6)ガルハ一家
リディアは幻惑で身体を透明化させ町長邸の庭から脱出した。
身体が小さいおかげでなんとか身を隠しながら逃げることが出来た。
透明化の幻惑はいきなり練習なしでやったこともあって長時間はムリだったが邸から離れた裏道で10歳児の姿に戻り身体強化した早足で町外れまで来た。
その後は人気のない森の道を2歳児の姿で隠れ家に帰り着いた。
リディアはぐったり横になり安堵の吐息をついた。
――良かった・・。無事戻って来られた・・。
リヌスはいい人だと思ったのにな。
残念。
本当に私を保護しようとしただけかもしれないけど。
悪いひととは思えなかった。
――でも長時間幻惑で姿を変え続けるのはきついから捕まるのは駄目だな。
それに町長邸は危ないし。
ブラウの良い卸先だったんだけどな。
このまま売り続けられれば良かったがもう町長邸には行けないだろう。
――お金は少し貯まってるけど。キルバニアから出るのには大金が要るよね。
ヴェルデス州まで幾らくらいかかるかな。
5歳くらいになれば幻惑で誤魔化しながら行けるよねきっと。
ブラウ治癒院とかでも買ってくれるかな。
風魔法で良心的そうな治癒院を探して選んで・・。
今日は疲れたから明日にしよ・・。
2歳児には過酷な一日だった・・。
リディアは粗末な丸太の床に敷いた分厚く古い外套の上ですーすーと寝息を立て始めた。
リディアの寝息に惹かれるように森の奥から浅黒い猿がオレンジ色の目を光らせ様子をうかがいながら近付いてくる。
痩せた体躯にごつごつとした足と節くれ立った指には鋭く短いかぎ爪が生えていた。
猿はリディアの隠れ家のある一本下の枝に音もなく飛び乗った。
下の枝からオレンジの目をぎらつかせた顔がぬぅっと現れリディアを覗き見る。
猿が指をリディアの方へそろりと近づけた瞬間リディアが寄り添って寝ている無骨な剣がぎらりと輝いた。
猿はビクっと伸ばしかけた指先を震わせ指の震えは瞬く間に伝播するように全身を襲った。
怯えた顔で猿は声もなく慌ててその場を立ち去った。
リディアはなにも気付かないままに眠り続けた。
◇◇◇◇◇
明くる日。
リディアは風魔法でキルバニア町の治癒院の様子を見ていた。
以前から具合が悪くなったときに行けるように治癒院の場所は確認してあった。
森から近い治癒院はふたつあった。
どちらも距離的には同じくらいだ。
若い女性院長の治癒院と年配の男性院長の治癒院。
治癒を受けた患者の様子も助手の様子もどちらも悪くはないように見えた。
――どっちも似たような感じなんだよなぁ。
女性院長先生の治癒院の方が石造りの建物が立派そうに見えるけど。
リディアが熱心に治癒院の様子を探っているとよく知っている女性が治癒院を訪れた。
――エリお母さんだ!
エリはお腹が大きかった。
――リサの妹か弟が生まれるのかな。
そうかエリお母さん少し太ったと思ってたら赤ちゃんが出来てたんだ。
女性院長が診察をしお腹の音などを調べたり問診をしている。
「キルバニア南部病の症状がまた出ているようですね」
院長が尋ねた。
「はい。
しんどくって」
エリが本当にしんどそうに答えた。
「ブラウを処方しておきましょう」
診察料はブラウの小袋分の代金も含めて銀貨1枚だった。
――けっこう高いんだな。
薬はブラウがあんな少しだけなのに。
リディアは男性院長の治癒院も探ってみた。
その日の午後妊婦が現れた。
エリほどではないがだるそうにしている。
男性院長の診察代はブラウの小袋が処方されて大銅貨6枚。
女性院長の治癒院より大銅貨4枚分安かった。
――でも診察内容が同じとは限らないよね。
風魔法で探った範囲では同じみたいに思えたけど。
どちらにしろ治癒院の代金はけっこう高いんだね。
それともブラウが高いのかな。
私はあの小袋の30倍くらいは量がありそうなブラウを銀貨5枚で卸してたのにな。
◇◇◇◇◇
明くる日。
リディアはブラウを採ってガルハ家に行った。
――さてどうしようか。
ブラウはいつもと同じくらいの量を刈り取っておいた。
ブラウは茎が紫がかっていて葉にはギザギザがある。
草丈は大人の膝くらい。
ジョゼが「茎も煎じ薬に使います」と教えてくれたので根元近くから刈り取るようにしている。
リディアが肩に担いでいると目立つ。
リディアがガルハ家の前をゆっくりと歩いていると
「あブラウだ」
と少女の声がした。
リサだった。
野菜が満載された台車を引いたガルハとジェイも居た。
――そう言えば実物のエリお母さん一家と会うのは初めてなんだな。
風魔法越しのガルハ家のみなは朗らかで幸せそうだった。
目で見るガルハ一家は屈強な父ガルハと聡明そうな少年ジェイそれに可愛らしいつぶらな瞳の少女リサ。リディアは「素敵なご家族だな」と羨ましく思った。
「あの、うちになにか用事があるの?」
ジェイがリディアに尋ねた。
リディアがガルハ家を眺めながらゆっくりと歩いていたからだろう。
「お水を一口貰えませんか」
リディアは答えた。
「いいわよ! おいでこっち」
リサが家の戸口に向かって駆けだした。
リディアはガルハ家に入れてもらいリサは台所の大きな薬缶からカップ一杯の水を汲んでくれた。
ブラウの束を卓に乗せて水を飲んだ。
「そのブラウはどこで摘んだの?」
ジェイがブラウを見つめたまま尋ねた。
「森の中」
「森は危ないでしょ」
リサが怖そうに言う。
「うん。野犬や狼が居るから」
「そんなとこで摘むの?」
今度はジェイが声をかけてくる。
「強いひとが居るから大丈夫」
――私が強いんだけどね。
「ふぅん。ずいぶんたくさんあるね」
「これで幾らで売れるかな」
リディアがわからないふりをする。
「これだけあったら銀貨7枚とか8枚くらいになるんじゃないかな」
ジェイが答えた。
「いや町役場はブラウが高値になりすぎないように調整しているから銀貨5枚くらいだね」
ガルハがリディアのブラウの束を少し持ち上げて品定めした。
「どこで売れるか知っていますか?」
「町役場で買ってくれるよ」
とジェイが教えた。
「町役場?」
――それは知らなかったな。
てっきり町長邸とか薬屋とか答えてくれると思った。
「ああ大通りを広場を抜けてずっと北に向かって行くとあるからね。
ここからなら歩いて1時間と少しくらいだよ。
子供の足だともう少しかかるかな」
ガルハは親切に言ってくれた。
リディアは少し考えるフリをした後、
「そうしたらここのお家でこのブラウを銀貨3枚で売ったら買って貰えますか」
と尋ねた。
「え? だって1時間くらいも歩けば銀貨5枚で売れるんだよ」
ジェイが驚いた顔をした。
――・・ジェイいい子だな・・。
とリディアは思いながら、
「ううんこのお家で売りたいの。
ここなら安心して来られるし。
銀貨3枚貰えたらたくさんだから」
とリディアはキッパリと答えた。
「銀貨が2枚も少なくなるんだよっ」
今度はリサが力説する。
――ふたりいい子過ぎる・・。
「お金あっても使わないから。
3枚でいいの」
「え~。
なんで使わないの?」
「森には兎の肉もあるし魚も捕れるしタロイモもあるから」
「タロイモって?」
リサが首を傾げる。
「猪の好きな野生の芋」
「・・凄いね君・・」
ジェイが目を見開いた。
「ブラウを銀貨3枚で買うのはいいけど。
本当にいいのかい?」
ガルハが若干、疑問な声で確かめてきた。
――さすがガルハお父さん。大人だな。
子供たちと話してると話がズレまくる。
「お願いします」
リディアは真剣な顔で答えた。
それからリディアはガルハ親子と一緒にお昼をご馳走してもらった。
エリは祖父のイゴルに付き添われて実家の助産婦のところにお乳のマッサージに行っているという。
「お乳のマッサージ?」
リディアは首をかしげた。
「母乳の出が良くなるようにお産婆さんにマッサージしてもらっておくのよ」
と、歳のわりにしっかりとしたリサが教えてくれた。
「ふぅん」
――知らなかったな。前世学生で生涯を終えた私には縁遠い知識だ。
「いつも行ってる治癒院の院長はお乳のマッサージもしてくれないのに銀貨を取るのよっ」
「リサルージュ先生の悪口を言わない」
「でもそうでしょっ」
――そうかあの女院長はやっぱり悪い奴だったのか。
ブラウを売りに行かなくて良かった。
「あのさアニスはユギタリア王国の子?」
ジェイに突然聞かれてリディアは一瞬戸惑った。
「うん。
ユギタリアの血が混じってるらしいよ。
判る?」
「そりゃ判るよ。
髪が黒いもん」
「え・・」
リディアは思わず自分の髪に手を触れた。
「綺麗ねアニスの髪艶々してて」
とリサがキラキラした目をしている。
「リサの金茶色の髪も可愛いよ。
ヴェルデス王国のひとは黒髪少ないのね」
「うん。少ないっていうか居ない。
黒髪のひとはみんなユギタリア王国から来たひと。
2年前くらいまではほとんど見かけなかったんだけどね。
ほらユギタリア王国にシュールデル王国が攻め入っただろ。
だからここまで逃げてきた民が居るんだ。
アニスもそうじゃないのかい?」
「ううん。お父さんヴェルデスのひとだから」
「へぇ」
――そうかガルハさんたちにユギタリア王国のこと聞けばいいね。
ユギタリア王国が侵略されたのが2年前くらい?
私が生まれる前なんだ。
だから母は私の妊娠を隠したのかな。
あ、でも2年前くらいだと妊娠数ヶ月だよね。
戦争の前から隠してたのは他の理由?
それとも侵略される前から外交問題が起こってたとか?
ガルハさんたち知ってるかな。
でも不自然に思われないように聞かないと。
あんまり常識を知らないのも変だよね。
・・そうだイバのことも聞いてみようか。
リヌスは裁判って言ってた。
裁判になったのならガルハさん知ってるかも。
どうやって聞こうか。
リディアはエリが作り置きしていった旨いシチューに舌鼓をうちながら計略を巡らす。
遠回しに会話を誘導するために、
「あの・・町長さんはユギタリア王国のことどう思ってるのかな」
と尋ねてみた。
「気の毒だと思っているよ」
とガルハはすぐに答えた。
――そうかな・・。それは疑問だな。
「すんごいアホだと思ってるんじゃないかな」
ジェイが肩をすくめる。
――え・・アホ?
「・・それはそうかもしれないが。
はっきり言ったら駄目だよ」
ガルハが力なく諭す。
――え・・え・・え・・?
リディアはイバのことはどうでも良くなってきた。
「言ったらだめなの?
でもさみんな言ってるよ! ユギタリアの国王はどうかしてるって。
ユギタリア王国をあんなシュールデル王国なんかにあげちゃうんだから」
とリサが声を上げた。
――お祖父様・・あげちゃった・・の?
「まぁあげる気はなかったのかもしれないけど・・。
たしかにあげたようなものだけどね・・」
ガルハの言い方は歯切れが悪い。
――いったいなにがあったの・・?
「国王を処刑することはなかったと思うけどね」
そう言うジェイの声は昏い。
「そうよね。国を手に入れられたんだから。
どうしてそんな残酷なことしたのかな」
幼いリサまでもがそう言った。
「一応戦争だからね。
戦争というほど戦争らしくない戦争だったけどね。
でも王子王女を皆殺しにしたのは酷かったな」
リディアは危うくスプーンを落としそうになった。
この日リディアはガルハに「ブラウの代金はまた今度ブラウを売りに来たときでいいです」と言って隠れ家に帰った。
◇◇◇◇◇
リディアはガルハ家に週に1回銀貨3枚でブラウを売りに行った。
リディアの採るブラウは町役場で銀貨5枚で買って貰えるという。
エリはブラウの茶を十分に飲めるようになり体調が良くなった。おかげで治癒院に通わずに済んでいると感謝された。
この日リディアはイバの裁判のことをようやく聞けた。
ガルハ家での昼食中に運良く会話が町長家の話題になったのだ。町長の孫でリヌスの兄レイが孤児院を視察していたという。
「そういえば町長家で赤ちゃんの養育係の裁判があったんですよね」
とリディアは話題を振ってみた。
「あ知ってる!
ひどい女だったのよ!」
とリサが叫ぶように言った。
――リサでも知ってるんだ・・。
「先月だったか判決が出たね」
イゴルが頷く。
――先月? そうか裁判ってそれなりに日にちがかかるよね。
・・ということは裁判の判決が出たあとくらいにリヌスやジュリアンさんたちはザイルズ邸に行ったのか。
それまでは自由に入れなかったのかも。
「女がバーゼルムでも最も過酷な鉱山に入れられたのは珍しいらしいが。
それだけのことをしたからね」
とガルハも重々しくそう述べた。
――イバは鉱山に行ったんだ・・。
「夫も鉱山行きだったわね」
とエリが思い出したように言う。
――ジーコの方が早く参るだろうな。
イバは丈夫そうだったもん。
「夫の方はそこまで酷い鉱山じゃないけどね。
刑期も5年だし」
――そうか。そうしたら大丈夫かな。
「町長さんがせっかく助けようとした孤児を野犬の餌にして鉱山で済むのは変よっ」
とリサが言う。
――え・・餌? 孤児?
「リサ。餌にしたんじゃなくて放置したから野犬が家に入り込んだんだよ」
ジェイが妹の方を振り向いた。
「同じよっ」
「その・・孤児の親は・・?」
リディアはおずおずと尋ねてみた。
「どこでどうしてるんだろうね。事件のことを知ってるのかな。
町長に赤ん坊を託して安心してたとしたらがっかりだろうけどね。
町長が捨て子を拾ったという噂もあったね」
イゴルがリディアに教えるように答えた。
――・・アドニス王子の隠し子だということみんな知らないの?
イバは王子の子を死なせたから鉱山に行くハメになったんじゃないの?
「・・夫婦の罪状はなんですか・・?」
「巨額詐欺だよ。
町長から1年近くで176枚の銀貨をせしめたからね」
――あ・・そうか養育するという契約だったのに養育してなかったんだものね。
「たっぷり銀貨を貰っておいて赤ん坊を死なせたんだから。
うちで育ててあげればよかったのよっ」
――ホントだね。
ガルハさんちの子になりたかったよ。
いつものようにブラウを売りガルハ家でお昼をご馳走になった帰りジェイとリサが町外れまでリディアを送ってくれた。
リサが「ジェイお兄ちゃんはこの間の試験で1番だったのよ」と自慢した。
「へぇ凄いねジェイ」
「凄くないよ・・。
入学試験で緊張して失敗したから。
それで特待生を逃したんだ」
「特待生?」
「成績優秀者だよ。特待生だったら学費が免除だったんだ。
でも簡単な計算でうっかり間違えたり時間配分が上手くなくて最後の問題まで出来なかったり。
入学できたのが不思議なくらい失敗した」
ジェイは悔しそうだった。
「入学するの難しいの?」
「10人試験受けても5人しか受からないのよ」
リディアの問いにリサが答えた。
――合格率50%なんだ。初等部で50%って厳しいよね。
「キルバニア州立学園はそうだけど。
町立の学校は試験さえ受ければ入れるよ。
でもその代わり教科が少ないんだ。
特待生制度があるのも州立学園だけでね。
町の学校は学費がずっと安いけどね」
「キルバニア州立学園を卒業すれば町役場でもどこでも働けるのよ」
「今年1年頑張れば来年は特待生になれるかもしれないんだ。
でも1年間は毎月銀貨が1枚要るんだ。
だからアニスがブラウを売ってくれて助かる」
ジェイが少し申し訳なさそうにリディアに言う。
「ずっと売りに来るよ」
「ありがとう」
町外れに来ると
「ここまででいいよ。
危ないから」
リディアはいつものようにふたりを家に返した。
「アニスだって危ないだろ」
ジェイが顔をしかめる。
「私は森育ちだからコツを知ってる。
でもふたりまでは守れない。
だから急いで帰って」
「そうか・・。判った」
リディアは潜にジェイとリサが町の人が多く居る安全なところまで帰れたのを確認してから隠れ家に帰った。