彼女が話し終えた頃、母親は涙を浮かべていた。
シズカの親が作り出した気まづい空気。
そう、決して「娘を嫌って」の行動じゃなく「シズカのため」と思うと、余計母親を責めづらい。
もうリュウタは、すでに母親が作り出した空気に、呑まれているかもしれない。
しかし、1人を除いて。
「ズルい……ズルいよ……そんなのただのズルい言い訳だよ! 私はそんなの望んでない」
娘の悲痛な訴えに彼女は、酷く困惑した様子だ。
それはそうなるだろう、シズカの母親の気持ちも分からなくはない……なんせ、自分の娘の将来の為にとった選択が、今この瞬間、間違いだと断定されたんだ。
人の為に行動したのに、それが却って人を傷つけた時ほど、ショックは大きいもの。
こうした、ショックによって生まれた強く急激な刺激は、ストレスへと変わり、その行き先のない物は心に蓄積され、いづれ爆発する。
「どうして……私は! シズカのことを思って! 幸せになって欲しいから! してあげた事なのに!! どうして!? どうしてなのよ!?」
シズカの母は、狂ったように声を荒らげ、娘の肩を強く揺らす。
「私はお母さんとお父さんが居ない幸せなんて要らない!! 私の事思ってたんなら! なんで相談しなかったの?! まだ話し合ってないじゃん! 私たち家族でしょ?! ……私はもう幸せだったの、わたしはお母さんとお父さんと一緒に居ただけで幸せだった。
でも、お母さんとお父さんが居なくなった後から、前よりも怖い人達が沢山来るようになった。
学校も! 前よりも辛くなった!」
肩を大きく振りほどいたシズカは、大粒の涙を流し、自分の思いを母へ訴えた。
「お、おかしい……だって、あの人達は娘には関わらない、て……え? おかしい、おかしいおかしい!!」
追いつめられた彼女は、その場に座り込み、ブツブツと呟き始めた、その様子はまるで壊れた制御の効かないロボット。
そんな姿をする母にシズカは、流れ落ちる涙を拭い、彼女の元へ歩み寄る。
すると、母に覆い被さるように抱きしめた。
「そう言えば私……わがままなんて言った事なかった。だから、最初で最後のわがままを言うよ」
しゃくり上げる母親を強く抱きしめるシズカは、今にも溢れ出しそうな涙を堪え、震える声で言った。
「わ、ワタシ……またお母さんとお父さんの3人で一緒に暮らしたい」
「……う……うん。そうしよう、また一緒にお父さんとお母さんと一緒に」
自分が生まれ、いつも貧乏で満足のいく生活が出来なかったシズカ。
当然の事ながら、ジリ貧の生活の中、彼女は幼い時から、1つのわがまま何て言えなかったのだろう。
しかし、そんな彼女が今まで我慢してきた「欲望」は、最初で最後のわがままで終わった。
この選択が「正解」なのか「不正解」なのかはまだ分からない。多分、その答えは「運命」が教えてくれる筈だ。
だが、俺はその結果を知れる事はない……決して。
※
ある程度、2人は落ち着きを取り戻し、公園のベンチにて、寄り添うように座る。
「ねぇ、お母さん」
「なに? シズカ」
「ちょっと2人で思い出話でもしない?」
「あ、それ良いね——て1つ質問なんだけど……なんでアンタ金髪なの?」
「……染めちゃった!」
お茶目な様子で告白すると、母親は「馬鹿ね」と言い、予想外にも笑っていた。
すると、予想外に笑う母を見て、シズカは笑った。
「もぉ、お母さんコレおしまいね? 早く思い出話しようよ」
「はいはい、もうわがままさんになってるのね……そうねー……あ! ならお父さんが取ってきた雑草で、家族全員食中毒になった話は?」
「あぁ! アレね! 絶対お父さん茹でるの甘かったよね!」
こんな光景を見た俺は、2人の談笑を邪魔してはならないと思い、その場から離れた。
そして、会話の邪魔にならない様な場所に行き、キラキラと宝石のように輝く夜空を見上げた。
※
シズカと母が笑い、楽しみながら話していると、ふと、お母さんは「あっ」と何かを思い出した様な顔をした。
「そういえば……たしか、アンタ車に轢かれそうになった事あるよね」
「え?! いつ? わたし覚えてないんだけど」
母の突然の発言に、一瞬、驚いてしまう。
すると、母はシズカがいきなり驚愕した姿を見るや否や、その事について語り出した。
「たしかシズカがまだ幼い頃で、冬の時」
※
いつもとは違う公園に、行ったある日の帰り道。
「わたし帰ったらチョウチョ捕まえる! ……お母さん! 見て! 色んなイロのオウマさんが道路を走ってるよ!」
幼かった娘が指した方向には、たしかに色んな色をした車が行き交っていた。
「そうね、早いお馬さんね」
娘と話しながら帰っていると、ふと、目の前に横断歩道が現れ、シズカの小さな手を握った。
「あれは横断歩道ていうの。あのマークが赤い時は止まるのよシズカ」
「うん! わかった!」
横断歩道が青になるまで待っていると、周りから人が続々と集まって来る。
すると、シズカの母の隣に、黄色の風船を持った幼い男の子と、父親の親子が立った。
ただ、呆然と信号を待っていると、突然、頭が割れる様な鋭い頭痛が起きた。
「いった」
そして、その頭痛に合わせるかのように、後方から強い風が吹いた。
その時、娘と繋いでいた手を離してまう。
強風で隣の男の子が持っていたであろう風船が、道路の方へ飛んでいってしまった。
「あれ、なんだろう! プカプカ飛んでる! まてぇ!」
シズカはそう言うと、風船に操られた様に、車が行き交っている道路に飛び出した。
「シズカ! 危ない!」
悲鳴に近い声で私は、娘の名前を呼び、赤信号を無視し、走って駆け寄ろうとした時、右方向から、ちょうどシズカがいる場所に、赤の車が迫っていた。
すると、シズカの母の足が止まりそうになった。
しかし、娘を助ける為、止まりそうな足を動かそうとした瞬間、前方から凄まじい速さで、娘を助けようとする男性が視界に入った。
そして、娘と車の距離が数メートル程に差し掛かった時、ブレーキ音とクラクションが同時に鳴った。
車より数秒早かった、茶色のコートを着た男が、シズカの元へ先に辿り着く。
すると、戸惑っている娘を、母の方へ突き飛ばした。
「危ない!!」
シズカの母は咄嗟に娘を突き飛ばした男性へ、大きな声で叫んだ。
その瞬間だった。
男は最初からこの様な結果になると分かっていた様子で、車に追突されてしまった。
「そんな……」
目の前で初めて人が、轢かれる光景を見たシズカの母は、思わずその場に座り込んだ。
朦朧とする意識の中、自分の視界には、体から多量の出血をし動かない男と、近くで気絶している娘の姿があった。
※
「その後、男の人は亡くなったわ」
話を終えた母は、悲しみの表情を浮かべ、深いため息をついた。
まさか……いや偶然かな?
シズカは母の話の中の人物について疑問を持つがが、気のせいだと思った。
「お母さん、もうちょっと話さない?」
「そうね」
それからというもの、シズカと母は思い出せる限りの話をした。
また、あの時と同じ様に私達は、笑って談笑を楽しんだ。
※
星は相変わらずと言って良いほど綺麗だ、ずっと見てられる……さて、様子を見に行くとするか。
そう思い、リュウタがシズカ達の様子見に行くと、そこには話を終えた様子の2人がいた。
「シズカ、この後お母さんとお父さんの家に来る? もう夜遅いし」
彼女はシズカにそう言うと、ベンチから立ち上がった。
一方、シズカは数秒間の沈黙をすると、首を横に振った。
「あら? どうして?」
「いや、もうわたしホテル予約しちゃってるからさ。今日はいいかな」
「そう……なら、明日は家に来る?」
「ごめん、明日にはもうここを出るんだ。私まだやりたい事があって……明後日なら多分行けると思う。まだ分からないけど」
シズカは申し訳なさそうな顔をした。それを見たシズカの母親は、軽く微笑み、彼女の頭を撫でた。
「アンタ、身長伸びた? ……成長したねシズカ。私よりすっかり大人びちゃって、頼もしくなったよアンタは……ちょっと危なっかしいけど」
シズカの母親は未だに暗い顔をする彼女の胸に、拳を当てた。
「そんな暗い顔しても時間は過ぎていくだけだよ。シズカはまだ若いから私よりいっぱい生きて! 最後に! 誰かに何と言われても気にするな! 胸張って生きろ! それがシズカらしい!」
「うん!」
その後、シズカの母親と別れたリュウタたちは、泊まれる場所を必死に探し、見つけたネカフェで泊まることにした。
※
8月29日 (自殺旅終了までのこり2日)
翌日の朝、リュウタが先に起床し、頭上を見ると『残り2日』と記されていた。
まぁ、そうなるか……東京を満喫できる日数が増えたと考えれば良いのか。
「おい起きろ——ッ!? お前!」
「神崎さん、自殺旅を満喫する女子高生の時間は有限なんだよ。早く準備!」
そこにはさっきまで隣で鼾をかいて寝ていたシズカが、準備万端の状態で立っていた。
「早すぎんだろ……」
そして、リュウタ達はこの旅の最終地点である「東京」に向けて、進み始めた。
※
「とととととと! 東京来たぁ!」
「うるせぇな!」
シズカが東京でここまで喜ぶ理由、おそらく今この場所が「渋谷」だからであろう。
彼女にとっていつもは見ない光景で、見るもの全てが新鮮味を帯びている筈だ。
そんな事を考えていると、彼女はリュウタに向けて、ボロボロになっている手帳の中の一部を見せてきた。
古く書かれた様な字で、保存状態が悪かったのか、字はかすれており、俺は目を凝らし、ようやく書いあることを読み取った。
「お前……これって……」
「そう! コレは私が幼少期に書き留めていた「やりたい事」リスト! 神崎さんの任期があと2日らしいから、このリストをその2日間、できるだけ全部やる!
まずその1つの「オシャレな服を買う」を遂行する!」
シズカはそう言うと、近場にある服屋を探しに、獲物を探すハイエナの様に、颯爽と向かって行った。
※
そして、リュウタとシズカが最終的に行き着いた場所は、東京屈指のファッションビルの1つである「渋谷110」だった。
「わわわわわ! しゅごすぎりゅ! 神崎さん! ここ天国だよ!」
中に入った彼女が驚くのも無理はない。
そりゃ若い層に人気のある場所なのもあって、中の店舗は若者をターゲットとした洒落た飲食店、そして、一際目立つ数々の若い層に人気な服屋が揃っていた。
「若い女性に人気な場所なだけあって賑わってるな……あれ? シズカ?」
「ねぇ! あそこに行こ!」
リュウタが内装の凄さに浸っていると、隣にいた筈の彼女は、既に服屋の店の前に立っていた。
あいつホントに忍者かよ……。
そして、渋々彼女の行きたい服屋に入った瞬間、彼とシズカはその凄さに圧巻してしまった。
それは1つの小規模な店舗でありながらも、大規模な服屋と比べて見劣りしない程の、多種多様な服たちが、こだわりを入れられた陳列で並んでいた。
「神崎さん、私場違いかも」
「そうだな、帰るか」
「それはしないよ!? あ、あの服可愛い!」
彼女はそう吐き捨てると、商品棚に並べられている服を、手に取り始めた。
「無駄使いだけはするなよ」
「うん! これにしよ!」
「人の話を聞け!」
「聞いてるよ、沢山服を見ろ、て事でしょ?」
「……もういいや」
※
シズカの服選びを店の外の椅子で、浮いて待っていると、リュウタを呼ぶ声が聞こえた。
「ねぇ、神崎さん! ちょっと見せたい物があるから! 控え室に行こ!」
そこには両手が塞がる程の服を持ったシズカが、ニコニコと満足気に立っていた。
※
すると、リュウタは楽しそうな表情の彼女に、控え室の前まで誘導された。
「神崎さん、それじゃ今から私に似合うオシャレな服装をこの3セットから見つけてもらうから!」
「……ソウデスカ」
正直、今の俺は結構疲れており、既に彼女の服選びの待ち時間に1時間以上を費やしている……正直もう精神的に疲れた。
そして、突如として始まった「ファッションショー」的なものに、リュウタは彼女が控え室から出てくるの待つ。
「じゃじゃーん!! どうだい?」
シズカが更衣室に入って5分が経過した頃、彼女はそう言って、カーテンを開けた。
そこにいたシズカの格好は、雪のような白いデニムを着用し、その白に溶け込む黒のブラウス、それらを完璧に彼女は着こなしていた。
「どう? いい感じでしょ? カッコイイ感じっしょ?」
「まぁ、似合ってると思うぞ」
「……可愛いと思うなら素直に言えばいいのに。自分に素直になれない男はモテないよ?」
シズカはリュウタの素直になれないような所を見抜くと、少し不満そうな顔を浮かべた。
「うるせ! あぁ、もう可愛いよ!」
「……ありがと」
率直な感想をシズカに伝えると、彼女の頬っぺが桃のように紅くなった。
「次いくよ! つぎつぎ!」
「お、おう」
彼女は慌てふためき、再び更衣室に戻った。
それから、彼とシズカのファションショーは続き、2回目では、白と青の縞柄のボーダーTシャツと、下には藍色のデニムを着用していた。
そして、残り最後のファッションとなり、次にシズカが俺の前に姿を現した時、彼女のしていた格好は、鮮やかな水色を基調としたスカート、その上には大人の雰囲気を漂わせる様な黒色のTシャツ、1回目2回目に劣ることのない、彼女の存在を引き出させる様な格好だ。
「もう、全部似合ってたから全部買えよ」
「マジで? じゃあそうする」
※
なんやかんやありながらも、買い物を終わらせたリュウタ達が外に出た頃には、空はもう薄紅の空になり始めていた。
すると、シズカと彼は休憩も兼ねて、木々が生い茂った、自然豊かな公園で休む事にした。
「今日はどこに泊まろうかな〜、ネカフェも飽きたし……まぁ、最後の場所だからネカフェにしよ。ちょっとネカフェ見つけて、予約してくる」
「気をつけろよ」
ある程度休憩した彼女は、立ち上がり、そのまま泊まれる場所を探しに行った。
※
そして、あれから時間が経ち、とっくに空は闇に包まれ、その暗闇からは、綺麗な星々の光が見える。
彼はその空をただ呆然と立って、見ていた。
「父さん?」
その時、背後から聞こえた声、その声はどこか懐かしく、愛おしく、そして、どこか昔より大人びた声だ。
リュウタは半信半疑な気持ちで、その声の方向へ、ゆっくりと体を向けた。
「ハルタ……お前、俺が見えるのか?」
そこに居たのは、見間違えるわけがない、前世に置いてきた息子のハルタだった。
「見えるどころじゃないよ、てか父さん「死んだ」て母さんが……え? え?」
「……スマン、お前を残して死んじまって。……それよりデカくなったな! ハルタ!」
彼は前世に居た頃のハルタが急成長した事に、我ながら誇らしく思いながらも、息子の成長していく光景が見れなかったことに、心の中で後悔した。
しかし、見ていて分かったことが、目は昔よりくっきりとした綺麗な二重になり、そして、その目は何処となく自分の様なつり目と、整えられていない髪型、しかし、その雰囲気はどことなく前世の妻に似ていた。
「死んだ? でも父さんはここに——ッ!」
息子は不信感を抱いた様な顔で、リュウタに触れようとした。
が、当然のごとく、彼は既にこの世に実体としていない状態。
もちろん、ハルタの触れようとする手は、リュウタの体をすり抜けた。
「そんな……でも! 僕はこうして父さんが見えるのに。もしかして、幽霊になったの?!」
「まぁ幽霊と言われれば幽霊になったが、何で春田が俺を視認できるのかはさっぱり分からん。これで2人目だ、俺が見えるヤツは……」
「2人目?」
「あぁ、もうすぐしたらその「もう1人」も来るさ。……そんな事より、最近の近況とか聞かせてくれ。母さんは元気か?」
「あ、それはその……」
「ん?」
ハルタはどこか気まづそうな表情を浮かべた。まるで、何か俺に隠し事をしているようだ。
しかし、息子は何を思ったのか口を、開き話した。
ハルタから語られる、リュウタが死んでからの出来事。
※
「再婚!? ……まぁ、仕方ないか……」
ベンチに2人で座って、息子の話を聞いた彼は、悲しさと虚しさに襲われた。
「へぇ、再婚か……どんま!」
「「……——ッ!?」」
リュウタとハルタの気まづい雰囲気の中、突然、ハルタの隣にシズカが座っていた。
もう本当にコイツ忍者かよ。
「父さんこの人は?」
息子は困惑した顔を浮かべるも、少々赤面していた。
彼はそんなハルタの姿を無視し「川瀬シズカ」という女の子を紹介し、シズカにはハルタのことを教えた。
「春田……ハルッチ! よろしく〜!」
「ハ、ハルッチ? ……よ、よろしくお願いします!! 川瀬さん」
2人はそう言い合うと、お互いの手を取り合い固く握手した。
「敬語使わなくていいよ! 全然シズカでいいよ!」
そんな事よりだ、確認せねばいけない事がある。
その時、彼は心の中で何かを決心すると、ハルタに真剣な顔で、口を開いた。
「なぁハルタ」
「うん?」
「お前の家に行ってもいいか?」
リュウタの顔を見た息子は焦りも困惑もしない。
ただ、何かを覚悟したような様子だった。
「分かった」
「ありがとう」
「へ? どいうこと?」
「母さんにちょっと電話してくる」
ハルタはそう言い残すと、リュウタとシズカの元から離れ、遠くの茂みで電話をしに行った。
一方、ハルタの電話が終わるまで何をしようか迷っていると、シズカの格好がさっきと違うことに気づいた。
「お前……渋谷で買った服は?」
「あぁアレ? ネカフェのコインロッカーに入れてきた」
「父さん! 家に来て大丈夫だって! シズカさんも来なよ!」
「やったァ!」
「マジかよ……」
※
「ここだよ」
ハルタに連れられ、辿り着いたのは高級でも貧相でもなく、ごく一般的な一軒家だった。
しかし、前世に住んでいた家ではなかったことに、すこし寂しさを覚えた。
「入ってよ! 歓迎するよ! ……ただいま」
息子はそう言うと、自宅の玄関の扉を開けた。
※
「お! おかえりハルタ!」
どこかで聞き覚えのある声が、リュウタたちを出迎えると、そこには、かつて自分が刑事だった時の愛すべき人がそこに立っていた。
「……あれ? ハルタ、彼女いたっけ? こんな美人な子。できたんなら母さんに教えなさいよ」
「マユミ! 俺が見えるか?!」
咄嗟に妻へ声を掛けた。
が、マユミは俺の存在に、気づいてない様子だ。
だろうな……俺は既に死んじまってる……普通見える方がおかしいのに何を期待してたんだ俺は。
この時、脳裏には、シズカに存在を知られる以前の出来事が過っていた。
誰にも自分の存在を気づいてもらえない孤独感、妻と息子を残して死んでしまった罪悪感、彼は神様を恨んだ。
せめて前世の記憶さえ消してくれれば自分は、こんなにも辛い思いはしない筈だった。
なんせ、大事な人に自分の存在が気づかれなくても、記憶が無いのなら辛い思いはしないからだ。
「神崎さん……大丈夫? 暗い表情だけど」
すると、リュウタの深刻そうな心情が顔にまで出ていたのか、シズカは小声で気にかけていた。
「さ、はやく上がって上がって!」
マユミはそう言うと、シズカとハルタの2人を家に上げた。
一方、彼はその妻の横顔をただ呆然と見ていた。
すると、頭の中にマユミとの前世の思い出が流れた。
昔も今も変わらず妻は美しい、ゆういつ変わったという所は髪型だろうか、ポニーテールにしていた筈が、今のマユミは髪を全て下ろしていた。
つくづく思う、俺は自分の理想とする女性と結婚出来た運の良さに。
「ところでアナタ、いつまで突っ立てんの? ……あぁ、私がアナタが見えなかったとでも?」
突然、妻は彼のしょぼくれた姿が見えるのか、多少呆れ顔になり、声をかけてきた。
「見えてんのかよ! たく、気づいてんなら言ってくれよ! ……マユミ、すまなかった1人にさせてしまって」
「そんなこと気にしてないわ。事情は上がってから死ぬほど聞くわ……そうだ久しぶりにポニーテールにしよ!」
妻はそう言うと、ポッケから2つのヘアゴムを取り出し、長くなった茶髪を1つの束にまとめ、それをゴムで結んだ。
そして、マユミは彼のそばに近寄ると、いつもの氷の様な雰囲気が、穏やかになったのを感じた。
「おかえりなさい貴方」
「ただいま」
※
リュウタとシズカが家に上がると、リビングルームと思われる場所に出た。
そして、その奥にあるダイニングルームに、見覚えのある男がいた。
「おぉ! ハルタが彼女を連れてきた! 可愛いな——ブフォ! え?! ちょっ!? 神崎さん!?」
「なぁ再婚したってハルタから聞いたんだけど……まさかコイツ? しかもコイツも俺の事見えんのかよ」
「そうよ……」
リュウタは呆れた表情で、その再婚相手へ指を指し言うと、マユミはすこし困った顔になった。
そうその妻の再婚相手とは、かつて、彼が刑事として仕事をしていた時、そのバディとして一緒に活動していた高原シゲだった。
「な、なんで?! 死んだんじゃないのか!? わっけ分かんね!」
「事情はマユミに話すから、その後にマユミから聞いてくれ」
「は、はぁ。オイラは夕食の準備でもしておきますね」
※
シゲが作った料理をハルタとシズカが食べている隙に、リュウタとマユミはベランダで星空を眺めていた。
「あの女の子……大きく成長したようね、時が経つのは早いわ」
「? どいう……」
彼女がポツリと呟いた発言に彼は、疑問に思い聞こうとした。が、それは彼女によって遮られた。
「ところで何で、あの事故で死んだ筈の貴方が生きてるの?」
早速、妻は鋭い目付きで問い始めた。
すると、リュウタはその質問含め、これまで自分が死んで辿ってきた道や、シズカの人生や旅について全てを話した。
「……アナタ本当に死んでるのね。透けてる」
「おい」
マユミは何気ない表情で、彼の透ける体に手を突っ込んだ。
「……うーん自殺ね。まずは闇金をどうにかしたら? 闇金は警察である程度は対応出来る。
でも、その後の事は生活保護系に頼るしかなさそう……て言っても、自殺するかどうかは彼女が決めること。
シズカちゃんにとって私達は赤の他人と同じ、彼女にとっての特別な存在でない限り、止める事は出来ない。私の勘だけど、あの子はそういう感じの子よ」
妻の発言に自分は、黙り込んでしまった。
その姿を見た彼女は深い溜息をついた。
「結局あなたはどうしたいの? 私に彼女の心境を相談したって事は、貴方は彼女に何かしようとしてるからでしょ?」
「それは……」
マユミの言葉に彼の心は、大きく揺れた。
そうだ結局俺は何がしたいんだ? 自殺を止めたいのか? クソッ、どっちなんだよ。
こんがらがった頭を整理していると、突然、シズカとの旅の思い出が過ぎっていく。
「……すまない自分でも何をしたいのか分からない。ただ明日、どうしたいのかシズカと話し合ってみる」
リュウタはそれだけ言い残し、その場から立ち去ろうとする。
しかし、彼のその格好を見た妻は、呆れた様子で言った。
「呆れた……貴方はこの2週間以上の間、シズカちゃんと旅をしてたんでしょ? いったい貴方は彼女のどこを見てきたの? ……今の彼女、とても幸せそうよ? 自殺をしようとする人とは思えない程にね」
マユミはそう言って、窓ごしにシズカ達の方へ視線を送った。すると、リュウタも自然とそこに目線を向けた。
そこには、幸せそうに笑って食事を、楽しんでいる彼女の姿がそこにあった。
その瞬間、
『わ、ワタシ……またお母さんとお父さんの3人で一緒に暮らしたい』
とあの時、震えながらシズカが、母親に言った言葉を思い出した。
そして、それと同時に、彼の中のこんがらがったざわつきが、消え去った気がした。
「アイツに「死」は要らなそうだな。……闇金は本当にどうにかなるのか?」
妻はリュウタの顔を見るなり、呆れ顔をやめ、ニコリと表情を緩めた。
「私は刑事よ? どうてことないわ」
「えっ!? 刑事なの!? まじかよ」
こうしてリュウタと妻の話し合いが終わり、シズカの元へ戻ろうとした時。
マユミは彼にある事を伝えた。
「ッ!?」
それを聞いた時、周りの音が消えた様に感じた。
ただ、それを知った事実に彼の表情は、緩んでしまい、つい微笑んでしまった。
「貴方、もうちょっと自分に正直になってみたら?」
「そうだな」
※
食事を終わらせたシズカは、ハルタの両親にお礼を言って、玄関で靴を履いた。
「本当に泊まってかないの? シズカちゃん。もう外は暗いのに」
「俺がいるだろ!」
ハルタの父親が心配気味に、シズカに尋ねてきた。
しかし、彼女は人に迷惑をかけてはいけないと思い、それを断った。
「神崎さんは今日は泊まっていきなよ。もうすぐでアレだからさ」
シズカは軽く笑った表情で、彼に提案してみた。
すると、彼は「いいのか?」と聞いてきた。
だから彼女は「いいよ」と言ってあげた。
「は? ……しょうがないわね。でも、貴方はシズカちゃんの『守護霊』なんだから! 見送りぐらい行きなさい」
「ええぇぇえええ!! 神崎さん、家で泊まるのぉぉ!?」
「やったァ!」
ハルタのパパは残念そうに、逆にハルタの嬉しそうな声が、それぞれ響いた。
家族の人たちは、色々な顔をしながらも、どこか嬉しそうにしていた。
そして、シズカはリュウタに、自分の泊まるネカフェの名前を教え、玄関の扉を開けた。
※
その後、リュウタはシズカを見送り、前世にいた妻と息子たちと過ごした。
翌日の朝、彼が家を出ようとした時、ハルタは見送りに来てくれた。
「シズカさんの所まで見送るよ」
「ありがとうな」
そして、リュウタ達は彼女が泊まっているであろうネカフェへと、向かって行った。
※
「ここか……」
受付の人に、シズカの泊まっている場所をハルタに聞いてもらい、息子が部屋の鍵を受け取ると、リュウタたちは彼女の部屋の前に立った。
「開けますよ?」
ハルタは扉をノックして、部屋の鍵を開けた。
その瞬間、何故か俺は悪い予感がした。
これを犯罪の予感とでも言うのだろうか、彼は恐る恐る部屋に入った。
そして、その瞬間、リュウタの目は大きく見開いた。
「ッ!? シズカ!?」
思っていた通り、彼の予感は的中していた。
そこに、彼女はいなく、ただ部屋には何者かが争った様な形跡と、微量の血痕が残っていた。
その瞬間、リュウタはシズカの母親が言っていた、闇金達のことを思い出した。
「嘘だろ……」