嫁はいません。代わりに入浴剤がいます。
まず初めに聞こう。
あなたはこれまでに、何かしらの固形入浴剤を使用したことはあるだろうか。
彼らは開封されてから数十分も経たないうちに消滅してしまう。
しかし、彼らはその後も色素と香りだけを残し、ご主人様の身体を包み込み癒してくれる。
小学校4年生の担任教師として働く大引哲は今日も帰りの会の時間を迎え、可愛い生徒たちとのふれあいの時間を終えようとしていた。
「それじゃあ今日はこれで終わるぞ。日直号令よろしく。」
「起立、礼。さようなら。」
この日直の号令で生徒たちとのその日のふれあい時間が終わる。
「先生、さよなら。」
「はい、気を付けて帰れよ。」
この瞬間、少し切ない感じだ。親心みたいな感じなのだろうか。
しかし、生徒が帰っても教師の仕事はまだ続く。
まずは、クラス日誌の確認だ。その日の日直の仕事であり、メッセージ覧には毎日、生徒からの質問などが書かれている。
担任教師となれば毎日それに返してあげなければならない。
それが終われば授業の反省、計画などを行い、全ての仕事が終わるのは二十一時頃になる。
この日も学校を出たのは二十一時半だった。
現在は十二月であり、夜中はとてつもなく冷え込み、スマートフォンの温度計はマイナス3℃を示しており、吐く息は真っ白だ。
「あぁ…寒い。久しぶりに入浴剤でも入れてゆっくり風呂に入ろうかな。」
そう言い、車を走らせ自宅への道を急いだ。
自宅に着き、部屋の電気をつけ、早速風呂を沸かした。
独身の為、もちろん家に帰っても迎えはおらず、灯りもついていない。
結婚をすれば少しは生活が楽になるとは思うが、今のところ結婚願望はない。理由としては一人の時間が好きという事だけだ。その他には特に何もない。
♪♪♪
そうこうしているうちに風呂が沸いた。
棚の中から入浴剤を一つ選び浴室へ持って行き、浴槽に溶かそうとした時だった。
「ちょっと待って!」
どこからか声がした。
酒は全く飲まない為、酒酔いの可能性はなく、一人暮らしの為、他人の声が聞こえる分けがない。
「おい、誰だ?」
恐る恐る尋ねてみた。
すると手元の方から声がした。
「やった。聞こえている。話ができる!」
そう、入浴剤から声がしていたのだ。
始めは幻聴かと思ったが、返事が返ってくるのであれば、それは幻聴ではない。信じられないが入浴剤自身が言葉を発していたのである。
一体何なのであろうか。なぜ話すことが出来るのか。
「なぜ入浴剤が話をする?」
「私にも分かりません。先程、開封された時から発言が可能となりました。
しかし、入浴剤には変わりがありません。水に触れてしまうと溶けてしまい、個体としては消滅してしまいます。」
入浴剤は自ら自己紹介をしてくれた。
「ご主人様はどのようなお仕事をしていらっしゃるのですか?」
「俺は小学校の教師だ。」
そんな会話が始まり、その後も色々と会話が続いた。
一人暮らしだった為か、話し相手がいることに対して居心地が良く感じていた。
クシュン。
しかし、話に夢中になり、裸だったことを忘れていた。
「いけない、体が冷えてしまう…。」
明日も子供たちと触れ合う為、体を壊すわけにはいかない。
万が一子供たちに風邪を移す事になってしまえばそれは、ロリに対する冒涜行為になってしまう。それだけは犯してはならない。
「すいません、ご主人様。会話があまりにも楽しい為、ご主人様の御身体をこわしてしまいました…。」
入浴剤は申し訳なさそうに謝罪してきた。
「いや、なんともないよ。違う入浴剤を入れて温まるよ。水に濡れない場所で永久保存してやる。これからもよろしくな。そうだ、これから一緒に暮らす事だし名前を付けよう。そうだな、よし、お前の名前はミサだ。(クラスの一番可愛い子の名前とは言えないが…。)これからよろしくな、ミサ。」
これから始まる生活が楽しみで浮かれていた。
しかしその夢は一瞬で消えてしまった。
「ミサ…良い名前ですね。そのような名前を付けて下さり、私は光栄です。しかしそれはなりません、ご主人様。私は入浴剤です。利用され、溶けて無くなる為に作られ、こちらに参りました。私はここで利用され、ご主人様の癒しとなり消えていくのです。」
ミサは入浴剤の役目と言い、一緒には居られないと言うのであった。
確かによく考えてみれば入浴剤と同棲なんて馬鹿な話だ。
同僚や子供たちに知られれば、馬鹿にされてもおかしくはない。
しかし、少しの時間を供に過ごし、何かしらの愛情が生まれてしまったのであった。
「そんな…。せっかくこれからも会話を交わせると思ったのに……。早すぎる…別れが早すぎるよ…!」
目からは涙がこぼれていた。いきなりの別れと悲しみのショックにより、全身の力が抜けてゆき、うまく力が入らなかった。
そして遂には、手のひらに置いていたミサを落としてしまった。
ちゃぽん
ミサはそのまま浴槽に落下し、水の音が脳内にこだました。
ミサは大量の泡に包まれた。
「あ…ああ…ああああああああああああああああああああああああああっ…!」
もう言葉にならなかった。その場で溶けていくのをみていることしかできなかった。」
「ご主人様、ありがとうございました。あとはご主人様がお湯につかり、癒されていただければ私はこれでお役御免です。少しの時間でしたが、お話ができて楽しかったです。本当のことを言えば私ももっと一緒に居たかったですがそれは叶わぬ夢です。こうして魏ご主人様にお会いでき、お話を出来ただけでも満足です。」
ミサの話を聞き更に涙が溢れてきた。
ミサはとても小さくなり、あと数十秒で消えてしまいそうになっていた。
「それではもう時間がありません。これで最後です。ご主人様、本当にありがとうございました。あとは、癒されてください。そして小学校の教師頑張って下さい。遠くから見守っています。それでは、さようなら…。」
「ミサ…いかないでくれ…。俺は…俺は…!。」
ミサは溶けて消えてしまった。
ミサが溶けた浴槽にゆっくり浸かった。
これまでには経験したことのない様な感じだった。
疲れが一気に取れ、身体の中にじわじわと浸透していく様だった。
「ありがとう、ミサ。とても癒されたよ。」
もちろん返事は無かったが、ミサもうれしく思っているに違いない。
風呂から上がった後は飯は食わずにそのまま眠りについた。
次の日、久しぶりに目覚めが良かった。
今日も子供たちと触れ合う為、通勤の準備をし、いつも通りの時間に家を出る。
しかし、いつもは言わない一言を誰もいない家に向かって言い放った。
「行ってくるよ、ミサ。」