触れたものの水分を奪う寂しい王様
昔々、とある王国に不思議な能力を持つ王様が暮らしていました。その能力のせいで王様は他人に触れることができず、いつも寂しい思いをしています。
「あぁ、どうして私はこのような能力を持って生まれてしまったのか?」
王様は自分の右手をじっと見つめます。その手には触れたものの水分を奪う力が宿っていました。この水分を奪うという力こそが、王様を孤独に導いた元凶でした。
「この力さえなければ……」
王様は唇を噛みます。彼は自室を出て、庭に向かいました。
「母様」
庭には墓が立っています。王様の母親の墓でした。
「私が生まれさえしなければ、母様は死ななかったのに」
王様は自分を責めていました。彼の能力のせいで母親は死んでしまったのです。――体中の水分を奪われ、ミイラになって。
「まったくどうなってるの?」
「もう二ヶ月以上も日照りが続いてる」
「雨が降らなきゃ作物が育たないじゃないか」
「きっとあの王様のせいだ」
「そうだそうだ。王様が水分を奪ってるから雨が降らないんだ」
国民が集まって、話をしています。もう二ヶ月以上も雨が降っていませんでした。
自給自足の生活をしている彼らは雨が降らなければ生きていけません。こんな状況になったのは、水分を奪う力を持つ王様のせいに違いないと、彼らは考えています。
「あのときに始末すれば良かったんだ」
「そうだそうだ」
「先王様の子を始末して、あたしらが無事で済むと思うのかい?」
「そ、それは」
――あのときとは二十年前のこと、王様がまだ五歳の頃の話です。物心がついたばかりの頃の王様は、自分の力を理解していませんでした。そのため先王である父親からの言いつけを破り、王様は外に出てしまったのです。
幼い王様は好奇心旺盛でした。それは悪いことではありません。水分を奪う力さえ持っていなければ、彼はただの子供でいられたのです。
当時、先王は我が子の能力を隠していました。国民たちは誰も能力のことを知らず、先王の子だからと近づいてしまったのです。それが悲劇の幕開けになることも知らずに。
「またあのときみたいに人が死んだら」
「縁起でもないこと言うんじゃないよ」
実に四人の命が犠牲になりました。みんな王様の右手に触れ、ミイラと化したのです。この一件で王様は自らの特異な力を悟ります。国民もまた力のことを知り、王様に恐れを抱くようになったのです。
「先王様さえ生きていてくれたら」
一年と少し前、先王は病気で亡くなりました。後を継いだ王様でしたが、今のところ公の場には姿を現していません。というより悲劇を起こしてからずっと王様は城の中に引き篭もっているのです。
「先王様はいないんだ。みんな今が決断のときだよ。あの王様をどうするか。あたしらの手で解決するしかないんだ」
国民たちは自分の手で生活を守るんだと燃えていました。
「王様、国民たちはあなたのせいで日照りになっていると考えてるみたいですよ」
母親の墓の前でぼーっとする王様に、側近の女性が話しかけました。
「そうか……」
王様は力なく答えます。悲劇を起こした五歳の頃からずっと、国民たちは何かあるたびに王様を責めていました。今更国民からどう思われようが、王様にとってはもはやどうでもいいことだったのです。
「国民はバカですね。あなたごときの力で、天候をどうこうなんてできるはずないでしょうに」
側近はふっと鼻で笑います。彼女は王様の代わりに公の場に立つ、いわば影の支配者でした。
「仮に天候を操れたとしても、弱虫で臆病者で泣き虫な王様が何かするはずありませんし。国民はホント何も分かってませんね」
側近は親しげな笑みを向けます。王様は何も言いません。
「――ねぇ、王様、どこか遠くへ行きませんか。あなたを嫌う国なんか放って、二人で暮らしましょうよ」
側近は真剣な表情を浮かべ、王様をじっと見つめます。王様は驚きを顔いっぱいに表し、不意に目を逸らしました。
「わ、私は王様だ。国を見捨てられない」
「国民はあなたを嫌っているのに」
「それでも私には国を守る義務がある。先王と母様が愛したこの国を」
王様は国民から嫌われても構いませんでした。嫌われても仕方のないことをしたと思っているからです。
「本当にあなたは」
側近は呆れたような表情を浮かべました。
「仕方ありませんね。私も国を守るお手伝いをしましょう。どうすれば日照りを解消できるか、ない知恵を振り絞って考えてくださいね王様」
言葉は悪いですが、王様と面と向かって話をするのは彼女だけです。だからこそ王様は側近を大切に思っていました。愛してると言っても過言ではありません。それゆえに触れられない現状に歯がゆい思いを抱いています。
「さぁ、部屋に戻りましょう。外は寒いですからね」
側近は庭を後にします。王様は母親の墓に目を向け、側近の後を追いかけました。
翌日。国民たちが広場に集まっていました。それぞれ手に、木の棒や斧などを握っています。
「先王様が亡くなった今、恐れるものは何もない」
「そうだそうだー」
「あたしらの生活を守るために、王様を始末する。みんなあたしについてきな」
姉御肌の女性を筆頭に、国民たちは城に向かいました。彼らは王様を始末することで、日照りを解消するつもりなのです。
部屋で寝ていた王様は目を覚ました。普段静かな城が騒がしいことに気づき、王様は首を傾げます。
「大変です王様! 武器を持った国民が攻めてきました」
側近が常にない慌てた様子で、部屋に飛び込んできます。王様は目を見開いて驚きました。
「早く逃げましょう」
側近の急かす声に押され、王様は部屋の外に出ます。二人は入り口へと続く道を進みました。
「声が聞こえる」
王様は立ち止まります。通路の奥から大勢の声が聞こえてきました。
「もうこんなとこにまで」
側近は舌打ちし、身を翻します。王様も慌てて、後を追いました。
「どうすればいいんだ?」
「私にも分かりませんよ」
たった二人で国民を止められるのか、彼らの心に暗雲が立ち込めます。通路を進むたびに、二人の足取りは重くなっていきました。
「――王様ー、どこだー」
王様と側近は国民のいないほうへ進んでいきます。城の中にはすでに多くの国民がいて、王様たちは自ずと上に行くしかありませんでした。
「彼らにやられるくらいなら、いっそ二人で屋上から飛び降りませんか? 運が良ければ逃げられるかもしれませんよ」
側近は軽い調子で口にします。王様は彼女が震えていることに気づきました。しかし彼にはどうすることもできません。抱きしめる手など持っていないのですから。
「ねぇ、王様。もしどうしようもなくなったら抱きしめてくれませんか?」
側近は懇願するような目を向けます。それは王様が初めて見る表情でした。
「ムリだ。私が抱きしめたら、君はミイラになってしまうんだぞ」
王様は震える声で、側近の頼みを跳ね除けました。本当は抱きしめたいと叫ぶ心の声を無視して。
「どうせ死ぬなら、せめてあなたの腕の中で」
側近は王様の目を見つめました。吸い込まれそうな瞳に、王様は心臓がどきりと高鳴るのを感じます。
「……分かった。そのときが来たら、私は君を抱きしめよう」
「楽しみにしてますよ」
ふにゃりとした笑みを浮かべ、側近は屋上へと続く階段を上ります。王様はそのときが来てほしくないと思いながら、心のどこかで抱きしめる瞬間を望む自分がいるのを感じていました。
「もう逃げられないよ」
姉御肌の国民はニヤッと笑います。王様と側近は屋上のふちに立っていました。
「……飛び降りますか? それとも抱きしめますか?」
側近は王様にしか聞こえないような声で話します。王様は答えを返すことなく、すっと前に進み出ました。
「君たちの目的は私だろう? 彼女だけは見逃してくれないか。頼む」
王様は頭を下げました。愛する側近だけは死なせたくなかったのです。たとえ彼女の願いを無視することになっても。たとえ心が抱きしめたいと叫んでいても。
「王様ー!」
側近は叫びました。彼女は王様に向かって、手を伸ばします。一人で死なせはしないと。
「触るな! 私に」
王様の怒鳴り声を受け、側近はびくりと動きを止めます。
「私はもう誰も死なせたくないんだ」
側近は知っていました。誰よりも近くにいたから、痛いほど分かっていました。王様があの日起きた悲劇にどれほど苦しんでいるか。
「私を殺したいなら殺せ。それで君たちの気が済むのなら」
王様は両腕を広げました。まるですべてを受け入れるかのように。
「止めてください! 王様!」
彼女の叫びはむなしく響き、国民の男から矢が放たれました。矢は王様の頬を掠めます。
「え?」
どこからともなく驚きの声が漏れました。国民たちは皆戸惑いの表情を浮かべています。
「これは?」
王様自身驚いていました。なにせ頬からは血ではなく、水が流れ出ていたのですから。
王様は過去を振り返ります。悲劇を起こして以来、王様は外に出ることもなく、人に触れ合うこともありませんでした。城の中でも自室に篭りっきり。話をするのは側近とだけ。
そういう生活を繰り返してきた王様は怪我をする機会があまりなかったのです。そのため怪我をしたら何が起きるのか、考えたことすらありませんでした。
「そうか……私はすべきことが分かった」
王様は屋上のふちに立ち、右腕を町の方角に向けました。
「そこの者、私の右腕を切り落とせ」
王様は先頭に立っていた姉御肌の国民に話しかけます。姉御肌の国民はいまだ戸惑っていました。
「早く!」
王様の怒鳴り声に急かされ、姉御肌の国民は訳が分からないまま、斧を一気に振り下ろします。その瞬間、右腕は飛び、断面から大量の水が噴出しました。
「うぐっ、はぁっ、ぐっ……私の力はきっと……このときのためにあった」
大量の水が町全体を覆い尽くします。まるで雨が降っているかのようでした。
「王様、王様ー」
側近はよろよろとした足取りで、王様に近づきます。彼女は涙を流していました。
「私は大丈夫だ」
王様は力なく答えます。彼は屋上に座り込んでいました。顔色は悪く、いつ倒れてもおかしくない有様です。
吹き出たのは水とはいえ、右腕が切り落とされたことに変わりはありません。明らかに重傷でした。
「い、医務室に行かないと」
側近は王様の頬に触れました。触れてしまいました。王様は「何をしてるんだ?!」とその手を振り払います。
「あれ?」
側近には何の変化もありませんでした。
「王様のおかげで、作物は無事に育ちそうですよ」
側近は王様の右腕に包帯を巻きながら、そう報告しました。王様の右腕から放出された大量の水のおかげで、作物がだめになる心配はなくなったのです。
「王様に感謝だって国民たちは騒いでいますよ。あなたを殺そうとしたくせに」
側近は不機嫌さを隠そうともしません。彼女にとって、最も大事なものは王様です。その王様を排除しようとした国民たちを許すことなど、側近にはできないことなのです。
「彼らは不安だったんだ。許してやってほしい」
「あなたは甘すぎます。王様なんですから、処罰したっていいんですよ」
「私が過去に犯した罪を思えば、これくらいどうってことない。罰を受けるなら私のほうだ」
「あなたは十分罰を受けてきましたよ」
側近はそっと王様の左手を握ります。水分が奪われる様子はありませんでした。
「あなたに触れるときがくるなんて、思ってもいませんでした」
側近は感慨深げに息を吐きます。王様は手を握り返し、側近の肩に頭を乗せました。
「私もだ。君と触れ合えるときが来るなんてな」
今の王様に水分を奪う力はありません。右腕を切り落とした今、王様は普通の人になっていました。
「水分を奪う力が右手にしか宿っていないなんて思いませんもんね」
頬に触れてもミイラ化しなかったことに疑問を感じた側近は、王様が治療を受けている間、切り落とされた右腕を使って実験しました。
その結果、いろいろなことが分かったのです。水分を吸収するのは右手だけということ、奪った水は体内に蓄積されること、怪我をした場合は血の代わりとして水が出ることなど。
「もっと早くに気づいていれば」
王様が今まで気づかなかったのには理由があります。四人の国民をミイラ化させてしまうという悲劇を起こして以降、王様は誰にも触らず、誰にも触らせずの精神を貫いていました。そのため能力が宿っているのは右手だけだということに気づくことができなかったのです。
「今からでも遅くありません。抱きしめてください。ぎゅっと」
側近は王様の背中に両腕を回しました。その想いに答えるように、王様は左腕で側近を強く抱きしめます。
「王様、王様、王様、王様」
熱に浮かされたように、側近は王様を呼び続けます。
「好きだ」
耳元で囁かれ、側近はぴくりと体を震わせます。歓喜の波が押し寄せました。
「私はずっとあなたに触れたかった。触れられたかった。幸せです。今すごく」
側近は王様の胸元に頭を押し付け、しまりのない笑みを浮かべます。とろけるような笑顔に、王様も頬を緩ませました。
「私もだよ」
側近の頭を持ち上げ、王様は顔を寄せました。唇と唇が重なり合います。
「――」
王様がふと漏らした一言に、側近は「はい!」と力強く答えました。
それからひと月後、国から側近はいなくなり、新たに王妃が誕生しましたとさ。