5:元婚約者の親友
「だ、大丈夫なんですの!? お怪我はありませんの!?」
茂みに頭から突っ込んだエレンに対し、ベアトリーチェと名乗った少女は心配げに声をかける。
エレンは茂みから抜けるが、当然制服には葉っぱがついていたし、枝葉によって顔には小さな傷ができていた。
「当たり前だがケガはした。かすり傷だが。お前、自分で攻撃しておいて何を言っている?」
「だ、だって、まさか避けないなんて……いつもは」
あたふたとベアトリーチェは手を振る。
―――おかしい、こんなはずでは、いつもと違う。
そんな思考が少女の頭の中を駆け巡り、そこではたと気づいた。
「あら? そういえば取り巻きの腰ぎんちゃく方と、憎きあの女はどこですの? お一人なんて珍しいですわね」
エレンは理解した。
「……ああ、お前はまだ知らないんだな」
「な、何のことですの? というか貴方、少し目つきが優しくなりました?」
◆
「―――――つまり貴方、というかあなた方はあの女に魔法で操られていたと。これまでの散々な振る舞いもティアとの婚約破棄も、すべては魔法のせいだったと? そう申すのですわね?」
「そういうことになる」
顎に手を当て、ベアトリーチは眉を顰める。胡散臭げにエレンを見る。
「信じられませんわね」
「だろうな。俺がお前の立場でもそうするだろう」
ベアトリーチェは目を丸くして、
「あら意外、王族の俺の言葉が信じられないのか、とは言いませんの?」
「少なくとも俺は『魅了の魔法』なんて存在は知らなかった。俺たちの身に起こったことは嘘偽りのない真実だが、それが一般的な常識の外にあることも理解している。そしてそんな突拍子もない真実を他者に信じさせるには、当人に何よりも信用と信頼が必要だ。そして俺にはそれがないのだろう?」
ベアトリーチェは瞳に更に胡散臭げな色を濃くして言う。
「……貴方、実はエレン・ブレイバード王子の双子の弟ですの?」
「………違う。俺には兄しかいない」
「では影武者とか?」
「少なくとも俺はそんな存在を把握していないな」
「そうですの……」
「ところで俺からも一つ質問していいか?」
「よろしくてよ」
「お前はティアの親友と言ったな。ならば彼女の行方を知らないか?」
「……わたくしが教えて欲しいくらいですわよ。貴方に婚約を破棄されて、ティアは実家から身包み一つで追い出されました。ええ、本当に冷血な家族ですわ。……それからの行方はわたくしも存じません。あぁ、わたくしを頼ってくれれば。わたくしは何でもしましたのに」
「お前に迷惑をかけたくなかったんだろう」
「知っておりましてよ! あの子がそう考えたことぐらい! それでも頼って欲しかったのです。……わたくしは迷惑だなんてこれっぽちも思わなかったのに……」
「ブラッダウスのルードヴィヒがティアの捜索隊を結成しているそうだ」
これは昼食前にルードヴィヒに知らされたことであった。
「……わたくしも自分にできる範囲でティアを探しましたわ。でも、見つからなかった」
「恐らく国の外にいるんだろう」
「そう、ですわね」
最悪の可能性。
ティア・スノーライトは死んだという可能性は、二人とも口には出さなかった。
一般的な常識で考えれば、伝手もなく財産も持たされず、外に放り出された箱入りの令嬢が一人で生きていける筈がない。しかし、エレンはティアがまだ何処か生きていると確信していた。
エレンは思い出したように口を開く。
「ああ、あともう一つ聞きたい」
「なんですの」
「お前は『魅了の魔法』のことを知らなかったが、どうしてだ? 全校集会で周知された筈なんだが。もし、お前のように魔法のことを知らない生徒が大勢いるのだとすれば改めて―――――」
「あ、な、た、のっ! せいですわっ! あなたが権力を盾にわたくしを退学処分に追い込んだのでしょう!?」
エレンの言葉に被せるようにしてベアトリーチが叫んだ。
「退学処分? 俺の、せいなのか? それは本当に申し訳ない。何とか撤回してもらうように校長に話を通して―――――」
「けっ、こ、う、で、す、わ! 学園理事会にお金を積んで何とか謹慎処分にしてもらいました! この数日間は、食事以外ずっと寮の自室で謹慎を命じられていますわ。お陰様で、昨夜の舞踏会にも行けませんでした!」
「そうか。……だが納得した。学園には食事に行っていたんだな」
「他の生徒になるべく会わないように、少し遅く食堂に向かいましたの」
ベアトリーチェは頷きながら言った。そしてハッとする。
「……わたくしはどうして貴方とこんなに話し込んでいますのっ!?」
「恐らく、お前が律義に答えてくれるからだと思うが」
「っっ!!」
ベアトリーチェは舌打ちして顔を赤くする。
ティアの友人らしい真っすぐでいい子なのだろうな、とエレンは思った。
後先考えずに、人に平手を放ちスカイアッパーを喰らわせ横蹴りで茂みへ吹っ飛ばす悪癖はあるものの、きっとそれはエレン以外には発揮されない悪癖であろう。少なくともエレンはそう思いたかった。
そんなことを考えていると、ベアトリーチェが背伸びして至近距離でエレンを見上げていた。
「近いな。ベアトリーチェ」
「……やはり目を見ても分かりませんわ。多少目じりが下がった気がするくらい」
ベアトリーチェは背伸びを止めて、エレンから離れる。小さく首を振りながら言った。
「正直に申しまして、貴方の言う『魅了の魔法』が事実かどうかは分かりません。ですが、貴方が今までのエレン・ブレイバード第2王子と何かが違うのも分かります。……貴方の言うことを信じてやりたい気持ちは確かにあるのです。そうでなければ、ティアが余りにも哀れですから」
ティアの信じた婚約者は決して裏切ってなどいなかった。それは、余りに甘くて都合の良い誘惑だった。
だからこそ。
ベアトリーチェはエレンを疑わなければならない。
ベアトリーチェは、真っすぐにエレンを見る。
エレンの翡翠色の瞳とベアトリーチェの真っ赤な瞳、2つの視線がぶつかり合う。
「わたくしは見定めることにしますわ。貴方の真実を。今の貴方こそが本当の貴方なのか。それでもあの傍若無人なあの姿こそが貴方の本性なのか」
ベアトリーチェの言葉を聞いて、エレンは笑った。
「望むところだ。ベアトリーチェ・ローズベリー。これからよろしく頼む」
エレンとベアトリーチェは握手を交わした。
王子とその婚約者の親友。本当ならば、ここにティアがいてほしかった。
2人の気持ちは同じだったが、それは口には出さなかった。