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1)プロローグ その1

「ねぇちょっと!」


 とバスの座席で居眠りしかけていると隣の見知らぬお婆さんが声をかけてきた。

「え・・はい? なんでしょう?」

 慌てて顔をあげて答えた。

「あの運転手さん様子が変じゃない?」

 と白髪のお婆さん。

 言われて見るとバス運転手の頭がぐらぐら揺れている。

「あれ・・? 具合が悪いのかも?」


「様子見てきた方がいいんじゃない? あれじゃ危ないわ」

 お婆さんはまるで他人事のように言う。


 ――別にバス関係者じゃないんだけどな。

 心中ぶつぶつ言いながらもたしかに放っておけないので運転席まで歩いて行く。

 ・・とバスが蛇行しはじめた。


 ――え・・? マジヤバい。

 慌てて運転手の肩に手を置いた。


「大丈夫ですかっ?」


 見ると運転手の顔は蒼白で胸を押さえている。

 バスの蛇行が酷くなった。


 ――事故る!


 運転手を横に寄せ運転席に割り込むとハンドルを握りブレーキペダルを踏んだ。

 ビルへの激突は免れた。

 スピードもだいぶ緩んだ。

 でも目の前に迫る電柱は避けきれなかった。


◇◇


 薄ぼんやりしたモヤの中に居た。


 誰かに話しかけられた。


『望みは?』

 と聞かれた気がした。


 ――望み・・。

 そんな風にストレートに尋ねられて戸惑った。

 高校も大学も。能力と状況が許す中での望みだった。

 でも声の主はそういうのではなく純粋な望みを尋ねていた。


 ――純粋に望んでいること・・。

 そんなピュアな願いはもう長いこと抱いていなかった。

 心がピュアじゃなければピュアな望みは浮かばない。


 ――でもあのころのあの願いは純粋な望みだったかな。


 幼稚園のころはお姫様になりたかったんだよね。


 『判った』

 と声の主が応えたような気がした。



◇◇◇◇◇



 覚醒したのはまだ赤ん坊のころだった。

 目が見え始めるにつれてぼんやりしていた意識がはっきりしてきた。


 ぼんやりした記憶の中で母は楚々とした美人だったと思う。

 でもはっきり覚醒してからは一度も会いに来てくれなかった。

 気付いたときに世話をしてたのは中年の小太りのオバサンだった。

 オバサンはすごく無愛想だった。


 赤ん坊に話しかけてくれるひとは誰ひとり居なかった。


 ――もしかして私愛されてない・・?


 お姫様ってもっとちやほやされるものだと思ってた。


 あのとき望みを聞かれたときにもっと冷静にじっくり考えてからだったら、天才的に頭が良くて幸運に恵まれた実業家とか答えたのにな。


 ――それとも「お姫様になりたい」と応えて神様(?)が転生先を探したときにちょうどよく空いていたのがこのお姫様だけだったとか? ・・あヤバい今この仮説を考えついたときにめっちゃ「正解!!」っていう気がした。


 ・・もういいよ判ったとにかくお姫様になれたんだ。

 今生ではお姫様みたいな女ニートになってのんびり生きよう。

 だから頼むからおしめ替えてくれないかな。

 泣くか・・。

 こういうときには赤ん坊は泣いて助けを求めるものだ。

 でも家の中にはオバサンの気配がないんだよね。

 またあの手を使うか。

 オバサンがあんまりにも手抜きだから覚えてしまった技。


 ――浄化!


 おしめの辺りがぽわりと魔力に包まれ、おしっこで濡れてたおしめが新品みたいに爽やかになった。


 その代わり魔力を使い果たしぐったりと眠り込んだ。



◇◇◇◇◇



 暇だった。


 赤ん坊だから動けない。

 オバサンは話しかけてもくれない。

 オバサンがおしめ替えを手抜きするものだから頻繁に「浄化魔法」を使って魔力切れを起こし眠りこけている。

 起きてるときもだるい。暇だ。

 それでオバサンを観察する。


 ――このオバサンなに考えてんのかな?


 ・・と赤ん坊として転生し覚醒して以来ずっと思っていた。

 オバサンはいつも絶えず不機嫌な顔をしてる。

 浄化魔法を使って自分の世話は自分でしてるからけっこう楽な仕事だと思うのにな。

 うんこしてもおしっこしても浄化魔法で綺麗にできるから。

 オバサンはおむつを洗濯する必要がない。


 ――あ、もしかしておむつが汚れないことを不思議に思ってるのかな。

 思うよね、普通。


 そんな他愛も無いことを思いながら口に瓶の乳を流し込んでいるオバサンを観察していると、ふいになにか頭に浮かんできた。


『この子ホント不気味よね』


 ――え・・? 不気味?

 アタシのこと?


 他に「この子」と呼ばれそうな生き物は居ない。


 ――私のことだ。

 なんで不気味・・?


『やっぱりアドニス王子の隠し子の世話なんて引き受けるんじゃなかったわ』


 ――へぇ、私のお父さんアドニス王子なんだ。

 なるほどたしかに「お姫様」だわ。

 でも隠し子なのぉ・・。嫌な予感しまくりだわ。



◇◇◇◇◇



 オバサンは陽がある間はこの家に居る。

 一日3回寝ている赤ん坊の頭だけ起こして瓶の口が小さな吸い飲み型になった瓶で冷たい乳を飲ませる。

 オバサンは乳を温めてくれない。

 だから魔法を使って冷えた身体を暖める。

 それ以外はずっと一人きりでベッドの中だった。


 この家の様子を知りたいとずっと思っていた。


 「この家の様子を知りたい」と思い続けているうちに風魔法で周囲を調べる技を覚えた。

 風ならドアの隙間を潜り抜けてあちこち巡っていくことが出来る。

 魔力を帯びた風が、情報を運んでくれる。

 この家は小さくて古い。

 夜間この家に居るのは赤ん坊だけだ。

 オバサンは夕方には自分の家に帰ってしまう。


 家の戸口のところには木の札がかけてある。

 なにやら模様が札に画いてある。

 たぶんこの世界の文字だ。


 ――読みたいな。


 本を読んだりしたいなそうすればこの世界のことがもっと判るだろう。

 オバサンの愚痴ばかり聞いて育っても性格が歪むような気がする。


 でもオバサンの愚痴のおかげで判ったことがある。

 自分の名がわかった。リディアだと。

 オバサンの愚痴により判明した。

 『この不気味な子供がリディアという名前なんて合わない』などとオバサンに思われて判ったというのは哀しいものがある。

 ちなみにオバサンは赤ん坊をその名で呼んだことはない。

 心の中でも「この子」としか呼んでくれない。

 嫌な婆ぁだ。


 オバサンは安い給料で働かされてるらしい。

 ホントに安いかは判らない。

 なにしろ「不気味な赤ん坊」らしいからオバサンは「不気味手当」が欲しいのかもしれないが。

 ――私にしてみれば私は不気味じゃない積もりだし。


 そういえばお風呂に入れて貰ったことがない。

 自分で「浄化」して済ませてる。


 ――おしめも替えず風呂にも入れず乳だけ与えていたら普通は赤ん坊はおしっこうんちだらけだよね。ばい菌で死ぬよね。いくら食べ物もらってても。

 酷い婆ぁだと思うよ。

 私だから生きていられる。普通の赤ん坊だったらとっくに死んでるんじゃないかな。


 だから不気味なのかもしれないけど。



 風魔法で探ったところ、今住んでる家は森の中の一軒家だった。


 一階に居間と台所と風呂場物置と書斎のような棚のある部屋がひとつ。

 二階は赤ん坊がいつも寝かされてる子供部屋と他に3部屋。


 一階の書斎は棚に何冊か本があり、それを読んでみたいと切に願っている。



◇◇◇◇◇



 4ヶ月後。


 風魔法の修行を続け町まで自分の魔力を帯びた風を飛ばせるようになった。

 オバサンの家はここから歩いて30分くらいのキルバニアという町にある。

 この家から一番近い町だ。

 風魔法でオバサンの行動を探ってみる。

 朝オバサンは近くの牧場で山羊の乳を貰ってくる。

 なんと、乳母は山羊だった。


 オバサンは赤ん坊のことを生後10ヶ月と心中で呟いていた。

 とっくに離乳食の時期だと思う。

 でもオバサンは相変わらず山羊の乳しかくれなかった。

 オバサンの居ない隙にはいはいやつかまり立ちを練習しているせいかかなりお腹が空く。


 ――こりゃあかんわ。

 早くここから逃げないと餓死するかも。

 あるいはオバサンが居ないときになにか食べ物探すか。


 まだ赤ん坊がここから逃げ出しても今より状況が良くなるとは思えないので食べ物を確保することにした。

 幸い風魔法はかなり使えるようになってるので風で食べ物を運べるようにしようそれも早急に。


 風で物を運ぶ訓練を熱心に――それこそ文字通り死に物狂いでやった。

 庭に濃密に魔力を纏わせた風を送り握りこぶし大の石を運ぶだけでかなり疲れる。

 それでも飢えという危機的状況が魔法の技を上達させてくれた。


 夕方暗くなり始めオバサンが戸締まりをして家を出るとキルバニア町に風を飛ばす。


 家々の煙突から煙りが出ている。

 夕食を作る煙だと思う。


 住んでる家に最も近い家は農家で5人家族が住んでいた。

 優しそうなお母さんとお父さんそれにお祖父さんと子供たち10歳くらいの男の子と7歳くらいの女の子。


 この5人家族の様子はよく見ていた。

 話し声も毎日聞いている。

 おかげでこの世界の言葉にかなり馴染んでいる。

 家族の名前も覚えた。

 お母さんはエリ。お父さんはガルハ。お祖父さんはイゴル。

 男の子はジェイ。女の子はリサ。

 お祖父さんはジェイとリサに文字を教えている。

 その様子を毎日覗いている。

 リサはすぐに飽きてしまうがジェイはなかなか賢い子で文字の練習も熱心にやっている。

 将来有望かもしれない。

 一緒に学べるのでお祖父さんに感謝だ。

 いつかお礼になにか差し上げたいところだ。

 いきなり見知らぬ少女に贈り物されても迷惑かもしれないけど。

 お祖父さんのおかげで住んでる家の表札が読めた。ザイルズというひとの家らしい。

 イゴルお祖父さんが町の歴史や伝記をふたりに物語るのも一緒に聞かせてもらった。


 キルバニア町はリドンという地下資源が採れるのだという。

 リドンは魔道具を作る際の魔法陣を描くインクの原料になる。

 貴重な資源だ。

 ただしリドンは国が全て買い取って輸出したり国内の販売網に流したりするのでキルバニア町に入る金は国の政策で決められボロ儲けできるわけではない。

 それでも採掘場の仕事がたっぷりあるおかげで町は豊かだ。


 そんな話を聞くのは興味深く面白い。


 なにしろオバサンは心の中は覗けるけど話しかけてくれないので言葉に飢えていた。

 食べ物にも飢えてたけどひとの温もりとか愛情とか話し声とかにも飢えていた。


 この日お母さんはお芋みたいなものを茹でてテーブルにどっさり置いていた。


「えぇ~またキナ芋」

 とリサがぼやく。


「贅沢言わない」

 エリがぴしゃりとリサの文句をはねのけた。


 ――そうそう贅沢言わない。

 私が代わりに食べてあげたい。


 ほくほくしていてかなり美味しそうだった。

 そのうちにエリとリサが足りない野菜を庭先の畑に採りに行った。

 卓の上には山盛りのふかし芋。


 飢えに負けて生涯初めての――たぶん前世も含めて――盗みを働くことにした。

 風魔法をあやつりそっと芋を一切れ風に乗せる。


 風で物を運ぶ訓練はさんざんやった。

 きっと出来る。


 ――急がないと。エリとリサが戻ってくる。

 ガルハたちも帰ってくる。


 必死に風を操る。

 一切れの芋をようやく窓まで運ぶ。

 窓を潜り抜けたところで安堵して落としそうになった。


 ――頑張れ・・。


 地面から少し浮かした状態で芋を運ぶ。

 額に汗がにじむ。

 呼吸が苦しくなってきた。

 途中やむなく大きな葉の上に芋を置いて一休みした。

 このまま眠りたくなったが顔を振って眠気を覚まし再度芋を風に乗せる。


 家の戸口のそばまで芋を運ぶのにずいぶん時間がかかった。


 ――ぜったい食べてやる。


 ここまで頑張って芋を食べられないなんて許せない。


 ベビーベッドの手すりに掴まりながら床に下りた。

 床をはいはいしながら進みドアの前でつかまり立ちをする。

 風魔法を操り身体を一瞬浮かせる。

 ドアノブを掴んだとたんどたりと床にへたり込んだがなんとかドアを開けられた。

 はいはいしながら階段を下りる。

 玄関まで来られた。

 芋は戸口の前にある。

 もう少しだ。


 魔力切れを起こしそうだったので風魔法で身体を浮かすのはやめて椅子を引き摺って運びよじ登って戸を開けようとして、この古い戸は鍵をかけると簡単には開かないことを知った。

 鍵を内側から開ける際にも鍵が必要なのだ。


 一気に絶望のどん底に落ちたような気がした。

 椅子から降りようと板壁に手をつくと戸口の横に小さな窓があった。

 郵便物を入れる窓かあるいは外の不審者の様子をうかがうためのものだろう。

 急いで椅子の位置をずらして再度よじ登りその小窓を開けた。

 玄関の前で芋が待っていた。


 窓から手を思い切り伸ばし芋を風魔法で少し浮かせてようやく掴んだ。


 美味しかった。

 素朴な味だった。

 ほくほくしてて。

 すっかり夜風で冷え切って少し汚れていたけれど美味しかった。



◇◇◇◇◇



 半年後。


 1歳と4ヶ月になりかなりしっかり歩けるようになっていた。


 オバサンは相変わらず山羊の乳を持ってくる。

 オバサンが部屋に近付く気配がするとベッドに戻りシーツに包まる。

 オバサンは寝ている赤ん坊の頭を起こし口に瓶の乳を流し込む――いかにも嫌そうに。

 この頃になるとこのオバサンが赤ん坊を餓死させる計画だったことを悟り始めた。

 なにしろオバサンは身体に合った服も用意してくれなかった。

 ずいぶん前から服が合わなくなりシーツを身体に巻き付けて暮らしていた。

 かなりヤバい状態だ。


 オバサンの心はもうすっかり、

『不気味不気味不気味不気味』

 で埋め尽くされている。


 この婆ぁはそのうちぜったい赤ん坊を殺す。

 そんな気がする。

 赤ん坊が死ぬような世話しかしていないのだから。

 オバサンの様子を風魔法で探っているがオバサンが山羊牧場に金を払ったことはない。

 おそらく山羊の乳は山羊牧場との契約で赤ん坊に必要なだけくれるようになっていたのだろう。

 だからオバサンは運んできた。

 でもそれ以上のことはやらない積もりだった。


 助けを求められる人間は居ない。

 父も母もどこに居るか判らない。

 母は意識がはっきり覚醒する直前くらいに最後に様子を見に来てそれきりだった。

 あの時母はただぼんやりと赤ん坊の姿を見て抱き上げて抱きしめてベッドに戻した。


 なにか事情があったんだと思う。


 一計を案じた。

 この家を脱走する準備を始めた。

 使えそうなものを物色し袋に詰め外の物置の隅に貯めておく。

 オバサンが庭仕事なんかひとつもしていないのは確認済みだ。

 オバサンがいつもなにをしているのかというと、家のそばの森で薬草を採ってた。紫がかった茎のギザギザした葉の薬草だ。

 いつもそれだけを必死に探して摘んでいる。


 お昼になるとオバサンは台所で持ってきた弁当を食べ湯を沸かして茶を飲む。

 湯を沸かす道具は家に備え付けのものでオバサンは道具に石みたいなものを擦り付けて火を点けていた。

 そういう道具が家には幾つかあったがオバサンが使うのは湯を沸かす道具だけた。

 夕方オバサンが帰ったあと家の道具を調べてみた。

 火を点ける道具はオバサンがいつも石を擦り付けている部分がかなり摩耗していた。もうすぐ壊れるかも。


 エリお母さんの家にはこういう道具は無く、かまどに火をたいて料理をしていた。



 逃走するに当たってただ逃げるだけで大丈夫か? という問題もあった。

 オバサンは探しに来るだろうか?


 オバサンは赤ん坊の世話をすることで安い給料ながらも金を貰っている。

 その金はいつ誰がオバサンに支給しているんだろう?


 オバサンをしばしば風魔法で後を付け様子を見ていた。

 それで赤ん坊の養育費はオバサンの旦那が貰っていることが判った。

 オバサンの旦那はジーコという小柄な男だった。

 オバサンは小太りなので旦那よりオバサンの方がデカい。

 オバサンの旦那も風魔法で後を付けてみた。


 オバサンの旦那はキルバニア町の大きいお屋敷に週に1度出向き裏口の門衛に「イバの給金を貰いに来ました」と告げ幾らかの金の入った袋を貰っていた。


 お屋敷はどうやら町長邸のようだった。

 町長はひげ面のお爺さんで見た目は優しそうに見えるけれどあくまで見た目だ。

 イバという女に養育を頼んでいるところをみるとさほど良い爺さんとも思えない。



◇◇◇◇◇



 逃げ方を幾つか考えた。


 一つ目の方法。

 火事を起こして死んだように見せかける。


 二つ目の方法。

 ただ行方不明になる。


 三つめの方法。

 ひとに浚われたように見せかける。


 イバには酷い目に遭ったので最後くらい仕返しして遣りたい気もするが、でも実のところそんな余裕はない。

 何しろ、1歳半の幼児だ。

 そこらをひとりでよちよち歩いていたら目立つだろう。

 とはいえ森に潜んでいたら野犬とかに食われかねない。

 熱心に魔法の修行に勤しみ雷撃や炎撃を放てるようにした。

 試しに夜庭に入り込んだ野犬に雷撃を放ってみたら追い払えた。


 自分がどういう人間かよく判らないが魔法に関してはかなりの達人であることは確かだ。

 「こういう魔法が欲しい」と強く願うと身体の中が熱くなる。

 身体の真ん中の力の源みたいな部分がうごめくのを感じる。

 そこから力を繰り出して願う魔法を使おうとすると炎撃が放てたり水が指先からほとばしったりあるいは手のひらに光りの球を作り出したり出来る。


 それこそ、あらゆることが出来る。


 でも人前ではやらないほうがいいだろう。

 ここを脱走するのだから目立ったら捕まる。


 とにかくイバに探されたり追われたりするのは避けたい。

 そうすると、火事がいいかなと思う。


 それで家の中に燃やして惜しいものはないか確認することにした。

 この家には物が少ないので簡単だ。

 いつも寝ている部屋にはベビーベッドと小さな暖炉があり他に家具は無かった。

 ベッドの敷き布団の下に金細工のペンダントを見つけた。

 細かい凝った作りで家紋のような意匠が刻まれている。

 赤ん坊の正体――つまり自分を知る手がかりになるかもしれない。


 風呂場にはタイルの湯船と湯を出す道具らしきものがある。埃だらけで物はなにも無かった。

 台所には少々の食器と鍋がひとつ。

 物置のガラクタをひとつひとつ見ていくのは幼児の小さな手に余り少し時間がかかった。

 書斎の棚には本が6冊あった。

 イゴル爺さんのおかげで文字が読めるようになったので読んでみた。

 ――単語が難解でまだ読み切れないが、たぶん戦記じゃないかな。剣という単語が頻繁に出てくるから。

 戦記だからか地図が多く載っている。

 この家のザイルズさんは騎士か戦士なんだと思う。

 本も持って行くことにした。

 重たいけれどすでに魔法の達人なので風で運べる。


 書斎と物置を出入りしているうちに妙なことに気付いた。

 隣の物置と書斎の間に不自然な厚みがある。


 ――隠し部屋・・いや部屋というほどの厚みはない。

 隠し倉庫みたいな。


 板壁を押したり叩いたりしても開かない。


 隙間から隠し倉庫の中に風魔法を送り込んでみる。

 隠し倉庫の壁を風魔法を使って叩いてみた。

 すると隠し倉庫の壁は書斎ではなく物置側にあるような気がした。一部壁の音が違う。

 物置に行き隠し部屋の音の違う板を風魔法で中から押してみると物置の一隅の壁板がキシっときしんだ。


 ――繋がってる?


 板壁を押してみた。

 すると物置の壁がギギっとずれた。

 ずれた壁を押してみるとさらにずれて開いた。


 光り魔法で灯りを点し中を探ってみる。


 隠し倉庫の中には武具が入っていた。

 剣と防具とマスクだ。

 羊皮紙をまとめたノートのようなものも見つかった。

 あとは埃だらけの古い外套。

 外套のポケットには懐中時計らしき物もあった。


 羊皮紙のノートと外套懐中時計と防具と剣も持って行くことにした。



◇◇◇◇◇



 脱走の準備を進めながら、やはりこのザイルズさんの家は燃やしてはいけないような気がしてきて火事作戦を辞めた。

 でもイバに追われるのも嫌なので他の方法を探した。


 森には野犬が居る。

 夜暗くなると唸り声が聞こえる。

 だからイバは暗くなる前に森から町に帰るのだろう。


 ――私は野犬に食い殺されたことにしよう。


 家を出るので服を町で調達しておく。

 裕福そうな家の洗濯物からサイズが丁度よさそうな古い遊び着を選んだ。

 風魔法を操り小さな下着とシャツとクリーム色のワンピースを手に入れた。

 靴は分厚い古着のチョッキを失敬してきて手作りした。

 針と糸は家の物置のガラクタの中で見つけた。


 隠れ家を作るため森を探索した結果、家周辺の森に居るのは野犬と兎や狐狸や鳥類狼など普通の動物だった。

 もっと森の奥はあるエリアからとたんに不気味になる。


 ――ヤバい奴が居そうな雰囲気・・。

 隠れるには奥の方が安全だけど違う意味で危険だ。


 ほどほどのところが良さそうだ。


 イバは薬草摘みが上手くいくと早めに帰るので窓から抜け出してアジト作りをした。

 枝が良い具合にはった樹の上に丸太をいくつも置いて座ったり横になったり出来る床を作った。


 丸太をレーザーカッター状に操った光で切断するのはなかなか骨が折れた。

 ウォーターカッターも試してみたけどレーザーの方が上手くできた。

 幼児がひとり乗るだけだから細い木を選んだのでなんとか完成。

 丸太を枝に結いつけるのは丈夫なツタを使った。

 屋根の代わりの大きい葉もツタで縛った。


 アジトが出来たので荷物を運んでみた。

 ちゃんと乗った。

 本は濡れないよう物置で見つけた革に包んだ。

 風で落ちないようにツタで結わいておく。

 壁も欲しいところだが幼児の工作能力ではちょっと無理そう。


 この作業をしているうちに「身体強化魔法」も覚えた。

 乳幼児の力じゃ作業が進まなかったので魔法で筋肉を強化できないか試行錯誤しているうちに出来るようになった。

 「必要は発明の母」というけど、「必要は魔法の母」だった。


 あと少しだ。

 イバか誰かに殺されないうちに逃げないと。



◇◇◇◇◇



「おい、いい加減グチグチ言うのは辞めろ!」

 ジーコはイバに酒瓶を投げつけた。


「なにすんのよっ。

 あんたを養ってやってるのは私だからねっ」

「うるせぇ!

 俺がせっかく見つけてやった仕事に文句垂れやがって!」


「アドニス王子は国の裏切り者だろうが!

 呪われたらどうするんだよっ。

 あの赤ん坊がどれだけ不気味かあんた知らないくせにっ」


「ただの赤ん坊だろうがっ」


「おむつを替えなくてもいつもきれいなまんまで生きてる赤ん坊がただの赤ん坊かいっ」


「なんだって?

 お前おむつ換えをしてなかったのか?」

 ジーコの顔色が変わった。


「してないわよっするわけないだろっ」


「養育費をもらってんのになにやってんだ?」

 ジーコの口調がやけに真剣になった。


「山羊の乳をやってたわよっ」


「山羊の乳はグレイの牧場のだろ。

 グレイんちには町長から金がいってる。

 だから赤ん坊用の清潔な瓶に入れてくれてたはずだ」


「だからその瓶で赤ん坊に乳をやってたわよっ」


「お前・・赤ん坊を殺してないだろうな」


 ジーコの口調は怖いくらい真剣になっていた。


「生きてるわよっ」


「お前な・・。

 契約ではお前の名前になってるんだぜ。

 町長が希望してたのは女だからな。

 もしも赤ん坊が3歳までに死んだらお前も死ぬんだぞ」


「・・なんだって?

 そんなの聞いてない」


「おかげで1年近くも働かなくて暮らせてたんだぜ」


「おかげであたしは休みなしで実家にも行けなかっただろうが」


「ホントに死んでないんだな?」


「元気だよっ」



 ふたりの会話を風魔法で聞いてかねてより準備を進めていた作戦を決行することにした。



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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公を動かして自分は何もしようとしなかった糞ババアがイバだったとしても驚かない
[一言] 旦那はともかく、イバには復讐しても良いと思うぞ
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