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Counter the Amenthes - Truth of Shadow  作者: 霧上
前編 - Dusk
6/17

Discharge 「解放」

ヴィエンチャン駐屯地、早朝。


例の告白から1ヶ月が経過していた。共に戦う機会も、共に過ごす機会も増えたがアナスタシアは焦燥していた。出会って間もなく惚れたなんて、公私を弁えないなんて、すぐに突っぱねればよかった。呆れつつも未だに心の中で答えが出せないままだったのだ。いや、本当は出ていた。自分も好きなのだ。だがそれは戦場という極限状況が生み出した幻影に過ぎないものだと思っていたのだ。彼女は生まれてから、恋をしたことがない。家族を、友達を、そして自分を守るために戦う道を選んだのだ。彼女が若い時、青春を謳歌した学生生活を送れていなかった。つねに銃声に怯えていた。悪化する治安の中で涙を堪えて生き延びてきた。故郷のセヴァストポリは、ウクライナとロシアのアイデンティティを持っていた。その地理的条件から常にアメンテスに狙われていた。何度もテロの舞台となった。彼女もまた、アメンテスへの復讐に生きた軍人の1人であったのだ。

「嘘に決まってる、嘘だと言って」

アナスタシアは皺だらけのシーツの敷かれたベッドに、胎児のように(うずくま)る。まだ人を愛することが、怖かった。人に心を開くことに躊躇をしていたから。それと、いつか失ってしまうのではないか、消えてしまうのではないかという恐怖があったのだ。全てが終わったら、答えを言うべきか。彼女はベッドから起きるその時まで、薄く目を閉じていた。


マリアーンはもう知っていた。彼女が自分以上に苦しんできた過去を持っていたことを。しかし決して、不幸の度合いは天秤に掛けられる存在ではないということも。9年前、彼の平穏な大学時代を奪ったテロ事件の怒りを忘れることは永遠に出来ない。瞼を閉じればいつだって、その記憶に束縛される。彼にテロがなければ、一般的なプラハ市民としてそれなりに幸せに過ごしていたかもしれない。だが街は燃えた。天文時計(オルロイ)は傷ついた。彼の目に稲妻型の傷と、消せない心の傷をつけたのはやはり「影」だったのだ。1ヶ月前の告白は確かにフェイントの意味もあった。勢いだけだった。だが、勢いの原動力があった。そして彼女のことを知っていくうちに、彼女を守りたいと次第に思うようになった。精神的にも肉体的にも愛したいと思った。共に苦しみを乗り越えたいと思った。復讐だけでは奴らと一緒だ。勝てない。油断も驕りも、友の為といいながら結局自分のためだけにしか戦ってこなかったからだ。今なら分かる。殺そう、では駄目なのだ。でも軍人の自分にそれ以上のことができるだろうか?

「俺は、このままでいいのか?」

壁向かいはアナスタシアの部屋だった。彼女が蹲る壁の向こうに、寄りかかって熟考する彼がいた。否、考えていないのかもしれない。実際は、堂々巡りする苦しみに藻掻いているだけなのかも、しれなかった。


朝6時。中隊は点呼のため集結した。ごく普通に平凡な任務が始まる、ここはそんな場所ではない。今日はラファエルが情報課から「影」の現在情報を入手したというのだ。1ヶ月以上姿を表さなかった奴が、ベトナムのハイフォン周辺のジャングルで確認されたというのだ。直線距離で約500kmの場所であっても、この隊が彼を倒すために存在する以上、向かうしかなかった。皆、それを望んでいた。飛行場に向かい、軍用機を飛ばす。揺られた機内で、作戦の確認を行った。その後、エンジン音や機械音の唸る中でアナスタシアは口を開いた。

「大尉」

「何だ」

短い会話。

「もしこの作戦が終了したら、答えを言うわ」

「了解した。……宣言したからには、遂行しろ。」

スカーフで顔の下半分を隠したマリアーンの表情は、分からなかった。


目的ポイントに到着。霧。現地時間午後2時。湿度は90パーセントオーバー。気温は30度オーバー。熱帯性の植物が茂るジャングルに、中隊は幅広く戦線を展開した。マリアーンは敢えて、拠点で待機していた。アナスタシアは偵察の隊を仕切る。戦況は高速で動いたが、マリアーンは動かなかった。拠点を狙う奇襲兵も、確実に応戦した。彼らしくはないが、今回はそれを徹底した。そう、奴が現れるまで。

「エリアB13、対象を発見」

アラートと人工音声による通知、遂に「影」が現れた。これが最後のチャンスだろうと、マリアーンは感じていた。理由はない、本能だ。発見された方向を望遠レンズで確認する。笠は相変わらず被っていた。それをハンデにさせない強さが彼にはあった。だが、今回は。狙撃兵に射撃を頼んだが、遅かった。目を撃たれ悲鳴を上げる兵士に、衛生兵を呼べと命令し、マリアーンはレーザー式のライフルを担いで射程距離まで進んだ。

「待っていたぞ、ボン!」

挨拶代わりに発射すると、銃撃戦が始まった。

「随分、しっかりとしてきたじゃないか」

「しっかりしてないと、やっていけないからな」

互いにジャングルの木々の幹を蹴り上げ登り降り、隠れながら弾を避け、高速で戦闘を繰り広げる。霧の纏うジャングルに素早く動く黒いシルエット。それは影絵芝居のような芸術的で神秘的な光景であった。

「サンダーマーク、一つ聞こう」

ボンは走りながら相手の様子を伺い、ライフルを発射していく。"バナナマガジン"の、リロードも無傷で確実に実行する。

「何がお前の原動力だ?まだ、復讐か?」

マリアーンもまた、レーザー発射用のバッテリーを積んだカートリッジを素早く交換した。

「確かにお前も憎い。でも、それだけじゃない、俺にも守るべき存在が出来たんだ。俺は……」

カラシニコフ銃から幾多も撃たれた7.62x39mm弾をも翻す。

「あいつのために、戦うと決めたんだ!」

そして彼の放った光線銃の一閃が、ボンの腹を貫いた。

「……っ!」

うめき声を堪えて、ボンは彼を賞賛した。

「お見事だ、サンダーマーク。」

どさりと音を立て、倒れた影に、マリアーンが駆けていく。それが彼を陥れる囮だろうが何だろうが、構わなかった。どんな命令でも彼を止めることは出来なかった。ボンのトレードマークの笠は取れていた。見えたのは髭の色と同じ、濡れた鴉のような黒髪。ブラックパジャマの腹部が、黒く濡れていた。風向きが変わったのか、冷たい風は生臭さを運んだ。雨雲が近い。

「とどめを刺せ」

「言われなくても」

倒れたボンに馬乗りになる。アサルトナイフを取り出す。首筋に当てる。しかしそこから刃を動かそうとはしない。

「だが、死ぬ前に伝言ぐらい聞いてやるよ。前々から気になっていたんだ、お前の真実とやらを。」

マリアーンは目をぎらつかせ笑っていた。遂に、この時が来たと。

「そうか。覚えていてくれたのか……!長くなるが、いいか」

一方ボンは死を眼前にした者とは思えない優しい顔をしていた。証拠になると、マリアーンは頷くと、後からやってきた兵に対し、音声の録音を求めた。

「俺はハノイの研究所で生まれた。俺は、作り出された人間なんだ。」

息を呑むマリアーンに、彼は笑う。手に入れた情報から、確かに示唆されてはいた。しかし。

「おいおい、そのくらいで驚くなよ。お前のところだってよく有るじゃないか。」

笑うボンに、表情が固くなるマリアーン。

「俺に平穏はなかった。正しいとか正しくないとか、そういうものは無視され続けてきた。だから俺も、無視して戦ってきた。だからお前や、お前の友人や故郷を傷つけた。若さや幼さのせいにしてはいけないかもしれないが、事実その時は良心や正義感よりも復讐心が勝っていたんだ。」

マリアーンは無意識に、彼の過去と自分とを重ねていた。

「なぜだと思うか、理由は簡単だ。俺の生まれた地であるハノイが、連合軍の襲撃を受けたからだ。研究員が死ぬだけじゃなかった。……皆殺しだった。子供もその母親も、普通に働いていた父親も、無害な一般人も、みんな死んだんだ。お前が驚くのも無理はない。俺が立派な兵士になる前までは、無差別で広範囲な攻撃方法が主流だったんだ。その方が、資源をより搾取しやすい環境が作れるからな。」

「どういうことだ?」

すり替わる話に、マリアーンは訊ねる。

「俺たちを殺そうとしたのは副次的な目的だった。真の目的は魔法石という資源だった。お前がここまで着たのにも、ごく当たり前に使われていたそれさ。メカニズムは忘れたが、石油よりもずっと効率が良い。嘗ての湾岸戦争やイラク戦争が石油目当てだって話があるよな。あれと一緒だ。何か言い訳が欲しくて勝手に刃向かう人間をテロリスト扱いし、殺したんだ。違うのは戦争という定義じゃなくなったってことさ。俺達に国という単位はない。俺達の軍は、いわば憎悪の結集体。国籍も民族も、人権もない。資源を奪った人間への復讐が、全てだったんだ。」

「だからといって、俺の友人を……!」

それでも、彼にとっては身勝手な言い訳にしか聞こえなかった。

「……そのことについては詫びる、本当にすまなかった。すまないで許されることではない、ということも理解している。俺達が完全な被害者と言うつもりはない、事実、テロ行為だけでなく魔法石を利用した兵器の製造、売買でテロリストやそこで働く平民の財布が潤っていたのは事実だ。俺達もまた、悲劇に加担している。」

謝ることに意外そうな顔をしたが、油断させるためだと、まだ彼の心は動かない。

「アメンテスは容赦しないのがモットーだ。だから俺も疑問に感じていた。敵兵を殺して、相手に本当のことを理解してもらえるのだろうか?俺はない頭で考えた。でも、対話で解決することはないだろうとも諦めていた」

無言を続けるマリアーン。

「だから賭けたんだ。俺を殺せる人間に、俺の考えを託そうって。それがお前だったんだ。お前はひねくれているようにみえて、どこまでも真っ直ぐな人間だから。」

「俺が……」

「……思えば俺は、友達が欲しかったんだな。完全に分かり合えなくても良い。でも、一緒に苦しみを分かち合える、(しるべ)を作り出せる、友人が。」

自嘲するような声だった。

「そうか、お前は、孤独だったんだな」

「嗚呼。……でも、もう大丈夫だ。」

ボンは曇った白い空を見つめる。

「お前、いい女ができてよかったじゃないか。俺も嫁さんもらって、毎日美味しいメシをたらふく食って、幸せに過ごしたかったな。……だが俺がここで死ねばこの問題に決着がつく。俺の望む平和が見える。さあ殺せ、お前は幸せに生きるんだ。」

切なく発せられる声に、マリアーンは心臓の端を薄く切り刻まれるような痛みを覚えた。

「くそっ、そんな台詞吐いた……そんな人生を送った野郎を殺せるかよ!」

「ははは、容赦しないのがお前の持ち味だろう?」

彼はナイフを捨てた。そして苦い顔のまま隠し持っていた銃を取り出した。「Cz 75 B」と銃身に刻まれ実弾が込められていたそれを、ボンの眉間に向ける。

「お前を、連合の支給品で殺したくはないからな」

「……祖国の逸品か。いいセンスだ。」

ボンはこの状況でも、笑っている。彼は目を閉じる。マリアーンは怒りを沈められず……それでいて、溢れる悲しみを受け止めきれない、そんな顔をしている。

「ボン、俺はお前を許すつもりはない」

「そうだろうな……だが、最期ぐらい、本名で呼んでくれよ、サンダーマーク。」

その笑顔は、悟りにも近かったのだろう。

「お前が言うな。……苗字はグエン、だっけ。下の名前は」

「カイン。意味するのは、翼だ。かっこいいだろう?」

おどけるように、カッコつけるように、彼は無理をしていた。ゆっくりと彼の手が、黒い銃身に触れる。

「……カイン、教えてくれ。俺のやっていることは正しいのか?」

「この世界に正解はない。だが真実はある。心配するな、今のお前なら手に入れられるはずだ。」

マリアーンの銃を持つ手が震える。しかしトリガーは、確実に指を通していた。

「そうか、敵である、俺に、期待するのか」

「ああ、信じている。何故ならお前は俺の話を聞いてくれた最初で最後の、親友だからな。」

「親友……!」

オリーブの瞳に差す光が、大きく揺らぐ。雨粒は天の物か、人の物か。

「嗚呼、そうさ。お前は最高の親友だよ。……ありがとう、マリアーン。」

死を望む親友のエメラルドグリーンの瞳もまた、曇天の薄暗い日差しの中で、輝いた。


銃声。そう、人を殺す音が鳴った。

マリアーンの咆哮がスコールの雨音と共に、雷鳴と共にかき消される。


彼の任務が、終わった。

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