第2章 ― 2
辿り着いた先は高原神社の麓にある石段の前だった。行く宛のない自分には寄り添える場所がない。ただ、ここなら、もしかしたら心配した両親や祖父母が迎えに着てくれるのではないかと淡い期待もあった。
だが、日が暮れて、外灯のない場所で一人きりになった時、夏希は自分の浅はかさに辟易した。
遠くの草むらから聞こえる鈴虫の声が物悲しい。知っているのに知らない場所で一人きり。この先、どうすればいいのかも見当が付かず膝を抱える。
(帰りたい、お母さんとお父さんのいる家に・・・)
ふと、脳裏を過ぎったのは「捨て子か?」と尋ねる洸の言葉だ。比喩でも何でもない。夏希は本当に捨てられたのだろうか。
受験期を境に、母とは折り合いが付かず絶えず口喧嘩していたし、父はその飛び火を一身に受けていた。どんない仕事で疲れていたとしても、長々と母娘の愚痴を聞かされ続けるのは辛かっただろう。
考え出すと、両親が夏希を捨てる理由が次々と出てくる。嫌だ、認めたくない。一人は嫌だ。
膝を抱える手の力を更に込め、夏希は膝に顔を埋めた。
「きみ、どうしたんだい」
頭上から声が聞こえた。いつの間にか眠っていたらしく、頭がちゃんと回らない。顔を上げると、外灯の影で顔は見えなかったが中年の男性が立っていた。
(あれ、この人・・・)
どこかで見たことがある気がするが、その考えはすぐに打ち消した。ここでの知り合いは居ないはず、みんな知らない人だけなのだと思い直したからだ。
「あの、あなたは・・・」
「高原 司といいます。この神社の神職をしているんだよ」
「神職・・・」
夏希はゆっくりと視線を上げ、彼―――司はクスリと笑いを漏らす。
「神職だからって、坊主にはしないよ。坊主にするのはお寺さまの方だからね。まあ、宗教によっては坊主にしない一派もあるみたいだけど」
「そう、ですか・・・」
「それで、君は?」
「私は・・・」
視線を落とし、膝を抱え直した。
「すまない、性急に答えを出そうとして。だが、もし時間があるのなら私の家に来なさい。今は逢魔時、子供が出歩いてはいけないよ」
「おう、まがとき?」
何だろう、聞いたことがない。瞬きを繰り返す夏希に、司は手を差し出した。
「さあ、おいで」
夏希は司に手を借り立ち上がった。
石段を登り、境内には入らず、鳥居の手前で右に曲がり雑木林の中を進む。手入れがされた雑木林は、見通しが良く風通りが良さそうだった。
「この雑木林はね、万が一にも子供達がここから転がり落ちても途中の木々に引っ掛かれるように植えられているんだよ」
「へえ」
確かに、この高さからガードレールもなしに落ちたら一溜まりもない。夏希は生唾を飲み込み、司と握る手の力を強めた。
数十分ほど歩くと、一軒の建物が見えた。瓦屋根の二階建ての家から漏れる灯りが、ずっと暗闇の中にいた夏希の胸をホッと撫で下ろさせた。
「ただいま~」
ガラガラと横戸を引くと、奥の方から足音が近付いてきた。
現れたのは、芽依の家で見た女性よりも若い三十半ばくらいの女性だった。桃色の着物に白い割烹着を身に纏っている。
「おかえりなさいませ、司さま。お帰りを心待ちにしておりました」
「ただいま、葉子さん。僕もあなたに会えるのを楽しみにしていたんだよ」
司は葉子の手を掴み、自分の胸元に引き寄せると、彼女の額に軽くキスを落とす。
目の前で惚気られた。
目のやり場に困った夏希はゆっくりと後退して距離を取ろうとしたが、踵が横戸にぶつかり大きな音を出してしまった。
葉子はパッと、司の胸を押しのけて戸の近くにいる夏希を見て顔を真っ赤にさせる。
「お客様がいらっしゃっていたのですね。お見苦しい所をみせてしまい、大変、申し訳ございません」
深々と頭を下げられて夏希は狼狽した。何だかこっちが悪いことをしてしまったかのようだ。
「いえ、その・・・仲が良いんですね」
「あぁ、葉子さんとは前世からの強き縁で結ばれた関係だからね。僕は彼女に会う為に生を受けたのだと断言しよう」
司の言葉に葉子は嬉しそうに両手の先を合わせる。再び、二人の中へ浸りそうになった時、呆れた声が2人の意識を引き戻した。
「父さんも母さんも、玄関先で何してるの?」
「「洸!」」
姿を現したのは、夕方、芽依と一緒にいた洸という男の子だ。今は縦縞の入った着物を着て、壁により掛かっている。
彼は視線を巡らせて、夏希と目が合うと一瞬だけ目を見開いたがすぐに逸らした。
(関わりたくないのは向こうも同じか・・・)
初対面で口喧嘩をして負けた腹いせで砂を投げつけたのだ。良い印象など持ち合わせていないだろう。
芽依の時と違い、弁解するつもりはない。夏希も視線を逸らす。
「そうそう、葉子さん。今日はこの子を客間に泊めようと思うんだけどいいかな?」
「「!?」」
洸と夏希はバッと司に視線を向けたが、司はどこ吹く風で受け流した。
「はい、畏まりました。貴女の名前は?」
「亘野 夏希です」
「夏希ちゃん! 可愛い名前ね、私のことは気軽に葉子って呼んでくださいね。お部屋へ案内します」
葉子は嬉しそうに笑うと、洸の横を通り廊下を歩いていく。夏希は置いていかれないよう、急いで靴を脱ぎ揃えてから葉子の後を追った。
「不作法者」
擦れ違い際、ボソリと呟く洸の言葉に意識を取られながら、夏希は葉子の後を追った。
ちゃんと靴は揃えたのに何が不作法なのだろう。やっぱり、砂を投げたことを怒っているのだろうか。と、夏希は首を傾げた。
案内された客間は一階の北側奥にある五畳の間で、家具は押入と簡易な机と座布団が2つ敷かれていた。
「この部屋にある物は何でも使ってくださいね。お風呂は後で案内しますから、それまでの間、ゆっくり休んでいてください」
「あの、葉子さん。色々ありがとうございます」
深々と頭を下げる夏希に、葉子は微笑みを返し襖を閉めた。
一人きりになった部屋で、夏希はようやく一心地ついた想いだ。今日は色々な事がありすぎた。
夏希はその場に腰を下ろして膝に額を擦りつけた。
今はただ休みたかった。




