第3章 ― 4
気が付いた時には、すでに日は傾き、世界が橙色に変わり始めていた。
夏希はようやく丸っていた身体を伸ばして上半身を起こした。
(綺麗な空・・・)
茜色の空というのは、こういう風景を差しているのだろう。遠くの山々が陰り色を濃くし、散り散りに舞う雲は星に近いと思わせるほど遠い。
既に赤橙色の太陽は半分以上、山にその身を沈めている。後十分もしない内に夜が訪れるだろう。
――逢魔時までに帰っていらっしゃい
ふいに、昼間聞いた葉子の声が脳に響く。
「そうだ、帰らなくちゃ」
足に力を入れようとしたが、何故か力が入らない。
太陽の光りはどんどん消えーーー辺りに暗闇が訪れる。外灯のない田舎道、まだ太陽の余韻があり薄暗い程度だが、このままでは本当に帰れなくなる。
(どうし、よう)
何度考えても答えは同じなのに、自分ではどうしようもできなかった。腕に、足に力が入らず、筋肉の動かし方を忘れてしまった。このまま夜を迎え、朝が来るのを待たなくてはいけないのか。
夏希は指先を動かし、土を握りしめた。
『・・・・なしいの?』
リィンとした声が脳に響いた。俯いていた顔を上げた先に、白くぼんやりしたものが見える。
「だ、誰・・・」
村の人だろうか。
その人は白い布を鼻先まで被り、紅色の着物を身に纏っている。どこか透明感があり、夏希は恐怖を感じ、口元を引き締めた。
『辛くて、悲しくて、泣いているのよね。私には分かるわ、あなたの悲しみ。私の悲しみとは違うけど、悲しいことは辛いことだもの』
その人はゆっくりと近付いてくる。
『辛かったでしょ、苦しかったでしょ。理解されないのは嫌な事よね? 世界で独りぼっちになるというのはもっと辛いことなの。あなたにはまだ分からないかも知れないけど、きっと分かる日が来るわ。だからーーー』
その人は夏希の前で立ち止まり、白く“透き通った”手を差し出した。
『一緒に行きましょう? 私があなたを呼んだの、高原の連中なんかにはあげないわ』
その人の口が耳元まで割け、手が夏希の頬に触れようとした。
「―――っ!」
「夏希!」
誰かの呼び声が耳に入り、夏希はハッと意識を取り戻した。その人は「チッ」と舌打ちをすると、忌々しげに袖で口元を隠しゆっくりと後退していく。
『邪魔が入ってしまったわね。ねぇ、今度はあなたが私に逢いに来てよ。私は高原神社の本殿にいるわ、昼でも夜でもいつでもいらっしゃい。私はあなたを必要としている、あなたもきっと私を“受け入れてくれる”はずだわ』
その人は景色に溶け込む風に消えていった。
シンと静まり返ると、遠くの方から鈴虫の鳴き声が聞こえてくる。夏希は咄嗟に“人間の世界”に戻ってくることができたと思い、愕然とした。
(私、今までどこにいたの?)
自分の身体が自分のものではなくなったような不安定な感覚がまだ胸の中に居座っている。このまま闇に溶けて消えていくのだろうか、と他人事のように思いながら意識が遠くなっていった。
あの人に全てを委ねてしまいそうだった。
怖かった。
どうしようもない恐怖が込み上がり、夏希は涙を流す。手の平で、手の甲で、拭っても拭っても零れてきてしまう。こんなに自分は弱かっただろうか。
何もできない、不平不満しか言えない。歯痒い気持ちでいっぱいだ。
前進も後退もできず泣き続けるしか脳のない夏希の頭を、“彼”は優しく撫でてくれた。
洸一と同じ顔付きでーーー。
ようやく物語が進展しました。第4章では視点が別れたりしますので、お楽しみください




