6:ホームルーム
翌日、朝のホームルームの時間。
エレンはクラスの教室の教卓に立っていた。
人数はひと学年約60人前後でそれを2つのクラスに分けている。学園は3学年制の為、全体で180人ほどだ。
エレンは2-1に在籍している。
クラスの机には4つ空席があった。一つは教卓にいるエレン。残り3つはエレン以外の事件の関係者、マリア、ギルベルト、アシュレイのものだ。残り一人の被害者であるヴィクトルはクラスは異なっていた。
エレンはクラスの面々の顔を見渡す。
(…懐疑。侮蔑。不安。そして僅かな期待、か)
生徒たちが胸に抱く思いをその表情から読み取りながら、エレンは口は開く。
「エレン・ブレイバードだ。昨日、全校集会で皆にも知らされたように俺たちはこの1年半の間、『魅了の魔法』の影響下にあった。なにせ、ずっと寝ていたようなものだ。迷惑をかけることもあるだろうがよろしく頼む」
一旦区切り、
「……さてこの1年半、俺たちによって、言葉には尽くしがたい理不尽を味わった者や矜持や尊厳を傷つけられた者がいる筈だ。また、直接の被害はなくとも本来生徒の規範となるべき王家の血をひく者が、余りに思慮に欠ける行動をとったことで、間接的に被害を被った者もいるだろうな」
エレンのよく通る声が彼らの鼓膜を揺らす度、生徒たちは彼の言葉に引き込まれていく。彼らは自然と背筋を伸ばし、居住まいを正していた。
「本当に申し訳なく思う。王族として恥じ入るばかりだ」
エレンは頭を下げた。
えっ、と声をだす生徒もいた。王家の者が頭を下げるなど、滅多にあることではない。
生徒たちは理解する。
真摯な瞳。
話す言葉の内容。
その態度。
どれもが数日前のエレン・ブレイバードとは異なると。
「この教室の中、いやこの学園の中には『魅了の魔法』の存在について懐疑的な者もいるだろう。俺はそれを咎めない。当然だと思う。俺がお前たちの立場であっても、素直に信じることなど出来ないだろう。だから、俺は厚顔だとは思うがお前たちに一つ頼みごとがある」
ここで僅かの間。
「……どうか俺を見ていてくれ。これから俺は、ブレイバードの血筋と民に恥じぬ振る舞いをしよう。かつての厚顔無恥な姿こそが俺の本質なのか、その評価はお前たち自身が下してくれ。だが、あえて先祖達に誓おう。俺はお前たちの期待に応えて見せると。以上だ」
拍手があった。
勿論、拍手をしていない者もいた。それでも、25人のクラスの大半が拍手でエレンを迎えてくれた。周囲に釣られた者も多くいるだろうが、その結果にエレンは満足した。
――――1度の演説で人は同時に何人まで己の虜にできるだろうか。
エレンは、今の自分ならば最大で30名だろうな、と判断した。
これがもっと信用がある人間ならば話は別だろう。
実際、エレンは入学式に全校生徒の前で主席として答辞を述べたが、全員を虜にしたとは言えないものの、かなりの生徒の尊敬を己に集めることにはできたはずだ。
しかし、今やエレンの評価は地の底に落ちている。
演説と言うのは、内容や声色、身振り手振りも重要だが、結局それ以上に、人々は『誰が演説しているか』という項目を一番気にしている。
国の興亡を決定する重要な戦の直前、自国の王が兵士たちを鼓舞すれば、兵たちは心の底から歓喜するだろう。しかし、その変にいる中年の男を持ってきても、場はしらけるだけだ。
ともかく。
朝のホームルームはこうして終わった。
全校生徒の自身への評価を一気に変えることは難しいだろう。だからまずは己の周りに影響を与えていく。
演説の内容は、昨日のベアトリーチェとの会話を一部使わせてもらった。手ごたえは十分。
前途はやはり多難であるが、光明が全くない訳ではないらしい。
(それにしても)
と、エレンは机に座って誰にも分からないように、ため息をついた。胃液が僅かに喉にせり上がってきた。ひどく不快だったが周囲に微塵も悟らせず、胃液を飲み込む。
(よくもまあ、あんなに堂々と嘘がつけるものだな、俺は)
◆
午前の授業はブレイバード王国史と法律学だった。
王国史の方は何とかなった。エレンは入学前に家庭教師の授業や自学によって、学園で習う範囲のかなりの部分を予習していた。王国史の授業はその入学前に学んだ範囲内だったのだ。
しかし法律学の方は既にその範囲の外まで授業範囲が広がっているようだった。
(……放課後図書館で自習するか)
エレンは内心でそう決めた。
困ったのが、グループごとにディスカッションしてある事例を解決するにはどの法律を用いればいいか、という課題を授業中に出された時だった。
正直、エレンは気まずかった。顔には出さなかったが。
グループの他のメンバーもどうやら同じ気持ちらしい。向こうは、思い切り顔に出ていたが。
そもそもエレンは授業内容にロクについていけなかった為、ディスカッションの戦力になりそうにもない。
エレンがずっと黙っていると、横の生徒が、
「殿下……この法律を用いるんですよ……」
とテキストを指し示して教えてくれた。
「恩に着る」
ぎこちないながらも生徒は頬を染めてはにかんだ。お陰で何とかディスカッションには参加することができた。
こうして何とかエレンは午前中の授業をこなしていった。
エレンの『嘘』が何なのかは少し後に分かります。