2-1*
――“あの日”の事は正直、良く覚えてない。と、言うよりは思い出したくないのかもしれない。
それまでの楽しい記憶も、それからの辛い思いも、確かにこの心に刻まれ続けている。
だけど……あの瞬間だけはまるでぽっかりと開いた大きな穴のように私の心に深い闇を落としている。
気が付けば壁も床も天井も炎に包まれていた。非常階段、その踊り場から見えていた世界は目を逸らしたくなるほどのもの。
どこか遠くで何かが崩れ落ちる音が響き、女性の呻き声のような声も聞こえてくる。
本物なんて見た事ない。だけど、もし本当に存在するのなら――あの光景こそ“地獄”なのだろう。
施設内の奥の方で何かが崩れる音が響く。混ざり合うようにして聞こえた悲鳴はお母さんの声に似ている気がした。
そう、まだ、中にはお姉ちゃんが、お母さんが、お父さんが……
中に戻って家族を探したい。だけど、その気持ちは熱風に押し返される。小さくて弱い私はただなすすべもなく立ちつくすしかなかった。
誰のものかも分からない悲鳴、泣き声を聞きたくなくて耳を塞ぐ。
何かが爆発するような轟音が聞こえた。フードコートの方だろうか……?
今の声は、私に良く似た声は、もしかして――
――考えたくもない。嫌な想像が消しても消しても、頭を支配していく。ただ絶望が目の前にある。
ふと、炎の中に動く人影が見えた。――まだ生きている人、他にもいるんだ。
焼け落ちそうな扉の隙間から見えたのは、私と同じ位の男の子。
彼は何かに怯えたように黒い髪を振り乱し走っていた。
『来るな、来ないでよっ! 誰か……!』
彼の視線を辿ると、真黒い“手”のようなものがいくつも焼け焦げた床から煙のように立ち昇っていく。
一面の朱の世界、黒い“それ”はまるで意思を持っているかのように少年の足に絡み付いていった。
足を取られた少年は地に伏す形になる。これだけ燃え盛っているのだから、床だって熱されているのだろう。
少年は苦しそうに腕を抑えもがいている。
そんな少年のささやかな抵抗をあざ笑うかのように――“それ”は容赦なく、手、顔……その小さな体にまとわりついていった。
そして――一瞬の閃光が私の視界を奪うと同時に、その少年も、“それ”もいなくなっていた。