3:現状確認
湯から上がり部屋で何をするでもなく、ぼうっとする。心にぽっかりと穴が開いたようだった。ベッドに入って数日間眠ってしまいたい。
エレンは首を振った。
濃く入れた紅茶を飲んで意識を引き締める。
自分は王族だ。それに相応しい振る舞いをしなければならない。
やがてルードヴィヒが中に入ってきた。
彼の勧めでやや遅い朝食を食べる。食欲はあまりなかったが、無理にでも胃に詰め込む。その後、学園の校長が顔をして部屋を訪ねてきた。
髪も髭も真っ白な校長はエレンが気の毒になるくらい青い顔をしながら、ガバリと頭を下げてきた。五体投地でも始めそうな勢いだった。
「誠に申し訳ありませんでした! 殿下が『魅了の魔法』にかけられているというに、吾輩たちはそれにとんと気づかず、何もできませんでした。殿下や友人方の様子がおかしいとは思っていたのです……。ですがまさか魔法で心を操られていただなんて……」
「顔を上げてください。校長先生。仕方がありせん。『魅了の魔法』なんて、俺は昨日初めて存在を知りました。あなたもそうだったのでしょう?」
「は、はい……」
「ならば心を魔法で操られているなんて発想が出る筈もありません」
「ですが気づくべきだったのです。……ルードヴィヒ公爵によってマリアの企みが暴かれていなければ、これから先どうなっていたことか」
「ですが俺は救い出された。とりあえずは、それでいいではありませんか」
「あ、ありがとうございます。……殿下全ての責任は吾輩にあります。どうか罰するのならば吾輩一人を……」
「あなたをはじめ、教師たちを罰するつもりはありません。ルードヴィヒもそれでいいな? ああ、それと。俺にそのような畏まった言葉遣いはやめてください。ここでは俺は王族である前に、一人の生徒ですから」
その声を聞き、校長は顔を上げる。皺の刻まれた目じりに涙があった。
「で、殿下っ」
「校長先生」
「わ、分かった。エレン」
「何せこちらは1年半も寝ていたようなものです。色々とご迷惑をかけるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」
「ああ、ああ勿論だ。いつでも吾輩を頼ってくれたまえ。我輩にできることならば力を惜しまない!」
◆
顔色がかなり改善した校長がエレンの部屋から退出した後、傍らのルードヴィヒが言った。
「流石ですな」
「何がだ」
「これであの男は殿下に尽くそうとするでしょう」
エレンは肩を竦めた。そういう打算も確かにあった。しかし、それ以上にエレンはあの男が気に入っていた。
他の者は悪くない、罰するなら自分一人だけにして欲しい。そういうセリフを実際に言える者は少ない。
「……私が殿下の立場なら平静ではいられないでしょう。私や校長に怒りをぶつけていたかもしれません」
「表面上だけさ」
「ですが殿下にはきっと許されます」
ルードヴィヒはもしかしたら罰を欲しているのかもしれない、そうエレンは感じた。
彼は他の者から称えられるだろう。なにせ、ルードヴィヒはマリアの企みを阻みエレンを解放した英雄だ。
故にエレン以外に彼を叱責できる者はいない。
それをエレンは理解したが、実際に実行するかは別だった。
「やめておく。終わったことに対してぐだぐだ言っても仕方がない。……それよりもマリアの身柄はどうなっている? それと俺の他にもマリアの『魅了の魔法』にかけられた奴がいると言っていたな」
「マリアはグリモノア学園から移送され、現在王城地下牢に捕えております」
「殺すなよ。まだ」
「心得ております。事件の背景や前後関係。動機。それと、誰かに『魅了の魔法』の使い方を教えていないか。それらを聞き出せねばなりません。すでに尋問は始まっているでしょう」
「他に『魅了の魔法』を使える者がいないか。……それは特に厳しく聞き出せ。使いようによっては国を滅ぼす」
「はっ。肝に命じます。……『魅了の魔法』の被害者であるご学友方ですが、殿下と同様にそれぞれ魔法の影響から脱しております」
「後遺症などはないか?」
「記憶の欠損は程度の差はあれ全員に見られます。ただ殿下以外はショックのあまりで寝込んでいたり呆然としているようです」
「そうか。……とりあえずは安心した。心の傷はいつかは治る」
或いは風化する。傷は傷のまま残るが、その状態こそが自然体だと思えるようになる。じくじくと時折痛むが、やがて痛み自体に慣れてしまう。それはエレンが経験を通じて学んだことだった。
「被害者は誰だ?」
「ゴルダニク辺境伯家のギルベルト。シーリス公爵家のヴィクトル。それとホライト子爵家のアシュレイです」
「あいつらか……」
エレンの幼馴染と言っても良い者たちだった。グリノモア学園にエレンが入学した後、彼らは学友としてエレンの周囲に侍ることが、実家から求められたはずだ。エレンの周囲にいたから彼らは狙われたのか。或いは彼らも有力な貴族だからこそ、毒牙にかかったのか。
「はっ。どれも大物だな。ゴルダニクは北方を守る王国の盾。シーリス公爵家は建国以来、いや王国が帝国から独立する以前から代々王家に仕えてきた重鎮。ホライト子爵家は家格では劣るが2年前、いや4年前か。薬草からポーションを抽出することに成功して富を築いた家だ」
「……『魅了の魔法』は他の奴にどれくらい作用した? 俺はティアに婚約破棄を突き付けるくらいだから、相当馬鹿になっていたようだがな」
「ほぼ同様の状態です」
「最悪だな。婚約が成立してた奴もいるじゃないか……。北方の守りはどうなっている? ヴィクトルの婚約は北の蛮族に対しての防備を強化するためだったが……。あそこの婚約が上手くいかなければ王国にとっては手痛いぞ」
「北の情勢は安定しており、ますっ、しばらくは攻め込まれることもないかとっ」
ルードヴィヒは涙ぐみながら答えた。
「……なぜ泣く?」
「も、申し訳ありません。かつての殿下が帰ってきてくれたことに感極まってしまい。私は以前、魅了の支配下にある殿下と会話したことがあるものですから。……その際、私の知る殿下はいなくなってしまったものだとばかり」
「そんなにかつての俺はひどかったのか……」
エレンはため息を吐く。これ以上泣かれても困るので、エレンは話題を変えた。
「午後には学園に行く」
「そ、それは……あと1週間で冬期休暇に入ります。それが明けた後でもよろしいのでは……?」
「後回しにすると更に気が重くなる。まあ、ティアとの婚約を破棄しようとするほど魅了の支配下の俺は馬鹿だった。普段の行動もなんとなく察しはつくさ。だが、学園での評判がどうなっているのか、俺の目で確かめたい」
「……安心いたしました」
「何がだ」
「殿下ならばこの先大丈夫でしょう。きっと皆の信頼を取り戻すことができます」
「つまりは今の俺は信頼がないということだな」
「……はっ」
「はっきりと言う」
「申し訳ありません」
「いい。お前のそういうところは気に入っている」
苦笑しながらエレンは前髪を掴んだ。
まず学園に行く。父である国王にも近いうちに謁見に行くべきだろう。マリアとの面会もしなければならない。他の被害者たちの様子の見舞いにも行った方は良い。同じような境遇の者ときっと話したい筈だ。学園の勉学も1年半遅れている。
やるべきことは限りなかった。
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