元社畜元聖女候補に出会う
迷宮と言われてどんな物を想像するだろうか。
俺の場合は魔よけを取り戻すために戦う世界一有名は3DダンジョンRPG。
他にも色々あるが大抵に共通している事がある。
それは地下にも関わらず明るい事だ。
松明などがあるわけでも無いのに、薄暗くはあるが見えなくて困る事は無い。
光源は分からない。
もちろん地上のようにはいかないが明かりを用意しなくても特別問題が無いくらいには明るい。
魔法とかの不思議な物だと思うが、この世界では当たり前の事らしいので誰も不思議に思わない。
さて、初めて本格的な冒険にドキドキしながら足を踏み入れて歩いているのだがモンスターと遭遇しない。
それもそのはずで1階や2階では元々魔物の数が少なく、しかもかなりの数の同業者がいて出たらその瞬間に狩られてしまう。
だからとにかく先に進むしかない。
たまに腕時計で時間を確認しながら歩く事三時間。
適当に腰を下ろして背負っていた荷物から買っていたパンと皮の水袋を取り出して一休み。
この程度では疲れなんて感じないが自分では分かりにくい事もあるので定期的に休むようにヒロ君に釘を刺されている。
信頼の出来る先輩の忠告は聞いておいて損は無いので従っておこう。
人によれば3時間続けで歩くのはつらいらしいが歩くことに離れている。
あの会社で働いていた時、営業活動をしていたわけだがそれは二種類存在していた。
一つはテレアポ。
電話で商品を勧める方法でこれが基本である。
それは電話帳だったり、真っ当ではない特殊な名簿を買ってそれを片っ端から電話していくのだ。
電話される方はさぞかし迷惑だっただろう。
利点はとにかく数を稼げること。
数撃ては当たる事もあるのだ。
もう一つが飛び込み営業。
あらゆる店舗に入ってそこの責任者にいきなり商品を勧める方法。
利点は直接会うので相手が断りにくい事と資料を使って話せる事だ。
しかしこれが本当にきつい。
電話よりも断りにくいと言ってもこちらの話などまず聞いてくれないし、それでも成果を求めるならやはり数をこなさなければならない。
だから歩なければならない。
夏場のクソ暑い時期でも冬のクソ寒い時期でも歩く。
信じられない事に1ヵ月程で靴底が磨り減って穴が開く程歩いた。
飛び込み強化月間とかふざけた名目でやらされて、名刺を30枚集めなければ帰ってくるなと言われてやらされた。
そんな飛び込み営業をしていた当時新人の俺には一緒に営業一課に配属された徳永と言う同期入社の男がいた。
こいつはイケメンだが最悪のクチャラーでしかも箸をグーで握って使うという信じられない奴だった。
クチャラーとは物を食べる時クチャクチャを音を立てる奴で近くでこれをやられると本当に不快なのだがこいつは中でも最悪だった。
親は何も言わなかったのか、あるいは親もそうなのか、その事を指摘しても何が悪いのかとか逆切れされたので諦めた。
そんな徳永だが飛び込み営業の最中に連絡が着かなくなった。
何度連絡しても呼び出し音が鳴るだけで出ない。
「何で俺の時ばっかりこんな事起こるんだよ」
引率で来ていた先輩の高知さんがそんな事を呟きながら会社に電話していた。
あるよねそういうの。
運とかタイミングとか、他の奴はそんな事起こらないのに自分の時だけ見計らったかのように問題が発生するとか。
「雄矢。課長が代われって」
「え。俺ですか」
その頃の俺はまだ課長がどんな人間か分かっていなかった。
携帯を渡されたので何事かと思ったものだ。
「はい、雄矢です」
「お前もグルか」
一言めがこれである。
何言ってんだこいつ。
思えばこの時からおかしいと思い始めていたんだろう。
結局日が暮れ始めた頃に徳永は電話に出た。
「何とか話をしようと頑張っていたら帰れって水を掛けられて・・・海を見てました」
心が折れた音がした。
きっとこいつはもう駄目だと感じた。
会社に着くや否や会議室に連れて行かれ、そこから響く課長の怒鳴り声。
「甘えんな!」
「もう・・・無理です」
「何が無理なんや! 言え!」
「無理なんです」
「何が無理じゃ! 甘えんな! そんな程度で仕事が出来るか! お前なんかどんな仕事やっても続かんわ!」
等々、詳しく話を聞く事をせずにただ責めていた。
徳永は次の日から仕事に来なくなった。
後で聞いたら全ての手続きを郵送で行い地元へと帰ったらしい。
だが今に思えばそれが正解だったんだよな。
仕事を続けて何か得る物があったかと問われれば、馬鹿の対処方法とか屁理屈が旨くなったとかメンタ
ルが鋼のようになったとかそんなものだ。
あの会社にいた事は俺の人生において最も無駄な時間だったと断言出来る。
思い出すだけで気分が滅入る。
気持ちを奮い立たせて立ち上がり鞄を背負って剣を握りしめた。
俺は今ファンタジーの世界に生きているんだ。
だから今を頑張ろう。
目指すは地下二階である。
歩いて歩いて、一切戦うことも無く歩いて夕方を過ぎて夜になり時計の針が八時を過ぎたので休憩のため腰を下ろした。
相変わらず辺りは薄暗いが外はもう真っ暗だろう。
水を飲みながら地図を広げて下への階段と現在地を確認してみると、このままなら日付が変わる頃には二階へ行けそうだ。
迷宮は下に行けば行くほど広くなる。
一階で地図があるからこそ一日で二階に降りれるが五階六階となればそうはいくまい。
迷宮内で使える一度きりの転送アイテムがギルドで売っている。
これは言って見ればセーブポイントを作るもので、使うとその場所を記録すると同時に一階の入口付近にある転移陣と呼ばれるワープポイントに転移する。
それを持って転移陣に入るとアイテムは壊れるが使った場所へとワープするという非常に便利な物だがこれが高くてとても手が出せない。
だから駆け出しの探索者は迷宮内で眠る必要があるわけだが、普通はパーティーを組んでいるため休む時は交代で見張りを立てて眠る。
だが俺は一人。
そのうち何か考えなければならないだろう。
ヒロ君も相方がいると言っていたし。
二十分程休んでまた歩き出した。
予想通りと言うべきか、悲しいというべきか、結局魔物と遭遇せずに地下二階への階段へと到着した。
魔物と戦って倒せば数字としては分からないがレベルが上がって強くなれるらしい。
だから基本として最初は弱い相手と何度も戦ってこつこつレベルを上げたいのだが仕方が無い。
一階から二階への階段の中間辺りに転移陣があるらしいのでとにかくそこまで行って今日はもう帰ろう。
基本探索者は迷宮入口の直ぐそばにある大きな転移陣を利用する。
そこからなら一度行った転移陣に行き来できるものだ。
つまり今日目的の転移陣まで行けば地上に直ぐ戻れて、明日はそこからスタート出来る。
まるでゲームだがありがたい事には違いない。
ところがだ。
階段を下っていると下から何か聞こえた気がした。
嫌な予感がして足を止めて耳を済ませてみる。
「や、やめ!」
「あ、あああああ!」
奥の方から野太い悲鳴が聞こえた。
明らかに何かに襲われている。
ゲームなら迷わずそっちへ向かうが現実ではそうもいかない。
前にも言ったが俺は常々日本人は、危険に対する意識が低いと思っている。
例えば銃声っぽい音が聞こえたらそっちへ向かうアホが多い。
そして場合によっては事件に巻き込まれるがそうなったら被害者面する。
俺はそんな馬鹿な事はしない主義なのでこの場合する事は一つ。
つまり巻き込まれないためにその場から速やかに離れる事だ。
踵を返して急いで階段を勢い良く駆け上がった。
しかしそうはさせまいと言う何かの意思か後ろから足音が迫って来る。
面倒な事に少なくとも俺より足が速いらしい。
生憎と隠れる場所が無いので仕方なく振り向いて剣を構えた。
誰かを襲った相手と見るべきか。
奥から走ってきたのは簡単な鎧を着けた二十才前後の男で必死の形相で何かから逃げているようだ。
そいつは俺に気付いた。
「たっ助け」
そう言った瞬間、ぐりゃりと嫌な音を立てて男の体が横方向にくの字に曲がって壁へと吹き飛んだ。
人が真横に吹き飛ぶとは、大型のトラックにでも跳ねられでもしない限りまず無いが、そこはファンタジーと言うべきか。
あれは死んだな、
目の前で人が死んだのに我ながら驚くほど冷静だった。
問題はそんな事がしたのが何かと言うことだ。
階段は魔物に対する安全圏らしいのでつまりこれをなしたのは人だ。
「貴方は、この人達の仲間、ではないようですね」
年の頃は十五かそこら。
薄暗い中でも見える綺麗な銀髪は長く、腰の辺りで纏められいて青い瞳が俺をじっと見つめていた。
十人いれば十人がかわいいと言うだろう。
ただし教会のシスターが着ているような白い服には所々多分血の赤黒いシミが着いていて、手には鉄パイプの先に金属製のメロンくらいの大きな玉がついている武器を持っていた。
玉には細かいこの世界の文字が刻まれていて血が滴っているからアレでぶん殴ったんだろうが、へこみられないから相当硬くて重いはずだ。
メイスと呼ばれる類の物とも何か違う気がする。
両手には金属製のガントレットをはめていてそれがうっすらと光を放っていた。
鎧の類いは身に着けていないし見た感じ華奢なのにどこに人を吹き飛ばすような力があるのか。
状況からこの女の子がさっきの男達を叩き潰したのだろう。
「そうだね。俺は唯の通りすがりだ。叫び声が聞こえたから巻き込まれないように離れる事にしたんだよ」
まあ巻き込まれたわけだが。
「そうですか・・・。あっ言っておきますが、この人達はこの辺りで駆け出しで良さそうな装備をしている人を襲っていたらしいです。私は襲ってきたから返り討ちにしただけですよ」
その通りなら殺されても同情の余地は無いわけだが逆の可能性もある。
「こいつら何人いたのかな」
「五人ですね」
ヒロ君の話では俺はこの世界に来た次の日、つまり昨日迷宮で襲われて片腕を無くした。
その連中も五人だったはず。
俺が行かなかったらこの子が襲われたのか。
しかし返り討ちと。
「そうか。なら俺から言う事は何も無い。じゃあ俺はもう行くよ」
何にせよ余り関わって良い物ではない。
地上に戻ってギルドに報告しておけば問題ないだろう。
「お待ちください」
やはりそう旨くは行かないか。
「何だい」
その子は俺をジッと見ていた。
「私はリッシュ。リッシュ・ナインスタークです。貴方は」
何と答えるべきが一瞬悩むが、偽名を名乗るのは簡単だが後で面倒になる可能性がある。
「カイだ。カイ・オスヤ」
俺が答えるとリッシュと名乗った少女は何やら考えるそぶりを見えた後、パッと笑顔になった。
「貴方は使徒様ですね!」
「使徒?」
「はい。女神様からお力を授かって異世界から来られた方。日本から来られたんですね!」
何故分かった。
髪と目が黒いのは少し珍しいがそれだけで判断したのだろうか。
「いや、何の事か」
「いえ分かります。私は聖女候補でしたので」
聖女とな。
聖女といえば回復魔法とかの専門職だがこの世界にはゲームのような職業はない。
なら正統派ファンタジーの方で教会の正式な役職か。
しかし候補と言ったな。
「候補ってのは」
「えっと、ですね。女神様から特別なお力を授かり女神様の代行者として人々のためにそれを振るう者が聖女です。その聖女になるために修行を積んでいる者が候補です」
「過去形だったが」
そっとリッシュは目をそらした。
「異世界日本から聖女様が現れましたので。ですが私は筆頭候補でした。女神様とお話した事もあります。ですから分かります。貴方が女神様によってこの世界に来られた事も」
嘘だと言ってしまえればどれだけ楽か。
この子の言っている事が本当ならもう誤魔化しようがもないわけだが。
「この世界に来て間もなく、しかもお一人とお見受けします。私を貴方なの仲間に加えていただけませんか。貴方の不利益になる事はいたしません、そして貴方の力になるとカーナ様に誓います」
リッシュは片膝を着いて頭を下げた。
さて、どうしよう。
目の前で男達を殺した女の子が仲間にして欲しいを言われたら困る。
もしリッシュが俺を殺す気なら問答無用で襲ってきたはずだ。
しかし俺を見て連中の仲間かどうか確認した。
つまり現状で少なくとも敵ではない。
なら聖女候補うんぬんもあながち嘘ではないかもしれない。
何より確信を持って俺に使徒と言った気がする。
なら俺が否定しても同じか。
「君の言う通り俺はこの世界に来たばかりだ」
「それなら!」
リッシュが嬉しそうに顔を上げた。
「けど俺はしばらく一人でやっていくつもりなんだよ」
「使徒様の中にはお一人で戦いを続けたり、己の力を過信したりして亡くなった方もいます。貴方がどのようなお力を授かったのかは知りましせんが、探索者を続けるのならお一人では限界があります」
あっさりと正論で返された。
確かにその通りなんだろう。
「仕方ないからはっきり言おう。俺は出会ったばかりの君を信用できない。だから答えられない」
「では地上に戻ったらギルドに参りましょう。そこで目を使えばはっきりします」
これは駄目だな。
この子は何が何でも着いて来る気だ。
思わず大きなため息が出たが、ヒロ君は俺に仲間がいたと言っていた。
それがこの子かもしれないし。
「仕方ない。分かったよ。とにかくギルドで目を借りて確かめよう。話はそれからだ」
「はい、どうぞよろしくお願いしますカイ様」
「様はいらない」
「ではカイさん。少しお待ちいだけませんか。少々やる事がありまして」
「分かったよ」
「ではしばし失礼します」
リッシュは階段の方へ走って行った。
しばらく待っていると戻って来たと思いきや自分が殺した男のそばで何かごそごそとはじめた。
「大した物は無いか。安物の剣とお金が少しだけ。しけてますね」
小さく舌打ちして不穏な事を呟きながら金目の物を漁っていた。
「お待たせしました。転移陣はすぐそこです。さあ参りましょう」
「あっうん」
「えっとご存じないかと思いますが」
俺の何か言いたげな視線に気付いたのかリッシュは慌てて説明を始めた。
「迷宮で死んだ場合、魔物に食べられなければ三日もすれば死体は身に着けている物を含めて迷宮に飲み込まれます。例外はギルドで渡された探索者の証だけ。そのためギルドでも迷宮内で死体を見つけた場合は持ち物を回収しても問題ないとしています。あの連中がそうして来たように」
「そっか」
俺の言いたい事はそうでは無いんだがまあいいか。