7)国を敵に呉れた国王
リディアはガルハに「ユギタリア王国の情報が判るところはありますか」と尋ね、資料保存所と図書館を教えてもらった。
資料保存所というのはキルバニアで発刊された新聞や役場の出版物やキルバニアで手に入った各国の新聞などが管理されている。
図書館は言わずと知れた書籍類。
――キルバニアでは図書と資料類ときっぱり分かれてるんだね。
どちらも閲覧のみで貸し出しは行われていないみたいだな。
ガルハさん「身分証があれば閲覧できるよ」しか言ってなかったし。
でも私は利用できないことが行く前に判っちゃったな。
「身分証があれば」だからな。
奥の手があるからいいんだけど。
問題は奥の手が長時間はもたないことだな。
透明化の幻惑魔法はせいぜい30分くらいしか連続使用が出来ない。
――とりあえず30分で読めるだけ読んでみよう。
リディアはキルバニアでは目立つ黒髪をスカーフで覆い資料保存所へ行った。
ノートと鉛筆も買ってある。ノートの紙はわら半紙っぽいざらっとしたものだった。上質紙もあるらしいがリディアが買い物に行った小さい店にはなかった。鉛筆は芯の周りが木ではなく固い革のようなものでぎっちり巻いてある。小さい鉛筆削りも買った。
全て揃えて大銅貨5枚だった。
町長邸のそばに来るのは久しぶりだった。
リディアは町長邸を脱出してからは町の中央を避け遠い店まで買い物に出掛けていた。
石造りの資料保存所は3階建ての立派な建物だった。
ぐるりと石壁で囲われ門衛が立っている。
想像以上に厳重だった。貴重な資料が保存されているのだろう。
訪れるひともいかにも知識人風なひとや高官風のひとばかりだ。
――制限時間30分だから。最初は目指す資料がある棚を見つけるくらいしか出来ないかもな。
いざ参ろう!
身体を透明化。
丁度良く高官らしき人物が門衛に身分証を提示して資料保存所の入り口をゆったりと通っていく。リディアは足早に高官のすぐ後を追い中に入っていった。
◇◇
『ユギタリア王国はユヴィニを産出する世界で唯一の国だ。
ユヴィニは魔石の魔力を効率よくかつ最大限に生かせる魔法陣描画専用インクを作ることが出来る並外れて優れた素材である。
ユヴィニは古来よりリドンの3割増しの価格で売られていたがその優れた性質はリドンの倍以上だった』
『ユギタリア王国がシュールデル王国に征服された後ユヴィニが輸出された記録はない。
シュールデル王国のユギタリア侵略以降ユヴィニの流通量はゼロとなった』
『ヴェルデス暦2823年春季中期2日。
シュールデル王国はユギタリア王国に侵攻。
シュールデルは3万の軍勢で攻め入りユギタリア王国国境警備隊を殲滅。
11日後ユギタリア王国王都に攻め入る。
戦争はわずか21日で終結した。
ユギタリア王国が速やかに降伏したためだ。
戦争終結約3ヶ月後。
2823年夏季中期16日。
ユギタリア国王、処刑される。
国王処刑から約1年半後。
2825年冬季中期15日。
ユギタリア王国の3人の王子と3人の王女がセイレスに亡命しようと船を出すがユギタリア王国ベリングト港からシュールデル王国の軍が数百の砲弾を撃ち込み船は雲散霧消した』
リディアはたったこれだけの情報を得るために4回も資料保存所に潜入しなければならなかった。
透明化しながらの疲れる作業ゆえに途中休みを入れ1週間もかかった。
資料のある棚を係員に聞けなかったからだ。
苦労の末だいぶ棚の配置が判ってきた。透明化も慣れ40分くらいは余裕で透明人間で居られる。
だがこれだけではガルハ家で聞いた「国王がシュールデルに国をあげた」という意味がわからない。
さらに詳しい記事はキルバニアの軍事の専門家による記事に載っていた。
『ユギタリア国王はシュールデル王国を信頼していた。
シュールデル王国と同盟を結び、甘言に騙されシュールデルとの境にある国境警備隊の規模を縮小させ、なおかつ「合同軍事訓練」と称する両国陸軍による軍事訓練を頻繁に行った。
その際ユギタリア国王はシュールデルの軍人を軍事機密が管理されている基地に自由に出入りさせた。
シュールデル王国軍がわずか11日で王都まで侵攻できたのはそのためである。
侵攻21日後に国王はシュールデル王国に降伏し敗戦国として非常に厳しい条約を結んだが、その当時まだユギタリア王国の東半分は侵攻を免れユギタリア王国軍が優勢だった。
ところが国王があまりにも呆気なく国を明け渡したためにせっかく優勢だったユギタリア東部の軍が劣勢に転じ始めた。
あとせめて10日国王が籠城して粘れば少なくとももっと条約を有利にすることも出来ただろう。
ユギタリア王国軍の将軍たちは国王からの降伏命令に背き武装したまま軍をジギタスとの緩衝地帯まで撤退させた後、国を捨てて亡命した。
ユギタリアの軍と国王はそれ以前から長年対立していた。
将軍たちが亡命を決めたのは国王に対する絶望など心情的なものが大きかったと思われる。
将軍たちの中には「シュールデルよりもユギタリア国王の方が敵だった」と吐き捨てる者も多かった。
シュールデル王国を信用すべきでないとユギタリア国王に忠言する者も多く居た。
だが国王は忠言を聞かなかった。
シュールデルに抗しようとしていたユギタリアの中枢の者たちは国王があっさり降伏したのちセイレスやキルバニアなど周辺の国に亡命した。彼らはシュールデル王国に殺されるのが目に見えていたからだ。
以後ユギタリア王国の王宮に残ったのはシュールデル王国と内通していた者ばかりだった』
――ホントだ。
国王すんごいアホだ。
ジェイの言う通りだった。
リディアはユギタリア王族滅亡の流れを自分の生誕からの日付と照らして書き出した。自分で判りやすいように月の書き方を前世風にしてみた。
『2823年5月2日。シュールデル王国ユギタリア王国に侵攻。
2823年8月16日。ユギタリア国王処刑される。
2823年10月1日(推定)リディア生まれる。
2824年4月1日リディア生後6ヶ月で覚醒(その直前に母に会う)。
2825年2月15日ユギタリア王国の3人の王子と3人の王女セイレスに亡命しようとして殺される。
2825年3月1日リディアザイルズ邸から逃亡』
リディアは書き出した紙切れを手に「はぁ・・」とため息を吐いた。
――私・・ユギタリア王国の王家が滅ぼされるのと前後して生まれ育ったんだな。
母が妊娠を隠したのも無理ないか。
リディアは、
『ユギタリア王国がシュールデル王国に征服された後ユヴィニが輸出された記録はない。
シュールデル王国のユギタリア侵略以降ユヴィニの流通量はゼロとなった』
という記事も引っかかった。
――なぜ、ゼロ?
シュールデル王国はユヴィニを独占出来るようになったのに。
なぜ独占価格で高く売りつけてボロ儲けしようとしないんだろう。
シュールデルならやりそうなことなのに。
それに、いきなりゼロになるのも理解できない。
――在庫がなかったの?
そこでユヴィニの情報も調べた。
『ユヴィニは古来より魔法陣用インク素材として使われていた。
ルイレフ島で産するレットを触媒としシトロネラ油を溶剤に用いユヴィニを主原料とした魔法陣用の染料は特に精密な機能を持つ魔道具にこれほど適したものはない』
『ユヴィニは攻撃魔法を放つ魔道具の魔法陣によく用いられている』
『上質の魔石を長くもたせるためにはユヴィニをインクに使う必要がある』
『緻密な魔法陣を錬金術師が丹精込めて描いたとしてもユヴィニを入れないインクではすぐに魔石がだめになってしまう』
――おぉ・・ユヴィニべた褒めされてる。
「兵器」と「精密機械」と「貴重な素材を使った魔道具」にはユヴィニが欠かせなかったんだね。
そうか在庫があったとしても余所には流さないよね。
もう2度と手に入らないとしたらユヴィニは貴重だ。
だからユギタリア王国が侵略されるとすぐに流通がゼロになったんだ。
リディアは図書館の事典でもユヴィニを調べある一文を見つけた。
『ユヴィニは古来よりユギタリア王国の王族にしか採掘が出来ないと言われている』
――・・「古来より」言われていることなのねこの世界の常識ね・・だから資料には説明が無かったのか・・。
常識を知らないと、こういうとき時間が無駄になる。
でもシュールデルが王子王女を皆殺しにするまではユヴィニは採掘することが出来たんじゃないかな。
それとも王子王女はシュールデルに協力しなかったのかな。
だからセイレスに逃げようとしたときに殺されてしまったんだろうか。
ユギタリア王国の王族の秘密だからその辺は資料とかには載ってないのね。
王子王女が殺されるまでには1年半の時間があった。
いったいその1年半にはなにがあったんだろう。
でも王子王女が亡くなっても国王の兄弟姉妹も居るよね。
彼らも血筋的には王族じゃないかな。
ユギタリア王国の王族の情報は「世界王族名鑑」の備考欄に載っていた。
『ユギタリア王国の第122代国王は男色で子供がひとりしか生まれなかった』
――曾お祖父様・・。子孫は大迷惑です・・。
その他の王族の血筋も流行病などで途絶えていた。
リディアはヴェルデス王国のアドニス王子の情報も調べた。
ついでにアドニス王子と親しかったリヌスの情報も調べておいた。
リヌスの情報はキルバニア州代表家の記事に載っていた。
リヌスは今年18歳。
リヌスの兄と姉はふたつ年上で双子。それに4つ年下の弟も居る。
シューデンブロウ州の州立学園を卒業。
――リヌスもっと年上かと思った。しっかりしてるし背高いから。
私、幾つで死んだっけ。
細かいことみんな忘れちゃったからよく判らないな。
大学入ってけっこうすぐだよね。
せっかく入れたのに。
運命なんてそんなもんか。
リディアの父アドニス王子の情報は新聞の記事やヴェルデス王族名鑑などで見つけた。
アドニス王子は今年25歳――生きていれば。
『ヴェルデス王国第5王子アドニス殿下はヴェルデス王国のシューデンブロウ州の州立学園を卒業』
――リヌスと同じ学園なんだ。でもふたりの年齢は7歳も違うんだよね。
さらに見ていくとアドニス王子は在学中にカウストラスやセイレスジギタス王国に留学していた。
そのためシューデンブロウの学園を卒業したのは4年前となっている。
――学園で会っていた可能性あるよね。
リヌスはキルバニア州代表の子息だからヴェルデス州代表の子息のアドニス王子とお付き合いがあってもおかしくない。
『アドニス王子は学園卒業後ユギタリア王国へ遊学ひとつ年上のユギタリア王国第4王女ディアナ殿下と出会い結婚』
『ふたりは結婚後旅行でセイレスに渡った後シューデンブロウのヴェルデス王家所有の別荘で暮らす』
――またシューデンブロウなんだ。
それでシューデンブロウに留学中のリヌスと母は会ったのかな。
ふたりはキルバニアにも滞在していた。
3年半前に。
アドニス王子の情報は当時の王族関連記事が多く載っている新聞でも見つけた。
『ディアナ王女を知人の邸に残しアドニス王子はひとりでキルバニアに国境が接している小国ベルーシを訪れた』
ベルーシを調べてみると絶えず政権不安のある治安の悪い危険地帯となっている。
そんな危険な国になぜ王子が行ったのか。
ベルーシはリドンに少々似ている物質アデンという地下資源の産出国とある。
『アドニス王子はその後も頻繁にベルーシを訪れベルーシの魔法陣専用インクを買い漁っていた』
――父上アデンを調べに行ったのか。
ちゃんと王子らしいこともしてるんだな。
リディアは初めて父を見直した。
さらに読み進める。
『アドニス王子はベルーシの貴族令嬢リリアン嬢と関係を持ち子供が生まれる』
――見直して損した・・。
やっぱろくでなしだった。
『リリアン嬢はキルバニアとベルーシの国境沿いで生まれた子と暮らしときおりアドニス王子が訪れていたが子供は生後7ヶ月で魔獣に食い殺される。
アドニス王子が訪れた丁度その朝庭に食いちぎられた子供の首が落ちていた』
――・・え・・。
『不可解な事件で子守の娘も殺害されたがひとの手で絞め殺されていた』
『その頃ヴェルデス王家経由でアドニス王子はディアナ王女をシュールデル王国に引き渡すよう要請されていた』
――まさか・・脅しのために・・?
『アドニス王子がディアナ王女を渡さなかったためにヴェルデス王国とシュールデル王国との関係が悪化。
シュールデル王国へのリドンや紫銅などの輸出が滞り景気が落ち込む。そのため一部国民からアドニス王子は「国の裏切り者」と罵られる』
――なにそれ・・。
『その後アドニス王子とディアナ王女は行方不明となる』
リディアは記事の日付を確認。
『2823年夏季中期25日』
――夏季中期25日・・つまり8月25日。
ユギタリア王家滅亡の記録を見る。
『2823年5月2日。シュールデル王国ユギタリア王国に侵攻。
2823年8月16日。ユギタリア国王処刑される。
2823年10月1日(推定)リディア生まれる』
――私が生まれるひと月くらい前だ・・。
ユギタリア国王が処刑された少し後。
――母が妊娠を隠したのは最初のころは父の浮気相手の子が生まれたからかもしれない。でもその後戦争が始まり今度は私を護るために妊娠を隠した・・。
リディアは生後半年のころ。覚醒する直前くらいに母の姿を見ている。
ふたりが行方をくらましたのちひと月後にリディアが生まれどこかに潜伏。
その後リディアが生後6ヶ月くらいに育ったころキルバニア町長に娘を託しふたりはどこかへ逃げた。
リディアはこれらの記事を読んだのちヴェルデス州に行く計画を取りやめた。
◇◇◇◇◇
ガルハ家にブラウを売り始めてから4ヶ月経ちリディアは2歳を過ぎた。
暦は秋季に入った。
半月ほど前ガルハ家に元気な男児が生まれた。
リディアはお祝いに猪を狩って血抜きし引き摺っていった。
爽やかな朝にいきなり戸が叩かれ開けてみたらリディアと猪が居たのでガルハとイゴルはしばらく言葉が出なかった。
狩ったのは「強いひと」と言うことにしておいた。
ガルハ家のみなはリディアの言う強いひとは「アニスの親族の狩人だろう」と推測している。
猪は赤ん坊誕生祝いのご馳走になった。
あれからリディアはガルハ家でさらに詳しくブラウの情報を仕入れた。
ブラウは美肌の薬草茶としても知られ富裕層の女性たちに好んで飲まれている。
ブラウが品薄だったころも富裕層の夫人は金を積んでブラウを手に入れた。
おかげでキルバニア南部病に苦しむ町民に行き渡らなかった。
町役場で買い集められたブラウは治癒院に優先的に卸されているが治癒院の中には金持ちに横流ししているところもあるらしい。
「ここだけの話だけどね」
ジェイがこっそりと教えてくれた。
キルバニアは冬の寒さが厳しくないので冬季もブラウは少しずつ採れるが春から夏が旬だ。
ただ野生のブラウは季節に関わりなく採れる量はたかがしれている。
町民が採りに行きやすい森や山のブラウは旬に入って間もなく採り尽くされてしまうのが常だという。
リディアは誰も行かない――行けないとも言う――森のブラウを採って来られるので秋になる今の時期も毎度同じ量のブラウをガルハ家に卸した。
目立つだろうことは判って居た。けれどリディアはガルハ家の事情をお喋りなリサが話すので知っていた。
ガルハ夫妻はずっと3人目の赤ちゃんが欲しかった。
なぜならジェイは身体が細身で勉強や本を好み農家の跡継ぎ向きではなかったからだ。
キルバニアでは婿入りというのはあまりしないらしい。
それで赤ん坊のために貯金をしていたのだが、昨年の雨不足で作物の収穫が少なくガルハ家の貯金がだいぶ減ってしまった。
ジェイが入学試験で緊張して失敗したのも特待生になりたいというプレッシャーが強すぎたからだろう。
リディアはブラウを売った日はガルハ家の様子を見るようにしていた。
隠れ家で、ザイルズ将軍の外套の上でくつろぎながらガルハ家の様子を風魔法でうかがうリディアにガルハの声が聞こえてくる。
「今日町役場でブラウを売ったらどこで摘んでいるのかとしつこく聞かれたよ」
「あらなぜ?」
ベルジュにお乳を与えながらエリが尋ねた。
「たぶんそろそろブラウが採れ難くなる時期なのに質の良いブラウをたっぷり売りに来てるからだろうね」
「アニスのことを教えたの?」
「狩人の家の子から買い取っていると答えておいた」
「そう」
「そうしたらどこの家の狩人だとさらに聞かれてね」
「町役場が? 変ね。
ブラウの収穫場所は秘密にするひとが多いのに?」
「ああ。
良い場所はひとに言わないものだろうに」
「それで?」
「だからそう答えておいたよ。
良い仕入れ先は秘密にするものですよってね」