社畜の目覚め
社蓄は上司に逆らわない。
辻沢は仕事の話をすると徐々に顔を曇らせていった。
「お前、何でそんな会社で働いてんの」
「金のためだろもちろん」
当たり前だ。
働くのは金のためでそれ以外なんか無い。
「あ、でも客を捕まえた時課長が俺に言ったんだよ。どうや新規出てうれしいやろ。やりがいあるやろって。そんな訳ねえよ。やりがいなんかねえ。そんなもんいらんわ」
何がやりがいだ。
そんな物は無い。
その客が金を失って俺を恨む事なるのが分かっていて嬉しいわけあるか。
「なら給料良いのか」
「基本は税金とか抜いて二十万程度でそこに営業成績が加算される。でかい客をとった月は八十万超えたな」
「そんなにか。けど毎月ってわけでもないんやろ」
「そりゃそうだ。出ない月は本当に基本給だ」
営業とは新規の顧客を見つける事。
取引を勧めて相手に金を出させて始めて成績になる。
「お前そんな仕事好きなんか」
「そんな訳あるか。大っ嫌いだよ」
自分が頑張って客を捕まえたらその人は不幸になり自分の手元にはその人が失った金の数%が入る。
仕事に慣れるまでは客が勝つか負けるかなんか運と客のやり方次第と思っていたが、事実に気付いてからはそんな仕事が好きな訳が無い。
「なら上司とかが良い人なんか」
「そんな訳あるか!!」
「お、おう」
「昨日だってなあ! 俺は帰って休みたいのにクソ主任に無理やりキャバクラみたいな場所に連れて行かれて! てめえは女に囲まれて酒飲んで楽しそうにしてよお! 俺は酒は好きじゃねえのによお! 一時間くらいそんなもんに付き合わされてよお! 四万も払わされたよ! クソが! 無理やり連れて行ったのに俺に払わせんのかよ! お前普段偉そうにしてる上司だろうが! 営業報酬出ただろうとか部下にたかってんじゃねえ!」
「落ち着けよ。でも何でそんな事に文句言わんの」
座っていた椅子を蹴倒して立ち上がり出した声は思いの外大きかったらしく、店内の視線が俺に集まっていたので小さく周りに会釈してそっと腰を下ろした。
思い出すだけでも腹が立つ。
飲みに連れて行ったくせに部下に金を払わせるとかありえない。
上司とかどいつもクソだ。
しかし上司である以上は従わなければならない。
「何でって上司だし。飲みとか行くとか結局は仕事だしな。そう言えば以前に営業で岡山に言った帰りに課長から電話かかって来た事があったんだ」
それはのんびりと電車で会社に戻っている最中だった。
「お前今どこに居るんだ」
「岡山から帰る電車です」
「お前今日は飲みに良くって言うたやろ! お前飲みに行くのが嫌やから逃げたんやろ!」
俺はもうこいつに逆らって何を言っても無駄だと悟っていた。
だから話しなんか右から左へと流すし逆らわない。
だが流石に客先に出向いた帰りにそんな事を言われたら違うと言わざるを得ない。
「ですから客先から帰るところですよ。昼に行きますって言いましたよ」
すると電話の向こうでの話が聞こえてきた。
「おい馬場野さん雄矢が岡山行くって聞いてたか」
「いえ知りません」
「馬場野さん聞いてない言うてるぞ! お前嘘つくな! 早よ来い!」
もちろん俺は言ったがこの裏切りである。
そしてようやく戻って来れたので連中が飲んでる店に行ったら課長が絡んできた。
「お前嘘つきやがってふざけんなよ! 飲みに行くのが嫌だからやってんやろ!」
課長は俺のネクタイをつかんで凄んで来た。
「いや、ですから客の所にですね」
「お前ええ加減にせえよ! 言え! 行きたくなかったんやろ!」
「いや、ですからね」
「ホントの事言え!」
この瞬間、生まれて初めて本当に心の底から俺は諦めた。
本当にこいつには何を言っても通じない。
自分が絶対に正しいとしか思っていないと。
「分かりました。すいません。もう二度としません」
だからそう言うしかなかった。
「ほら見ろ! 認めたやんけ!」
それはもううれしそうに言いやがった。
死ねよクソが。
そう言わないと何時まで経っても終わらないから言ったんだろうが。
もう心の底からそう思った。
「最悪やんけそいつ。仕事もそうやし。お前辞めるべきやで」
「辞める? 仕事を?」
「当たり前やろ。給料安いし仕事内容きついしアホみたいなサービス残業。とどめに上司最悪とか数え役満やぞ。他に良い仕事いくらでもあるぞ。少なくとも今よりは絶対に良い」
仕事を辞める。
一緒に入った同期や後輩が次々と辞めていった。
そんな中唯一人続けていた俺が仕事を辞める。
「でも、仕事なんかどれでも楽しいものじゃないしさ」
仕事なんてものは楽しいものではない。
誰かが言った。
趣味を仕事にしてはいけない。
何故ならそれが嫌いになるからだ、と。
だが辻沢は俺をあきれた様に見ていた。
「そうじゃないだろ。割に合わないって言ってんだよ。時給換算して見ろよ。二百円くらいじゃねえのか。何よりそんな上司の下で働くなんてありえねえよ。辞めるべきや。お前のいる職場はおかしい」
「おかしい?」
「目覚ませよ。お前が頑張る時はそれに見合う何かがある時やったやろ。金よりも自分の時間やし何よりそんな連中との付き合いなんか絶対に嫌やろ。続ける理由なんか無いやろ。思い出せ。お前どうかしてるぞ」
俺は、以前はどうだっただろうか。
どんな奴だっただろうか。
「でも辞めた後どうするんだよ。次の仕事は」
仕事が無ければ生活出来ないじゃないか。
「そうじゃねえよ。そんなもん辞めてから探せばええやん。そんなクソみたいな仕事しながら次なんかいつどうやって探すつもりや」
「辞めてから?」
「そうや。それに仕事に行くのは俺も嫌やけど違うやろ。お前本当に金のために働いてのんか? 違うやろ?」
「俺は・・・」
金のために働いているはずだった。
それがいつからか仕事のために仕事をするようになっていた。
「お前大学の時バイトして言うてたやんけ。仕事なんか結局は自分の時間を売ってるようなもんやって。お前がそこまで自分を殺してやる価値があんのかよ」
「無いな」
絶対に無い。
あの仕事に、あの職場のあの連中は俺にとって何の価値も無いどころかマイナスだ。
そうだ。
俺は自分が納得するなら誰が何と言おうがどんな馬鹿な事でも全力でするが、めんどくいと感じたら必要最低限しかやらなかった。
どうしてここまで言われるまで思い出さなかったのか。
「そうか、そうだったな。どうかしてたな」
目が覚めた気分だった。
ずっと頭にかかっていた霧が晴れたような感覚。
俺は温くなっていたビールを一気に飲み干した。
「宗教みたいに洗脳されてたぞ。仕事をしなければならない。やらんとあかんて。お前ともあろう男が」
会社の連中と関わっても良い事なんか何一つ無いと断言出来る。
俺は一体何のためにこんな仕事をしていたんだろう。
何のために人を騙す様な事をしていたんだろう。
こうして面と向かって問われて初めて当たり前のことを思い出した。
勝尾に就職してから四年。
俺は何も知らない人に投資と言って話を持ちかけ金を巻き上げてきた。
金の無い人に消費者金融数社に行かせて金を作らせてまでやらせた事もあった。
まだその時は成績が出て報奨金が出ると喜んでいた。
当然その人は結局借金だけが残った。
改めて思う。
最低だと。
だがそれでも辞めようとは思わなかった。
「何て言うか、辞めるって言う選択肢が頭に浮かばなかった。仕事に行きたくない、会社が火事にでもなって潰れればいいのにとかは毎日のように本気で思ってたのにな」
地震でも起きないか。
飛行機でも墜落してこないか。
火事にでもならないか。
そんな事を毎日思いながらも仕事に行きたくないが行かなくてはならないと。
店員を呼んでビールを頼んだ。
基本的に酒は最初に付き合いで一杯飲んだら後は烏龍茶なのだが今は無性に飲みたくなった。
「そうだよな・・・辞めれば良かったんだよ。どうしてそんな簡単な事を」
本当に簡単な事だったんだ。
俺は運ばれてきたジョッキのビールを一息に飲み干した。
「おお辞めろ辞めろ! そんなクソ共と関わるのなんか!」
「ああ! 最大のダメージ与えて辞めてやるよ!」
何が上司だ。
上司なら何しても良いと思ってやがるクソ共に鉄槌を。




