第2章 ― 4
「ふむ、気が付いたら、絵馬掛けの前にいたと」
「はい。それで、祖父母の家だった場所に行ったら別の人が住んでて、もう訳が分からなくて鳥居の下にいました」
話している間中、夏希は膝の上に拳を押しつけていた。こんな夢物語、本当に信じてくれるのだろうか不安でしょうがない。
司は目を閉じ考えている。
(何を考えているのかな?)
夏希は上目遣いでチラチラと司を盗み見するが、彼は気付いた様子もなく俯いている。
カチコチと時間だけが静かに進んでいった。
「つまり、君は神隠しにあったのではないかな?」
「神隠し、ですか?」
「そう、この高原神社にはいくつか言い伝えがあってね。その一つにこんな口伝があるんだ」
“彼岸と此岸に逢魔時が訪れしとき
境子、外に出るなかれ
鈴の音誘われ歩み進めば
己が道を踏み外すだろう
戻りたくば神に祈るほかなし
鏡玉授かりし愛し子よ
神に祈るほかなし “
司はテーブルにある湯飲みを手にし、口にした。少し待ってみたが、司はお茶を堪能しているようで何も話そうとしない。
夏希は思いきって聞いてみた。
「あの、全然、意味が分かりません」
「そうだね、私も祖父から聞かされたこと以上の事は分からないんだけど、この口伝は、夕暮れ時に幼子が外を出歩いていると、“神隠し”に遭うぞっていう戒めの文書なんだ。この詩の一節の『己が道を踏み外すだろう』とは自分の本来居るべき場所から離れてしまう、つまり“神隠し”に遭うと謳われている」
「なるほど・・・。じゃあ、戻る方法は」
「『神に祈るほかなし』、そのまんまだろうね」
「ま、マジですか・・・・」
あまりのショックに開いた口が塞がらない。せっかく、自分の置かれている状況が分かりはじめてきたと思ったのに、戻る方法は神に祈るしかないなんてあんまりだ。
(この状況自体、非現実的だし、現実的に何か考えられないもんね)
だが、司の話を聞いて、ようやく腑に落ちたこともある。
知っているようで知らない場所。つまり夏希は元いた世界とは別の世界に来てしまったと言うことだ。
(アリスなら、冒険をしていく内に元の世界へ戻ることができるけど、ここはどうなんだろう)
今日は司の好意で泊まらせて貰ったが、いつまでもここにいるわけにはいかない。こんな見ず知らずの人間を何泊も泊めてくれるなんて甘い幻想を想像してはいけない。
服が乾き次第、元の世界へ戻る方法を探さなければ。
グッと両手の拳を強く握ると、司は優しく微笑みを浮かべた。
「きみが高原の神に神隠しにあったのなら、きっとここの神様がきみを呼んだんだろうね」
「神様が?」
「そう、神隠しって言うのは、大体は神様が人恋しさに起こすものだからね。特に幼子を連れて行くのは、七つまでの幼子は神様の子供だから、自分の子供を連れて帰るつもりで連れて行ってしまうと言われているんだよ」
どこかの童歌で聞いたことのあるフレーズだ。
「いや、そしたら私は普通に十四歳なんですけど」
七つどころか倍の年齢を生きている。司は瞬きを繰り返し目を細めた。
「じゃあ、きみが呼ばれたのは人恋しさからではなく別の理由かもしれないね」
「別の理由・・・」
「取りあえず、きみが神隠しに遭ったというなら、しばらくの間はここに泊まっていて良いよ」
「!? いいんですか」
「あぁ。高原の神様に呼ばれたきみを無下にするわけにもいかない。ただ、一週間後に祭事があって、各地から親戚が集まることになっているんだ。その時は部屋から一歩も出ないことを約束してくれたらいいよ」
願ってもないことだ。正直、ここを出たら野宿し続けるしかないと思っていた所だ。衣食住のことを考えればどんな条件だって首を縦に振る。
「あ、じゃあ、何か手伝えることがあれば手伝います! 料理は苦手だけど、食器洗いや掃除ならやれますので、どんどん言ってください!」
胸に拳をドンと押しつけると、司は今度こそ声を出して笑った。
「そう? それじゃあ、午前中だけ葉子さんのお手伝いをして貰おうかな。午後は何もやらなくて良いから、きみの本来の目的である元の場所に帰る方法もちゃんと探すんだよ?」
好条件過ぎて涙が出そうだ。夏希は両手を床に付け、全身全霊を込めて「ありがとうございます!」と叫び土下座した。
こうして、夏希は高原神社の神職の家にご厄介になるのだった。
 




