32)グランドル連邦
『シュールデル王国が分裂』という報が世界をかけめぐった朝。
レジアーナは、朝食のテーブルの席で、その新聞を横目で見た。
ミグリッド邸の食堂は、純白と金で統一され、明るく優美だった。
レースのカーテン越しに晴れた朝の陽が差し込み、果物やパン、卵料理の乗った卓を囲むミグリッド家の面々は、心地よくくつろいでいる。
レジアーナの兄と姉、それに、弟は、それぞれに、皆、独立していた。
兄の運送業は成功し、宿屋の経営も上手くいっている。
姉は幸せな妻となり、可愛い子供たちに囲まれて暮らしている。
弟のアラムは、8年も前に、学園を卒業するとすぐに、カウストラスの魔法学研究所に行ってしまった。
今、ミグリッド家には、両親と祖父、それにレジアーナだけが居る。
祖父と父がそれぞれ手にしている新聞を、レジアーナは、ちらりと目にしながらも、上品にティーカップを手に無視していた。
「まぁ、物騒ね。
またテロ?」
レジアーナの美しい母が細い眉を顰めた。
「いや、テロというレベルのものではないな。
独立戦争だ。
グランドル半島が、『グランドル連邦』として独立した」
父が答えた。
「まさか、グランドル半島が、独立する日が来るとはな。
シュールデルが、ユギタリアを侵略などするからだ。
自業自得だな。
我が国は、グランドル連邦を支持するだろう」
と祖父。
「そんなことは、しない方が良いと思いますわ」
レジアーナは、思わず答えた。
「なぜだ?
シュールデルの力が削がれるのは、良いことだ。
あの国は、グランドル半島の民を奴隷扱いしていた。
人道的にも、グランドル連邦独立を支持すべきだろう」
父はレジアーナを咎める口調だった。
「世界のバランスですわ。
シュールデルのような国も、あって当たり前だと思いますの。
宥和政策をとるべきですわ。
外交とは、そのためにあるんじゃなくて?」
とレジアーナ。
レジアーナの言葉に、祖父ら3人は呆れた。
「シュールデルがグランドル半島でなにをやってきたのか、知ってて言っているのか」
レジアーナは、肩をすくめたきり、口をつぐんだ。
話合いなど、無駄だ。
――シュールデルが元気で居てくれないと困るのよ。
戦争好きなシュールデルは、力を持っているべき。
そうでないと、世界戦争が起きなくなる。
グランドル連邦なんて、すぐに潰れるわよ。
私が、細工しておいたのだから。
レジアーナは、自然と浮かんでくる笑みを、カップで隠した。
◇◇◇
シュールデル南部のグランドル半島は、元々、小国の集まりだった。
シュールデルが攻め滅ぼして領土を奪い取った。
同盟を結んでおいて、油断させて侵略する、という、シュールデルが昔から行っていたやり方で、残虐な殺戮を繰り返し、捕虜も皆殺しにしたために、グランドルの民は、シュールデルを恨んでいた。
そのグランドル半島が独立したのは、シュールデルが、ユギタリア侵略にかまけていたためだった。
シュールデルは、ユギタリア侵略のために、長らく、軍の4分の1が留守だった。
ユヴィニ鉱の坑道が崩落したため、その作業にもかり出され、軍の留守は延々と続いた。
おかげで、シュールデルでは、テロが頻発した。
軍の留守を狙って、独立しようとした各地の少数部族がテロを起こしたためだ。
テロ組織は、どこからか優れ物の攻撃兵器を調達し、シュールデルの分隊を至るところで殲滅した。
各地でテロが頻発していた頃、グランドル半島のテロは沈静化していた。
グランドルは、以前は、テロの多い危険な地域だったために、シュールデルは、軍隊を駐留させていた。
だが、頻繁に起こるテロを鎮圧することが難しくなり、グランドルに駐留していた軍も派遣されるようになった。
その途端、グランドル連邦軍が、残留していたシュールデル軍を殲滅、シュールデルから派遣されていた官吏や長を処刑し、独立した。
南部に視察に行っていた第二王子の行方は判らないという。
◇◇◇◇◇
グランドル連邦の独立は、3人の男たちが中心となって行われた。
首脳と、将軍と、参謀。
首脳は、セオと呼ばれるひげ面の40代の男だった。
精悍な顔、焦げ茶の髪に茶色の目。
中背だが、がっしりとした体躯のおかげで、大柄に見える。
将軍は、ラジータ。背の高い均整の取れた身体には無駄な筋肉はなく、身のこなしは鍛えられた騎士のものだった。冷徹な顔に、灰色の鋭い目をしている。歳は30代くらいと思われる。
参謀はバドという若い男だった。
端正な顔に丸い小さな眼鏡をかけ、短い黒髪に、眼鏡の奥の薄青い目はいかにも切れ者だった。
◇◇◇◇◇
グランドル連邦と、シュールデルの国境線の多くは、ラディヌ丘陵とマルータ川だった。
残りは、ロッカス台地とクース森林。
これらが、シュールデル王国と、グランドル連邦を分けている。
地元の地形を知り尽くしているグランドルにとっては、護りやすい。
独立したばかりの国境線を護るために、グランドル連邦軍は、総力を挙げて国境警備に当たっていた。
幹部詰め所を訪れた隊長、ラジータは、参謀のバドに、
「キア・・」
とうっかり言いかけた。
「しっ」
染髪と眼鏡で変装したシュールデル第二王子キアヌは、ラジータを睨んだ。
「・・悪かった、バド。
ジギタスから、潜に支援物資が届いてる」
「よくよく確かめてくれ。
ジギタスは信頼できるが、ジギタスの、あの女は、蛇のように、あちらこちらに尾を潜り込ませている」
「レジアーナ・ミグリッドだな」
「名前を聞いただけで寒気がする。
あの女は、呪われている」
バドの言葉に、ラジータは目を剥いた。
「恩人のアラム殿の姉上だというのにか・・?」
「アラムは、レジアーナを慕ってなどいない。
言っただろ」
バドの口調が不機嫌になる。
「いや、まぁ、その話は、確かに聞いたが・・」
ラジータはつい口ごもった。
バドの口から、幾度か話されたことだった。
アラムと、姉のレジアーナは、不仲だ、と。
だが、ラジータは、真面目に聞いていなかった。
甘ったるい王族と貴族の娘の恋話など、聞いていられない、と思っていた。
――バドは、なんと言っていたっけ・・?
アラムは、恩人だ。
今回の独立戦争が、こちらの被害を最小に抑えて勝利できたのも、アラムのおかげだ。
虐げられ、後ろ盾など皆無だったグランドル連邦が、思いのほか傷の浅い状態で独立出来たのは、アラムがカウストラスの武器を手に入れる窓口になってくれたからだ。
それでも、ラジータは幾人もの部下を亡くし、そのことを思うと胸が引き攣れるように辛くなるが。本当なら、さらに多くの部下を失ったであろうことを思うと、アラムには、一生掛かっても恩を返したい。
アラムは、カウストラスの研究所の技術主任だ。
ジギタス人のアラムが重職に就いているのは、カウストラスが、有能なアラムを手放したくないからだ。
さらに、昨今は、密かにカウストラスがグランドル連邦に武器を支援する、という危うい極秘任務を自ら立案し、志願した。
アラムは、カウストラスの上司に、自分は必ずやり遂げる。それでも万が一のときは、自分に全ての罪をなすりつけて切り捨てても良い、と誓ったと言う。
そして、アラムは、この任務をやり遂げた。
アラムがキアヌと知り合ったきっかけは、レジアーナとキアヌの婚約だった。
その縁で、アラムは、キアヌに面会を求め、親しくなっていった。
アラムは、キアヌのことを、詳細に下調べしていたようだが、キアヌの方では、アラムは未知の人間だった。
自ずと、会話は、当たり障りのない世間話と、アラムの技術者という仕事に関してばかりとなった。
キアヌは最初のうちは、アラムを警戒していた。
警戒といっても、アラムだけを特別に疑っていたわけではない。
大国の第二王子として、どこの誰であっても、簡単に心を開くわけにはいかない。
「姉の婚約者殿とお会いしたかった」と品良く頬笑んだアラムは、神話に出てきそうな美青年だった。
技術大国カウストラスの研究所で、「あらゆる魔道具の中枢の技術」に関わっているというアラムの話は面白かった。
そんなアラムを、キアヌが信頼するようになったのは、アラムが、キアヌに忠告したからだ。
『姉のレジアーナは、悪意の固まりのような女ですよ。
結婚は止められた方が良い』
キアヌは、レジアーナ・ミグリッドという女に、さして興味はなかった。
宰相が、ジギタス王国との友好を考えて、やたら乗り気になっている婚約で、宰相に薦められて父である国王も前向きに考えているようだった。
だが、キアヌとしては、宰相が乗り気だからこそ、乗り気になれない。
シュールデル王国を牛耳っているのは、腹黒く欲深い大商人と、そいつらに群がる貴族たちだ。
周辺国も、そのことを知っている。
シュールデルの内情は、傍から見るよりも、ずっと悲惨だった。
シュールデル王家には、「逆らったら殺される者リスト」が、口伝で伝えられている。
書面には残せないものだ。
幾つかの大商人と、宰相を始めとする王宮内の重鎮や高官。
彼らに逆らうと、王族といえども命がない。
シュールデルの王族は、100年も前から、ただのお飾りだった。
それゆえに、宰相が乗り気の婚約に、わざと逆らいたくなった。
政略結婚させられるのは、とっくに覚悟していたが。レジアーナ・ミグリッドとの結婚を引き延ばし、出来れば、あちらから断ってくれないかと期待した。
そんな時に出会ったのがアラムだった。
聡明で、優秀で、才能に溢れ、朗らかで人好きのする青年。
彼は、ひとを惹き付ける魅力があった。
キアヌは、アラムに、
「君のような弟が出来るのなら、姉上との結婚も良いな」
と、半ば冗談めかして告げたのだが、アラムは表情を固くして首を振った。
「姉のレジアーナは、悪意の固まりのような女ですよ。
結婚は止められた方が良い」
思いのほか、真剣な様子でアラムは応えた。
キアヌは、呆気にとられて返答することも忘れた。
アラムは、さらに続けた。
「姉は、世界戦争のような、破壊的で悲惨な未来を好む人間です。
それも、冗談でもなんでもなく、本気でです。
姉が、名も無い市井の者と結婚するのなら、かまいませんが、キアヌ殿下のような力のある方は、姉を選んで欲しくないです」
訴えるような、真摯な表情だった。
その日は、それきり、魔道具で走るトロッコの話も出来ず、アラムと別れたが、キアヌとアラムの間にあった垣根が徐々に崩れ、堅固な信頼関係が築かれていったのはそれからだった。
ほどなくして、アラムは、
「もしも、私が開発した武器を、こっそりとキアヌ殿下にお渡ししたら、どうしますか」
と頬笑みながら、まるで世間話の続きのように尋ねた。
もしもキアヌが、たとえ冗談でも、「ユギタリアを侵略するのに使うよ」などと言ったら、アラムとの関係は、それきりだっただろう。
キアヌは、アラムに応えた。
「そうだな。
知り合いの、少数部族の長に、渡してあげたいな」
それから、ふたりは、どうやって武器を運ぶか、詳細に検討し始めた。
バドは、ラジータの苦笑のわけを察し、
「なぜかあの女が、私との婚約を望んだ。
父が、ジギタスとの親善のために了解してしまったが、私は好かなかった」
声を低めて答えた。
「いい女だろ」
ラジータは、レジアーナ・ミグリッドを知っていた。
顔はそれほど好みではなかった。
レジアーナは作り物めいた美人で、ラジータは、もっと可愛げのある女が好きだ。
だが、レジアーナは、素晴らしい身体をしていた――残念ながら、服の上からしか拝めなかったが。
豊満な胸に、くびれた腰、形のいい尻。
おまけに、レジアーナは、その淫らな肢体がよく判る、身体に貼り付くようなドレスを好んだ。
貴族令嬢としては、どうかと思うが、見るのは楽しかった。
「美女など、いくらでも居る。
あの女は、ユギタリアとの戦争反対派の私を、賛成派に誘導しようと、あれこれ、話して聞かせてくれた。
それも、それと判らないように」
「そんなことがあったのか・・」
「あの頃は、あの女の言うことは、どれも漠然としていて、はっきりしなかった。
だが、アラムから、レジアーナは破壊思想を持っている、と忠告されて、判った。
あの女は、ユギタリアが、ああなる事態を、予測していた。
あるいは、望んでいた、と言っていい。
ユギタリアのような国は、無くなった方がいい、という意味のことを、様々に、話し方を変えながら私に吹き込もうとしていた。
妙な暗示も使おうとしていた」
「妙な暗示?」
「あの女の妄想を見させる、というやり方の暗示だ」
「え・・?」
「どうした? ラジータ?」
「それは・・あの女の妄想?」
「そうだ。
あの女の能力だろう。
自分の妄想をひとに見させる能力だ。
暗示を使って。
あの女は、ユギタリア王女の子孫だ。
魔力量が高いのだろう。
暗示の力も、けっこう、強かったようだ。
だから、彼女の妄想する世界を、ひとに強く見させることができる。
あの女は、危険だ。
それと判って対処すれば、逃れられるが。
知らずに、油断して・・無抵抗でいると、あの女の意図したことを、吹き込まれる・・。
ラジータ?
どうした?」
「そうだったのか・・。
そうか・・。
ああ、そうだった・・そうだったんだ」
「ラジータ?」
ラジータは手で顔を覆って跪いた。
ラジータの懐から、血のこびり付いた小刀が転げ落ちる。
バドは目を見開いた。
自分の片腕と思い、信頼していた男が、まさか、暗殺者だったのか。
テントの外の足音に、一瞬、気付くのが遅れた。
焦ったような声も聞こえてくる。
「バド殿っ」
「ラジータは、裏切り者ですっ」
「セオを殺そうとしやがったんですっ」
テントが乱暴に開かれ、兵たちが駆けつけてきた。
ラジータは蹲ったまま微動だにしない。
「セオを?」
と、バドが呟く。
「騙された・・騙されたんだ・・。
レジアーナ・ミグリッド。
あの女に。
あれは、あの女の妄想だった」
嗚咽とともに、ラジータがうめいた。
バドは、ラジータに掴みかかろうとする兵を手で制し、
「どんな妄想だ?」
と尋ねた。
「グランドル連邦は、日干しにされる。
独立など、するのは間違っている。
罠だ・・と」
「馬鹿なっ。
罠なものかっ。
現実に、独立出来ただろうがっ。
ようやく、あの、醜悪なシュールデルの大商人と貴族らから逃れて。
念願の独立が叶ったというのに。
台無しにしたかったのかっ」
「あの女が、罠だったんだ・・。
あの女の方が、罠だった!
妄想だった。
狂った女の妄想を吹き込まれていた。
今、このとき、計画がうまく行きかけた、このときを狙って。
ずっと願っていたラディヌ丘陵とマルータ川の国境。
念願の、わが独立国の国境警備隊。
独立を宣言した、このタイミングで・・。
暗示が発動されるようになっていた。
せっかく、ここまできて・・。
命がけで、ここまで来て。
部下たちの命を犠牲にして。
シュールデルの奴らから逃れて。
それを。
あの女の妄想が、なぜか、現実だと・・。
なぜ・・。
セオ・・。
セオを殺す前に、気付きたかった。
セオ・・。
盟友だったのに・・」
ラジータの目から、涙が溢れた。
バドは、呆れてラジータを見た。
「彼らの言葉を聞かなかったのか?
『セオを殺そうとしやがった』と。
ひとを殺せるほど強い暗示など、出来ない」
「・・え・・?」
ラジータは思わず顔を上げた。
「暗示の限界だ。
暗示では、殺す気のない者が、人を殺すことはできない。
元々、お前が、セオを憎んで、殺したかったのなら別だが。
死んだら泣くほど盟友だと思っている男を殺せるものか。
お前は、セオを、『殺した気になっていた』だけだ。
そうだろ?」
バドが横を向くと、額や、腕から血をしたたらせたセオがテントを覗いていた。
「この馬鹿やろうが・・。
痛かっただろうが!」
セオに元気に文句を言われ、ラジータは、脱力してさらに頽れた。




