11)アニスの正体
リヌスとジュード、ジュリアンは「アニスはどこかでジェイにブラウを渡している」と推測しキルバニア州立学園の初等部の授業が終わるころから張り込みをしていた。
予想通りリディアが現れ壁際でジェイを待ち始めた。
ほどなくジェイが学舎から出てきた。
ふたりは仲良さげに連れだって歩き出しリヌスたちは遠巻きに尾行した。
3人とも聴覚強化やごく微かな風魔法を使って、ふたりの会話に耳を澄ませていた。
リディアが分数を知っているという話に、やはりただの森住まいの娘ではないなと潜に思考を巡らす。
ユギタリア侵略の会話ではよく洞察されていることに感心した。
アドニス王子のご乱交の話に至るとジュリアンの顔が険しくなる。
そのうちにリディアが生きていれば王子王女が死なずに済んだとジェイが告げたとたんアニスはぽろぽろと泣き始めた。
――あぁやはりユギタリア王族にゆかりの者か・・。
ジュードとジュリアンは傷ましさに目元を歪め、リヌスはため息を吐いた。
「アニスどうしたの?
そんなに哀しかった?」
ジェイが驚いてリディアの手に触れた。
リディアがようやく実体化出来るようになった手だ。
「なんでもない。
大丈夫・・」
「大丈夫に見えないよ」
「色々思い出しただけ。
心配しないで。
また来週ね」
リディアが頬笑むと、
「うん・・」
ジェイは躊躇いながらリディアの手を離した。
◇◇◇
イーラント樹海はキルバニア州の西よりの中央にあり東西に細長い。
樹海の端はキルバニア州の西端から始まりキルバニア州中央のキルバニア町中心部辺りまで達している。
3つの町と5つの村にまたがり、じゃっかん北上がりの斜めに伸びていた。
広大な樹海ゆえにキルバニア町の中心部西よりの辺りからはどこからでも樹海に入れる。
樹海の中には「瘴気の森」あるいは「魔素の森」と呼ばれる特に危険な区域が点在していた。
ジェイは森へ向かうリディアに一旦別れを告げて歩き始めてから、意を決したように踵を返しリディアの後を追った。
そのときリディアはすでに森に踏み込んでいた。
「アニス!」
声に振り返るとジェイがリディアに駆け寄り手を取った。
「どうしたの? ジェイ。ここは危ないよ」
「アニスなにか問題があるんだろ? 僕に言えないこと?」
「ジェイ・・」
「しばらくの間でも・・解決するまでうちにおいでよ。
駄目かな?」
ジェイの言葉にリディアの目からまた涙が溢れる。
――駄目だよね。ジェイの家が危険になる・・。
「アニス・・。
家のひとに話してみて。
それでも駄目なら諦める」
「うん・・ごめん心配かけて・・」
リディアはふと辺りに流れる靄のようなものに気付いた。
――・・ここ・・魔素が濃い・・。魔素の森から揺らいで流れてきてる・・。
さらに近付いてくる強烈な魔力波動を感知。
――マズい・・。
振り返ると真っ赤な目をした漆黒の巨大な熊が居た。
ジェイが息を呑みリディアの魔力の手をさらに強く握った。
「逃げようっ」
「駄目っ間に合わない! 下がってジェイ!」
リディアはジェイを押しやり前に立つ。
「アニスっ」
熊が隆とした腕を振り上げリディアに振り下ろす。
リディアはできうる限りで最強のレーザーカッターを漆黒の熊に放った。
リディアの幻惑の身体を熊の爪が引っかけ爪先はリディア本体の身体にまで達した。
熊がリディアの幻惑のために目算を誤り深い傷ではなかったが幼児の華奢な身体が抉られ肩と胸に激痛が走った。
――しまった・・。
熊はレーザーで八つ裂きになった。
「アニスっ!」
リディアは必死に幻惑で傷を隠す。
「大丈夫なんともないよ」
リディアが振り返り頬笑むとジェイがようやく安堵の顔になった。
「びっくりした。
アニス魔導師だったんだね」
「うん魔導師の端くれ」
「凄いよ端くれなんかじゃない」
「ジェイあのね私・・」
「アニスっ」
と突然にリヌスの声がした。
「若様・・」
ふたりが振り返るとリヌス、ジュリアン、ジュードの3人が駆けつけていた。
◇◇
3人は遠巻きに見守っていたために一瞬の攻防で決着したリディアと闇熊の闘いに間に合うことが出来なかった。
「怪我はっ?」
リヌスがリディアの手を取った。
「なんともないです」
リディアは傷の痛みを堪えて答えた。
「本当に?」
「はい。
すみませんジュリアンさん、ジェイを安全なところまで送ってあげて貰えませんか」
リディアは咄嗟に一番強そうに見えたジュリアンに頼んだ。
「了解」
ジュリアンはすぐに答えジェイの落とした荷物を拾ってやると、
「来なさい」
とジェイを促した。
「でも・・」
「ジェイまたね」
リディアが頬笑んで手を振る。
「・・うん」
ジェイは躊躇いながらジュリアンと歩き始めた。
ジェイとジュリアンが森の際から町の方へ無事に歩み去るのを見送り
「さて・・」
とリヌスとジュードが振り返るとリディアの姿は消えていた。
◇◇
「またやられた・・」
リヌスはがっくりとうなだれた。
「・・そんな馬鹿な・・」
ジュードは信じられず辺りを見回す。
・・と血痕に気付いた。
「リヌス・・これは・・」
ジュードの視線を追いリヌスも枝葉に飛び散る鮮血に気付いた。
「・・闇熊の血・・か?」
ふたりは闇熊の残骸を振り返る。
熊は見事に切り刻まれていた。
「どれだけ鋭い切れ味の攻撃魔法を使えばこうなるんだ・・」
リヌスが呟く。
「こんな魔獣の斃し方は初めて見た・・」
ジュードは呟き死骸の中程に落ちていた魔石を拾う。
肉片と化した熊は赤黒い血溜まりに散乱していた。
「・・大きいな」
リヌスが目を見開いた。
「遠目だったが魔力波動はたしかに強大だった。
・・それであの鮮血は魔獣の赤黒い血とは色が違うな」
「ではあの血は・・?」
「アニスは怪我をしていたんだ。
それを幻惑で誤魔化してジェイを家に帰した」
リヌスは呆然と辺りを見回し「アニス・・」と名を呼ぶ。
「リヌス。
以前にアニスを見失った辺りまで探しながら行こう。
彼女は怪我をしている。
結界で魔力波動を隠すのも長くは続けられないかもしれない。
そうしたら見つけられる」
「判った」
ふたりは辺りをうかがいながら移動を開始した。
◇◇◇◇◇
ジュードとリヌスがアニスを探しながら森を早足で移動しているうちにジュードの持つ魔道具が反応した。
「ジュリアンからだ」
ジュードが魔道具に魔力を流すと、
『ジェイを送り届けた。
今どこだ?』
とジュリアンの声。
「アニスをまた見失った。
彼女は怪我をしている。
ザイルズ邸から西に3キロ地点で捜索している」
『すぐに行く』
ジュリアンはジュードたちと落ち合ったのち、
「どこで見失ったんだい? 怪我の程度は?」
とふたりに尋ねた。
「怪我の程度は判らない。出血の痕だけ見つけた。
見失ったのはあれからすぐだ。
アニスは透明化の幻惑が使えるようだ」
「透明化? そんなことが?」
「難易度が高い幻惑だ」
ジュードは答え実際に透明化してふたりに見せた。
ジュリアンとリヌスは呆気にとられた。
「さすが・・」
ジュリアンが思わず感嘆の声を漏らした。
「ほんの短時間ならね、出来る。
アニスは超一流の魔導師だよ」
ジュードは幻惑を解いて答えた。
3人は捜索しているうちにブラウの群生を見つけた。
最近刈り取った跡が何カ所もある。
「アニスがブラウを刈っていた場所だ」
リヌスが呟いた。
ふいにジュードが足を止め魔眼を集中させた。
「見つけたのか?」
ジュリアンが尋ねた。
「こちらだ」
ジュードが走り出しふたりは後を追った。
5分ほど走りジュードは立ち止まった。
あと2,3分も歩かないうちに魔素と瘴気の濃い危険指定区域に至る場所だった。
「こんな危険な場所に・・」
リヌスは唖然とした。
ジュードが枝の生い茂った巨木を見上げひらりと一本上の枝に飛び乗る。
リヌスとジュリアンも続いた。
さらに何本か上によじ登るとそこには小さな隠れ家が作られていた。
まるで森の小人の家のようだった。
張り出した枝葉の上には細い丸太が幾本も渡してツタで縛り上げ幼子がくつろげる床が作られている。
屋根の代わりに大きな葉が幾枚も頭上の枝に括り付けてあった。
樹の幹に近い辺りには革で包まれた荷物や手作りの籠に入れられた小物が置いてある。カップや針と糸も小さな籠に入れ並べておかれていた。
リディアはザイルズ将軍の分厚い外套の上で鷲雲剣に寄り添うように眠っていた。
幻惑は解かれ二歳児の姿に戻っていた。
リヌスとジュード、ジュリアンは先ほどのアニスと同じ服――一回り小さくなっただけの同じ服を着たリディアを呆然と見た。
その肩と胸の辺りは鮮血で染まっていた。
「・・アニスは・・リディアだったのか・・」
リヌスは呆然と呟いた。
「リディアは天才だったんだ・・。
リディアを助けた者など誰も居なかった。
リディアは自分で自分を助けた。
彼女を誰かが助けたとしたらザイルズ将軍だろう。
リディアに魔除けとなる鷲雲剣と春先の寒さをしのげる分厚い外套を与えたザイルズ将軍だ」
ジュードの声は重く昏かった。
「お祖父様・・」
ジュリアンは思わず亡き祖父に呼びかけていた。
◇◇◇◇◇
リヌスはリディアの服をはぎ怪我を診た。
リディアが拙い治癒魔法で傷をふさいであったが熊の爪痕は小さな身体には惨たらしくまだ血がにじみ出ていた。
リヌスは自分の服を裂いて傷に巻きザイルズ将軍の外套ごとリディアを包んで抱き上げた。
3人で支えながら抱き下ろし町に向かって歩き出した。