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こんばんは、今夜もどうぞお付き合いのほど。

美香達は、最近特に厳しくなった、建築基準法に助けられた。控え室から地上の裏口へと続く階段を上りきり、路地を抜け、表通りに出た。涙が出るほど普通の光景が広がっている。

五月の明るい日差しが、雑然とした電気街の通りを暖めていた。まるで、コンサート会場から出てきた様な人の波が美香達の前を通り過ぎていく。美香が―― おそらく蒼瀬達も、次の行動を、決めあぐねていたその時。

「あ、てめえ、さっきの」

美香はぎょっとして声のした方を見、蒼白になった。

さっきの中年だ。後ろには、四,五人の殺気だった若者達を連れている。美香達の後ろに立つ、メイド達に気づき、怪訝な顔をした。

「メグとケイじゃねえか、ステージはどうした?」 

息を呑んでいたメイド達も、見覚えのある顔に気づいたのか、支配人! と半泣きで叫んだ。

「化け物と、このチビ達の仲間がライブをメチャメチャに……」

「猫耳、本物っぽいし、尻尾も血まみれ、わけわかんないっ!」

支配人と呼ばれた男は、二人が口々に喚くのを遮って顎をしゃくった。

「喚くな。下に、こいつらの仲間がまだいるんだな? 先に店、戻ってろ」

メイド達は、美香達を、チラリとも見ないで駆けだした。男が、美香達に向き直る。

「おい、ガキ。お前等…… なんだてめえ」

美香の前に立ちはだかった蒼瀬を見て、男が言った。

「行って。この人達、普通じゃない」

震える声で告げる蒼瀬の後ろ姿に、美香は呆然となった。

数瞬遅れて、体が熱くなる。

姉と母以外に、自分を護ろうとしてくれる人がいるなんて。

遠巻きに囲むギャラリーが増えて来た。だが、助けるどころか、ニヤニヤ笑って、携帯のカメラを構える者達もいる。

支配人は、よほど小夜達に脅されたのが頭にきていたのか、一歩近づくや、いきなり蒼瀬の横面を張り、吼えた。

「カッコつけてんじゃねえ! 俺たちが悪いみてえだろうが?」

蒼瀬は顔を横に弾けさせたが、美香の前から退かなかった。口の端から血を流しながらも、男に向き直る蒼瀬を見て、美香はパニックを起こした。

お姉ちゃん達がいてくれたら。でも、今はいない。どうしよう、どうしよう。

後ろにいた若者が、新聞紙でくるんだ長い物の先で、蒼瀬の腹を突いた。息をつまらせた蒼瀬の顔に、支配人が拳を叩き込む。たまらず蒼瀬は膝を付く。

「逃げて…… 早く」

とぎれとぎれに呻き、気を失った蒼瀬の頭に向かい、若者は、長物を振りかぶった。新聞がめくれる。金属バットだ。美香の血圧が、劇的に上昇する。

「やめてっ」

美香がその男にかけより、小さな掌で、突き飛ばした。

「げごっ!?」

病的な薄笑いを浮かべていた男は、人間らしい悲鳴を上げると、口から赤黒い血反吐を撒き散らし、香港映画の拳士の如く宙を飛んだ。ずっと先を走っていた、件のメイド二人を巻き込み、三人、団子になって転がると、何人かの無関係なオタクを道連れにして止まる。

全員ぴくりとも動かず、周りで見ていた連中も固まっていた。膝を突いてそれを見ていた美香も、予想していなかった展開に、フリーズしていた。

「ば、化け物がっ」

我に帰った支配人が、仲間からゴルフクラブを奪い取り、美香に叩き付けようとした。

美香は、一瞬で、ある決意を固めた。自分自身と、彼を護るために。

美香が唇を噛み、眦を決した、そのとき。

誰かが横合いから、ゴルフクラブを握る、男の手をとらえた。

始まりは、地味で、静かだった。

支配人は気づく間もなく、バランスを崩し、ふわりと地面に転がされていた。まるで心地よい芝生に自ら寝そべるかのように。

瞬間、地響きが大気を貫いた、重機の如き、靴の底を顔の真ん中に喰らい、哀れな男の後頭部が、激しい勢いで地面に叩き付けられた。悲鳴を上げるまもなく痙攣を始めた男の後頭部から、赤黒い血が破裂したようにぶわっと広がる。あまりの事に美香は何が起こっているのか分からずにいた。

男の顔を踏みつけたまま、辺りを睥睨するのは、先ほど、蒼瀬と一緒に店へと入ってきた、眼鏡の少女だ。飾り気のない眼鏡越しにでも、彼女の整った容貌が伺えた。凛とした気迫に、野暮ったい服装が浮いて見える。

少女が、超然とした口調で、微かに唇を動かす。

美香には、それが『ロックンロール』と聞こえた様な気がした。

我に返り、罵声をあげて襲いかかろうとする男達の懐に、少女は半瞬早く、影のように滑り込んだ。少女は男達の間隙を縫い、高く、低く、すり抜ける。

数秒後、ならず者達は、全て、恐怖と痛みに地面をのたうち回っていた。

ある者は顎を砕かれ、またある者は、肘や膝を逆に挫かれ、狂った悲鳴を上げ続ける。その光景には、魔との戦いで、凄惨な修羅場を見てきた美香でさえ、身の毛のよだつものがあった。

しかし、それ以上に残酷だったのは、支配人にしたように、少女が男達の頭を踏み付けてまわった事だ。中国拳法で言う震脚を、頭蓋に叩き込まれた男達は、生命の危ぶまれる様子で痙攣すらしていない。パン職人が、焼け具合を確かめるかのような、無機質な目で、男達の無力化を確認する少女に、美香は総毛だった。

作業を終えると、少女は眼鏡のブリッジを、長く細い指で押し上げ、美香にちらりと視線を投げた。眼鏡越しに見える琥珀色の瞳には、何の感情も浮かんでいない。次の瞬間、少女の姿がかき消えた。突風が、言葉を失っていたギャラリーの前を駆け抜け、彼らが構えていた携帯が、全て真っ二つに寸断されていた。ある者は縦に、ある者は、横に。

群衆が、悲鳴を上げて総崩れになったとき、既に彼女の姿はなかった。

「美香!」

その声に振り向くと、美香達が出てきた通路から、びしょ濡れの小夜と雪が現れたところだった。

小夜は既に変化を解いている。雪同様に無傷だが、かなり返り血を浴びていた。

雪は、血溜まりに沈む男達へ汚い物でも見るような視線を注ぎ、次いで、通行人が蜘蛛の子を散らすように逃げ去った方向を睨んだ。

「なにもんや、あのメガネっ娘。器用に八割殺しで済ませとるえ」

美香が蒼瀬を抱き起こしているの所を見た小夜は、息を軽く弾ませたまま言った。

「ズラかるぞ、雪」

「はいな」

雪が、ずっと持っていた手提げ金庫に両手を掛けた。水滴の伝う、その名の通り、初雪の様な白い指、甲、腕に数秒、鋼線を思わせる筋が浮く。指をかけた合わせ目がへこみ、音を立てて、金庫の口がこじ開けられた。歯と鼻をへし折られ、細かく痙攣している支配人の体に、容赦なく硬貨が降り注ぎ、美香が想像していたよりずっと大量の紙幣が舞った。

呆然と、見守る美香の前で、雪が濡れた髪を掻き上げ、犬歯をむき出した。

「見舞金や、受け取りなはれ。うちらのかわいい妹にかすり傷でも付けとったら、冥土の渡し賃になってたとこどすえ」

五〇万円以上はする紙吹雪と、小銭の土砂に打たれた男の横に、ひしゃげた金庫がやかましい音を立ててうち捨てられた。


その頃、美香達の前から逃走した少女は、地下のライブハウスに戻って来ていた。

雪のファイアブレスで焦がされた、ポスターやアンプの側板等が白い煙をあげ、無数にわだかまる赤黒い血だまりが、天井から注がれるシャワーで床に滲んでいる。山賊に蹂躙された後の民家を彷彿とさせる様相だが、魔の死体も、人の気配も一切なかった。止まないスプリンクラーの雨に打たれ、彼女は彫像のように立ち尽くす。その時、どこかで、何かが振動する音が聞こえた。彼女は濡れて、変色している帆布製のショルダーバッグから携帯を取り出し、耳に当てた。ジジッ、バチバチと危険な音を立てるライトの下、感情の消えた声で話し始める。

「五行天狗、及び、対象に接触…… RVランデブーポイントにて、二十一対のMによるアンブッシュ。本部の推測通り、罠。Mのレベルは最下位、犬型。コード002,003により壊滅。死体の残存なし、全頭、純粋なMと思われる。002,003とも戦闘能力は予想以下。その他、対象保護の為、民間人、五名無力化」

アナウンサーが原稿を読み上げるような口調が、一瞬止まった。そして。

「獲物は、ノージョイ。ただし、気配を絶たれているとしたら、誰にも発見できない…… 傍にいても」ほんのわずかに感情の揺れを見せた言葉は、すぐに機械の様なそれに戻った。

「五行天狗衆及び、対象は、逃走。これより離脱する。以上」

携帯を切り、バッグにしまった少女はもう、照明すら落ちてしまった室内を見回した。非常口を示す、緑地に白抜きのピクトグラムが、嵐の灯台のように、ぼんやり光っている。彼女は水滴が伝う眼鏡を外した。肌理の細かい白面の上半分を、濡れた前髪が覆い隠している。

「師範…… どうして? 何故、ケルベロスなんかに」

苦しそうな呟きを残し、彼女は踵を返した。

彼女の足音が途絶えて、数分後。受付のカウンターでライターの火が点った。

「まったく、てめえとの契約がなけりゃ、ここで全部終わりに出来たのによ…… 様子見とは用心深いこったな、おい?」

安物のライターが赤く照らすのは、先ほど美香達にジュースを渡した、チケット係の顔だった。火は咥えられたタバコに移り、高熱の蛍が闇に浮く。

飽きもせず鳴り響く火災ベルの中で、男は誰かと話し続ける。

「わかってる、あの三人はお前の獲物だ。好きにすりゃいいさ…… けどな」

男は、天井に向けて、ふっと煙を吐いた。

「残り二人は、俺が先約だぜ?」


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